44.再会
ああ、私はどれほど彼に心配をかけてしまったのだろう。
だが彼の表情は見えない。私にギュッと抱きついたまま、肩口に顔をうずめている。私を力強く抱きしめ、息苦しいほどだ。
この力の強さは彼の安堵の証だろう。
その時、船の汽笛の音が聞こえた。出航に向けて動き出した船上では、手を振るマルコとクロード船長がいた。
そうだ、私はグレンと話をすると、クロード船長に相談して決めたじゃないか。
「グレン」
彼の背中をさすり名を呼ぶと、ゆっくりと顔を上げた。
彼の顔を見た瞬間、思わず叫んでしまった。
「ひどい顔だわ!」
頬を両手でつかみ、まじまじと彼の顔を見つめた。
顔色が悪く、目の下にはクマができている。こんなに疲れ切った彼は初めて見る。
グレンは気まずそうに目を逸らす。
「ああ。徹夜でここに駆けつけたからな」
そこで私は思い出す。グレンの屋敷からここまで三、四日かかるってクロード船長は言っていた。本来なら、まだここへは到着していなかっただろう。
彼は眠る時間も惜しんで駆けつけたんだ。
胸に温かい感情がわきあがる。だが同時に心配にもなり、手をギュッと握りしめた。いろいろグレンとは話さないといけないことがある。でもまず、最初にするべきことがある。
「グレン、今すぐ宿をとってくれませんか?」
彼に休むことを勧めても大丈夫だと言い張りそうだ。
「船の中ではゆっくり寝つけなかったので、少し横になりたいのです。それに湯も浴びたくて」
本当は船の中での生活は思ったよりも快適だったが、それは言わないでおく。
ユラユラと揺れて心地よいハンモック。水は貴重なので沸かしたお湯で体を拭くていどだったが、それでもありがたかった。日常がどんなに恵まれていたのかを学ぶ機会にもなった。
だが今はグレンを休ませるためにも必要な嘘だ。
グレンはジッと私の顔を見つめた。そしてフッと微笑んだ。
「初めてだな。そんな風に俺に頼みごとをしてくるのは……」
ゆっくりと頬に指を滑らせ、優しく触れた。
「宿を探そう」
グレンは私の手をギュッと握り、人混みの中を歩いた。
カリフ港は栄えているだけあって、宿がたくさんあった。その中でも一番高級そうな大きな宿にグレンは目をつけた。
「今すぐ泊りたい。一番上等な部屋を用意して欲しい」
「はい。一室でよろしいですか?」
「いや、二室――」
カウンターで手続きをしている時、会話を遮った。
「はい、一室でお願いします」
ここでグレンがちゃんと眠るのか、見張っていなければ。休まないかもしれないじゃない。カウンターの男性から鍵を受け取り、戸惑うグレンにニコッと微笑みかける。
「さあ、行きましょう」
案内された部屋は、人が三人は眠れそうなほどの大きなベッドが一つに、ソファにテーブル。家具などの調度品も高級だ。別室には浴室までついている。
部屋に入った瞬間から、グレンはずっとソワソワしている。いつもと違う環境で落ち着かないのかもしれない。
「グレン、お湯を浴びますか?」
バスタブにお湯を張り、入浴するように勧める。旅の疲れを少しでも癒して欲しい。
「いや、先に――」
「じゃ、ごゆっくりどうぞ」
遠慮ぎみのグレンの背中を押し、浴室に閉じ込めた。
私の強引なやり方に戸惑っているようだが、こうまでしないと遠慮しそうだ。
やがて短時間でグレンが浴室から出てきた。備え付けのバスローブを羽織っている。
「お湯を新しく張っておいたから入るといい」
前髪から水滴がしたたり落ち、髪をかきあげる仕草にドキッとする。
なんとも言えない色気を感じる姿に、頬が高揚する。
私ってば、こんな時に意識するなんて。
「じゃあ、お湯をいただきます」
グレンの顔を見ないよう、ピュッと浴室に入り込んだ。
久々に湯船につかり、涙が出るほど気持ち良かった。今まで当たり前だと思っていたことに、幸せを感じた。潮風にあたっていたせいか、髪の毛がゴワゴワしていたが、洗うと幾分ましになった。
バスローブを羽織り、髪を乾かして浴室から出る。ベッドに座っていたグレンが振り向いた。
まだ起きていたんだ。てっきり寝ていると思ったのに。
「グレン、起きていたの」
「君が浴室にいると思うと、眠れるものか。逆に目が冴えた」
「えっ?」
聞き返すとそっぽを向き、なんでもないとつぶやいた。
「少し横になりましょうか。お話はそれからです」
彼を早く休ませたい私は強引に近づく。起きてから話をしても遅くないはずだ。
「抱きしめてもいいか?」
「えっ……」
ドキッとすることを聞かれた。だが彼はすごく真面目な顔をしている。表情から緊張していたのが伝わり、拒否できない。
ゆっくりうなずくと腰回りに腕が回され、ギュッと抱きしめられた。
どうして彼はこんなに甘えてくるのだろう。
私から見える彼のつむじを可愛いと思い、思わず彼の頭をそっとなでた。
なでると同時に視線が反転しベッドに倒れ込んだ。そのまま彼は私を、かき抱く。
心臓の音がドクドクと聞こえる。
これは彼の? それとも私?
身動きが取れないほどの強い力で、グレンは私を拘束する。
だが嫌じゃない。この温かさが心地良いとさえ思ってしまう。背中に手を伸ばし、彼をギュッと抱きしめた。
爽やかなグリーンノートの香りに、懐かしささえ感じる。
ああ、私は無事にグレンと再会できたのだ。
安堵したのか、自然と涙が一筋流れた。