2.急な縁談
そして父が始めた新しい事業もまた芳しくなく、さらに負債が増えるかもと、恐怖で胃がキリキリし始めた時、未来を変える出来事が起きた。
ある日、私は父の書斎に呼び出された。
「お呼びでしょうか? お父さま」
ノックをして扉を開けると、ソファに座っていたマリアンヌが振り返った。
あら、妹も呼ばれていたのね。父の隣には義母もいる。
「ルシナ!! よく来てくれたな。待っていたぞ」
上機嫌に手を広げ、大げさに喜ぶ父の姿に眉をひそめた。
父の書斎はちょくちょく訪ねているはずだけど?
「それでお父さま、お話とはなんですか?」
「まずは座ってくれ」
父の目の前、マリアンヌの隣にそっと腰かけた。父はテーブルにスッと一通の封書を差し出した。
「実はわが家に縁談がきた」
父の発言を聞き、驚きで目を見開く。
事業で失敗続き、借金まみれのアルベール家に? まともな神経の持ち主なら、そんな申し出などするわけがない。
この縁談には裏がある――。
父は有頂天になっているようだが、上手い話はそう転がっているわけがない。
「えっ? それは私に? 公爵家? それとも侯爵家? どこで見初められたのかしら」
マリアンヌは一人で舞い上がっている。どこをどう間違ったら、そんな格上から縁談がくると思えるのだろう。客観視できなさすぎて、この子の将来が不安だ。
「まあ、待ちなさい、マリアンヌ。今、説明をするから」
父はゴホンと咳払いする。父は私とマリアンヌの顔を交互に見つめる。
緊張から手が汗ばみ、ギュッと握りしめた。
「最近、貿易事業の航路開拓や、店を何店舗も扱っている人物がいる。手広く事業を行い、貴族社会にもその名が進出してきている」
「まあ、素敵!! どこの家門の方!?」
「それは……」
前のめりになり話題に食いついた義母だったが、ここにきて父はサッと顔を逸らす。
父は無言になり、目をさ迷わせた。さすがに様子がおかしい。
変なところで勘のいい義母は、感づいたようだ。
「……つまり相手は平民ってことですの!?」
それを聞いたマリアンヌは険しい形相へと変わり、一気にまくし立てた。
「絶対に嫌よ!! 私がなぜ平民と!! アルベール家の誇りを捨てろというのですか!?」
「それはあんまりですわ!! 可愛い娘を平民に嫁がせるだなんて!!」
義母はマリアンヌを庇うようにガバッと抱きしめた。
私はマリアンヌがポロポロと流し始めた涙を、冷めた目で見ていた。
誇りとか口にするけど、笑わせてくれる。要は、私たちはそのプライドを捨てなければいけないところまできているのだ。
つまり、アルベール家の資金は底をついた。
――そういうことだ。
相手にとって得をすることがあるから、この隙を狙ってきたのだろう。
名前だけは立派なアルベール家。この機会に取り込みたい、それには縁談が手っ取り早い。
取り乱して泣き出すマリアンヌを慰め、オロオロしている義母。落ち着かない周囲の様子にため息をついた。
「お二人共、まだ話は終わっていないわ。お父さま、続きをお願い」
「おっ、おお、そうだな」
マリアンヌは頬を脹らませ不貞腐れているが、気にしていられない。
父の話を頭の中でまとめると、相手は事業を手広くやっている方らしいが、身分は高くない。
そんな相手が我が家に縁談を持ってくる理由は、ただ一つ。
貴族社会に繋がりを持ちたいのだろう。そう、アルベール家の娘と縁を結ぶことで、貴族の仲間入りをしたい、きっとそう言うことだ。
お金の次は身分が欲しくなった、ということか。
「それでお相手はなにを望んでおられますの?」
「察しが良くて助かるよ、ルシナ」
ゴホンと咳ばらいをした父は顔を真っすぐに上げた。
「先方はルシナとの婚約を望んでいる」
薄々覚悟していたが、改めて父の口から聞かされると衝撃だった。
それになぜ私なの? 社交界で人気があるのは華やかなマリアンヌの方でしょうに。
「やっぱり、結婚するならお姉さまが先よね!! 平民に嫁ぐだなんて、私じゃなくて良かった」
マリアンヌはコロッと態度を変え、安堵した。
「ああ、安心したわ」
義母もあからさまな態度で胸をなでおろしている。
「それでお相手はいくつの方? まさかお父さまより年上だったりして~」
自分じゃないと知った途端、興味しんしん。面白そうに茶化し始めるマリアンヌは本当に意地が悪い。
「でも、お姉さま、ちょうど良かったじゃない? 婚約が破談になったばかりで傷物扱いのお姉さまと婚約したいだなんて、相手に感謝しないとね」
さすがにこの言葉は聞き捨てならない。
だいたい婚約が破談になったのはあなたのせいでもあるでしょう?
「あなたーー」
「マリアンヌ、少し黙ってなさい!!」
さすがにひどい言いぐさだと反論しかけた時、珍しく父が声を荒げた。マリアンヌは頬を膨らませ、押し黙った。
「ルシナと話があるから、二人は少し外に出ていなさい」
父がうるさい二人を追いはらってくれてホッとした。
義母とマリアンヌは、渋々ながらも退室した。