16.初夜
式は無事に終了した。
形式として愛を誓い、政略結婚なのにこの手順必要なの? と思ったが、そこは大人しく従った。
最後に口づけをして終わったが、彼の手が震えていた気がする。緊張していたのだろうか。
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夜に湯あみをし、夜着に袖を通す。
光沢感があり滑らかな質感が上品な、女性らしい優美な雰囲気を醸し出すデザインだ。胸元が大きく開き、裾には繊細なレースが施され、華やかだ。
ちょっと透けすぎじゃないかと心配になったが、そこにガウンを羽織った。
準備が終わり、案内された寝室で扉をノックする。中からくぐもった声が聞こえ、深呼吸をしてから扉に手をかけた。
グレンはベッドに腰かけ、ワイングラスを手にしていた。少し濡れた髪が首筋に張り付き、色気をかもしだしている。
部屋に入った瞬間から、一挙一動ジッと見られている。正直、落ち着かない。
私はゴクリと唾を飲み込んだ。ゆっくりと足を進め、彼に近づく。
相手は無言で、私がベッドに近づくのを待っていた。手が届く距離まで近づき、私を見つめるグレン。
きちんと話をしなければいけないと思っているけれど、心臓がドクドクと音を出し、鳴りやまない。
彼はスッと立ち上がると手を伸ばし、頬に触れた。
「緊張しているのか」
落ち着いた口調で問われ、静かにうなずいた。男性と暗闇で二人きりになるなど、初めてだからだ。緊張しないほうが無理だった。
「式の前、話があると言っていたな」
相手の方から切り出してくれたことに安堵する。意を決して顔を上げ、ゴクリと唾を飲み込んだ。
「そうです。最初に取り決めをしませんか?」
「取り決めとは?」
「この結婚についてです」
緊張しながらも伝える。そこからは一気に考えを告げた。
「私は白い結婚がいいと思います」
告げた途端、相手の眉がピクリと動いた。
「なぜだ?」
その理由をあなたが聞くの?
「それはお互い事情もあるでしょうし……」
アンナ・ブッセンとかアンナ・ブッセンとか……。お付き合いしている方がいるのなら、無理に私にまで気を回さなくてもいいと告げたつもりだった。
だが、相手からは予想外の言葉が返ってきた。
「忘れられない男でもいるのか?」
目を細め、口元はゆがみ、表情はあきらかに怒りを含んでいた。
忘れられない男? そんな相手いるわけがない。ゆっくりと首を横に振った。
「あの元婚約者が好きだとでも?」
ここでベンの名前が出てきたことに驚いた。そもそも彼の存在を知っていたの?
「ベンはただの幼なじみです。そもそもあなたが……気にする相手ではありません」
はっきり告げると、小さくチッと音が聞こえた。
……えっ、舌打ちをした!?
目の前でそんなことをされたのは初めてで、目を見開いてしまう。
だがグレンは構わず、詰め寄ってくる。
「俺には関係ないと? だから気にするなって言いたいのか?」
「そんなわけじゃ……」
どうしよう、なぜか彼は怒っている。これじゃあ、話し合いができないじゃない。
よくない状況だわ、これは――。
スッと息を吸い込み、冷静を努める。
「あなたこそ、いい人がいるのではないですか?」
目を見てたずねると、弾かれたように言葉に詰まった。これは図星という意味合いで取っていいのかしら。
いきなり黙り込んだ相手に、一気にたたみかけた。
「将来的な話になりますが、いきなり子供を連れてくるのだけは、こちらにも心の準備が必要ですから、事前に言ってくださいね」
優しい口調で伝えたつもりだ。だが相手は目を見開き、絶句しているように見えた。世間では隠し子だって珍しい話ではない。
「これはお互いが円満に生活していくための提案なのです」
そうよ、お互い利害関係が一致しているのだから。
グレンはうつむいている。
そして突如、顔を上げる。急に声を出して高らかに笑いだした。
驚いてビクッと肩が揺れる。
「あんたの目に、俺はどういった風に映っているんだ?」
あ、ん、た………… ??
それは私のことを言っているのだろうか。
初めて人からそんな呼ばれ方をした。驚いて面食らう。パチパチと目を瞬かせるが、必死に言葉を選びながらも続けた。
「私の申し出が気に入らないのなら、しばらく様子をみましょう。半年、いえ三か月後に再度取り決めをしてもいいかもしれません。お互いの妥協点を決めるのです」
「妥協点?」
「ええ、そうです。私たちは知り合って間もなく、お互いを知らない。よりよく生活をするために取り決めをしましょう」
考えていた案を切り出す。
「もしこの先、あなたが他の方を屋敷に迎えたいとなれば、私は理由をつけて田舎に引っ込みましょう。体調不良で静養だとか、理由はいくらでもあります」
必死で考えていた案を口から絞り出すが、相手は気に入らないらしい。
徐々に表情が険しくなり、まるで忌々しいものを見るような目を向けられる。
さきほどまで優しいと思っていたのは取り繕った姿。仲間と話していた時と、今私に見せているこの姿が彼の本性なのだ。そう、舞踏会で仲間に見せていた姿がね。
彼は私の申し出に不満なのか、無言で私をにらんでいる。
「もしかしたら、夫婦にはなれなくとも、いい友人にはなれるかもしません」
「――ふざけるな」
彼の低い声は怒りを含んでいた。
感じ取った私は口をつぐんだ。
「俺はあんたと友人になる気は、これっぽっちもない。結婚相手が友人? はっ、笑わせるな」
まずい状況になったと察し、背中に冷たい汗が流れた。