プロローグ
パイプオルガンが鳴り響く中、ステンドグラスから光が差し込む。
精巧な造りの建物の天井は高く、天使が描かれている。
この教会、とても人気があると聞いていた。こんなに短期間で予約が入り込めるものではないだろうに。多額の寄付金でもしたのだろうか。
けれど、この人にとって大した額ではないのだろう。
だってやり手の事業家と噂されるほどですものね――。
投げやりな気分で、そんなことが脳裏をかすめる自分が卑しく思えてくる。
チラリと横に立つ人物を見る。
スラッとした高身長で引きしまった体つき。光に当たってキラキラと輝く金の髪。唇はきつく結ばれている。
高い鼻筋にやや鋭い目つきは、横顔でも整っているとわかる。
緊張でがちがちに身体を固くしながら考える。
自分が当事者としてこの場にいるだなんて、いまだどこか現実味が感じられない。
夢でも見ているんじゃないのかしら。
考え込んでいると、目の前で神の像に祈りを捧げていた神父が振り返る。
「では指輪の交換をお願いします」
肩が小さく跳ね、喉がこくりと鳴った。
結婚指輪の交換を終え、神父と向き合う。
「ではお二人は愛を誓いますか?」
ひきつりながら微笑みを浮かべるのが、精いっぱいだった。
『いえ、私たちには誓う愛はございません。政略結婚ですから』
なんて言えやしない雰囲気。
視線を感じた方に顔を向けると、その先には彼がいる。
そう、この人は私と結婚する。
彼は美麗な顔に、少しはにかんだような笑みを浮かべた。
「――誓います」
低く、決意が秘められたような力強い声が響く。
はっきりと返事をした彼は私に視線を向け、優しく微笑む。
目が合った瞬間、パッと勢いよく顔を逸らした。
あ、危なかったわ。
うっかりコロッと騙されそうになってしまったじゃない。
思わずドキッとするような眼差しを向けられ、唇をギュッと噛みしめた。
信じちゃダメよ、きっと彼だって私と同じようなことを思っているに決まっているから。
これは政略結婚だから、仕方ないって。
そう自分に言い聞かせていることだろう。
「新婦は誓いますか?」
神父から再度質問され、ハッと我に返る。新婦って私のことだ、そうだった。
「……誓います」
だってそう言うしかないじゃない。
半ば、投げやりな物言いだが、これでも心の抑揚を抑えて返答したつもり。
「では誓いの口づけを」
ああ、やっぱり……。
神父の言葉に軽くショックを受けた。覚悟はしていたけれど、あまりよく知らない相手との口づけ。
しかも初めてが人前でなんて、あんまりじゃない?
手が伸びてきて、そっとベールを持ち上げられると、視界が開けた。
優しげな笑みを浮かべた相手とパチリと目があった。
フッと微笑む彼はすごくすごく幸せそうに見えた。
あなた、演技がお上手ね。私にも教えて欲しいぐらいだわ。
どうやったらこの場でそんなに幸せそうに取り繕えるの?
喉まで出かかった言葉をグッとこらえた。
そっと彼の右手が頬に添えられ、反射的にビクリと震えた。
えっ、でもちょっと待って。
彼の手がわずかに震えているのは気のせいかしら?
もしかして緊張しているの?
まさかね……。
だって、あなたは慣れているはずだもの。
徐々に潤んだ瞳が近づいてきたと思ったら、唇に柔らかな感触をうけた。ほんの軽く、一瞬だけの触れ合い。
すぐにサッと離れてしまったけれど温かかった。彼の体温を感じ、顔が火照った。
ゆっくり彼が離れると拍手が沸き起こった。
彼も嬉しそうに目を細め、私を見ている。
満足しているんでしょ。これで貴族社会の仲間入りができたって。
そういう意味での微笑み?
さきほど感じた手の震えは、目的を成し遂げた喜びかしら。
盛大な拍手どころかこの結婚式でさえ、どこか他人事にように思えた。