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「やっちゃったぁ……」
騒動を終えて帰宅後。私は自室で机に突っ伏し溜息混じりに後悔を漏らす。
昼食を終えて教室に戻ってからも、道風ふるるが教室に戻ってくる事は無かった。先生の話によればその後、保健室で少し休んでから早退したらしい。私としては、彼女と顔を合わせずに済んだので気楽で良かったのだが、その結果、明日も昼休みか放課後に呼び出しがあるとの事。
今回の件は私に非がある。割合で言えば道風ふるるに分配が上がるが、それでも私に非があった事には変わりない。
言い訳にしかならないが、彼女の私に対する普段からの言動や、騒動前のやり取りで、我慢の限界が来たのだ。その為、彼女に対して高圧的な態度を取ってしまったのだ。
「面倒過ぎる……。学校休む程じゃ無いけど面倒過ぎる。……いや、夏休み前に面倒なイベントを消化出来たって考えれば……。うん、前向きに考えよう」
形は違えど、いずれは一悶着起きていたのだ。それが夏休み前に起きて、長期間の間を空ける事が出来ると考えれば、寧ろプラスだ。
因みに、パパとママには先生から、今回の騒動が伝えられている。その為、両親からも店を閉めてから呼び出しが掛かっていた。
『面倒なのは私の方だよ……。関口マヤと道風ふるるのいざこざに、知らない所で巻き込まれる事になるんだから』
ADからは、心の底から面倒臭そうなみさの声が聞こえてくる。
「それを私に言われても……。寧ろそっちも、夏休み前にいざこざが起こって良かったんじゃ無いの?みさも気付いてたでしょ?あの人達の間の空気」
『気付いてたけど、どうにかするつもりだったの!』
「……最近みさが気を張ってた理由はそれかぁ。別に良いじゃん。いっそ、道風ふるると距離置いたら?あの人だって、他クラスに仲良い人居るんだしさ」
『無理だよ。道風ふるるは私に執着してるから』
「だからだよ。夏休みって長い空白期間があるんだから、その間に自然と距離を置く様にしないと。この機会を逃したら、それこそ面倒な事になるよ?」
『うぅん……』
考える様に唸り声を上げ、みさは少し黙る。
「まぁ、今回の事は私にも非があるからさ、何かあったら頼ってよ」
『……考えとく』
この様子だと、こちらから何を言っても無駄だろう。本当、助けて欲しいのか欲しくないのか分かりづらい人だ。なんて、人の事は言えないのだが。
「考えといて。勝手に割り込むから」
『それはヤバい。絶対面倒な事になるじゃん』
「じゃあその前に相談してね」
『分かった分かった。それより、今日の配信はどうするの?ヘキグラじゃ無いんだっけ』
「そうだよ〜、今日はバックパックロバーやる。こっちも結構人気だからね、楽しいし」
『あ、そ言えばさ、bprだっけ。最近有名どころの配信者もやり始めたよね。はぴにゅわの……誰だっけか。も、つい最近やり始めてたし。もしかしたら、ローズマグナさんもやり始めるんじゃ無い?』
「へぇ……有名な人?」
『……え?いやいや。直近でバチバチにやり合ってたじゃん。ってか、現在進行形?ほら!あの銀髪エルフの!』
「ぎんぱ……あ!ルナなんとかね!あ〜あ〜はいはい!……そいや、SNSで個人メッセ来てたっけ。はぴにゅわ公式から正式な謝罪文」
『え、どんな!』
「視聴者を煽動して荒らした事とか、配信で悪者に仕立て上げた事とか。まぁ、後者は仕立て上げられなくても悪者なんだけどね」
『やしがに!ちぃは掲示板の危険人物リストに載ってるくらい、暴れ回ってるからね!』
「最初にそれ聞いた時は驚いたよ……。私はただ、弱い人からアイテムを盗んでるだけなのにさ」
『十分危険人物じゃん。……って、そろそろチャット切るね』
「なんか用事?」
『VRMT……VRの格闘技大会の練習にね。まぁ私は、選手としてじゃなくて特別参加枠なんだけど……。恥は掻きたく無いからね』
「おぉ、頑張って!」
『あたぼうよ!じゃあまた!』
「ばいば〜い」
そうして、みさとのチャットは終わった。
夏休み前だと言うのに、格闘技大会の練習とは。この様子だと、夏休み期間中はコラボ配信どころか、チャットすら取る機会は減るだろう。少し寂しいが、それはそれで、今の人間関係の事を考えるとみさにとって都合が良いと思う。
道風ふるる……。彼女のみさに対する執着は度が過ぎている。未だ学校内で収まっているから良いものの、下手をすれば学校外で付き纏われる可能性もある。
みさは教師に頼らない。いや、他人に頼らない。全て自分で解決しようと動いている。何故なのか。
「……みさと仲良くなって3ヶ月弱。私、今のみさしか知らないんだよなぁ。それも、ごく一部だけど」
ベッドに凭れ、天井を見上げる。投げ出した足は机からはみ出し、窓から差し込む陽の光に焼かれる。時刻は夕方と呼べる頃合いだが、外の色は昼間と何ら変わらない青い色。
「配信まで時間あるんだよなぁ。って、話し合いがある事忘れてた。一回下行くか」
私はADを外すと机の上に置き、自室から出て下に向かう。
「ママ〜、ちょっと良い?」
「あら千歳、丁度良かった。学校の話を聞こうと思ってたの」
時間はまだ帰宅ラッシュ前。学生の姿がチラホラあるが、客の数はそこまで多く無い。それに加えてケーキを作り終えたパパがレジ前に立っているので、ママは手が空いていたらしい。私が声を掛けるとママはレジから離れ、私を連れて店の奥の休憩室に連れて行く。
「そこに座って。お茶取ってくるわね」
ママは私を座布団の上に座らせると、一度キッチンに下がっていった。そして少しすると、盆の上にお茶とタルトを乗せて戻ってくる。
「はいどうぞ。すぐ売れちゃうから取っておいたの。パパには内緒よ?」
そう言って目の前に置かれたのは、マンゴーと桃のタルト。夏季限定で、ウチの店の人気商品だ。現に私が帰った頃には、ショーケースの中から姿を消していた。
パパには内緒よ。とママは言うが、パパが気付いている事は言うまでもない。
「ありがと!でも、学校の話しながら食べたく無いかな」
「そんなもの、食べ終わってからでも良いじゃないの。それよりも早く食べましょ!楽しみにしてたのよね〜」
ケーキを目の前に、娘よりもウキウキと笑みを浮かべる自身の母のペースに肩を落としながら、自分もケーキを食べ始める。
甘く、少し酸味のあるタルトを食べ終えると、ママは満足気にお茶を飲み、一息吐いてから口を開いた。
「さて、今日も夜まで配信?」
「うん。大体9時位かな」
「了解よ〜。遅くなる様だったら教えてね」
そう言うと、空いた皿を盆の上に乗せて立ち上がる。
学校の話はどうしたのか。そう思いママを呼び止めると、わずかに時間を置いて声を漏らし、ママは座布団に座り直した。
「忘れてたわ、その為に呼んだのよね。あら?私が呼んだのよね?」
「私が降りて来たんだけど、どっちでも良いじゃん」
「……そうね」
首を傾げるママにどちらでも良いと八つ当たり気味に切り捨てると、ママはニコニコとした表情から真剣な表情に切り替えてこちらに向き直る。その顔を見て、私は背筋を自然と伸ばした。
ふぅ。ママが軽く息を吐く。その意図は分からないが、少なくとも、私に十分な恐怖と覚悟を与える。
「まず、先生から聞いた話を確認するわね。聞き間違えてるといけないから」
そう前置きすると、ママは私が起こした騒動の始終を話し始めた。
内容は私が教師に話したものと全く同じもの。ただそこに、担任の先生のものであろう個人の考えも含まれていた。
「普段から相手の子からちょっかいを掛けられていたのは本当?」
「まぁ……うん。別にママやパパに言う程の事じゃないけどね」
「今日起きた事も、その子から先にちょっかいを出された事が発端って聞いたけど」
「私も言い返したから、どっちがどっちとは言えないかな」
聞かれた事に考えた事をそのまま伝えていると、ママは「そう」と一言呟き、再びふぅ、と息を吐く。
その瞬間、背筋が凍る様な感覚を覚え、反射的に目を見開いた。ママの表情は変わらない。だが、その目には怒りがちらついていた。それは勿論、私に対する物だ。
「千歳」
「は、はい!」
引き攣った喉を無理矢理開いた所為で声が裏返る。
「相手の子を挑発したのは本当?」
「……は、はい」
普段の声色とは違い、感情の抜けた様な暗い声。その圧に、私の声が潰される。
「挑発して怒った子に対して、人前で生理だなんて言ったって聞いたけど、それも本当?」
「……うん」
「千歳。相手が普段からちょっかいを出してくるからって、人前で言って良い事とダメな事があるの。それは分かるわよね?」
声すら出せなくなり、私は無言で頷く。
「あなたが悪意に敏感で、その所為で、小さい頃から人見知りなのは理解してるわ。だけど、あなたが悪意を振り撒く人間になったらダメじゃない。それに黙っていたけれど、最近配信の内容も過激な物になってるわよ?中学生の多感な時期なら仕方ないと思うけれど、高校生なんだから──」
「ちょっと!配信は関係無いでしょ!あれはそういうスタイル、戦略なの!心理戦的なやつ!それ以外は大人しい配信なんだから!」
私はママの言葉を遮る様に口を開き、机に手を置いて座布団の上で膝立ちになる。
「でもママ、知らない人にあんな事言うのは良く無いと思うわ」
そんな私の態度を見て、ママの表情は何故か軟化し、頬に手を当てて首を傾げる。それを見て、私は一度息を吐くと、再び腰を下ろして配信内容の説明をする。
「それはそうだけど、TPOがあるでしょ?普段はあんな事言わないし、ゲームだからって誰彼構わず挑発したりしない。ほんと、変な所だけ見ないでよ。……で、パパは見たの?」
ママに配信の内容を言われた所で、しっかりとした理由を言えば納得して貰える。だが、パパは元々配信活動に反対している為、良くない部分を見られでもしたら、最悪、配信を止めろと言われるかもしれない。
「一緒に見てるわよ。ねぇ聞いて!パパってば結構ノリノリでね、千歳が誰かと戦うたんび、「行け〜!千歳〜!」って。まるでスポーツ観戦でもしてるみたいにはしゃいじゃってね。ちょっと前なんて、自分もゲームを買おうかなって悩んでたくらいなの」
「えぇ……。考えられないんだけど」
ママがそんな冗談を言うとは思えないが、それ以上に、パパが私の配信を観て楽しんでいるとは思えなかった。
「あぁ見えて、千歳の事が大好きなのよ。今日の学校の話も、千歳は悪くないだろって怒ってたもの。だからこうして、ママが代わりに怒ったのよ。……あ、そうだ千歳。右と左、どっちが良い?」
思いがけないパパの言動に頭を抱えていると、ママから意味の分からない質問が飛んできた。
「右?左?何の話?」
「ほら、説教したでしょ?締めにはビンタって聞いたか──」
「何その情報!そんな事しなくても反省してるから!」
荒げた声に共鳴して跳ねるコップに慌てて手を這わせ、倒れなかった事に安堵していると
パチン!
何故か両頬に衝撃が走った。




