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 夏休み前、最後の一週間。初夏の全てが焼ける猛暑は勢いを衰え、健全な夏の暑さが肌を焼く。

 日焼け止めを塗っているにも関わらず、制服の袖に合わせて境界線が生まれ、時折捲れた白肌は陽の光で一層白く輝く。

 家から出て数秒、既に部屋が恋しくなる。

 程よく冷えた身体は少し歩いただけで段々と汗ばみ、温い水滴が背中をなぞる。

 気分はまるで、溶け始めたアイスキャンディだ。手に持った携帯扇風機が、蝉の鳴き声と共鳴し羽音を鳴らしている……いや、これはモーターの音だ。


「暑すぎるぅ……」


 商店街。店先の打ち水はもう乾き始めている。それなのに新しく水を撒かないのは、通行人が増え始めたからだろう。私としては、気にせずに水を撒いて欲しいが、それは傲慢というものだ。

 余談だが、昔、地面に水道管を通して商店街の地面に水を撒くスプリンクラーを設置する案があったそうだが、管理費や水道代、その他諸々の費用を考えて白紙になったそうだ。


 日陰を渡り、最短距離で学校に向かう。門を潜り、建物内に入ればこちらのもの。そう思っていたが、肌を刺す針の様な夏の日差しは、綺麗に磨かれた床に反射し目を焼いた。

 網膜に闇を残しながら靴を履き替えると、ここだと言わんばかりに噴き出す汗をハンドタオルで拭う。何故涼しい室内に入った瞬間汗が噴き出すのか。そんな無駄な事を考えながら教室に向かうと、席に座り机に頬を這わせる。


「ひゃ〜、きもてぇ〜……。──!」


 無意識に溢れた言葉に思わず口を噤む。電車通学組がまだ来ていないとはいえ、教室内には既に数人の生徒が集まっている。

 いつも早く来て本を読んでいる女子に、付き合ってるのかと勘繰りたくなる2人。1人の時は大人しい男子に、2人で1つの女子ズ。他にも数名、自分の席でADを構っている生徒がいる。その人達の視線が突き刺さり、気不味さに顔を上げると鞄から自分のADを取り出して気を逸らす。


(うはぁ……結構荒れてるなぁ。流石は大物……って言いたい所だけど、昨日の固定ポケットの件は流石に不味かったか〜)


 SNSや配信動画のコメント欄に寄せられた数多のコメント。普段の面々を押し除け、かなり多くの苦情や荒らし行為が載せられている。

 それだけでは無く、苦情や荒らしに反応し、更にそれに対して反応するコメントも見受けられ、コメント同士での喧嘩に勃発している。

 内容はルナなんとかの件が大半。その他が、私が昨日行った、動けないプレイヤーを動かして固定ポケットのアイテムを取り出す行為に対する物。

 前者に関しては、昨日の夜の時点で相手側の事務所から公式に謝罪があり、公式SNSから注意喚起もされている。そして、荒らし行為が酷い様であればそれなりの対処をするとも声明があった。それでも荒らしコメントがあるのだから、呆れるしか無い。

 後者に関しては、ヘキグラ掲示板の方でもかなり話題になっていた。ベータプレイヤーの中でも、他人に体を動かされて固定ポケットが開ける事を知らない者が多かった様で、まずその事が話題に取り上げられた。

 次にマナーの話になり、最終的には運営が悪い事になっている。だがそれは掲示板内での話。配信動画のコメントでは、盗み自体に否定的な意見が多く寄せられている。倫理観がどうとか、道徳がどうとか。全くもって阿呆らしい。


(名指しで、しかも集団で襲ってくる方がどうなのさ……。アレは一種の正当防衛、また襲われない様にする為の手段に過ぎないのに)


 私の考えと同じコメントが批判コメに返信しているが、批判コメを書く人はそんな正論を求めている訳では無い。彼らは結局、誰かに謝らせたいだけなのだ。

 配信サイトとSNSを閉じると、ADを外して再び机に臥す。

 冷えた机が額を程良く冷やし、赤らんだ頬を正常な色に戻していく。冷たい汗が背中を撫で、全身が冷めていく感覚に頬を緩める。


 少しすると電車組が教室に入り始め、あっという間に熱気と活気を教室に齎す。

 その中には勿論みさの姿があり、取り巻きーズも元気に取り巻いていた。その中の1人、関口マヤは、私の顔を見るなりあからさまに不機嫌になり、眉間に皺を寄せる。


「え、どしたんマヤ。機嫌悪いじゃん」


「別に悪く無いけど。ちょー普通」


 取り巻きの1人に頬を突かれると、眉間の皺を消してその手を軽く払い除ける。


「ウチらと居て普通とかひっど〜!」


「本当よねぇ!ねぇ、凩さん」


 そう言うと、取り巻き達はみさに擦り寄る。その言動に恐ろしいと思いながら、巻き込まれるみさに同情する。


「え〜。私はそういうマヤも好きだけど」


「分かる!マヤは無愛想な位が可愛いよ」


「本当よねぇ」


 彼女達は、みさが死ねと言えば死ぬんじゃ無いか?そんな馬鹿らしい事を考えながら呆れた顔をしていると、関口マヤと目が合った。すると、彼女は再び露骨に機嫌を悪くする。

 その表情の変化を横で見ていた取り巻きは、関口マヤの視線を追ってこちらを向き、その視線に反応した私と自然と目が合ってしまった。


「へぇ……。何、アイツが気に入らないの?」


「別に、そういう訳じゃ──」


「隠さなくても良いよ、ウチら友達じゃん。なんなら、ウチが代わりに──ったぁ!?」


 面倒事が匂う会話に顔を顰めていると、突然取り巻きーズの一番偉そうな女子が声を張り上げその場に屈む。

 何事かと、教室にいた全員がそちらを振り向くが、彼女が屈んだ理由は誰にも分からない。


「え、だ、大丈夫!?」


「本当、大丈夫?」


 隣に居たみさや取り巻きーズも、何故彼女が声を張り上げたのか理解出来ていないのか、皆腰を折って彼女の顔を覗き込んだ。すると、偉そうな女子は顔を上げ、同意しかしない取り巻きーズの女子を睨んだ。


「あんた今!私の足踏んだでしょ!」


「え!?私ぃ!?違うよぉ!」


 本当に踏んでいないのか、将又白を切っているのか、彼女は手と首を振って必死に否定している。あの人のあんな姿を見るのは、意外にも初めてだった。


「いや、上履きの跡の位置的にあんたでしょ。それともあんた、凩さんがやったって言うの?」


「そ、そう言う訳じゃ……」


 いつの間にか、教室の入り口付近の生徒達は距離を置き、後ろの扉からの出入りが増える。皆、あのグループ……みさ以外の女子生徒には極力関わりたく無いのだと、改めて実感する。


「気付かなかっただけで、私かも知れないからさ。そんなに責めないであげてよ。それより、保健室に行くなら一緒に行くよ?」


「……そこまでじゃ無い。──あんた、覚えてろよ」


「ちょっと、やめなって」


 それ程までに痛かったのだろう。立ち上がった女子は、みさの背後でワナワナとしている女子を強く睨みつけると、ドスの効いた声を発した。

 みさはそれに対してやめる様に制止したが、怒りは収まらないのか鼻を鳴らして教室に入り、みさの席に腰を下ろした。


 あの取り巻きーズのグループは、二年生に上がって出来た比較的新しいグループ。偉そうな女子も、同意しかしない女子も、関口マヤも、一年生の時は別々のクラスだった。彼女達がグループを組んだ理由は勿論、凩みさにある。

 配信者であり、界隈外でもそこそこ有名な彼女の知名度に群がり、おこぼれを貰おうと必死に尻尾を振る畜生。そんな畜生が、凩みさという指示棒を無しに行動すれば……結果なんて火を見るより明らかだ。実際、みさが居てもあれなのだから。


(夏休み明けには崩壊してるだろうなぁ。……愚痴だけで済めば良いけど)


 みさの雰囲気からくる憶測でしか無いが、最近は特に取り巻きーズ間のいざこざが増えている様に感じる。学校内でもみさが居ない所では、互いに意図的に避けているのではと思える位には距離が空いていた。いや、偉そうな女子から遠ざかっていたと解釈した方が正しいかも知れない。


 先程の苛立ちは嘘の様に、みさを膝の上に乗せて笑顔でいる彼女だけを見ていると、至って普通の優しい女子なのだが……。


「お〜い、席着けお前ら〜。出席とんぞ〜」


 担任の命令で自分の席に戻る時に見せた、取り巻きーズの1人を睨み付けるその眼が、先程の思い違いを訂正した。


 授業を終えて昼休み。大半の生徒が教室を出ていく中、私は鞄から弁当を取り出して自分の机の上に広げる。

 夏でも傷まぬ様、保冷バッグに保冷剤と共に入っていた弁当箱は、頬擦りしたくなる程冷たく冷えていた。

 蓋を開けると中には、甘辛い味付けの鶏肉と野菜炒め、近所の惣菜屋のポテトサラダ。そして、酢漬けされた野菜をゼリーの様な物で包んだナニカ。


「入れないでって言ってるのに、また入ってるよ……。夏だけの我慢って思って食べるしか無いかぁ」


 よく分からないけど美味しいゼリー部分だけなら喜んで食べるのだが、私は酢漬けが大の苦手なのだ。

 酸っぱい物が苦手な訳ではない。酢特有の悪臭と組み合わさった酸味が苦手なのだ。

 吐く程かと言われれば、そうでは無い。押し付ける相手が居れば押し付ける程度の物だ。だが、態々弁当に入れる必要は無いだろう。と、これを見る度に毎度パパに言っている。


「夏は酢の物って、意味分かんない」


 文句を言いながら、早く消費してしまおうと、酢漬け野菜のゼリーにスプーンを差し込んだ。丁度その時、視界の端に影が現れ、聞き覚えのある台詞が耳に届く。


「アンタ、また最初にスイーツ食べるんだ」


「……スイーツじゃ無いし、スイーツだったとしても良いでしょ。……食べる?」


「──え、くれんの?ってか何それ」


 何故か少し妙な間があったが、関口マヤは調子を取り戻してゼリーを指差す。


「酢漬けした野菜が入ってる。嫌いなんだよね、酢の物全般」


「へぇ。なら一口貰おっかな」


 その言葉に、私は彼女にスプーンを手渡した。彼女はゼリーの乗ったスプーンを受け取ると、躊躇なくそれを口に突っ込み、咀嚼する。


「ん……。え、普通に美味いじゃん」


 嚥下を終えると、彼女はゼリーを美味いと言い、私にスプーンを返す。


「なら、これ全部食べる?」


「え、良いの?……なら貰うわ」


 それならと、弁当箱に残っているゼリーを指差すと、彼女は手に持った菓子パンと炭酸飲料を机に置き、前の席に跨る様に反対向きで腰を下ろす。


「パンツ見えるよ」


「下穿いてるから。それより、どっちか一口食べる?」


 置かれた菓子パンは、焼きそばパンとコロッケサンドの2つ。どちらも私の好物ではあるが、自分の分で足りているので首を振って断る。彼女もそれ以上は何も言わず、「そう」とだけ言葉を漏らすとゼリーを平らげ菓子パンに手を付け始めた。


 私は勿論、普段賑やかな彼女も黙々と食事を進める異様な光景に、周囲の生徒達は気が気じゃ無いと言った様子でこちらに何度も視線を送る。

 私と取り巻きーズの仲が良好で無い事は、クラスの皆が知っている。そして先日、食事中の私の元に彼女が訪ね、一悶着あった事を、この場で食事を取っている皆が知っていた。

 それらの情報と今朝の彼女の表情に加えて、無言で食事を取る彼女に、皆が警戒心を高めていた。ただ1人、私を除いて。


「なんか、マヤの事誤解してたかも」


「何いきなり。ってか呼び捨てかよ」


 私の言葉に、彼女はパンを頬張りながら聞き返す。


「いやさ、話しながら食べるのが嫌って話、覚えてるんだなって。意外と優しいね」


「んぐふ!ごほっ!」


 何故か突然彼女は咽せ始め、菓子パンの欠片を机の上に散らす。汚いなぁと、何度も咽せる彼女に目を細めていると、彼女は机に置かれた炭酸飲料を乱暴に掴み取り、一気に中身を呷った。


「ごほっ!ごめ、ごめん!」


「別に良いよ。それより、炭酸一気は流石だね。漢らしいよ」


「は?なにそ──やば、ゲップでそう」


 慌てて口を押さえて黙り込む彼女に、私は喉を鳴らして機嫌良く笑う。その和やかな空気に、周囲のクラスメイトも大丈夫だと察したのか、次第に張り詰めた空気は薄れていき、教室内にいつもの昼時の空気が流れ始める。──筈だった。


 勢い良く開かれ、大きい音を立てる教室の扉に、皆食事の手を止めて一斉にそちらを振り向く。


「よっす〜。隠キャ狼ちゃん居るよね?って、マヤもいんじゃん」


 誰の事かすぐに分かる蔑称を呼びながら入ってきたのは、取り巻きーズの仕切り担当、〈道風 フルル〉だった。

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