55
十数秒の暗転の後視界が切り替わり、草原の硬い芝の感触が足裏に伝う。周囲を見回すと、プレイヤーが5人。遠くには、この場所と同じようにセーフティエリアが生成されており、その中にもプレイヤーの姿がある。
(初心者は1人……。後は中級者3人に手練が1人……か。襲う利点は無いけど──)
何故か、初心者風の男がこちらを見て硬直している。視線を送ると、驚きに足を竦ませてよろける様に一歩後ろに下がる。その表情は、私に対して恐怖を抱いていた。それはつまり、私の事を知っているという事。どこかで会ったかと首を傾げると、男は右手をあげて人差し指を立てて私を指差すと、大声で叫んだ。
「ぴ、PK女だ──」
私の体は自然と動き、男の首に短剣を突き刺していた。近くにいたエルフの女の細い悲鳴が上がり、他の男達が彼女を守る様に前に出て武器を構える。
しまった。そう思うのはもう遅い。首を刺された男は消滅し、槍を構えた手練の男は戦闘態勢にある。逃げようにも、既にロッドを持った男に退路を断たれ、正面には斧を持った女とステッキを持ったエルフの女が陣取っている。
12時を女2人がいる位置と仮定すると、4時にロッドの男、7時に手練の男といった配置。逃げるなら、隙間が広い10時方向だ。
(……逃げる?反射的であったとはいえ獲物を1匹狩り、戦利品すら回収していない状況で、この私が?)
それはあり得ない。私は盗人なのだ。盗人プレイの最中なのだ。得られた物を態々手放し、目の前の獲物をみすみす見逃すなど、する訳がない。この程度、逃げる程の脅威ですら無いのだから。
私は迷いなくロッドの男に這い寄る。男は後方に飛び退きながら火球を放つが、その程度では私の間合いから逃れる事はできない。だが問題は──
「〈風弾〉!」
エルフの女が魔法を放つ。よりによって、夜闇では見辛い風魔法。炎の明かりに目を奪われた今、目視での回避は難しく、私はその場から大袈裟に飛び退いた。それは同時に、ロッドの男から距離を取ってしまったという事。
体勢を立て直したロッドの男は再び火球を放つ。それを横に避け、再び奴に突貫しようと試みるが、右後方の気配にその場から大きく飛び退き、エルフの女に背を向ける。
私が居た場所には、遠ざかる火球の光に照らされた穂先が、空を突きながら輝いていた。持っている者は少ない“金属製の武器”。その穂先は、初期武器を加工しただけの打撃武器とは違い、簡単に私の命を刈り取るだろう。
勘で飛び退いていなければ、あれは今頃、私の背中に刺さっていた。その事実に唇を吊り上げながら、私は芝を捲り上げて槍の男に突貫する。男は私に穂先を突き出し、それを私が躱すと、手慣れた様に槍を左手のみで引き戻し、間合が短縮された槍を腰に当てがい、穂先を薙ぐ。
膝を折り、頭上を掠める殺意をやり過ごす。その殺意を追う様に、石突が腰の裏を伝い、屈んだ私の顔面目掛けて横薙ぎに振り払われた。避けるには距離を取る必要がある。だが、距離を取ってしまうとロッドの男の的になってしまう。エルフの女の方は気にする必要は無い。魔法の詠唱が聞こえた瞬間、横に避けてしまえば良いだけ。それが分かっているからこそ、エルフの女は魔法を放てないのだ。
避けられない。が、避ける必要は無い。防げば良いだけだ。だが、防ぐのは槍では無く──
「くぉ!」
左手を先行させ、彼の右腕の動きを封じる。そのまま懐に飛び込むが、強引に振り抜かれた腕に押されて振り翳した短剣が空を裂いた。
「〈水球〉!」
手練の男は隙を突いて魔法を放つが、軸をずらして彼の視線から外れると、地面に飛沫が舞う。
「〈火球〉!」
手練の男から距離が僅かに離れた瞬間。側面にいるロッドの男が魔法を放った。回避する為にその場から飛び退いた所為で、更に手練の男から距離が離れてしまった。それは、槍にとって最も好都合で有効な距離。そして、私の間合いの外。つまりは──
「形勢逆転!」
「あびゃ!」
眼前に迫る穂先を、膝を折り仰け反る事で避ける。そのまま地面に手を突くと槍を右足で蹴り上げた。が、彼はその勢いすら利用して、石突で地面を抉る。だが、その攻撃を当てる為に槍半分の距離を近付く必要がある。その距離は、私の間合いだ。
体を回転させて地面を滑り、石突の脅威から逃れる。それでも、こちらが不利な体勢である事には変わりなく、即座に反撃に映る事は叶わない。
立ち上がり、再び距離詰めるが、彼は槍を体に纏う様に振り回し、適度に距離を取られて間合いに入れない。そこへ、ロッドの男の火球が降り注ぎ、再び手練の男から引き剥がされる。
再び迫る穂先。軸をずらすだけで躱すが、軌道を変えて横薙ぎに払われた。薙ぎ払いと同じ方向に体を回転させながら後方に飛び退く。革鎧を掠めた穂先が鱗を引っ掻き、宙に赤いエフェクトを散らせる。
3対1はやはり骨が折れる。風弾が使えず、もう片方の火生成は攻撃魔法では無く、燃やすには短剣以上に間合いを縮める必要がある。その為、こちらは近接攻撃のみ。対して、立ち位置を調整して手数を減らしてはいるが、彼らは遠距離攻撃である魔法を容赦無く放つ。それに加え、単純な間合い勝負に負けている。せめて槍では無く剣であれば、もう少しやりようがあったのだが……あの間合いの広さはどうにも苦手だ。
「〈火球〉!」
闇夜を切り裂く一筋の灯りが足元に着弾する。冷えた草原に広がる生芝は火を灯さず、黒く焦げて土を見せる。
「あぁ!焦ったい!〈風弾〉!」
手練の男に風弾を放ち、後方に吹き飛ばすと、私は男に背を向けて全力で駆け出した。勿論狙いは“エルフの女”だ。
自分の方に来ると思っていたのか、ロッドの男は驚きの声を上げる。対して、エルフの女は冷静にステッキを前に構えると、狙いを定めて魔法を放った。
「「〈風弾〉!」」
2人の女声が重なり、宙で空気が爆ぜる。右腕で口元を隠しながら爆風に突っ込むと、再び2人の女声が重なる。1度では無く、2度、3度、4度。立て続けに唱えられた魔法は、何度も何度も見えない爆風を作り出し、その度に私の頬を強風が殴り付ける。
「「〈火球〉!」」
そこに、側面にいるロッドの男と、エルフの女の前にいる斧の女の声が割り込み、火球が私に降り注ぐ。私はそれを、飛び跳ね、転がる事で両者の攻撃をいなす。そのまま、斧の女が私とエルフの女の間に来る様に立ち回り、風弾の嵐を一時的に止ませると、斧の女を風弾で吹き飛ばした。
「きゃぁ!」
「あ」
斧の女に巻き込まれる形で、エルフの女は後方に弾き飛ばされて可愛い悲鳴を上げる。想定とは違う展開に私は声を漏らし、戸惑いに足を止めてしまう。そこへ、ロッドの男の火球が降り掛かる。
「ちっ!〈風弾〉!」
考えている暇はない。当初の予定であるエルフの女の人質を諦め、ロッドの男に標的を変える。が、余分な動作を重ねた所為で追い付かれた穂先に先を阻まられる。2度地面を強く蹴り後方に飛び退くと、赤い線を描く頬を撫でて笑みを浮かべた。
「いやぁ……連携取れすぎでしょ。もしかして“プロ”かぁ?」
「いや、俺達はただの月華騎士団の一員だ」
「げ、月華騎士団?ベータテスターって事で良いのかな……」
首を傾げていると、その名前を聞いたコメント欄が騒立つ。
月華騎士団。視聴者達の話によると、大物バーチャル配信者である〈ルナ・マグナ・ローズ〉の視聴者達の総称らしい。
「ルナ・マグナ・ローズ……。配信を見ない私でも、名前はよく聞くよ。いろんなメディアで取り上げられてるからね」
ゲーム、雑談、実況に解説。全てにおいてプロレベルの才を発揮し、オールマイティな活動を見せる女性配信者。学校でもほぼ毎日、クラスメイトの話題に上がる人物だ。
そんな彼女の視聴者達が何故ここにいるのか。そして、何故エルフの女を皆で守るのか。私の頭に嫌な考えが過った。
「もしかして……そこのエルフが……あの?」
「そう。この方が、我々の主人。ルナ・マグナ・ローズ姫だ」
恐る恐る視聴者数を見ると、普段とは桁違いの数が表示されている。十中八九、彼女の視聴者達が流れてきたのだろう。理由は1つ。彼女に襲い掛かる輩を糾弾する為。彼女を守る為に、ゲーム外から攻撃を仕掛けに来たのだ。
「これはヤバいね……コメ欄が荒れてるや」
私がコメントを読み始めた事に気がついたのか、普段見かけない名前の視聴者や、初期アイコンに一文字の名前の視聴者達が大量のコメントを流す。中には、脅迫めいた文章も送られているが、そういった類のものは直ぐにAIによって消去される。
このまま配信を続けるのは不味いかも知れない。私がどう、というより、普段見てくれる視聴者達の精神衛生上よろしく無い。現に、そのコメントに言い返す常連も出てきてしまっている。
「みんな、反応しちゃダメ。一回配信切るから、絶対そっちの配信者さんの所に行ったらダメだよ?もしい──うわ!ちょっと待って!」
視聴者達の暴走を制止する為に配信画面を見ながら語り掛けていると、眼前に鈍色の穂先が突き出される。
「独り言……では無いな。配信者か?」
「さぁね。でも、少しだけ独り言を続けさせてもらうよ。みんな、私に恥を掻かせないでね。私も、みんなに恥じない成果を後で知らせるから」
私はコメントを見る事なく配信を終了させると、構えを取り直して手練の男に笑みを送る。
「そういう事だから、死んでもらうよ。騎士くん」
そう言い終えると、私は彼に肉薄した。




