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「ちぃちゃん。あれをご覧ください」
道を進んで数分。前方が開けてきたと思うと、マップ上に赤い丸のアイコンが表示され、サポちゃんに呼び止められる。視界の先には、広場の中央に白い毛玉が落ちており、よく見ると動いているのが分かる。
「どうやら、進路上にモンスターがいる様です」
その声が聞こえたは分からないが、サポちゃんがそう言い終わると同時に、白い毛玉はクルリとこちらに向きを変え、三角の短い耳をピコピコと動かしながら赤い瞳を向けてきた。
鼻をヒクヒクと動かし、口を無意味にモグモグと動かしている姿が愛くるしいそのモンスターはまるで、飼育小屋から抜け出したウサギの様だった。
「めっちゃ可愛いじゃん。ほんと、MMOって感じだわ」
MMOで出てくるモンスターは、殆どが現実の動物を模した物だ。映像が現実味を帯びてからはそれが問題視され、段々と架空の生物へと置き換わっていったが、架空の生き物ですら問題視される様になってからは、前は配慮されていた愛玩動物を模した動物も頻繁にモチーフにされる様になっている。このごろ、MMO以外では哺乳生物に似たモンスターは見なくなったが、異世界を謳っているMMOだから出来る表現だ。
「相手は1体だけの様ですが、モンスターはモンスター。油断してはいけませんよ」
「わってるって。んで、あいつ相手に腕を見せろって事でしょ?」
「えぇ、お願いいたします」
「がってん!」
私は掛け声と共に道から飛び出し、広場の中央へ素早く駆ける。すると、広場に入ると同時にウサギもこちらの存在に気が付き、その場で歯を鳴らして威嚇する。
標的との距離は約30m。このまま行けば数秒で相手の元に辿り着く。そう思い、腰から素早く短剣を引き抜いて逆手に持ち、前方に構えた。その瞬間──
「……っ!」
ダンッ!という衝撃音と共に、ウサギが地面を力強く蹴り付け、私に向かって一直線に突進してきた。
突進してきたウサギは、そのままの勢いで地面から飛び上がり、鋭い牙を露出させながら私の首元目掛けて飛んでくる。……その間約1秒。
「ふっ!」
1秒という、動きを変えるには十分な時間。進路を変えることが出来ないウサギとは違い、私は地面を踏み締める事で勢いを殺し、その場で体勢を低くする。その勢いで、肺に溜まった空気が押し出され、自然と声が漏れ出た。
ウサギは案の定、身を低くした私の頭上を飛んでゆく。瞳だけはこちらを見詰め、届かぬ刃を必死に動かすが、その姿は可愛らしい以外の何物でも無かった。
手足を伸ばし、フワフワの腹を見せつけてくるウサギ。だが、その隙を見逃す程私も馬鹿では無い。
「とう!」
顔の前に掲げた短剣を順手に持ち直し、左手の手根を柄頭に押し当てながら、頭上を飛ぶウサギの腹目掛けて短剣を突き刺した。
「キュウ!」
ウサギは腹を強く押された事により歪な声を漏らし、弧線を描く様に軌道を変えながら吹き飛んでいった。
短剣が木製でなく鉄製の鋭利な物であれば、今ので深傷を負わせる事が出来ただろう。だが、それでも痛手は負わせたはず……。そう思ったが、ウサギは綺麗な着地を決め、地面を何度も踏み付けて威嚇を始める。
(良い感じに入ったと思ったけど……空中だったから、あんま衝撃が伝わらなかったか……)
若しくは、このゲームのモンスターがそこまでリアルな挙動をしないかだが……それは無いだろう。ベータ時の評判で、リアルに近過ぎて面倒だというコメントを見た事がある。
「体力が多い様にも見えないし、単純に短剣の威力が低いだけかな。……っ!」
どうやら、ウサギ側は観察と考察の時間を与えてはくれない様で、先程の様にこちらに突進して飛び上がると、今度は足を向けて蹴りの体勢で飛び掛かってきた。
先程より相手との距離が短く、咄嗟に避けても避け切れそうに無い。そこで、構えていた短剣を自分とウサギの間に滑り込ませ、防御の体勢を取る。
カンッ!──。
正面から受けた訳では無いので、衝撃はそこそこに攻撃を受け流せた。だが──
「うわっぶ!」
不意を突いた2発目の蹴りが放たれると、私の目の前の空気が切り裂かれた。
「2段蹴りとか聞いてないし!正面から喰らってたらヤバかったでしょ!」
そう言いながらも、空中で自由落下を始めるウサギに、地面へ着地する前に蹴りを入れ、後方へ蹴り飛ばす。
ウサギは悲鳴を上げて吹き飛ぶも、再び綺麗な着地を決める。逆に、何故か私は1のダメージを受けた。
「1ってなんで?これ、体で攻撃するとダメージ喰らうやつ?」
ダメージを喰らったのは謎だが、考える時間は無い。……そう思っていた。
「……すぐに攻撃してこない?」
ウサギは着地した場所から動こうとはせず、歯を鳴らしながらこちらの動きを窺っている。明らかに、先程までとは様子が違う。
「体力が減って行動パターンが変わったか?止まってくれるなら、寧ろやりやすいけど」
距離は大凡5m。攻撃に1秒も掛からない十分な間合いだ。だが、この短い戦闘で相手の方が少し早い事が分かっている。だが、長時間読み合いをする様な相手でも無い。であれば──
私は身を屈めて身体を前に倒すと同時に、力強く地面を蹴り付けウサギの眼前へ迫る。すると、ウサギは私の左側へ回避行動を取り、そのまま身体全体をこちらへ寄せてきた。
回避は余裕。だが、やはり先程とは行動パターンが変わり、カウンター型となっている様だ。それなら寧ろ、攻撃の手を止めるのは悪手。そう考えた私は、無理矢理身体を捻らせて短剣を投擲し、短剣が当たって少し怯んだ所に対して、空中で掴み取った逆手持ちの短剣を、地面に突き刺す勢いで思い切り振り下ろした。
低反発枕を潰す様な感触。完璧に入ったと感覚で分かった。
ウサギは抵抗どころか動く事もしない。強く握った短剣の柄に振動が伝わってこない事を確認すると、私は掌の力を緩めて刃を上げる。
そして、短剣を腰の鞘に戻すと同時に、目の前のウサギが消滅して、代わりにその場にアイテムがドロップした。
「お見事です、ちぃちゃん」
「ありがとサポちゃん」
サポちゃんの称賛の言葉に手を振って答えると、私はドロップした2つのアイテムを拾い上げ、詳細を開く。
「まぁ、詳細を見る前から大体分かるけど……。こっちはキャビィの股肉で、こっちがウサギの毛皮ね。……あのウサギ、キャビィっていうのか」
キャビィの股肉は食料アイテムの様で、一応食べる事も可能な様だが、毒が10付与されるらしい。食中毒を表現しているのだろうか。
ウサギの毛皮は素材アイテムで、このままでは使い道が無さそうだ。ベータプレイヤーや賢い人はこのままでも使えるかも知れないが、私には無理である。
手に入った肉と毛皮は、肉は0.2kg、毛皮は0.1kgと軽めで、サイズ的にも固定ポケットに入りそうだ。毛皮の方は丸めないと入らないかもしれないが、どうだろうか。
「えっと、固定ポケットを開いてっと。今の重量が0.07kgだから余裕で入るとして……。うん、両方入るね」
ポケット画面にアイテムを翳し、収納された事を確認すると、私はサポちゃんに声を掛ける。
「サポちゃん、これで満足してくれた?」
「欲を言えばもう少し拝見したい所ですが……まぁ良いでしょう。ですが……ふむ」
サポちゃんは何やら考え込む様に言葉を止めると、再び声を上げ、質問を投げ掛けてきた。
「ちぃちゃん、失礼ですが、パラメータとスキルの見直しはなされていましたか?」
「パラとスキル?見てないけど」
「そうでしたか。それで、動きがぎこちなく見えたのですね。……ちぃちゃん、ご自身のステータスをご覧いただけますか?」
まさか、戦闘終了後にステータスのチュートリアルがあるとは思わなかった。
「今更?……分かった」
少しだけ悪態を吐きながらも、メニュー画面から選択が可能になったステータスを選択する。すると新たに、自分のステータスが確認出来るディスプレイが表示された。
左上に書かれたlvは当然1。その下に表示されたEXPバーは左端に緑のゲージが僅かに溜まっており、1expと書かれている。基礎パラメータには恐らく種族補正だろう、最初からvitが1、strが4、agiが5も振り分けられている。
「atkが55でmatkが10……def4にmdef1とか、数値低くない?革の胸当てってdefが5ある筈だし、最初から履いてた革のブーツもdef2あるよね?」
私が自分のステータスに疑問を抱き、首を傾げていると、サポちゃんが私の疑問に対して答えてくれた。
「それはあくまで、ちぃちゃんのステータスであって、装備のステータスではありません。ですので、装備のステータスが表示されないのは当たり前かと」
「えぇ……普通、装備のdefも足して表示しない?最終的に、自分の装備のdefとか覚えておかないと駄目なやつじゃん。めんど」
文句を垂れながらステータス画面を眺めていると、下部左側には振り分け、同じく右側にはスキルのアイコンがある。
「サポちゃんが言ってたパラとスキルの見直しってこれ?」
「こちらからはステータス画面は確認出来ませんが、恐らくはそれかと。まずは振り分けの説明を始めます」
ステータス画面が見えない事をいいことに、わざとスキル画面を開いてもいいのだが、何の意味も無いことに気が付いて素直に振り分けをタッチする。
出てきた画面は、先程と似た画面。違いと言えば、上からvit、str、int、agi、dexのパラメータと、その横にバーが表示されている所だ。そして、一番下には振り分け可能ポイントの文字と共に別枠で、10pと表記されている所か。
「パラメータを振り分けるには先ず、ステータスポイントが必要です。そして、所持しているステータスポイントを振り分けたい場合、振り分けたいパラメータバーの右側にあるプラスアイコンをタッチしていただければ、振り分ける事が可能です。振り分けた数値を減らしたい場合は、バー左側にあるマイナスアイコンをタッチしてください。振り分けが終わりましたら、ディスプレイの右下にある完了アイコンをタッチしていただければ、振り分け完了となります」
「長い長い。短く説明して」
「プラスアイコンとマイナスアイコンで数値を振り分け、決定アイコンで振り分け終了です」
「おっけー」
「但し、完了アイコンを押した後は、振り分けたポイントは再度振り分け不可になりますのでご注意を」
「了解。じゃあ、ミスがない様に振り分けないとだね」
話を聞き終え、画面に目を通すと、vitとstrとagiには、最初から数値が振り分けられている。振り分けられる最大値は100なので、獣人だから最大値が104になったりとかはしない様だ。
「まぁ、序盤は火力一択で良いでしょ。短剣はstrが2、agiが1毎にatkが1増えるから……でも、ステの説明では、武器に関係なくstr1毎に1と、agi5毎に1もatkが上がるんだよね……ええと10ポイント全部同じやつに振ったとして……strだと15でagiだと12、atkが増えるのか。でも、agiに振ると移動速度や部位速度も上昇するんだよね……」
ステータス画面とは別に、各ステータスの詳細説明画面を眺めながら、振り分けるパラメータを決める。
「最終的にパラカンストさせた時、火力がかなり変わってくるけど……武器で補そうだしなぁ……。結局、速度が無いと当たらないし、今でも3しか火力変わらないし。agi一択かな、結局」
斧系の武器だと、武器atkボーナスにagiが無いからstr一択だろうが、短剣なら速さを活かすべきだろう。寧ろ、速さが無い短剣に価値は無いと断言しても良い。
そう考え、ステータスポイントは全てagiに振り、完了アイコンをタップして振り分け画面を閉じた。
「サポちゃん、振り分け終わったよ」
「では、次にスキルの説明に参ります」
その言葉を聞いて、私はスキルアイコンをタッチする。
「説明とは言っても、然程説明する事は御座いません。戦闘スキル、職業スキルが存在し、スキルポイントを使用してスキルを獲得する事が出来ます。獲得方法は、振り分けと同じ様にプラスマイナスのアイコンをタッチして、完了を押して下さい。尚、完了後は再振り分けが出来ませんのでご注意を」
「おっけおっけ。スキルは気になってたんだよねー、MMOの醍醐味だし。あ、でもヘキグラって攻撃スキルとか、アクションって言えば良いのかな?そういうのが無いんだよね」
そうなると、戦闘スキルの内容はどうなっているのか……。
「ええと……大剣使い、剣使い、短剣使い……色々あるな。大筒と小筒が何か分からんし、無手もなんだろ」
最初の武器選択には無かったが、恐らく武器種の1つだろう。無手に関しては想像が出来ないが、スキルを確認してみたら何かわかるだろう。そう思い、無手使いのアイコンをタッチしてスキルを確認すると──
「え、なんだこれ!ぶっ壊れじゃん!」
書いてあったスキル内容は、武器未携帯時に全ての速度が20%増加し、火力も上がり、且つ無手攻撃時のペナルティを無効化するという、恐ろしいものだった。
「無手攻撃時のペナルティって……さっきウサギを蹴った時に受けた1ダメージか。あれが無くなるって、結構戦略の幅が広がるんだけど……」
そうは言っても、全ての速度が増加する武器なら、拳がスキルを獲得せずにその効果を持っている。そう考えると、無手は拳の劣化と考えて良いかもしれない。
「ペナルティ無効がlv5で獲得なのがなぁ。初期スキルポイントは8しかないし、無しかな」
武器スキル以外の戦闘スキルは、傭兵と衛兵、後は衛生兵が存在する。火力上げか、耐久上げか、回復力上げかだが、これらは武器スキルを取ってから、候補に上がるサブスキルだろう。
「無難に短剣使いでも良いけど……ステッキ使いも欲しいなぁ。後でステッキも装備するつもりだし。でもまぁ、今は先ず短剣を強化した方がいいかな」
だが、その前に職業スキルの確認も行う。
「……ふぅん。職業スキルは採取と生産の補助か。……今は別に要らんな」
各職業スキルのスキルの視野内収集スポットマップ表示5mは魅力的だが、採取や採掘、遺品と別れているし、結局収集スポットがどれか分かれば死にスキルになってしまう為、見送りだ。
「じゃあ、短剣スキルをlv5まで取って、ステッキに2ポイント使って、1ポイントは保留かな」
短剣使いはlv1が短剣攻撃による状態異常追加付与+1。lv2でagi+5、3はdex+5で。lv4だと短剣攻撃時、ダメージ貫通1。lv5まで獲得すれば、短剣装備時行動速度+10%のボーナスが入る。
ステッキ使いは、lv1でint+5、lv2でagi+5と2ポイントでパラが10も伸びて特なので獲得した。
「サポちゃん、スキル設定終わったよ」
「分かりました。……では私の役目はこれにて終了となります。ちぃちゃん、お疲れ様でした」
「お疲れー。ナイスナビだったよ、サポちゃん」
やっとゲームが始められる。そう思いながら、今までナビゲーションをしてくれたサポちゃんにお礼を述べる。
「お褒めに預かり、光栄です」
その、感情の籠ってない声の所為で皮肉に聞こえなくも無いが、無視をして、チュートリアルが終わるのを待つ。
「では、拠点へのポータルを作成します──おや?」
「どうかしたの?」
初めて感情らしい感情が乗った困惑の声に、私は2つの意味で首を傾げる。
「周囲にモンスターがいる様で、ポータルが作成出来ません」
「モンスター?見えないけど」
周囲を見回してみるが、モンスターの姿は見えず、マップにも表示されない。上から来るのか!?と見上げてみるが、晴れた青空以外は何も見えなかった。
「草木の間に潜んでいるのでしょう。申し訳ありませんが、迷い込んだモンスターの討伐をお願い出来ませんか?このままでは、セーフティに引っ掛かってしまい、ポータルが開けません」
「……了解。最後の戦闘チュートリアルってヤツだね。さっきより強くなってるし、楽勝でしょ」
上を見上げた事に顔を熱くしながらも、私は短剣を腰から引き抜いて広場の中央に立った。