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試合開始の合図は無い。地面を蹴り付ける音と、蹴り上げられた土と芝が、火薬の破裂音と白煙の代わりを果す。
十分に離れた距離も、ものの数秒で縮まり、どちらを見ようか彷徨う観客の視線も、自然と一箇所に集中する。
迫る私を見て彼女は笑みを深くする。その瞳の中に映る私は、楽しそうに唇を吊り上げていた。
短剣を持つ分、私の方が肘先分間リーチが長い。伸ばされた右手は、まるで一本の槍の様に、みさの喉元に向かって正確に突き出された。
そのまま踏み込めば、確実に喉を突ける。──訳が無い。僅かに動いたみさの左拳が、私の短剣の腹を撫でて軌道をずらす──が、その行動は読んでいた。
突き刺した短剣を水平にし、刃を拳側に向けると、私は自身の身体ごと短剣を引いて、みさの手の甲を浅く切る。
「ぐ──!」
呻き声を上げたのは、手の甲を切られたみさでは無く、私だった。
上半身だけを捻り、右肩を前に出し、極限まで伸ばされた手刀の鋒が私の喉を浅く突く。後方に飛んでいなければ、もろに喰らっていただろうその手刀は、ゆっくりと元の位置に戻ると再び握られた。
いつもなら、ここで一度間を置いて、みさの腕前を称賛しているだろう。だが、今は違う。再び地面を蹴り上げると、今度は姿勢を極限まで低くしてみさの懐に潜り込む。みさもそれに合わせて、足を開くと腰を深く落とした。まるで、力士の構えの様な格好。地面に降ろされた左手と膝の上に置かれた右手が、飛び掛かる私に喰らい付こうと牙を剥いていた。
体勢が低いからと安易に蹴りを入れない辺り、本当にみさらしい。大抵の人であれば顔を狙えると、嬉々として蹴りを入れると思うのだが、彼女は地面から脚を離す危険性をしっかりと理解している。
何があっても対応できる様に木剣を前に構え、短剣は地面に這わせる様に下に垂らす。
そして、地面を切り上げながらみさの左足を逆袈裟に切り上げる。先行する土と芝が、みさの顔に直線的に向かい、視界を上手い具合に奪う。筈だったのだが、構えられた左手が私の右手首を掴み、膝上に置かれた右手が私の顔目掛けて掌底を放つ。
見え見えの牙に木剣を合わせ、硬い音を辺りに響かせる。
掴まれた右手は振り解けず、牙を防ぐ左手は鍔迫り合いに負けはじめている。いずれ、彼女の右手は私の喉元に届く。力と力の勝負では、どう足掻いても私の負けは見えていた。だが、このゲームには魔法がある。しかも、私の所持している魔法は、2つともこの状況に強い物だ。
「ふうだ──」
口を開き、呪文名を唱えようとした瞬間。右手が強く下に引っ張られた。
視界は傾き、衝撃で口が閉じ、とてもみさに対して魔法が放てる様な状況では無い。しかも、地面に近付く筈だった私の視界に、みさの膝が躊躇なく迫って来ていた。
──予定通りだ。
私は思い切り地面を蹴ってその場から飛び上がると、吊られた男の様にみさの手を軸に逆さになり、みさを見下ろす。
一直線になった腕と顔は、ずらされる事は無い。彼女の顔が、私の身体を追い掛けようと上を見上げるが、その前に私は口を開いた。
「〈風弾〉!」
呪文を唱える寸前。みさは自身の身体を時計回りに回転させながら位置をずらし、私の腹側に回り込むと、握った手を下に引き下ろした。
地面に勢い良く叩き付けられる筈だった私の体は、“みさの反対方向へ吹き飛ばされた”。
空中で体勢を立て直し、足から地面に着地する。みさは黙って一歩下がり、私から距離を取ると、彼女の目の前の地面に木剣が突き刺さった。
「いやぁ!楽しいねぇ〜!やっぱりちぃは、対人戦やるべきだよ!」
「……嬉しく無い」
“腹に当てていた左手”を下ろすと、短剣を逆手に持って構え直す。それを見たみさは「これ使わないの?」と地面に刺さった木剣を指差すが、私は何も答えない。
みさは完全に遊んでいる。私に対して、一切本気を出していない。そんな彼女に、対人戦をやるべきだと言われても、嫌味にしか聞こえない。
みさが“わざと”短剣で手の甲を切り、みさが“わざと”攻撃の手を緩めているから、五分の試合展開に見えているだけだ。今も、みさが自身の体勢を崩さない為に“わざと”私の手を離さなければ、“自身の風弾で飛ばされた”私の体は、体勢を立て直せずに地面に落ちていただろう。そうなれば、軽く体勢を崩しただけのみさが、私を攻撃して終わりだった。
私は柄を強く握り、三度地面を蹴り上げる。短剣を逆手に持っている所為で、唯一勝っていたリーチは消えた。だが今は、左手が空いている。
肉薄し、裏拳を放つ様に短剣をみさに突き刺す。みさはそれを見て、がら空きになった私の右側面に素早く回り込むと、すかさず左のフックを仕掛ける。でも、その拳は振るわれる事はなかった。
「〈風弾〉!」
短剣を左側に振り上げる時に背中に隠した左手で、回り込んだみさに対して風弾を放つ。それでも、みさに不意を突ける攻撃にはならない。
冷静に半身分左にずれると、今度は右拳を私に向けて突き刺した。だがその前に、振り抜いた私の短剣がみさの眼前に迫っていた。
彼女は冷静に一歩下がり、短剣を紙一重で避ける。そしてそのまま数歩下がり、短剣を追いかける様に伸ばした私の左手から距離を取った。
「〈風弾〉!」
魔法を唱えるが、出現する前みさは半身をずらしてそれを避けると、私の左腕を掴む。すかさず順手に持ち直し、下から突き上げる様に振り上げた短剣も、手首を掴まれる事で止められてしまった。
両腕を掴まれ、見つめ合う状況。みさも私も、互いに満面の笑みを浮かべる。肩を上下させる私とは対照的に、みさは余裕綽々といった様子だ。
「〈ふうだ──」
口の端を吊り上げると同時に、手首を回して口を開く。だがその瞬間に、肘と手首の間の腕が、“関節も無しに折れ曲がった”。
「──ん〉」
放たれた魔法は観客達の方に飛んでいき、避けきれなかったプレイヤーが浮き飛ばされる。いつの間にか賑やかだった歓声も、軽い悲鳴が聞こえた後に静まり返ってしまった。
「これは“読めなかった”でしょ?」
みさの唇が弧を描く。その瞳は歓喜に輝いていた。
だが、その瞳に映る私は、彼女よりも更に“歓喜の笑みを浮かべていた”。
目を見開くが、もう遅い。既に、私の手の内なのだから。
「〈火生成〉」
みさの手の中で折れ、垂れ下がった左手のひらから、小さな火種が生まれる。その火種は、手のひらの先にある“みさの右腕”に触れると、みさの右腕を炎で包んだ。
それでも狼狽する様子を一切見せないのは、流石としか言いようが無い。だが、私は知っている。みさの次の行動を。知っているのだ。“彼女の持つ魔法を”。
私の手を離さずに、彼女は自分の右手に視線を送る。そして、口を開いた。
「〈水球〉」
その瞬間。私はみさの腕に体重を掛けながら飛び上がり、引っ張られて軽く前屈みになった彼女の顔面に、膝蹴りを仕掛けた。
「──うわっと!」
「……それ避けるのは反則だよ」
前屈みになった身体を両膝を折る事で無理矢理仰け反らせ、私の膝蹴りを軽く避けると、炎を纏った右手で私の腹部目掛けて掌底を放つ。
地面から脚を離し、不安定な体勢を取っている私には避けられない。折れた腕では、自分の身体は吹き飛ばせない。
(負けちゃった)
満足して瞼を閉じる。せめて変な声を出さない様にと、腹にくる衝撃に備えて力を込めた。だが、一向に腹に衝撃が来ない。
「〈水球〉」
水が蒸発する音と、地面が濡れる音が聞こえる。何を焦らす事があるのかと、不満気に瞼を開けると、遅れて腹に手が触れた。
「うりうりうりうりぃ〜!どうだ!擽ったいか!」
「……全然」
「……あれ?なんか怒ってる?」
撫で回される腹。絡める様に繋ぎ直された右手。彼女は、決着よりも目先の欲望を選んだのだ。本当、最後の最後までみさらしい。
「怒ってないけど……呆れただけ」
「それ、ちょっと怒ってない?」
反応の薄い私を見て、みさは腹と手から手を離す。そして、地面に刺さった木剣を引き抜くと、私の所に戻って来た。
「はい。……いやぁ、楽しかったね!正直、ここまで骨が折れる試合になるとは思ってなかったよ!」
「楽しかったのは同意だけど……最後の最後であれだもん。骨折り損だよ、こっちは」
決着は着いているし、そもそも最初から決まっていた。だが、決めの一撃をお預けされた所為で、不完全燃焼感が否めない。どうせやるなら最後まで。止めを刺して欲しかった。
「負けるのは分かってたけど、手を抜かれてたのも少し腹立つ……」
「そうしないと“戦えない”から仕方ないよ。それに、ちぃの動きは読み易いからね。その分対処しやすいし」
「だって、対人戦知らないもん……」
「あ、いや、そうじゃ無くてさ……」
肩を落とす私に、みさは唸りながら首を傾ける。
「なんて言えばいいのかな。こう……パターン?格ゲーで例えると、一連のコンボを最初から最後まで繋げないと動けない〜。みたいな?相手の動きを見て動きを変えるんじゃ無くて……あ!振り付け!決まった振り付けを踊ってる感じ!」
「決まった振り付け?」
みさの説明下手には慣れたつもりだったが、今回は何が言いたいのか一切分からない。
「えっとさ〜……こう動きますよ〜!って決めて、最後までその通りに動いてるって感じ?普通さ、相手の動きを見て動くでしょ?ある程度動きを決めててもさ。だけど、ちぃってそれが無いよね。反射神経を使ってないって言えば分かりやすいかな?」
「え〜、見て動いてるけどなぁ。……あれ?どうだろう……」
「多分だけどさ、ちぃは予想が得意なんだよ。自分がこう動けば、相手はこう動くから……的な。結局、相手もパターンで動くからね。その相手のパターンを予測するのが得意なんだと思う。だから、そのパターンに合わせて動く。ってより、動けない。かな。だから、振り付けみたいなんだよ」
指摘されても、正直ピンと来ない。みさの動きに合わせて動いているのだから、それは反射で動いているという事では無いのか?今回に限っては、みさの説明下手を恨んでしまう。
「説明むずい!……見て動くんじゃ無くて、予想に合わせて動いてる!はい!どうだ!」
「うん。分からん」
完璧な説明だと自画自賛する様にみさは胸を張るが、結局よく分からずに話は終わった。周囲にいたプレイヤー達も、満足した者達から順に解散していったが、半数近くは残っている。
腕はすぐには治らない。骨折というより、耐久値が0になった様だ。無手使いの握撃には気を付けなければ。
プレイヤーと戦う機会は、私のプレイスタイル的にも少なく無いだろう。そう考えると、みさと早い段階で手合わせしたのは良かった。とは言っても、みさが強すぎて自分の実力が全く分からなかったが。
「取り敢えず、回復アイテム買いに行こ」
垂れ下がった腕を見て呟く。コメント欄は、私を称賛するコメントで溢れかえっていた。まだ残ってくれている視聴者も、私に向かって手を振ってくれている。その中の1人が、私の巾着を預かってくれていた様で、態々持って来てくれた。
「どうぞ」
「あ、ありがと……。みんなも、ありがとね」
折れていない手で巾着を受け取り肩に掛けると、私はその場に残った視聴者達に手を振った。離れた場所では、既にみさが視聴者と決闘を始めていた。




