22
不規則に、全身のあらゆる場所を襲う衝撃。視界は回転し、景色は混沌に混ざり合い泥になる。
ゲーム内なので痛みは無い。だが、HPバーの減り方を見ると、何度も“攻撃”されている事が分かる。
数分か、はたまた数秒か。激しく振り回された私の体は地面に叩き付けられると、何度かバウンドしながら漸く停止した。
自分の意思とは無関係に回転した視界に軽い頭痛を覚え、目を細めながらこめかみを押さえると、私は仰向けに倒れていた身体の上半身を起こし、未だ歪む視界の中周囲を見回した。
「うぅ……結構酔うなぁ。……ここどこ?」
周囲は先程の暗闇とは違い明るく、よく見ると壁や天井に付着した“ナニカ”が淡く発光している事に気が付く。そのナニカが周囲に多くあるお陰だろう。今いる場所は豆電球が付いた部屋より、十分な視界が保てている。
立ち上がる為に左手を地面に付くと、不自然にダメージが入る。何事かと慌てて左手を上げ、地面を見つめるが、そこには何も無い。試しに右手で地面に触れてみるが、どうやら地面に異常がある訳では無いらしい。
HPバーの下にあるアイコン。そのアイコンを見て、もしやと思いステータス画面を開く。そして、詳細からボディ耐久値を確認すると、全身の耐久値がかなり減少しており、中でも左腕の耐久値が極端に低く、骨折している事が分かった。
「骨折って……これ、実質左腕が使えないって事だよね」
骨折は謂わば状態異常デバフ。耐久値の減少率が上昇し、その部位を使用するとダメージを喰らうという物だ。要は、治療するまでまともに動かせないという事。
「う〜ん……。あ、取り敢えず配信見て──」
その時、聞き慣れた着信音が耳に入り、視界の端にAD画面が表示される。どうやら、みさからチャットが送られてきた様だ。
AD画面を操作してチャットを繋げると、私はみさの配信画面に視線を送る。
『ちぃ!大丈夫!?』
チャットが繋がった瞬間、動揺したみさの声が聞こえる。配信画面にも、同じ様に狼狽えるみさの姿が窺えた。
「大丈夫だから落ち着いて」
たかがゲームで何を慌てているのか。そもそも、チャットなど繋げなくても、直に話せば良いでは無いか。と考えると同時に、周囲にみさがいない事に気が付いた。
「……あれ?こがまるどこ?」
『どこ?じゃないよ!ちぃ、自分がどうなったか分かってるの?!』
「どうって……めっちゃ攻撃された事と、振り回された事位しか……。あんな魔法があるんだね」
私がそう言うと、みさは深く溜息を吐いた。
『だはぁ〜……。本気で言ってるの?って、ちぃだもんなぁ。……あのねちぃ、えっと……なんて言えばいいのかな?……ちぃは落ちたの!』
「落ちた?どこに」
ここは洞窟内。元より落ちた場所であり、落ちる場所など無い筈だ。みさが説明が下手な事は理解しているが、その説明の内容を理解出来る程、私は賢く無い。そう思いながら、一応意図を汲み取ろうと考えを巡らせる為に頭上を見上げた。そして、みさの言った事を“理解”した。
数歩先の天井。他の場所同様、明かりで照らされている筈なのに、不自然に暗いその区画。目を凝らし、よく見ると、その場所が暗いのは“上に続く長い穴”があるからだと気付いた。そしてその穴こそ、私が上から落ちて来た“道”である事も。
私はその穴の下に向かい、穴を見上げる。案の定、穴の中は暗闇で構造を確認する事は出来なかった。
「うわぉ……。何も見えん」
だが、逆に考えれば、この穴は一直線では無いと言う事。一直線であれば、攻撃を喰らう前に足元に落ちていた“松明の灯り”が見える筈だ。
「落ちたってそういう事ね。でも何で?穴なんて無かった筈だけど……」
『残りの1人に吹っ飛ばされた時、壁にぶつかったでしょ?その時、壁が崩れてそこに穴が……』
「吹っ飛ばされたんだ、私。……あぁ、何となく分かったかも」
私はあの時……振り返った瞬間。風弾で弾き飛ばされ、異音が鳴る壁に叩き付けられた。そして、崩れた壁からこの穴に落ち、何度も身体を打ち付けられながら、ここまで落ちてきたのだ。
そう考えると、よくこの程度のダメージで済んだものだ。
「……ん?落ちた?」
私は固定ポケットから組合証を取り出すと、木漏れ日の洞窟の詳細を開く。
「……b4。2フロアも落ちたんだ。ほんと、よく生き残れたなぁ」
『あぁ……!先に薬草を渡しとくんだったぁ!……ちぃ、取り敢えず転移石でタウンに戻ったら?その状態でモンスターと戦うのは厳しいでしょ?』
「そうだね。でも、少し探索してからにしようかな?光源も手に入るし……もしかしたら、最終フロアの通路も見つかるかも」
『あ、光源ならあるよ。ほらこれ。男が落としたやつ。後さ、ちぃが倒した相手のアイテムは、ちぃ以外の人は回収出来ないから、クリスタルはそのままだけどね。それと……』
みさは一度配信画面から捌けると、どこからか3つ目の巾着を持ち出し、配信画面に見える様に掲げた。
『最後の1人から色々剥ぎ取っておいたから。戻ったらちぃに渡すね』
「いいの?」
『寧ろ、お詫びには足りないくらいだよ。本当は、穴からアイテムを落として渡したい所だけど……ちゃんとそこまで転がるか分かんないし』
「それは気にしないで。じゃあ、ちょっとだけ探索するね」
『うん!私も、ちぃが戻るタイミングでタウンに戻るよ』
私達は互いに手を振ると、ADチャットを切断した。
「……さて。じゃあ探索しますかぁ」
そう言いながら周囲を見回した瞬間。壁の際、私の視界にある物が映った。いや、みさと話している最中から、それは見えていただろう。現に、マップ上にはそれは最初からあったのだから。
灰色の、三角アイコン。そのアイコンが意味する物は、今の私には分からない。だが、転がっているそれを見る限り──
「──死体?」
人型の骸である事だけは理解出来た。
「三角アイコン……初めて見る気がするけど」
そのアイコンが採取アイコンでない事は確かである。そして、モンスターでない事も。
襲われる事は無いだろう。放置された干物の様な見た目のそれは、少しの衝撃で簡単に崩れてしまいそうだからだ。
このまま放置でも問題無いだろう。そう思い、背を向けようとしたその時。骸の腰付近が一瞬輝いた様に見えた。
「ん?何か光った?……光が反射したとかかな。なにがあるんだろ」
不思議に思い、私は骸の元まで向かうと、正面に腰を下ろした。
骸の種族までは分からないが、服装的には開拓者だろうか。朽ちかけた胸当てと籠手、履いているブーツは左足だけ。先程何かが光った腰元には、同じく朽ちかけたベルト。そして──
「これは……短剣?後は……」
元はベルトに金具で固定されていたであろう金属製の短剣と、黒ずみが酷いボロボロの紙……正確には羊皮紙だろうか。骸と壁の間に落ちていた。
「隠しフロア……意味深な死体。……絶対レアアイテムだよこれ!凄い汚いけど、綺麗にしたら宝の地図とか……!ありえるね、うん」
私は汚い羊皮紙を広げながら何度も飛び跳ね、満足すると鼻息を荒げながら詳細画面を表示させた。
だが、開かれたのはアイテムの詳細画面ではなく
「“特別依頼”……?」
と書かれた初めて見る画面。その下には、受諾と拒否の2択があり、肝心の依頼内容は分からない。
「依頼ってなんだろ。いや、依頼の意味は知ってるけど……この紙がトリガーだよね。ふん……死者の頼み事とか、そんな所かな?ゲームでよくあるパターンで言えば。だけど」
様々なゲームをプレイしている私にとっては見慣れた……いや、見飽きた流れ。この場所や骸の職種、モンスターが闊歩する世界観から考えると、今依頼を受けるのは“危険”かも知れない。
左腕骨折。HPも半分を下回っている。回復アイテムはあるが、申し訳程度の効能だ。
「でも……ゲーマーなら受ける以外の選択肢無いでしょ。配信的にも、ここで拒否るのは空気読めてない訳で……」
視聴者はどう思っているだろうと、ふとコメント欄に視線を送る。だが、視聴者達には当たり前だが依頼画面は見えていない様で。何があったのか説明を求めるコメントが散見された。
「あ、あぁごめん。えっと、そこに死体があるでしょ?そこで、この紙を拾ったのは、皆も見てたと思うけど……。これを開いたら、特別依頼の画面が表示されたの。他ゲームで言えば、任務やクエストって所かな」
汚い羊皮紙を見せながら答えていると、コメントの中に気になる物が紛れていた。
「え?“三角アイコンはNPC”?って事は……この死体はNPCの死体なの?」
思い返すと、受付NPCがマップに表示されていた時、確かに三角アイコンだった気もする。しっかりと覚えている訳でも、確認した訳でも無いが、恐らくそうなのだろう。だとすると、NPCもプレイヤーの様に、ダンジョン内を探索する事があるという事だろうか。少なくとも、死体が干からびる程昔は、そういう設定だった事は確かだ。
「NPCもダンジョンを探索するのね……。プレイヤーの事を開拓者って言ってたけど、開拓者イコールプレイヤーじゃ無いのか」
色々と設定がありそうだが、正直私には興味のない事。今は、目の前の依頼についてだが……。考える必要も無いだろう。
「取り敢えず、依頼を受けてみるけど……。絶対戦闘になる気がするんだよね。でも、拒否してまた受けられるとは限らないし、そもそもまたここに来れるとも思えないから……。今受けるしかないかぁ」
コメントの反応を見ても、受ける一択。であれば、期待に沿うのが配信者だ。
「受諾……っと」
私は依頼画面の受諾ボタンに指を這わせた。
操作を受け付けた依頼画面は消えると、再び同じ様な画面がポップする。どうやら、依頼を受けた事で依頼の題名が表示された様だ。
「題名は……“未知なる魔物の出現”」
それ以外には何も画面に表示されていない。依頼内容や説明の類は無いらしい。かなり不親切ではあるが、珍しい物でも無い。
「さて……。何が起こるか」
念の為金属製の短剣を巾着に仕舞い、先程は叶わなかった羊皮紙の詳細を表示する。すると、今度はしっかりと詳細画面が表示され、羊皮紙の内容がある程度確認できる様になっていた。
「なになに……?“まるで水の様──体の自由を奪い、蝕む──無尽蔵の魔力に肉体──核無しの不定形。唯一交わる時は──”で、この先は無し、と。所々読めない風だけど、未知なる魔物で不定形……水っぽいって事は、“スライム”……とか?」
詳細を読み終え、考え込む。その時、視界中央に画面がポップした。その内容は──
「──は?依頼達成?」
未知なる魔物の出現の依頼を達成した事を知らせる物だった。
「え?……え?あ、モンスターと戦闘ない感じ?それは嬉しいけど……拍子抜け──」
呆気に取られながらも報告画面を閉じる。だが、それに合わせて新しい画面が入れ替わる様にポップした。それを見て、私は思わず声を上げる。
「……嘘でしょ。新しい依頼で、しかも強制とか……」
先程の依頼と同じ様な画面。唯一違う所は、受諾や拒否の選択肢はなく、代わりに“確認”ボタンが1つだけ。
受ける事には変わりない。そして、戦闘依頼であったとしても、やる事は変わらない訳で。私は緩んだ気を締め直すと、確認ボタンをタッチした。
「依頼の題名は……“風化した亡者の敵討”。……こっちが本題って事ね。さっきの依頼は魔物の出現……モンスターを発生させる為の依頼だったり?モンスター出現のフラグと、それを討伐する依頼が別々にあるって感じかな。じゃあ、今拠点に帰っても、そのモンスターはどっかに湧くから大丈夫って認識で良さそうだね。間違ってたら……まぁ、その時はその時で」
この際、探索は後回しで良いだろう。光る物体の必要性は、松明があるから無くなり、最終フロアの到達も明日に回してしまって問題無い。だが、近くに通路があるかどうかだけ、確認してから転移しても良いだろう。もしかすると、最終フロアがすぐ近くの可能性もあるのだから。
そう考え、羊皮紙を巾着に仕舞い込むと周囲を見回す。
光る苔の様な物体が張り巡らされた空間。私のいる反対側、十数メートル先には通路が1つあり、それ以外には右の壁際に池の様な物があるだけ。モンスターは見当たらず、他にあるとするなら、私が落ちてきた天井の穴だけだ。
「マップ的にも死角無し。モンスターが出たら、戦闘状態になる前に転移石で拠点に戻る。回復は……別にいっか。骨折が治る訳じゃ無いし。採取も要らないでしょ」
念の為、足元の死体を再度確認する。もしかすると、他にアイテムが隠れているかも知れない。だが、考え虚しくめぼしい物は見つからなかった。
「……死体って回収出来るのかな?」
ポツリと、口から出た独り言にコメント欄が騒つく。
「ちょ、いや、皆考えるでしょ!?死体の骨って、素材として優秀だったりするじゃん!コメントで引いてる人達の半分以上は、絶対死体回収する派でしょ!知ってるよ!」
声を荒げて反論すると、案の定視聴者達はボロを出す。やはり、皆考える事は同じ。生粋のゲーマーなのだ。
とは言っても、死体に触れるのは若干の抵抗がある。ミイラ化しているとは言え、肉が付いているのだから。これが骨だけであれば、何の抵抗もなく喜んで回収したのだが……。
「……全部くっ付いてるから、一部だけ回収って無理だよね。……千切るしか無いのかなぁ」
一応、金属の短剣が手に入ったので、切断という選択肢もある。だが、腕を掴んでみると呆気なく関節部分が崩れて本体と離れたので、その必要は無くなった。
「腕……案外軽いなぁ」
軽いとは言っても、重量的には0.7kgもあり、これだけで、空いている巾着の空きを殆ど埋めてしまう。
「1.51キロ……。もう一本入れるのは無理かぁ。もう1個のバッグのウサギの毛皮全捨てで、他の部位を入れるとして……どの部位を持って帰ろうか……」
回収するなら別の部位が良い。足もありだが、大きさ的に巾着に収まるかどうか。胴体の骨……肋骨を回収するにも、肉を抉る必要がある訳で。この場合、手に入り辛い唯一無二の部位を回収するのが得策だろう。
「……うん。頭取るか」
大きさ的にも巾着にギリギリ収まる。重さは回収しないと分からないが、回収に関しては、腕が簡単に取れたので問題無いだろう。そして何より、髑髏はどのゲームでも価値の高いアイテム。回収出来るのに見逃すのは、ゲーマーとしてあり得ない。
コメント欄が再び騒ついているが、それに関しては一切触れない。どうせ皆、心の中では楽しんでいるのだ。
私は死体の横に立ち、死体の首を抱く様に頭を抱えると、左膝で死体の肩を固定しながら一気に引っ張り上げる。
「んよっ!」
多少の引っ掛かり……繊維を断ち切る感覚があったが、難なく頭を引き抜く事に成功する。
「おっとっと……。こっちも思ったより軽いなぁ」
勢い余って軽く体勢を崩してしまうが、すぐに立て直し引き抜いた頭を両手に持ち直す。
見た目はあまり直視出来る物ではない。生々しい死体よりは幾分かマシだが、苦手な人はとことん苦手なビジュアルだ。
「配信的に良くないかもね。閲覧注意だよ〜って、今更だけど」
手遅れな注意喚起を済ませると、興味本位で頭蓋を耳元に運び、軽く揺する。
「まぁ、音はしないよね。カラカラ音がしたら逆に嫌だし」
意味のない確認を終え、頭蓋を胸元まで下ろすと、撫でる様に頭頂部をポンポンと叩く。
「よしよし。えっと、まぁ巾着には入らないよね。空きも欲しいから毛皮は全捨てで……よし、ギリギリ入った」
頭蓋の重さは1.2kg。数字で見ても軽い事がわかる。昔習った内容では、人間の頭部は5kg前後ある筈だが、ゲームだからか、ミイラだからか……どちらにしても、軽くて助かった。
「他の部位は諦めだね。本当は全部欲しいけど……無理に持ってかなくてもいいでしょ。使い道も今は無いし」
回収する物はし終えた。後は、通路の先を覗いて帰還。時間的にも、配信を終了して良い時間だ。
「じゃあ、通路の確認してから拠点に戻るね。んで、そしたら配信も終わるよ。視聴者に会えなかったのは残念だけど……。あ、私が拠点に戻る時、拠点にいる人は会いに来てよ。……話す事無いけど」
最後の呟きを聞いてか聞かずか、“コミュ障無理するな”と心無いコメントが溢れ返る。
「ひっどぉ。じゃあ皆は、私に会った時面白い話出来るの?出来る人だけ言っていいよ。だけど、拠点に戻った時絶対捕まえるから」
その言葉を皮切りに、コミュ障コメントは後を絶ち、時間が予定がと言い訳コメントが流れ始めた。
「私の視聴者ってほんと良いよね。好き」
自分で言うのも何だが、私の視聴者はノリが良く、治安も良い。配信者によっては、コメントによって心を病む人も居たり、他の配信者に攻撃する視聴者の所為で引退したりと色々あるが……。本当、熟私は周囲の人に恵まれていると実感する。
「じゃあ行きますか──」
巾着を肩に掛け直し、死体から背を向けて通路に視線を送る。すると、空間の中央付近にある“ナニカ”が目に入り、私は思わず口を噤む。
その物体……“生物”は、周囲の光をまるで水面の様に反射し、ゼリーの様に体を震わせている。
顔も、腕も、足も無い。胴があるかさえ分からないその見た目は、まさに“不定形”という言葉が相応しい。
マップに映るアイコンは赤い丸……それは、アレがモンスターである事を示していた。
マップをタッチし、アイコンに触れ、名前を確認する。
「“アモルファス”……」
文字通りの“不定形”。無尽蔵の魔力と肉体を持つと言われる未知のモンスターは、不気味に全身を揺らして佇んでいる。
逃がさない──。そう、威圧する様に。
バッグ
風化した亡者の頭蓋……1.2kg
ウサギの耳*10…0.1kg
キャビィの前足*8…0.4kg
合計……1.7kg
バッグ2
下級マナポーション…0.1kg
傷薬軟膏(5/5)*2…0.1kg
アカリダケ*2…0.02kg
鳥の羽根…0.01kg
キャビィの前足*4…0.2kg
ウサギの耳*5…0.05kg
ヒカーラ草*2……0.02kg
使い古された短剣……0.3kg
黒く汚れた羊皮紙(依頼)……0.01kg
風化した亡者の左腕……0.7kg
合計……1.51kg




