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振り返った先の木陰には、案の定鶏が顔を覗かせていた。相手はコチラの存在にはまだ気付いていない様だが、それも時間の問題だ。
別に、みさの言葉を無視して逃げてしまっても構わないのだが、みさの事だ。機会があれば、無理矢理私に奴の相手をさせるだろう。そもそも、今この場から逃がしてくれるとも思えないが。
背後を見ると、私の顔を見てニヤけるみさの顔が目に入る。
(絶対楽しんでるわ……)
そう思いながら、再び視線を戻す。すると、コチラの視線に気が付いたのか、鶏は鶏冠と肉垂を激しく揺らしながらコチラを振り返った。
「いや……キモ過ぎる」
顔を顰めながら悪態を吐き、全身のむず痒さから逃れる様に鶏から視線を逸らす。これらの行動は全て、生理的拒絶からくる無意識に拠るものだ。
鶏は私の仕草や様子を見て、自分より格下の相手だと認識したのか、木陰から飛び出すと、先程の鶏と同じ様に翼を広げて嘴を空高く伸ばすと、甲高い不快な雄叫びを上げた。
「コォケェコォッコォォォー!!」
雄叫びに満足した鶏は、想像通りコチラに向かって突進を始める。遠距離攻撃が無い故の突進なのだろうが、私にはその攻撃が一番効く。
涎を垂らし、気味の悪い赤色を激しく揺らしながら走り寄る姿は、何度見ても気分が悪い。先程追いかけ回されたからか、その姿に先程よりも恐怖を感じてしまい、足が竦む。
だが、これはゲームであって現実では無いので、システム上、足が竦むという生理現象は存在しない。単純に、思考が停止してしまっているだけだ。
それが理解出来ているのであれば問題無い。理解に使った思考を操作に回すだけなのだから。
そう、頭では理解していても、簡単に足を動かせる訳では無く。地面に根を張ってしまった足を動かす事は一旦諦め、私は左腕を前に突き出すと呪文を唱える。
「[風弾]」
左手から発射された風弾は、鶏の胴体目掛けて飛んでいく。だが、鶏には見えていないのか、将又、然程脅威では無いと考えたのか、回避の動作を一切見せずに地面を蹴り続けた。その結果──
「コゲェクァ」
鶏は口から液体を吐き出しながら後方へ吹き飛ばされた。
あの巨体で、キャビィと同じ距離を吹き飛ばされた事に驚いたが、更に驚いた事に、羽が生えているにも関わらず、空中でまともに体勢を立て直す事が出来ずにそのまま不格好に地面に転がった。
起き上がる際にも、羽を羽搏かせて土埃を立てながら、必死な様子で起き上がる。これでは、怯えている私の方が馬鹿みたいではないか。
所々茶色く汚れた白い身体。口の周りは液体が糸を引き、肉垂は荒い息に合わせて情け無く揺れている。
気色の悪さで言えば、先程の比では無い程跳ね上がった。だが、恐怖は一切感じなくなっている。あの、何を考えているか分からない虚ろな瞳も、今見るとただ何も考えて無いだけに見えた。
「……なんで私、鶏相手にビビってたんだろ」
それは、幼少期の牧場での体験が理由なのだが。それでも、高校生にもなって怯えているのは我ながら情け無く感じる。
鶏は、吹き飛ばされた理由が理解出来ていないのか、その場に立ち尽くして頭を小刻みに傾けながら前後させている。本当に何故、今の今まで鶏相手に怯えていたのか……。
いや、これがゲーム内で、何があっても怪我をせず、痛みを感じないが故に、恐怖を感じないだけだろう。実際にこの大きさの鶏を前にしたら、以前同様全力で逃げる確信がある。
「だけど、ゲームなら余裕で倒せそうかな」
そう呟くと、私は短剣を構え直して鶏に肉薄し、ダメージ覚悟で鶏の腹に何度も短剣を叩き込んだ。
一撃、二撃、三撃と素速い連撃を加え、四撃目まで叩き込むと、漸く鶏側も我に返った様で。五撃目を喰らわせる為に短剣を振り翳した瞬間、予備動作無しに私の眼球目掛けて嘴を振り下ろした。
「んなぁ!」
私はそれを、身体を捻り上体を反らせる事で間一髪回避する。が、攻撃の手を止めてしまい、結果、相手に手番が移ってしまう。
鶏は頭部を正常な位置に素早く戻すと、再び私の頭部に嘴を振り下ろす。
「うわっと!」
連続で繰り出された予備動作無しの攻撃に一瞬慌てるも、距離を離す事で難なく逃れる。
(あの啄み……攻撃よりも、顔を近付けられる方がキツいわぁ……)
啄みと同時に前後に揺れる肉垂は、何処に当たっているのか乾いた音を鳴らしている。それが、ほぼ耳元と言ってもよい場所で鳴らされているのだから、余計気分が悪い。正直、攻撃を避ける為と言うより、顔を近付けられない様に距離を取ったと言って良い。
「──![風弾]!」
仕掛け辛い間合いの為に出方を窺っていると、鶏が地面を強く蹴って駆け出してきたので、何かされる前に風弾で弾き返す。そしてそのまま、弾き飛ばされた鶏を追いかける様に、私は地面を強く蹴り上げた。
やはり、鶏はノックバックに上手く対応出来ない様で。空中で無様な格好を晒しては、地面に転がり落ちる。そこから体勢を立て直すにも手間取っている様子だ。
「んよっ!」
ひっくり返りながら暴れる鶏の真横に陣取り、そのまま翼の根元を強く踏み付ける。そして──
「[風弾]!」
抵抗しようと伸びた顔に風弾を発射した。
「コォ──」
翼や胴体が地面に張り付いている所為か、伸びて安定しない頭部だけが、ノックバックの影響で思い切り弾かれ、硬い地面にぶつかり鈍い音を立てる。
短く途切れた鳴き声が漏れた嘴からは同時に唾液が滴り、正気の無い瞳孔は細かく痙攣している。頭部に衝撃を受けた事による行動不可のデバフによる物だろう。鶏の身体は硬直し、抵抗を一切見せない。
その隙に、私は鶏の眼球目掛けて短剣を振り下ろす。すると、鶏はあっという間に消滅して、靴底に感じる肉の感覚が無くなり私は地面に着地する。
「ふぅ……。二度と相手したくない」
左肩に掛けた巾着がアイテムを回収してドッと重さを増す。ドロップ品が多く貰えたのかと一瞬期待したが、みさが巾着から取り出した鶏肉の大きさを思い出し、1人で気を落とす。
「お疲れちぃ。……あれ?元気無いね。どしたの」
「元気無いに決まってるでしょ。生理的に苦手な奴の相手をさせられて、しかも、バッグが重くなってるんだもん」
「あ〜、ムーコのお肉は重いからね。1つ0.5キロとかあるし」
「あの鶏ってムーコって言うの?」
「そだよ〜。あ、次のが沸いたから気付かれる前に移動しよっか」
その言葉を聞いて、私は素早くその場から駆け出し、近くにあるセーフティエリアへと逃げ込んだ。
「今度鶏を見つけても、絶対逃げるから」
「分かった分かった。そんな怒らないでよ〜」
「別に怒ってないけどさぁ……。まぁ良いや、何がドロップしたか確認しよ」
私はその場に腰を下ろして巾着を肩から外す。そして、膝の上に巾着を乗せると、口を開けてドロップ品の確認を始めた。
「えっと?鳥の羽根と、ムーコの股肉と胸肉……。後これは……“にくすい”で良いのかな?何なんだろ」
「あれ、チャットログに手に入ったアイテムが表示される事、教えてなかったっけ?」
「聞いてないかも。……あぁ、獲得ログって奴ね、早く教えてよ」
私はチャットログを開いて、複数のログの中にある獲得ログを確認しながら、巾着からムーコの肉垂を取り出す為にアイコンをタップする。
(肉垂……垂れる肉ねぇ。垂れるって何処が垂れるんだろ?……おっぱいとか?)
鶏のおっぱいとは?と、自分のアホらしい考えを鼻で笑いながら、取り出すボタンを押して右手のひらを広げる。
(……あ、顎とかもあるか。年寄りとか、顎の下の皮が垂れてたり──)
もしかして。そう思った瞬間、巾着から取り出されたアイテムが手のひらの上に現れた。
はんぺんの様に丸く、肌色で、全体にイボが出来ているプルプルした物体。色が違うので見た目では何か分からなかったが、取り出す前に“ソレ”が何か理解してしまっていた私は、悲鳴を上げながらソレを手のひらから弾き飛ばした。
「いやぁ!」
「どうかし──のわっ!」
飛ばされた肉垂は綺麗な放物線を描いてみさの顔に当たると、そのまま貼り付いた。
「あ、ごめん……」
水気を含んだ音を立てながら貼り付いた肉垂を見て、私は頬を引き攣らせながらみさに謝る。
「ちょっと〜、気を付けてよね〜!……ほい」
みさはヘラヘラと笑うと自分の顔から肉垂を剥がし、私に手渡してくるが、私はそれを首を振って拒否した。
「いや、ちょっといらない」
「そうなの?まぁ、食べる位しか使い道ないし……」
「え?食べるの?!」
「食料ゲージは5しか回復しないけどね。でも、これなら生で食べても毒にならなかった筈だし」
衝撃の発言に口を開ける私を余所に、みさは躊躇い無く自分の口内にソレを放り込んだ。
「うん。やっぱり毒にならない」
「ま……丸呑み……」
咀嚼する素振りを一切見せずに喋り出すみさを見て、私は度肝を抜かれて口を意味も無く何度も開閉させた。
コメント欄を見ても、私と同じ様に困惑している人が多い。中には、みさの行動にドン引きしている人もいる。
「ちょっとこが……ソレは流石にキモいよぉ……」
私がそう言うと、みさはキョトンとした顔で首を傾げる。
「え?何が?」
「何がって……アレを生で丸呑みした事だよ。気持ち悪く無いの?」
「別に。だって、食感とか味とか無いじゃん。口に何かが入ってきた感覚はあるけど、私はそれが気になるタイプじゃ無いし」
確かに、フルダイブゲームや仮想現実内では身体の内側の感覚は再現されず、口内もその限りでは無い。味覚や嗅覚でさえ、外部カートリッジを使用しないと、この世界で感じる事は出来ないのだ。だからと言って、生のアレを丸呑み出来る人は少ないだろう。何故なら、“外観”が受け付けないからだ。
フルーティーな香りで、カシューナッツの味をした、プリンと同じ食感の“芋虫”を食べれる人がどれだけ居るか。……つまり、そういう事だ。
「……こがまるって、サバンナでも生きていけそうだよね」
「どうだろ?……綺麗な水があればワンチャン行けるかも!動物好きだし!」
「こがまるのそういう所、私は好きだよ。嫌味無しで純粋に」
「え、え?突然愛の告白ですか!?皆、今まで応援ありがとう!私達、結婚します!」
「馬鹿言ってんじゃないよ。……ほら、探索に戻ろ」
視聴者に冗談を言ってニコニコと笑うみさにツッコミを入れると、私は左肩に巾着を掛け直しながら立ち上がり、セーフティエリアの外へと歩き始めた。




