王国魔導師団長の襲来
目が覚めると、頭の下に硬い床の感触があるのに気がついた。
翠華をベッドに運び、寝かし付けている間に自分も眠ってしまったらしい。
握られていた腕はとっくに離され、翠華も未だベッドで寝息を立てている。
野宿には慣れているものの、流石に床で寝たせいで節々が痛む。
「あー……」と呻きながら身体を起こすと、随所からパキポキと鳴る音がした。
翠華の顔には、昨晩見た怯えや寂しさは無い。
穏やかに、すやすやと寝息を立てている。
ベッドの縁に腰掛け、そっと、髪を梳いてやると気持ちよさそうに頬を緩めている。
外は夜明け近く、群青の空が広がっている。
今日もよく晴れそうだ。
などと考えていると、パチリと翠華が目を覚ます。
目が合った。
沈黙が降りる。
次の瞬間には、カノンは窓際に殴り飛ばされていた。
「しししししししししししょー!?」
慌ててリビングに飛び込んだ翠華は、優雅にコーヒーを啜っているカテナに縋りついた。
「おはよう、翠華」
「おはようございます、師匠。じゃなくて!!!」
窓枠に頭をぶつけてしばし呻いていたカノンが追いつくと、カテナは爽やかな笑顔で言う。
「昨晩はお楽しみでしたね?」
「「違う(います)!!!!!」」
「カノンがいつまで経っても戻ってこないからそういうことかと思ったんだが?」
「違……い……ますよね……?」
昨晩の記憶が無いため、途中で疑問系に変わった声と、上目遣いに「そんなことしませんよね?」と暗に言っているような、しかし僅かに期待したような顔に、カノンは思わず視線を逸らした。
「ちょっと!無いでしょう!そういう間柄じゃないじゃないですか!カノンからそういう反応されるとこっちも困るんですけれど!!!」
「まぁ、何事もないのは知ってて聞いてるから別にいいんだが」
カテナが事もなげに言うと翠華がむきー!と食ってかかった。
秒で床に転がされる翠華と、コーヒーカップから一滴も溢さず脚だけで制圧したカテナをチラリと見て、やはりカノンは視線を逸らした。
撫でるだけでは泣き止まず、涙を流し続ける翠華の額に、キスを落とした手前、酔った勢いとはいえ顔を合わせづらい。
当人は全く記憶にないようだが、これならこちらも記憶が飛ぶくらい泥酔しておくべきだったと後悔とも言えない後悔をカノンは抱いた。
カノン自身、この感情になんと名前をつければ良いのかわからない複雑な心境だ。
ふとした瞬間に見せる寂しげな表情と、街で怯えて真っ青になっていた表情、そして研究だと言って楽しそうに笑う翠華の表情が過り、彼女の笑顔が一番好きだとふと思う。
同情なのか、憐れみなのか、それとも。
思考に耽るカノンの横で、師弟は今日も元気である。
カップを左手に、ソーサーを右手に持ったまま器用に靴を履いたまま足だけで翠華を縛り上げたカテナは、上半身だけ見れば淑女そのものであるが、怪我をしない程度に蹴り転がし踏みつけ縛る姿は差し詰め奴隷商人のそれだった。
「ようやっと見つけたでェ先生ェ!!!」
バーンと扉が開かれ(まだ施錠されていたはずだが)、黒髪の女性の魔導師が肩で息をしながら叫びながら入ってきた。
「げ」
カテナがゲンナリとあからさまに嫌そうな顔で女性を見た。
「今度こそ戻ってきてもらわなそろそろ王国魔導師団が崩壊すんねんで!」
西方の独特の訛りで喋る女性は、カノンより少し年上に見える。
腰に小杖を下げ、ホルターネックのノースリーブの上から漆黒のローブを着た顔立ちの整った女性だ。
ローブの背中部分には王国徽章が描かれ、腕に留められた腕章と肩に縫い付けられた豪華そうな階級章だけで、結構な身分の人間だと一目で分かる。
「ししょー、この方は?」
床に転がされたまま問う翠華に、心底嫌そうな顔でカテナは答えた。
「あぁ、不躾に押し入って申し訳ありません。私、フローライト王国魔導師団団長のイリス・ストランフィードと申します。カテナ・レン先生の部下で、教えを乞うた一人でございます」
訛りの無い上品な言葉を紡ぐその顔は外用のそれと分かる顔で、しかし次の瞬間には上品さの欠片もないだらしない顔になった。
「なんや先生いつの間にこんな可愛らしい子産んだん?あとそのプレイウチにもしてくれへん?」
「わたしの子ではないしプレイでもないが取り敢えず縛ってやるから大人しくしとけ」
翠華より厳重に簀巻きにされたイリスと名乗った女性は恍惚とした表情で床に転がる。
「先生前より縛り方上手くなっとるやんこれなんてウチ得???」
「お前は相変わらずマゾヒストに拍車が掛かってるな。どこで止まるんだそれ」
「先生の愛やと思ったらいくらでも受けられるわぁ♡」
「きっしょ……」
かなり本気でドン引いているカテナの視線を受けて、ビクンビクンと身体をうねらせるイリスはどう見ても頭がおかしい奴のそれである。
「類は友を呼ぶ」
「ちょっとカノン一緒にしないでください心外です」
「わたしもアレと同類にされるのは御免被る」
「辛辣ええわぁ……」
カノンが翠華の縄を解いてやると、カテナが口を開いた。
「わたしが魔導師団にいた時の弟子の一人だ。翠華の姉弟子にあたる」
「初めまして、白羽翠華です。魔導師団を引退した師匠の元でじっけ……修行をさせてもらっています」
「カノン・ラズだ。冒険者をやってる。訳あって屋根を貸してもらってる」
床に転がったままイリスは「ほーん」と適当な相槌を打つ。
「先生がいきなり辞める言いはった時はどないしよ思ったけどなかなかどうしてエエ弟子おるやんけ」
(本人の強い希望により)簀巻きにされたまま「よっ」と身体を起こしたイリスは品定めする様に翠華を見る。
「これが噂の『白亜の魔女』ねぇ……」
ビクッと翠華が震え上がり、カテナがイリスを激しく蹴り飛ばした。
「二度と言うな」
咳き込むイリスに思わずカノンは駆け寄るが、イリスの顔には不敵な笑みが浮かんでいた。
「先生、ウチが痛いの好きなん忘れてへん?」
無言で大剣を掴んだカテナに流石のイリスも慌てた。
「先生それはシャレにならん首はやめてぇ!!!???」
カテナは無言のまま大剣を振り下ろした。
『平』で。
ゴーンと鐘の様な音がしてイリスが延びた。
「コイツ本当に石頭過ぎるだろ……頭アダマンタイトで出来てるのか?」
暗に割と本気で殴ったと言うカテナは呆れたように大剣を背負い直す。
そのまま荷造りを始める。
「師匠、またお出掛けですか?」
少し寂しそうな顔でカテナを見る翠華に呆れた声のままカテナが答える。
「ほとぼりが冷めるまでな。もう少しゆっくりしたかったんだが……イリスが起きたら王都に向かったと伝えてくれ」
「まさか」
「本当に行く訳ないだろ。魔導師団に戻ればまた教育係にされる。そんなのつまらんだろ。適当に撒いたら戻ってくるから心配するな」
荷造りを終えたカテナは翠華の頭にぽんと手を乗せる。
「次の魔科学製品、楽しみにしている」
「はい!師匠!」
こうして翠華の師、カテナはまた旅に出て行った。
「師匠?せめてドアから出ていってくださいよ」
「足跡を辿られたら面倒だろ。窓から出て木伝いに森を抜ける」
カテナはカノンに視線を向け、にっと笑ってみせた。
「またな」
窓から飛び上がり、あっという間に森の中に消えていったカテナの言葉に、カノンは驚いていた。
先見をしたカテナが『またな』と言ったということは。
カテナと再び見えることがあるということで。
あの笑顔はきっと、その隣に翠華が居ると確信している笑顔だと。
弟子にすら黙ったまま、カノンにだけ伝えてきたのだ。
「とんでもねぇ人だな」
「??? それは、私の師匠ですから」
「類は友を呼ぶ」
「なんですかどれが類ですか言ってみてください場合によってはこのファイアスライムが火を吹きますよ文字通り!」
「やめろこっち来んなやめてくださいお願いします!!!」
騒ぐ二人を朝日が照らしていた。
綺麗な感じ出してますがまだ全然続きますよ?
あとイリスさんはツッコミ要員で配置したつもりだったんですが、設定資料に余計な一言入れたせいで今回ずっとボケ倒しています。




