魔科学者、師について語る。
湯上りのほくほく顔で緩い寝間着姿に着替えた翠華は、鼻歌交じりに夕飯を作り上げテーブルへと運んだ。
当然の如く二人分運ばれてきた料理を見て、カノンはまたぞろ浮かんだ疑問を口に出した。
「こういうことはよくあるのか?」
「こういうことというのは?」
よくわかっていないらしい翠華にカノンは足りなかった言葉を継ぎ足す。
「道に迷った冒険者を泊める、とかさ」
翠華は少し考えるように顎に手を添え、ぽつりぽつりと語りだす。
「全くなかったわけではありませんが、そういえば男性冒険者を泊めるのは初めてですね。女性だけのパーティとかなら何回かありますけれど。男性だけのパーティとか、男女混合のパーティが野営する資材を取引に来ることは結構ありますね」
「大丈夫なのか……それ、押し入られたり……」
「前に野党がウチを取り囲んでたことがあるんですけれど、防犯に張ってる大蜘蛛の糸に絡まって動けなくなってるところを『実験体にしてあげましょう』って言ってから来なくなりましたね」
来られなくなったのではないことを祈りたい。あと掛からなくて本当に良かった。
「じゃあずっとここで一人暮らしを?」
「一年前まで師匠と一緒に暮らしていたんですが、『欲しい材料があるから取ってくる』って言ったっきり帰ってこないんですよ。どこまで行ったんでしょうねぇ……」
遠く懐かしむような眼をして翠華は言う。
「師匠って、どんな人なんだ?」
「昔は宮廷お抱えの天才魔導士だったらしいです。莫大な魔素許容量に緻密な魔法式を即座に紡ぐ、それはそれはとんでもない怪物ですよ。40年くらい宮廷勤めしたのち『新しい魔法の開発をしている暇がない』という理由でここで隠居生活をしていたところに私が弟子入りした感じですね」
「40年宮廷務めって、結構な歳だよな?」
「齢96のはずです」
カノンはなんとなく思ってしまった。
この少女はすでに教えることがないほどに魔法を覚えてしまっていて。
出掛けると言い残してもうこの世には居ないのではないかと。
「今帰ったぞおおおぉぉぉ!!!」
ズバァン!と玄関を開け放ち晴れやかな笑顔で妙齢の女が入ってきた。
黒絹のような艶やかな長い黒髪を背中に流し、鼻先まで伸びている前髪で左目は隠れている。隠れていない右目の青い瞳には空色の環がかかっていた。
何より特徴的なのは、耳にあたる部分から生える一対の純白の角。
「魔人族っ!?」
咄嗟に剣に手を伸ばそうとした途端、鋭い視線に身体が凍る。
視線ひとつで死すらも連想させる威圧感を、この女は放ったのだ。
「あ、ししょーおかえりなさい」
「師匠!?」
二重に驚くカノンを余所に、のほほんとした風に翠華は告げると、黒髪の女は表情を和らげた。
「あぁ、ただいま翠華。お客人かい?」
「いえ、森で行き倒れてたので拾ってきました」
「俺は犬猫か!」
カノンのツッコミもあっさり受け流され、女は呆れた目をカノンに寄越した。
「しっかしまったくこの国はいつまでこんな鎖国状態でいるもんかね。国を出るのに一か月、入ってくるのに三か月かかったぞ。一年の間に砂粒ほどでも教育が行き届いてるもんだと思っていたが、魔人族とはね」
やれやれと首を振る女はよくよく見れば細い体躯ながら背に大剣を背負っており、軽装に見えていたが肘当てや胸当てなんかを付けていたりする。
「ちょっっっと確認させてくれ……お前の師匠なんだよな?」
「そうですよ?」
「齢96って言ってたよな?」
「おいこら妙齢の女性の歳を勝手に教えるんじゃない」
ぺしんと手刀を翠華に当てて、なお超然と女は佇む。
「宮廷勤めの大魔導士だったんだよ……な?」
どう見ても前衛である。戦士と言われた方がまだ納得できる。
「魔族じゃないかこの国ホントに大丈夫なのか!?」
翠華は「なにか不思議なことでもありますか?」といった感じに首を傾げている。
「こちらからも聞きたいことはあるが、とりあえず君の質問に答えていこう。わたしはカテナ・レン。『竜人族』と呼ばれるお前たちに比べたら長寿の種族だ。そこの小娘、白羽翠華の師にして、40年前までは宮廷大魔導士と呼ばれたこともあったな。そしてお前が言う『魔族』ってのはお前たちが思っているようなものではないよ」
「そんな大魔導士が、何故大剣……?」
燃え尽きそうな思考回路の中から捻り出した呟きに、師弟は声を揃えて言った。
「「健全な研究は健全な身体から」」
この少女は親より師匠に似てしまったのかとカノンは頭痛を堪えながら思うのであった。
翠華の師について、知っているべきか否かで二週間悩みました。
市井にそれほど情報が出回っていないという形で落ち着きました。




