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「え、いやなんだけど」
くるくる回転する椅子をくるくるしながら僕は言った。
ここは地下150階層。
泣く子も黙る大組織ダートリユニオの本拠地の最深部だ。
ダートリユニオとはこの王国を裏で牛耳っている四大組織のうちの一つ。超巨大な組織でその構成員の数は数万人にものぼる。
そんな巨大な組織を束ねるのは十二人のとてもえらい人たちだ。
その十二人の彼らは偉いだけじゃない。
魔術とか剣術とか、とにかくとても強い。
そもそも強くないと重役にはなれないからだ。
そして、ダートリユニオの最深部といえば、そんな十二人の重役とその他一部の人間しか立ち入ることが許されない特別な場所だ。
陽の光も届かないそこには、厳かである種神聖な雰囲気が漂っている。
その中でも、僕が今いるのは俗に言う社長室。
ダートリユニオの中でも最もえらい人しか使えない部屋だ。
なんでそんなところに僕がいるのかというと、それは僕がダートリユニオの中で最もえらいからだ。
「そっちで断っといてよ」
「しかし、幹部会議で決まったことですので」
書類を片手にそう言うのは超優秀な秘書シルフィエット・シルファス。
彼女もダートリユニオの重役の一人であり宝石のような金髪は肩のところで綺麗に切り揃えられ、紺碧の双眼は深淵を覗き見るような深い色をしている。一言で言うと、超絶美人。幼少より厳しい訓練で鍛え上げられた体は引き締まっていて、胸が慎ましやかなこと以外は世の中の理想を体現したような体型をしている。
彼女が優れているのは、容姿だけではない。剣術における戦闘センスは十二人の重役の中でもトップクラスで、戦場において軽やかに宙を舞いながら敵を滅殺していく姿はもはや人間のそれとはかけ離れている。
それに加えて情報処理や雑務処理の能力も卓越しているという完璧人間ぶりだ。もう少し欠点らしい欠点があった方が愛嬌があっていいと残念に思うくらいだ。味方でいてくれる分にはこれ以上頼もしい存在はない。
今回はどうやら、味方でもないみたいだが。
「絶対、い、や、だ」
僕は再度拒絶の意を示す。
「なんと言われましても確定事項です」
シルフィエットの口調は断固としている。
とりつく島もないとはこのことだ。
「僕、えらいんですけど」
「ええ、そうですね」
「この組織の中で一番えらいんだよ?」
「だとしてもです。グレイス様には、ドワイフ学園に入学していただきます」
「.........いやだ」
「.........」
「............いやだああああああああ!!!! やだったらやだあああああああっ!! やだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだああああああああああああああああああああああああ!!!!!! 学校、嫌いいいいいいいいい!!!!」
社長椅子から飛び降りて、床をゴロゴロ転がりながら叫ぶ。
僕はダートリユニオのボスとは言ってもまだ子供。
ゴロゴロ程度で傷つく羞恥心などない!!
しかも床は高級絨毯だからゴロゴロしてもそんなに痛くないのだ!!
僕は数え切れないほどの窮地を、必殺駄々をこねるを効果的に行使することで切り抜けてきた。
「はあぁ、あなたと言う人は......。どれだけ泣こうが喚こうが構いませんが、今回ばかりは何も変わりませんよ」
シルフィエットはため息混じりの呆れ口調だ。
「なんでええええ!! 僕がああああああああああっ!!! 学校にいいいいいい!! 行くのおおおおおおおおおおおっ!!!!」
「だから、重役会議で決まったからだとさっき言ったじゃないですか」
シルフィエットは僕を気遣う様子すらなく答える。
このクソ冷徹女め。
こんなに愛嬌のあるかわいい子供が泣き叫んでいるのに表情ひとつ崩さないとは......!!
「っていうか、まず僕その重役会議に出た記憶ないんだけどお。重役会議ってえらい人たちが集まるから重役会議って言うじゃないんですかあ。僕、この組織の中で一番えらいんですけどお。僕が出てない重役会議って、もはや重役会議って言わなくないですかあ? 無効じゃないんですかあ?」
「......」
あれ?
珍しくシルフィエットが反論せず黙っている。
普段なら生意気にも何か言い返してきそうなものだが、鎮痛な面持ちをしている。
なんでだろう?
もしかして、あまりの正論に言い返せないでいるのか?
「あれあれ? シルフィエットさあん?? もしかして僕に秘密で他の偉い人たちだけで集まって勝手に決めちゃったんですかあ?? いくら僕が邪魔だからってそうやってコソコソ裏で協力して僕を追い出すようなことしていいんですかあ??? だめだよなあ!! ダートリユニオの一員として、いや、一人の人間として恥ずかしくないんですかあああ???」
「............言いましたよ?」
「............え?」
「重役会議があることは事前に伝えました。しかしグレイス様が当日会議の直前になってどうしてもリアタイで見たいアニメがあるから会議には行けないと言い出しまして、それでも重要な会議なので出席しないと困ると何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も説得しようと試みたのですが結局グレイス様が頷くことはなく『そんなに言うなら僕の代わりにシルフィエットが参加しといてよ、シルフィエットの考えが僕の考えってことでいいからさあ。......ね? お・ね・が・い♡』と言われたので仕方なく私が代理で参加した会議でグレイス様がドワイフ学園に通うことが決まったわけなのですが、何か文句がありますか?」
「.........................ないです」
そういえばそんなことあったね。
二週間くらい前、『最後のヒロインスマイル』で僕が一番推しているマインちゃんの神回の再放送がやっていたのだ。しかも番組の途中で発表されるキーワードを集めて最後に応募するとマインちゃんフィギュアがもらえるという特典付きだったため、どうしても参加しないわけにはいかなかったのだ。
アニメ見てる途中にシルフィエットがガミガミ言ってきてうるさかったのだけ覚えている。
黙れって思った。
今いいところだから邪魔すんなっても思った。
面倒臭いしどうせ大した会議でもないからとシルフィエットに任せたのだ。
その時にさっきのセリフも言ってたかもしれない。正直まったく覚えてないけど。
まさかその日に限ってそんな重要なことが話し合われていたとは、痛恨ここに極まれりである。
「ドワイフ学園は完全に寮制なので、グレイス様もそこに入ってもらうことになります」
「寮!? 牢獄じゃん」
「牢獄じゃないです、寮です」
牢獄だろ。
「そこまでして僕をダートリユニオから追い出したいんだ」
恨みがましく睨む僕を見て、シルフィエットは眉をひそめる。
「勘違いされているようですが、私たちは別に嫌がらせをしようと思ってグレイス様を学校に行かせようとしているわけじゃないですよ。学校に行ってもらうのはそれがグレイス様にとって世間を知るいいきっかけになると思ったからです」
「僕、世間知らずじゃないよ?」
「世間知らずだって自覚できないから世間知らずなんです」
「あ、そういうものなのね」
そういうものらしい。
確かに、僕が送ってきた人生は普通とは言い難い。
それはこの若さでダートリユニオのマスターなんてやっていることからも窺える。
一般的に幼少期に身につくはずだった世間の常識的なことが、だいぶ欠落しているかもしれない。
「それに学校に行けば、グレイス様と同年代の友達ができるかもしれません」
当然のことながら、僕に友達はいない。
友達どうしで一緒にアイス食べたり遊びに行ったりしているシーンをみると、いいなあと思ったりすることはあるけど、本当のところは友達を持ってみないとわからない。
「友達はいいものですよ」
シルフィエットが微笑む。
「シルフィエットにはいるの?」
「友達と言えるかは分かりませんが、ダートリユニオの中に一人仲のいい女性がいました」
「どんな人?」
「そうですね......栗色の髪の可愛らしい人でした。私と同期だったので事務的なことの他に一緒に食事をして情報を交換したりしていましたね。快活で知的な方だったので、一緒にいて楽しかったですよ」
「今も連絡とか取り合ってるの?」
「いえ......」
シルフィエットの声が暗い色を帯びる。
「数年前に死にました。......敵国に捕まって、拷問を受けたんです」
「......そ、そっか」
これは悪いこと聞いたな。
「こんな職業をしていれば別に珍しくもないですよ」
暗くならないように気を遣ってか、努めて明るい声でシルフィエットが言う。
組織内部での死因はほぼ全てが戦死だ。
拷問死も決して珍しいことではない。
ダートリユニオでは拷問に耐える訓練を行うこともあるくらいだ。
どんな拷問を受けたのかは聞く気にもなれないが。
「......と、まあこのように、学校に行くことは色々なメリットがあるわけです」
気を取り直してシルフィエットが言う。
「なるほどね」
色々あるわけだ。
「そうそう、一応聞くけど、学校に行ってもスメホでゲームとかできるの?」
なんでもないことのように僕は聞いた。
一応、と前置きをしておきながら、実はこれが僕が一番聞きたいことだ。
それに対してシルフィエットは確信を持って頷いた。
「できます。フリーウェイフェイも完備されているので、授業中はだめですがそれ以外はスメホいじってても全然大丈夫です。いじり放題ですよ」
何それ僕の知ってる学校と違う......!!
「アニメは見れる? 学校だとテレビついてないんじゃない?」
「そうですね確かに学校にはついてないです」
「ほら、そんなことだろうと」
「しかし、寮の一部屋に一台づつテレビがついてます!」
「一部屋ごとだとおオオオッ!!?」
おっと、興奮して叫んでしまった。
なんかこうして並べられると学校に行くのも悪くない気がしてきた。
ダートリユニオの社長室と対して変わらない。
僕の心はすでに学校に向かいかかっている。
だが一つ懸念点が残っているとすれば......。
僕は真面目な表情に戻ってシルフィエットに聞いた。
「三年間も僕がいなくてダークリユニオ大丈夫なの?」
「何がですか?」
「ほら、仮にも僕ダークリユニオのボスなわけでしょ? 学校に行くということは少なくとも三年間僕は不在になる。その間本当に組織が回るのかとても心配なんだ」
例え一時的だとしても僕ほどの優秀な人材が抜けることがどれだけ組織に損失をもたらすか。
ダートリユニオは今が一番大事な時期だというのに。
「え? 全く問題ないですけど?」
キョトンとした顔でシルフィエットは首を傾げる。
「でもほら、会議とかあるし」
「問題ないです。心配せずに学校へ行ってください」
「えー、心配だなあ」
うれうれとシルフィエットの脇をつついてみる。
ブチって切れる音がした。
「......逆に聞きますけど、何が心配なんですか?」
「え?」
シルフィエットの声色が変わる。
怖い。
「グレイス様仕事全くしてませんよね?」
「いや、だから」
「全部私に丸投げして、自分はアニメとか漫画とか見てポテチつまみながら朝から晩までゴロゴロしてるだけですよね?」
「その......」
「たまに重役会議に参加して仕事した気になっているみたいですけど、その会議だってこの間の件で私が代役になればなんとかなることがわかりましたし、もはやグレイス様の存在意義ってなんなんですか? ボスって名前の飾りですか? それなら人形にグレイスって名前つけてここに置いておくほうが食費がかからないだけまだマシです。余計な心配はしなくていいのでさっさとこの部屋の荷物をまとめてください」
「......あ、はい、なんか、大丈夫そうだね。うん、安心したよ......」
あれ、おかしいな目から汗が。
そんな僕を無視してシルフィエットは部屋を片付け始めた。
シルフィエットの話によると入学試験は明後日らしい。
えらい急だ。
「そういえば、僕が入学試験に落ちたらどうするの?」
片付けながら、シルフィエットに尋ねる。
学校に行かなくてよくなったりするんだろうか。
「金と権力でねじ込みます」
「面白い冗談だ」
「冗談ではないですよ? そのくらい当たり前です。グレイス様はもう少しダートリユニオのボスであるという自覚を持つべきですね。世の権力者は、裏口入学くらいみんなしています」
「そういうもんなの?」
「そういうもんです」
僕が世間知らずなだけか。
どうやら僕が入学することは確定事項らしかった。