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兜守編 4月10日 その4 キノコを救え


「オークたちの声だ。嬢ちゃんもおっさんも、大きな物音は立てるなよ?」


 と、一号が再度忠告した。


 由梨ちゃんは一号を制服の白の半袖シャツ――その胸ポケットにそっと入れると、両腕の手甲から例のワイヤーを引き出した。


 半袖シャツという単語で、僕はふと思う。今はまだ四月で、【スラジャンデ】の気候は日本とさほど変わらない。だから、森の中はひんやり肌寒い。でも由梨ちゃんは代謝がかなり高いらしく、夏用の制服を着ている。


 まぁ、デブで暑がりの僕も上着を腰に巻き付けて、半袖シャツの姿になってるけど。


 つまり何が言いたいかというと、薄着でいるほどに自分の匂いを悟られやすいってこと。もしオークが人間よりも鼻が利く連中だったら、たとえ静かに近づいたとしても匂いでバレてしまう可能性がある。


「普通に話しかけてみないか? 社会人になったら、まずは挨拶が基本なんだ。僕が手本を見せるからさ」


 僕はあくまで穏便派。こそこそ近づいたところをオークに気付かれたら、こっちが何か良からぬ企みでもって近づいたと怪しまれて、余計に連中の怒りを買う恐れもある。


「――おい、今話し声がしたぞ!? 俺たちの森に侵入者か!?」


 声でバレましたね。


 由梨ちゃんが殺気じみた目で僕を睨んだ。


 こうなったら、僕が由梨ちゃんに大人の対応を見せて、汚名返上するしかない!


 由梨ちゃんの殺気に当てられた僕は、自ら大きく前へ踏み出して先頭に立つと、勢いのままに開けた空間へ躍り出た。


 開けた空間の広さは畳三十枚分といったところ。


 中央に大きめの岩があり、そこに腰を下ろすかたちで三人のオークがいた。


 どのオークも黒い肌に鋭い目つき。一目で違いがわかりづらい。


 ああ、全員がこっちを睨んでる。


 皮の鎧を身に着け、皮の靴を履いて、三人とも足元に植物で編んだと思しき丸い収穫カゴを置いている。


 その中には、あまり大量には取れなかったのか、数十個程度のキノコが見えた。


「――あ、お疲れ様です。あ、いや、お世話になっております。おはようございます、こんにちは。わたくし、家内兜守と申します。本来であれば名刺を差し上げるべきところを、手持ちを切らしておりまして、誠に申し訳ございません。今、ちょっとお時間の方宜しいでしょうか?」


 ここで深めに一礼。


 返事が全然ない。


「――こちらのキノコさんがですね、お仲間のキノコを返して欲しいとのことで、ちょっとご相談させて頂きたいんですけれども、恐らくその、あなた方がカゴに入れていらっしゃるキノコたちがそうであるようにお見受けするんですけれども、そちらご返品して頂くことは可能でしょうか?」


「あいつらはオレの仲間だ! 間違いねぇ!」


 と、一号も叫ぶ。


 すると、その一号に気付いたか、


「たすけてー」


「ぼくたちはここだよー」


 カゴの中のキノコたちも声を上げた。なんだか力の抜けた、和む声してるな。


「何をごちゃごちゃ言ってやがる!? てめぇら何者(ナニモン)だコラァ!?」


 ここで、一番ガタイのいいオークが怒鳴った。


「わ、わ、わたくちは、(けっ)ちて怪ちいものではございませんでちて、ただキノコ返せって言ってるだけでちて――!」


 だ、ダメだ僕! テンパるな! テンパっちゃダメだ! テンパっちゃダメだテンパっちゃダメだテンパっちゃダメだテンパっちゃダメだ日本語がおかしくなる!!


「このキノコは俺たちの縄張りに生えてるキノコだ。つまりは俺たちのモンってことになる。それをなんでてめぇみてぇな二本足の豚に渡さなくちゃならねぇんだ? ァア!?」


 威嚇してくるオークの凄みがヤバい。極道ものの映画よりも恐い。


「そ、それはご尤もです。なにもタダでとは申しておりません。あなた方のキノコと、わたくしども自慢のお酒を交換するのは如何でしょうか?」


 咄嗟の思い付きで、俺は自分のリュックから酒――ではなくて調味料の醤油(キッ〇ーマン・1リットル入り)を取り出す。これは僕のシークレットアイテムの一つ。


 食材を漬けて長持ちさせるために持って来ておいたものがこんなところで役立つとはな。


「ほう? 見たこともねぇ色の酒だな? 腐っているんじゃねぇだろうなァ?」


 ガタイのいいオークが訝しげに醤油を見つめる。


「とんでもございません。このお酒は一本300円――じゃなくて、一本金貨5枚のお値段で取引されているものでございます」


 金貨5枚という響きに、3人のオークの目が同時に$マークになった。


「き、聞いたか!? 金貨だってよォ」


「金貨って言やぁ、弱ったドワーフを襲ってでしか手に入らねぇ、都会の種族が持ってるっていう大層な硬貨だぜぇ?」


「――よ、ようし! ならその酒を置いていきな! そうすればてめぇらは見逃してやる!」


 ――あれ? 見逃す? 今の話は、この醤油――じゃなくて金貨5枚相当の酒とキノコたちを交換するって内容じゃなかった?


「あのぉ、キノコさんたちの件は?」


「なんで俺たちがてめぇらの交渉に応じなきゃならねぇ!? ここは俺たちの森だ! すべての支配権は俺たちのモンだ! てめぇらは本当ならここで俺たちに八つ裂きにされているんだぜ!? それを酒と引き換えにチャラにしてやるだけありがたいと思え!!」


 あ、ダメだ。日本社会の一般常識が通じると信じた僕が阿保だった。


「それともここで丸焼きにされてぇかぁ? 豚野郎!」


 うん。今の最後の一言でカチンと来たぞ。これはやむを得ない。


 ――けど。


「――もういいですか? おじさん」


 僕の背後で、もうどうしようもないくらいに膨れ上がった殺気が。


「こんな社会不適合な生き物は抹殺して当然なんです。身勝手な振る舞いをしているとどうなるか、その身でわからせてやります」


 そう言って僕の横に立った由梨ちゃんは、殺気のこもった眼光をオークたちに向ける。


 ――けどな、由梨ちゃん。


 どんな理屈があっても、どんな許せない事情があっても、他者の命を奪うことだけは、やっちゃダメだ。


 彼女の肩に手を置き、僕は言う。


「由梨ちゃんに手を汚させるわけにはいかない。絶対にだ。代わりに僕が連中をこらしめてみせるから、君は連中の身動きだけを封じてほしいんだ」


「何を言ってるんですか? こんな生き物、生かしておく価値なんて無いです! 魔族は人類の、全世界の敵なんです!」


「それは昔の話だ。今じゃない。世の中は変わっていくものなんだよ。僕たちは、それに合わせて対応していく必要があるんだ」


「――おじさん?」


 由梨ちゃんは僕の表情に、そして僕の眼差しに何を思ったか、殺気で光っていた瞳を伏せた。


 よ、良かったぁ! 必死こいて真剣な顔して語ったら言うこと聞いてくれたぁ!


「大丈夫。動きだけを止めてくれたら、あとは僕に任せて。信じてくれ」


 と、僕は眉宇を引き締めてお願いする。いかんいかん。危うく表情が弛むところだった。


「――わ、わかりました。では、1割くらいの力で行きます」


 由梨ちゃんはそう言って重心を深く落とし、地を蹴った。


 その後の、一方的で驚異的で圧倒的な彼女の立ち回りは速すぎて、目で追いきれなかった。老眼かな?


 オークたちの可哀そうな悲鳴が何回か聞こえたから、戦いにすらならない【作業】が行われた模様だ。


 由梨ちゃんが移動する度に巻き起こる旋風で目が乾きそうになって瞬きを何回かやり終えたら、ワイヤーでぐるぐる巻きにされ、ひとまとまりに座らされた3人のオークが真っ青な顔をして由梨ちゃんを見上げてた。


 ものの3秒ってところだ。


「――支配だかなんだか知りませんけどね?」


 僕は金貨5枚相当の酒――じゃなくて醤油(キッ〇ーマン・1リットル入り)のキャップを開け、ガタイのいいオークの目の前にしゃがむ。


「一方的に他人に何かを強いると、こうやって自分に返ってくるんです。おわかりですか?」


「あ、ああ。わ、わかった……」


 力の差を思い知ったのか、ガタイのいいオークは先ほどの威勢をすっかり失くしている。


「わかったならいいでしょう。手打ちとして、このお酒を少しだけ飲ませてあげます」


 営業スマイルを見せ僕は醤油入りのボトルをオークの口へと運ぶ。


「な、なんだかしょっぱい匂いがするんだが――」


「おら飲めやぁッ!!」


 僕は腹の内に溜めていた怒りをここで爆発させた。今の僕の目は白目を剥いて、鬼みたいに吊り上がっているだろう。


「ぶぅうッ!?!?!?」


 想像だにしない、味覚への凄まじい刺激がそのまま脳へと突き刺さっていることだろう。ガタイのいいオークは呻き、痙攣する。


「ぶべばぶごぶごごごごっ!?!?!?」


 堪らずに噴き出したところへ、僕は容赦なく醤油を再挿入する。


「ぶわーッはッはッはッは!! 苦しかろう! 苦しかろう! 僕を豚呼ばわりした罰じゃ! 罰じゃあああああああッ!!」


「バツじゃー」


 このお仕置きの概念を理解してか知らずか、キノコたちも真似してる。


 僕はこの作業工程を、台詞までそっくりそのままに、挿入する口を変えてもう2回繰り返した。


 数分後、もはや魂が塩分漬けになったであろうオークたちは涙と醤油に塗れた顔で失神。由梨ちゃんがワイヤーでの拘束を解いてもピクリとも動かなくなっていた。


 これも立派な無力化だ。長期保存に役立つ醤油を丸々一本使ったとはいえ、それでみんなが助かったんだ。儲けものさ。


 一応懲らしめたわけだし、由梨ちゃんも納得してくれるだろう。


「由梨ちゃん。武器を使わなくても、血を流さなくても、事を済ませる方法はあるんだぜ?」


 と、僕は穏やかに言う。


「……そう、ですね。なんだか逆に気の毒に思えてきました」


 小さく頷く由梨ちゃんの顔からは、すっかり殺気が取り除かれていた。


「やっぱり、君はそっちの方が似合うよ」


「え?」


「なんでもない」


「――あんたら、仲間を助けてくれてありがとな! なんてお礼を言ったらいいのか、他に言葉が見つからねぇよぉ」


 オークたちのカゴが先の乱闘で倒れており、中からぴょんぴょん跳ねて出てきたキノコたちを見て、一号が湿り気を帯びた声で言う。


「いえ。当然のことをしただけです」


 僕がキノコたちに水を分け与えている横で、胸ポケットから一号をそっと取り出した由梨ちゃんは、彼か彼女かわからない一号の傘を優しく撫でる。


「わーい」


「自由だ」


「まだ生きられる」


 他のキノコたちも口々に喜びを歌う。


「――オレたちは非力だから、先祖代々、採られたら最後と諦める考えが染みついちまってた。食べられて養分になるのもまた一興ってな。けど、あんたらに出会って、違った価値観もありだなって思ったぜ」


 と、一号の声色も、嬉しそうなものへと変わる。


「僕も、自分の人生をずっと諦めながら生きてきたから、気持ちはわかるよ」


「あんたは【おじさん】って名前だったか? おじさんもいろいろあったんだなぁ」


「僕の名前、兜守って言うんだ」


「コモリ?」


「そう。兜守」


「じゃあ、嬢ちゃんは、ユリか?」


「はい。由梨です」


 一号の問いに僕たちが名乗ると、他のキノコたちが、


「ユリ、ユリ」


「コモリ、コモリ」


 名前を覚えようとしてくれているのか、何度も何度も、僕たちの名前を口にする。


「名前って、なんだかいいもんだな」


 ふと、一号は言って、仲間たちを振り返る。


「オレたちも、名前をつけるか!」


「うん」


「なまえ」


「つけたい」


 どうやら、キノコたちは名前という概念を気に入ったらしい。


 名前があった方がお互いをスムーズに認識できるし、なにかと便利だよな。


「――なんだか、彼らに良い貢献ができた気がするな」


「ですね」


 僕と由梨ちゃんは、楽しそうにぴょんぴょん跳ねるキノコたちを眺める。


 …………。


 ……て、ここであまりゆっくりはできないんだった!


 早いとこ最初の目的地――ドワーフの洞窟に行かないと!


 なぜって、これはあくまで異世界レース! 制限時間があるんだ。そして順位はともかく、制限時間が切れる前に、定められたチェックポイントの場所へ到達しないと、その場で失格になって、レースを続けられなくなってしまう!


「由梨ちゃん、そろそろ行かないと」


 僕が言い、はっとする由梨ちゃん。


「そうでした!」


「ん? 兜守に由梨。どうしたんだ?」


 一号が由梨ちゃんの掌で身を捻った。今度はたぶん、僕たちの方を向いたんだな。


「僕たちは旅をしていてね。先を急がなくちゃならないんだ。これからドワーフの洞窟に行きたいんだけど、どっちへ行ったらいいかわかる?」


「ドワーフの洞窟は、この森を北西へ抜けて、川を越えた先にあるって聞いたことがあるな」


 一号が答えると、


「コモリとユリ、もういなくなる?」


「これが別れというものか」


「なんだか、寂しい」


 キノコたちがそんな声を上げる。


「――わたしも寂しいですが、使命を果たさなければいけないんです」


 由梨ちゃんが一号を地面にそっと降ろし、目元を拭う。


 うう、なんだか涙腺に来るものがあるよこれ。


 本当に極短い間だったけど、このキノコたちは可愛い、良い連中だよ。


「――お前ら、何を言ってやがる。こうやってオレたちは生き永らえたんだ。食われる運命ががらりと変わった。なら、オレたちがコモリとユリに再会することだってあるかもしれないだろ? それにな――」


 一号はまた身を捻った。今度はどっちを向いたの?


「オレたちはまだ二人に、恩返しをしていないんだ。いつかまた会って、そのときにしっかり返そうぜ!」


「いつかまた会う」


「おんがえしする」


「やくそくする」


 僕たちの前に集まったキノコたちがみんな、僕たちを見上げているように見えた。


「ああ。いつかまた会おう! それこそ、レースの後にでもね!」


 僕は言った。


 そうだ、これは別に一生のお別れなんかじゃない。


 やることやって、また会いにくればいいんだ。


「コモリ、ユリ。この先もし、なにか困ったことがあったら、オレたちにできることならいつでも協力するからな! いつでもだぜ?」


 と、一号は言い、仲間たちの下へ加わる。


「ありがとうございます。――また会うときまで、元気でいてください」


 由梨ちゃんの言葉を最後に、僕たちは出発した。


 目指すは北西。ドワーフ族が暮らす洞窟。


「――可愛い子たちでした。あんな生き物に出会えるなんて、なんだか幸せな気持ちです」


 道中、由梨ちゃんはそう話していた。


 1時間ほど歩いたときだった。僕たちはまた木々が開けた場所に出たと思ったら、そこに無数の木の残骸が広がっているじゃないか!


 それだけじゃない。何十人ものオークたちが目をグルグル回して気絶している。


 何事かが起きたに違いないと思って様子を観察すると、その残骸はどうやら木製の家であるように見受けられた。


 そこで僕らは、残骸を漁る人影を発見。


 意識のあるオークかと思って警戒したけど、よく見るとその人物は――。


「あんた、アズロットだよな?」


 忘れようのない、インパクトのあるワイルドな肉体。


 アズロット・アールマティその人だった。







お読みいただき、ありがとうございます。

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