兜守編 4月10日 その1 帰りたい
カジュアルとかいうわけのわからん女が上がり込んできて人生が暴落してから、僕は空いた時間で遺書を認めた。
『婆ちゃんへ。今までお世話になりました。末永く元気でいてください。僕がくたばったら、火葬の際は僕の部屋にあるPCと、【厳選】ってテプラが貼ってある引き出しの中の薄い本全部を一緒に焼いて下さい。で、僕の遺骨は秋葉原のラジオ会館前と、ビックサイトのエントランスホールと、故郷千葉県の千葉中央区の道端と、あとドライブでよく行った首都高の芝浦パーキングと静岡の芦ノ湖スカイラインにある富士山がよく見えるちょっとしたパーキングにそれぞれ小分けして撒いて下さい。パーキングの名前は知りません。手間ですみませんが、僕は一にして全。全にして一なのです』
僕は遺言を記した紙を封筒に入れて父方の祖母へ送った。
そうしてサバイバル生活に向けた申し訳程度の基礎訓練期間が過ぎ、レース当日。
「自分のステータスを確認するための簡単なステップウゥゥ~♪」
「このステップ通りに携帯を操作して、自分のステータスを確認! ダンジョンや街の散策、狩りや異種族との交流といった異世界での冒険を動画配信することで、視聴者のあなたへの評価が上がります!」
「頑張ってステータスを向上させて、フォロワーを増やそう! 評価される度に、≪いいねポイント≫がもらえるよ♪」
「≪いいねポイント≫は、実行委員会が用意した様々な支援物資と交換できます! 冒険の旅がより捗ります!」
「見事レースを勝ち抜き、たくさんの宝物を手に入れよう♪」
確か、異世界レースの宣伝大使を務める二人組の美少女アイドルがそんな感じで説明してたっけ。
カジュアルが部屋に現れた日から二週間のサバイバル訓練を受けた僕は、レースの舞台となる異世界――【スラジャンデ】へと向かう揚陸艦の甲板で、アイドル達が言っていたステップを思い出しながら携帯を操作。
レース実行委員会の公式サイトから、参加者全員のステータスが記載されたページを開き、自分の名前を検索する。
・レース参加者登録No.427
・氏名:家内兜守
・年齢:34歳
・種族:人間
・趣味:アニメ鑑賞、動画鑑賞、晩酌
・能力:無能
・戦闘力(予測):0
・SNSフォロワー数:0
・所持ポイント:0
・所持品:標準装備がこれから支給される予定
・状況:レース開始直前。第七艦隊新鋭揚陸艦「アジズ・ベネット・エンリケス」に乗船中。
・レースへの意気込み:「帰りたい」
このステータスはSNSと相互にリンクしていて、僕をフォローしてくれた人(まだ誰もいないけどね)が閲覧できるようになっている。ステータスを編集できるのは委員会のみ。
僕たち参加者が何か行動を起こして、それがフォロワーから評価されると、委員会が察知してステータスが更新される仕組み。
ちなみに今のステータスは初期状態だから、レース実行委員会の人から受けた事前アンケートに口頭で答えたことがそのままデフォルトで書かれている。
無能とかってひどい書かれようだけど事実なんだよな。先が思いやられるわ。
「――おじさん、カメラが回ったら手を振るんだそうです」
隣に立つ由梨ちゃんが言った。彼女の紅い瞳と目が合う。最初はカラコンかと思ったけど生まれつき紅いらしい。
「あ、ああ。わかった」
甲板に集合した僕たちの前で、レース実行委員会の人がスピーカーで≪演出≫について説明しているところだった。
レースを盛り上げるための特別番組が、これから世界に向けて生配信されるのだ。
「――恐いですか?」
と、由梨ちゃんが僕を見る。
「恐い。帰りたい。冒険とかいいから家でゆっくりアニメ見てたい」
「そんな情けないこと言わないでください。人類の希望はおじさんだけなんですから」
そんなオーバーな。
「チビで引きこもりでデブのアラサーおじさんには荷が重すぎだよ。どこにあるかもわからん【聖剣の欠片】を全部集めるなんて……」
「初期装備には歴代の勇者の末裔が書き記したものをまとめた地図が入ってますから、それを基に旅をしてヒントを探しましょう。わたしがサポートします。不本意ですが」
一言多くない?
これから一攫千金を夢見て大冒険に繰り出すわけだから、周りにいる他の参加者たちはみんなやる気ハツラツ、意気揚々といった感じのオーラ。それと違って、僕たち二人は訳ありの参加者だからスーパードライ。
「魔王がいないってだけで、場所によっては魔物が出たりするんだもんな……」
カジュアルからそう聞いて以来、ネット上でもそういった不穏な噂を目にした僕は、この数日間寝つきが悪くて仕方なかった。
「そこのおっさん、ちょっとどいてくれるか? 異世界の大陸ってのを直に見たいんだ」
今度は後ろから声がしたので振り向くと、そこには全長2メートルはあろうかという大男が立っていた。
「す、すみません」
大男の筋骨隆々な身体にビビりつつ、僕は場所を空ける。
「――ん? もしかしてあんたが、……あー、ヒキコモリって言ったか?」
と、大男は僕の顔を覗き込んできた。
「家内兜守です……」
いきなり何なんだ。
「ああ、それだ! 失礼したな」
「ぼ、僕に何か御用でしょうか?」
どういうわけか、僕のことを知っているみたいだ。レース実行委員会のサイトから僕のステータスを見掛けたのかな? あんな中身の無いステータスに注目する理由なんて無くね?
「いや、……その、すまねぇな」
と、参加者たちの間を大股でズンズン歩いていくよくわからん大男の名前は確か、アズロット。このレースの事前投票で優勝候補に上がってる人物だ。
ライオンのたてがみみたいな黒い長髪に精悍な顔立ち。
黒いブーツに黒いズボン。ムキムキの上半身に半袖の黒いジャケットを羽織っている。なんてワイルドなんだ……。
「史上初の一大イベント・異世界レース実行委員会がお送りしております! ご覧ください! 総勢1000人の参加者が甲板に集まっています! 彼らが揚陸艇に乗って、100年ぶりの異世界【スラジャンデ】の広大な大陸に上陸するまで30分を切りました!」
どこからともなく飛んできたドローンに向かって、番組の司会者がマイクを片手に僕たちを紹介し始めた。よく見ると、ドローンには中継用のカメラと思しきものがついている。
僕たちは事前の説明通りに手を振る。
「今最前列にやってきた大男の名前はアズロット・アールマティ! 【優勝しそうな人ランキング】で1位にランクインした、凄腕の便利屋! 彼はなんと、かつての勇者一行の一人、ジェシカ・アールマティの息子です! 一体何歳なんだと思うかもしれませんが、残念ながら年齢は本人もわからないそうです! レースへの意気込みを聞いてみましょう!」
「ん? 特にないぜ。それよりちょっとどいてくれないか? 大陸を見させてくれ」
司会者がマイクを向けると、煩わしそうに遠くを見るアズロット。なんとも自由人な印象だ。
「そこでカメラに手を振るメタリックなお姉さんは、ランキング2位! アメリカ国防長官の娘にして天才発明家・アイアンレディこと、シーズ・ヴァンシタート! 得意の発明で造ったパワードスーツを装着しての参加です! 彼女はなんと、あのナノ・サプリメントの開発者でもあるんです!」
さっきから目立ちまくってるオレンジ色のアイアン〇ンみたいな格好をした美少女が、ブロンドの長髪を風に靡かせ、マイクに向かって明るい生一本な声で答える。
「みんな、ハロー! ご紹介に預かったシーズよ。あたしが開発したナノ・サプリメントの効果はどう? みんなが飲んだ錠剤に含まれたナノマシンが脳に作用して、どの言語も自動翻訳してくれてるの! これで異世界の人たちとの交流もばっちりよ!」
この前、世界的に普及したナノ・サプリメント。飲んで体内に入れたナノマシンが、自動翻訳を始めとしていろいろな効果を発揮するやつなんだが、まさかこんな若い子が作ってたなんて!
司会者は続けて、レースへの意気込みをシーズに尋ねた。
「あたしは今回のレースに大きな可能性を見出してるわ。けど、あたしにとっては勝ち負けよりも、勇者の伝承に書かれた鉱石を手に入れることが大切なの。その鉱石の正体は、あたしのYOOTUBEチャンネルを応援してくれてる人たちに一番早く教えてあげるから、みんなチャンネル登録よろしくね!」
甲板に設置された巨大モニターに、番組のスタジオの映像が中継されており、スタジオに集まった芸能人たちと観客が揃って拍手する。
「それとね、今回あたしが造ったこのパワードスーツも凄いのよ? 飛べちゃうんだから!」
なにかと欲しがりな性分なのか、自分からドローン・カメラの方へと近づいていくシーズ。
彼女は女優みたいに整った白い顔を金属製と思しきマスクで覆うと、両足の下にあるブースターを点火。その場で2メートルくらいの高さまで上昇してみせた。
甲板からもスタジオからも歓声が上がる。
空を飛ぶとか、レース的にどうなんだ? とてつもなくヘイトを買いそうだけど……。
「――あら?」
と、シーズの声がマスクを通してメカニカルに聞こえてきた。何かが起こったらしく自分の足を見下ろしている。
次の瞬間、ブースターが大噴射。空高く飛び上がったシーズは制御を失ってぐるんぐるんと輪を描き出した。
「嘘!? どうしたっていうの!?」
と、シーズの困惑の声。
「おっと! トラブルでしょうか? 演出でしょうか? シーズが空で渦を描いています!」
司会者の声に合わせて、ドローン・カメラが向きを変えてシーズを映す。
「いやああああああっ! 操作がきかないいいいいいいいいいいいいいっ!!」
悲痛な叫びを残し、シーズは高速で飛び去って行く。大陸――【スラジャンデ】の方へ。
「大変です! シーズが文字通りのフライングスタートを切りました! 大会ルールに則り、彼女には後ほど委員会からペナルティが課せられることになります!」
何が起きるかわからない、危険を伴う史上初のレースイベントとだけあって、運営する側はこの程度のアクシデントでは全く動じないらしい。
キラーン。
大陸の上空で何かが光った。シーズが星になったみたいだ。
「オレンジの嬢ちゃん、大陸に真っ逆さまに落ちていきやがったぜ……」
前の方からアズロットの声がした。かなりの視力をお持ちのようだ。
「――それでは参加者のみなさん! 上陸用舟艇に乗り込むお時間です!」
司会者の進行に合わせて、アメリカの海兵隊の皆さんが僕たちを誘導。
僕たちが乗り込んだのは、エアークッション型と言われる、船の底に空気を噴射して浮き上がるタイプの上陸用の船。確か、ホバークラフトとかって商標名だった気がする。
一隻につき乗員は二十人くらい。それがこの大規模な揚陸艦の集団から全部で二十五隻出る。
前方に広がる広大な大陸――異世界【スラジャンデ】へ。
「【スラジャンデ】の午前9時現在の気温は23度。南南西の風がゆるやかに吹いています! 天気は快晴! 人類史上初となる大規模レースを始めるにふさわしい天気です!」
船のスピーカーから、司会者の声が僕たちに届けられる。
レースの参加者は第一波、第二波に分かれて異世界【スラジャンデ】に上陸する。聞いた話によると事前投票とフォロワーの数によって、第一波と第二波に分けられてるっぽい。
第一波がフォロワー数が多くて事前投票で優勝しそうな人ランキング上位にランクインした人からなる集団。第二波は望みの薄い組。
レーススタートは【スラジャンデ】の大陸に上陸した瞬間。つまり第一波が先にスタートできるという格差が生まれている。いいのかよそれで。
ちなみに僕は第一波の組にいる。勇者の末裔ってことを伏せているからSNSのフォロワーはゼロ。これだと当然、望みの薄い組だ。なのにどうして第一波の組にいるかというと、僕の護衛役であり相方である由梨ちゃんの人気が高いから。あと多分あの悪魔女・カジュアルの計らいもあるだろう。
「今船の中から笑顔で手を振っているのは、優勝しそうな人ランキング10位! 早馬の貴公子、ルシフェイス・ルイン! 大手不動産企業ルイングループCEOの一人息子! 超絶なハンサム!」
「HAHAHA! みんなよろしく! ボクの活躍を楽しみにしていてくれ!」
上空のドローンに向かって、テノール調の歌うような声で、深い緑色をした髪の男が言った。スラリとした体格で、ハリウッドスターかと思うほどの美形男子。白いシャツに黒いベスト、黒いデニムに茶色いブーツというカウボーイみたいな格好がキマってる。まさに勝ち組の権化ってオーラが漂ってるうえ、僕らが乗る船の後方で、彼ひとりだけ馬に跨って超絶目立ってる。既にたくさんのフォロワーといいねポイントを持っているらしく、ポイントと交換という形で早馬を手に入れたんだとか。そういうのもありらしい。
さっきアイアンレディのパワードスーツを見ちゃったから驚きのレベルでは劣るけど、少なくとも馬は故障したりしない。
上下左右に大きく揺れる上陸用舟艇は乗り心地がかなり悪く、20分ほど続いた航行は三半規管の弱い僕には地獄だった。
こうして僕らはついに、一大レースイベントの舞台――異世界【スラジャンデ】の海岸へと到着。
船の前方に備わる扉が下りて、乗った人がスムーズに降りるための斜面を形成すると同時に、参加者の第一波が一斉に飛び出す。
「異世界レース、スタートですッ!!」
そんなアナウンスも耳に入らないくらい、みんな喜び勇んで大陸の奥目指して進んでいく。前方に広がる砂浜を数十メートル行くと少し急な丘になっており、一面に草が生えているのが見える。その先の様子は丘を登らないとわからない。
「――うおぉッ!」
斜面を降りる途中で、僕はさっそく運動神経の無さを発揮。船酔いでふらついてしまったことも重なって無様に顔面からズッコケた。
「おじさん! しっかり!」
由梨ちゃんが慌てて僕を助け起こす。情けないところを空中のドローンに撮られちゃってるよ。
「――やれやれ。これだから劣等遺伝子は目に毒なんだ」
背後からパカパカというヒヅメの音と一緒に、テノール調の美声がした。
由梨ちゃんに助け起こされつつの僕が見上げると、馬に跨るルシフェイスが見下ろしてた。
「貴様のようなふしだらで育ちの悪そうな人間はね、そうして地べたを這い回っているのが似合いさ。道を開けたまえ」
と、イケメンは嘲笑まじりの視線を寄越す。
ああ、僕はここでもこうなるのか。
「――すみません」
僕は由梨ちゃんを庇うようにしてその場から立ち退く。
僕は昔からこうだった。人間としてのスペック――そのカーストトップにいるような連中からゴミみたな扱いをされてきたんだ。学生の頃からなにも変わらない。
「あ、あの! それは少しだけ言い過ぎでは?」
傍らの由梨ちゃんが言った。少しだけなんだ。
「ん? 君はそこの劣等遺伝子と同じなのかい? そうは見えない顔立ちをしているけど――?」
と、何一つ悪びれる様子のないルシフェイス。
「人を見た目だけで判断するなんてひどいです。謝ってください!」
あの一言多い由梨ちゃんが、僕のために怒ってくれている。馬に乗った年上の、それもなんだか強そうなオーラを出してる男に対して物申すなんて、僕には到底無理だ……。
「逆だよ、小娘。人を見た目で見抜けないお人好しはね、劣等遺伝子に引っ張られて一緒に沈んでいくのさ。貧乏で不成功の底なし沼にね。わかったらその生意気な口は慎みたまえ。さもないと、ボクの貴重な時間を数十秒無駄にさせた報いを受けさせるぞ?」
こいつ、なんて口の利き方だ。僕より若いとはいえ、二十代のいい大人でしょうに。
「――由梨ちゃん、いいから」
僕は口を引き結んで、その場を離れる。
そうさ。いつだって僕はこうして回避してきた。
苦しいのは、抗おうとするから。
「HAHAHA! レースは出だしが肝心! 馬を持参してよかったというものだ! 今からボクの快進撃をお見せしよう!」
カメラを意識した高らかな物言いでルシフェイスは颯爽と馬を走らせ、あっという間に丘の上へと行ってしまった。
見掛けによらずとんでもない性悪野郎だったな。
「ごめんね、由梨ちゃん。なるべく転ばないように気をつけるから」
「どうしておじさんが謝るんですか?」
由梨ちゃんの声のトーンが下がった!
「あの人、おじさんのこと馬鹿にしたんですよ?」
「い、いや、僕って昔からこうだからさ。その、もう慣れてるから、あれでいいんだよ。おとなしく引き下がるのは、大人の世界で必要な処世術の一つさ」
「っ! ……」
なんだか無言の気まずい空気になっちまった。
「と、とりあえず進もう?」
と、僕が堪らなくなって歩き出したときだった。
「うわああああああああああああッ!?」
「ぎゃああああああああああああッ!?」
前方の丘――その向こう側から、大勢の悲鳴が聞こえてきた。
それだけじゃない。
「グォオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」
聞いたこともない、まるで獰猛な獣が吠えるような、恐怖と迫力を伴う声が響いてくる!
「な、なんだ!?」
思わずその場に伏せる僕の前で、
「おじさんはそのまま動かないでください!」
鋭い目つきになった由梨ちゃんが仁王立ちする。
なんだ? この空気――。
由梨ちゃんがもの凄く警戒してる。
吠え声の正体は、先を急いでいた参加者たちがこぞって丘を乗り越え、海岸に逆戻りして来るのと同時に現れた。
砂浜全体に微震が走る。
丘の地平線から、大きな影が立ち上がる。
黒い巨体。たくましい手足に長い胴体。背に生えた棘のような突起は不気味な紫色に光っている。
デカイ顔はお怒りなのか、眉間に深い皺。噛まれたら痛いどころじゃなさそうな紫色の牙を剝き出しにしてる。
「主食はムラサキイモか?」
あまりにもぶっ飛んだ状況がいきなり訪れたものだから呆けたようなことを言っちゃった。
「ちょっとなに言ってるのかよくわからないです!」
由梨ちゃんがピシャリと言った。
恐竜が、丘を越えて砂浜へとその巨体を推し進めてきたのだった。
お読みいただき、ありがとうございます。
続きが気になると思っていただけましたら、ブックマークや評価をぜひお願いします。
評価はこのページの下側にある【☆☆☆☆☆】をタップすればできます