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行間 4月13日 ルシフェイス 


 どうしてだ……?


 どうして家内(いえのうち)は、心が折れることなく前進しようとする?


 あんなに恵まれない人生を歩んできたというのに。負け犬の道しか用意されていないというのに。


 家内は、恥や絶望という概念を知らないのか? だからどんなにボロボロになっても、どんなに貶されても、どんなに無謀でも、歩みを止めないのか?


 ボクにはわからない。理解できない。


 恥を掻くくらいなら、もっと念入りに準備するべきだ。


 絶望するしかないほどに無謀な道のりなら、自分が戦うことのできる別の道を探すべきだ。


 なのに、奴はどうしてそれをしない? どうして自分が不利なフィールドで戦おうとする?


 そんな、馬鹿としかいいようのない男が、どうしてあれほどの実力者たちに囲まれている?


 ボクを苛むこの感情はなんだ? この気分の沈みはなんだ?


『僕がお前の立場なら、ここで見捨てられるのは嫌だ。だって、もうそこでレース終了だからな。そしてそれをわかっていて見捨てる選択をするなんてこと、僕にはできない。将来の僕自身が、今の僕の選択を後悔しないようにしたい。……そう思っただけだ』


 奴は、そんなことを言っていた。


 将来の自分が後悔しないための選択をする、と。


「――どうして、ボクと同じ志を、奴が持っているんだよ……?」


 思わず呟いた。


 同じ志を持ちながら、ボクは奴に、散々酷いことをした。嘘の情報を流して貶めた。これではまるで、奴が白、ボクが黒じゃないか!


 同じ志を持っているのに、どうしてそんなに不憫なんだよ。どうしてそんなに報われないんだよ。


 ボクはあらゆる要素に恵まれ、あらゆるものを勝ち取ってきた。そうして証明したかった。


 あらゆる要素が噛み合い、そこで更にボクという人間の志が噛み合ってこそ、世界一の成功者たり得たのだと。


 でもこれじゃ、成功者に志は関係ないってことじゃないか。


 家柄や環境や運といった、一人の人間の個性を無視した要素の方が重要ってことじゃないか。


 素晴らしい志を持っていようと、他のすべての要素に恵まれなければ、成功者にはなれないってことじゃないか。


 海岸で家内を見たとき、こんな人間にはなりたくないと思った。比べてしまったことを馬鹿馬鹿しいと思った。


 ボクはそうして奴を散々に見下して貶めておきながら、レースで助けられた。


 もし逆の立場だったら、ボクはどうしただろうか?


 あらゆる要素の恵みをバネにして志を貫いては来たが、その恵みのバネを一切なしにして、奴と同じ人生を歩み、同じ扱いを受けたあとで、奴と同じことができるだろうか?


 努力しても全く報われない理不尽な現実に耐えられるだろうか?


 自信がない。これほどに自信というものを意識したことは今まで無かった。自信はあって当たり前だったからだ。


 お前はボクだ、家内。あらゆる要素に恵まれなかった、丸腰のボクだ。


 最悪の世界線を歩んでしまったボクなんだ。


 そんな自分に、ボクは救われた。


 何一つ恵まれなかった人間が、すべてにおいて恵まれた人間を上回った現実。


 ボクは奴に、そして奴が織りなすチームに負けた。


 最悪なはずの自分に負けたんだ。


 なら、今のボクはなんだ?


「――っ!」


 言葉にならない何かが全身を駆け巡り、背筋が凍り付いたような気がした。


「…………」


 ……そうか。今のボクを支配するこの感情は、恐怖だ。自分を見失いかけている恐怖。


「――くそ、せっかく首の皮がつながったというのに!」


 【レフモケ】のメインストリートから外れて路地へ入ったボクは、石造りの家の壁に拳を打ち付けた。


 焼けるような、皮膚が削られたような痛みが走る。


 痛みに耐えるボクがふと、路地の先でぶつかる通りを見遣ると、見知った人物が何者かに担がれて通り過ぎた。


「――今のは!?」


 あの丸みを帯びた身体は間違いなく、兜守の奴だ。昨日城壁の側で別れてからこの一日でなにが起こればあんな状態になるんだ!?


「…………」


 ボクは尚もジンジンと痛む拳を見つめる。


 借りは昨日、堀を越えるときに返した。何を心配する必要がある? 今は明日の第二レースに向けて物資の調達をするんだ。


 自分にそう言い聞かせたが、しかしボクは前方を横切る通りに意識を引かれる。


 奴は、――家内は、何かトラブルにでも巻き込まれたんじゃないのか?


 家内だぞ? あの散々な家内だ。最悪な自分だ。


 最悪の自分に負けたボクはなんだ?


 敗者か?


 なら、その最悪の自分を見捨てたら、ボクは敗者でもなくなるのではないか?


「――そこのアンタ。壁なんて殴ってどうしたっていうんだい?」


 不意に、狭い路地の脇から声がした。


 今まで全く気付かなかったが、ボクの斜め後ろ3メートルほどの場所に、小さな絨毯を敷いて座るローブ姿の獣人がいた。


 短く刈り揃えられた紫の毛並が美しい猫頭(ねこあたま)の獣人で、皺の寄った顔と声から、人間で言うところの老婆であると知った。


「いえ、その、なんでもありませんよ」


 ボクは数多の会食やパーティーで身に着けた営業スマイルと爽やかな発声で、清々しいオーラを纏って答えた。


「なんでもない奴がブツブツ独り言しながら壁殴ったりするもんかい。――なにも取ったりせんから、ちょっと来な」


 参った。本来のボクならば華麗なスルースキルで難なく切り抜けられるのに、猫の獣人が放つ包み込むようなオーラには何故か抵抗できず、彼女が座る正面に片膝をついてしまう。


「ボクになにかご用ですか?」


 と、白い歯がキラリと光る範囲まで口角を上げる。


「そんな演技はいらないよ。アンタが疲れるだけだろう。アタシャこの街で相談屋をやっていてね。他人が考えていることが、そいつのオーラの色と明るさ、そして匂いで()って大体わかるんだ」


 これは、この老婆の異能だろうか?


「――ということは、ボクが今考えていたこともわかると?」


 営業スマイルを解いて、ボクは聞いた。きっと今のボクはさきほどとは印象がガラリと変わり、クールでハンサムな俳優のような表情をキメているだろう。


「そうさね。アンタは昔のアタシと同じだよ。アタシャその昔、ドワーフ族の鉱山に旅行に行ってね、そこでとてもレアな鉱石を掘り当てたのさ。記念に頂いてきて、それをこの街で売り捌いたら家が建ったもんだからすっかり舞い上がって、自分は勝ち組だなんて思っちまってね、周りの人たちを見下していた時期があるのさ。今のアンタは、その時の愚かなアタシと全く同じだよ。他人を見下して、そしてそれに気付いて、苦労しているね?」


 ズバズバと、つっかえることなく話す老婆の言うことは、すべて正しかった。


 何かトリックを使っているような素振りもないから、きっと本物(、、)だ。


「――貴方はそのとき、自分を見失いましたか?」


「見失ってはいないが、自分を恥ずかしいと思ったね。周りにもそれとなく伝わっていて、嫌われもしたし、自分を責めもしたさ」


 いいかい? と老婆は続ける。


「誰かを見下したり、自分を慢心したりするとね、いつか必ず自分に傷となって返ってくるんだ。アンタはそれに自分で気付いてるんだろう? でもプライドが高いね。自分で気付いたものを、どうにかして変化させていかない限り、アンタの道はそこで終わりさね」


「ボクの道が、途切れるのか?」


「既に一度、途切れただろう? それを繋いでくれたのは誰だい?」


 いったいこの老婆はどこまでわかるんだ?


「――それが誰なのかまではアタシにもわからないけど、今のがヒントになるんじゃないかい? アンタ、今(ちまた)で噂のレースの参加者だろう? 先を急いでるところ悪かったね。どうも昔のアタシを見とるようで、放ってはおけなかったのさ。アタシからの応援サービスってことにしておくれ」


「……ありがとう、婆さん。勉強させてもらったよ」


 ボクは言って、立ち上がり、前進する。先ほどの奴が横切った通りへ出る。


 今度はボクが一方的に、奴を救ってやる。そうして、ボクはボクになる。奴とは違うことを証明してやるんだ。


「しまった、遅かったか」


 そう距離は離れていないはずだが、早くも見失ってしまった。土地勘がない場所での捜索は困難だ。


 何事も無ければいいが――。


 仕方なく辺りの建物を調べて回るボクだったが、十分ほど経ったとき、空を巨大な何かが横切った。


 不安感を煽るような風の音がしたと思ってふと空を見ると、蝙蝠のような翼を広げた黒い何かが、低空で飛んでいたのだ。次の瞬間、耳を打ち震わせる轟音が一帯に響き渡る。方々から住人たちの悲鳴が聞こえてきた。


「――なんだ!?」


 同時に起きた微震に警戒心を強める。


 ボクはいつでも異能を発動できるよう身構えながら狭い路地を進む。


「――あとでラインしますから!」


 聞き覚えのある少女の声がした。近いぞ。


 ラインだと? まるで出かけ先でちょっと別行動を取るようなノリだ。ということは大したことはなくて、ボクの気にし過ぎか?


 そう思った瞬間、空を再び何かが横切る。今度はその姿を明確に捉えた。


 獰猛さを思わせる(わに)のような頭。長い首に、逞しい肢体。


「ドラゴンだ! ドラゴンが出たぞ!!」


 住人たちが叫ぶ。


 ボクはそのドラゴンの足が捕まえている人影に気付き、驚愕する。


「――宵隠(よいがくれ)じゃないかッ!! あとでラインしますからって……ッ!?」

 

 落ち着け。動揺するな! 


 ボクは深呼吸する。家内はもしかすると、今ドラゴンが飛び立った場所にいるかもしれない。


「――ああもうッ!! なにが何だかわけがわらからん! なにドラゴンに仲間さらわれてるんだよ家内!!」


 間違いなくただ事ではない何かが起きていた。


 あの男は、不幸を呼び寄せる男なんじゃないのか!? 


果実大木の大収穫(ストロベリームーン)!」


 ボクは異能を発動。地面から全長5メートルほどある根っこを生やし、その根っこに、更に複数の木の種を掴ませる。


 ドラゴンは巨体のためか、飛行速度がまだ十分に出ていない。これから羽ばたくごとに加速するのだろうが、まだいけるはずだ!


「――届いてくれよ!?」


 ボクは全神経を集中してドラゴンに狙いを定め、その根っこを大きくしならせ、反動をつけてスナップを利かせた投擲を見舞った。


 勢いよく放たれた複数の木の種――その内の一つが、目測100メートル強――尚も離れ続けるドラゴンの巨体に命中。うまい具合に張り付いた。


 ボクは自分が生みだした植物の位置を正確に把握できる。手元を離れた植物が実体化していられるのは5分間。つまり今ドラゴンに張り付いた木の種は、ボクがその位置を把握し続けることで発信機の役割を果たす。これで5分間は、ドラゴンがどこへ向かったのかを追えるぞ!


「どうだ家内。あとでボクの能力に驚くがいい! HAHAHAHAHAッ!!」


 調子が出てきたボクは走り続け、路地の角を曲がり、無残に破壊された建物を発見。まるで竜巻一過だ。恐らくはあのドラゴンがここにあった建物を壊し、中にいた宵隠を攫ったんだ。


 奴もここだな!


「――ど、どうにかしてドラゴンを倒して欲しいロブゥウウ!! これ以上犠牲が出る前にィイイ!!」


 どうやら地下室で難を逃れたらしい。エビみたいな姿をした二足歩行の生き物が、これまた二足歩行のブタみたいな姿をした獣人に支えられ、階段を上がってきた。――エビも獣人って解釈でいいのだろうか?


 彼らの後に続いて、兜守のやつが何やら電話でわめきながら出てきた。


「も、もしもしシーズ!? 僕だよ、僕僕っ!! え!? 僕僕詐欺じゃなくて、僕だって! 家内兜守! ちょっと助けて欲しいんだけど!!」


 そして最後にアズロットが出てきて、ボクと目が合った。


「――よう。また会ったな。冷やかしにでも来やがったのか?」


 と、アズロットはボクに問いかける。


「ドラゴンが出たって騒ぎを聞いて、様子を見に来てやったんだよ。何があったんだ?」


「由梨が攫われた。あのドラゴンはこの街を苦しめてる悪党でな。俺たちはその討伐に行かなくちゃならねぇんだ」


 なんて連中だ。貧乏くじ引き過ぎじゃないのか?


「どうして地下にいたんだ?」


「お前が流してくれたデマのおかげで捕まったんだよ。今は監視役が気を失ってるから、今の内におさらばだ」


「――なら、ボクに彼の身の潔白を証明させてくれ」


 ボクは地下を覗き込んだ。猫耳少女が、時を同じくして目を覚ました。


「やぁ、ボクはルシフェイス。大変なことになっているところ済まないが、聞いて欲しいことがある」


「――ルシフェイス? って、レース参加者のルシフェイス!?」


 状況を呑み込んだらしい猫耳少女が目を見開いた。僕を既に知っているようだ。


「彼が無差別暴食魔(むさべつぼうしょくま)だと嘘の情報を言いふらしたのはボクだ」


 デマの元凶が突然現れたことに、猫少女は目を丸くする。


「それは確かなの? 証拠は?」


「君にそのデマを伝えたのは、飛魚じゃなかったか?」


「そうね。飛魚だったわ。もう怯え切っていて、私の焚火に飛び込んで自害しようとするから、止めるのに大変だったわよ」


「すべての責任はボクにある。捕まえるならボクを捕まえてくれ。彼に罪はない」


 猫耳少女はアズロットに目を遣る。


「聞いた通りだ。これで納得してくれたか? アイナ」


「……わかった。疑ったことを謝るわ」


 そう言って、アイナと呼ばれた猫耳少女は地上へ続く階段を驚異的な跳躍力で一気に飛び上がり、兜守の肩を叩く。


「え? なに? 釈放? ――あ、ごめんこっちの話。それで、――そう。大至急頼みたいんだ。ドアド国王には僕から直接お願いするよ」


 仲間を攫われたとあって錯乱気味の家内は、自分が釈放されたこともそっちのけで電話に集中している。


「この様子じゃ、明日の第二レースの準備どころじゃなさそうだな」


「――おかしいか?」


 ボクがつぶやと、アズロットが睨んできた。


「そうじゃない。罪滅ぼしも兼ねて、あんたらに有力な情報を持って来たんだよ」


 ボクはついさきほど、木の種を投げつけた件を説明し始めた。


 さぁ兜守、今度はボクがお前を助けてやるぞ!


 

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