兜守編 4月12日 その3 RUN!
現在時刻は16:45。太陽が西の地平線に近づき、空が夕焼け色に染まりつつあった。
「――き、貴様が僕を見返す!? それを待っていろだと!? ボクは待ちなどしないぞ! 貴様がボクに追いつけるわけがないだろう! 先を行くのは常にボクだ!」
と、底意地の悪さと言うか諦めの悪さというか、執拗な粘り強さを見せるルシフェイスが、ガクガク震えている足を一歩、また一歩と前へ出し始める。
「おい! やべぇぞ!」
車の状態を確かめていたアズロットが大声で僕たちを呼ばわった。
「ルシフェイスの木が絡まったときにダメージを受けたのか、エンジンは掛かるがギアが入らねぇ」
「なんじゃそりゃ! せっかく手に入れたチートアイテムなのに!」
「車、動かせないんですか?」
制服が完全に修復するまでの間、僕の上着を羽織る由梨ちゃんが言った。
僕は頷くしかない。
【レフモケ】まで、あと10キロ少々。遠くの方に、それらしき街並みが見えている。
タイムリミットの18時まで、あと1時間と15分。
「もうこうなったら、走るしかないぜ。10キロちょっとなら、走ればなんとかなる距離だ」
と、アズロットは言いながら積載スペースの後部ドアを開く。
「マジか! いろいろと重なるなぁ……」
僕は不安に駆られるが、どうにかやり過ごそうとして準備運動を始めてみる。
アズロットの人間離れした体力なら走り切れるかもしれんけど、僕は正直わからない。旅の前にやった二週間弱の基礎訓練では10キロも走らなかったから、実質、人生で初めての10キロマラソンということになる。
「兜守よ、お前の荷物は俺が持ってやるから、走り抜くことだけ考えろ」
「でも、アズロットさんは貧血ですよね? 荷物は全部わたしが背負います!」
まだ若干顔色の悪いアズロットに、由梨ちゃんが言った。
「任せな。由梨にそこまでやらせたら男が廃るってもんだ」
アズロットは白い歯を見せて笑う。
僕、由梨ちゃんにお姫様抱っことかさせちゃったわ。あと今も若干おんぶしてもらえるかな、なんて考えちゃってたわ。
「……お前は本当に格好のつかない人間だな、兜守」
小鳥が呆れたような声で言った。心なしか表情まで呆れてるように見えるけど、鳥の顔だからよくわからない。
「頼むぞ、僕の足! スタイルの良かった5歳からこの30年で随分と横に広がっちゃったけど、あと10キロだけ持ち堪えてくれ!」
と、僕は両手で太ももをトントン叩きながら祈る。
「――くそ! 劣等遺伝子を目の敵にしたボクのミステイクだ。こ、こんなはずじゃ、なかったのに……」
と、余力を振り絞って生やした細い植物を抜き取り、杖の代わりにしてヨロヨロと進んでいくルシフェイス。
「ボクは、優秀な親の元に生まれた優秀な人間だ。勝って当たり前の優等生だ。みんな優秀なボクを褒め称える。ボクはそうあり続けるために努力してきた! 最高の設備! 最高の教育! 最高の生活水準! これらすべてが揃わなければ到底持ちえないステータスを、ボクは保持してきた! それがこんなところで、無様に終わってたまるか!」
プルプルと震えるその背中は、なんだか気の毒になってくるくらいに弱々しい。
群を抜いて恵まれているのに、更なる高みを目指して努力ができて、相応の成果も出せるから、周りの信用を勝ち得てこのレースに出場したのだろう。そんな期待の新星が、レースの序盤で脱落しようとしている。
今は生放送をしている番組も注目しているから、世界中に彼の弱り切った姿が公開されている状態だ。
もし立場が逆だったら? と、僕は考えてみる。
僕が超イケメンで、細マッチョで、親が超金持ちで、親も自分も高いIQで勉強もできて、不自由なく、なんの社会的ストレスも不条理もなく、エスカレーター式で勝ち組ライフを送ってきたとする。努力すればするだけ報われて、そうして有能さを周囲にアピールして、支持を得て、恐らくは世界一注目されるイベントであるこの異世界レースに出て、そこでも優勝候補と言われて、自分であれば、持ち前の能力と運の強さで優勝を手に入れられると喜び勇んでいたとしたら?
それが、全く想定外の事態に見舞われ、まさかのレース序盤でリタイアという、今までの人生で経験したことのない現実に直面したなら?
僕は正気でいられるだろうか? ルシフェイスみたいに、蓄積した疲労とダメージで震える身体に鞭打って、尚も進もうとするガッツを示せるだろうか?
あれは、生まれてからずっと勝利のレールを進んできた人だけが到達できる信念なのだろうか?
――いや、そうじゃない。
経験してきたものと真逆の現実を前にして、それでも尚力が沸き上がるのは、ルシフェイス自身の、『なにがなんでも勝ち続ける』という信念があるからではないか?
だからこそ、それと全く正反対の人生を歩んで来た僕を目の敵にしたんじゃないだろうか?
僕が心の中で、彼を目の敵にしていたのと同じように。
僕は嫉妬で。ルシフェイスは軽蔑で。
けどもし仮にそれらの良くない感情を抜きにしたら、お互いに違った見方ができるんじゃないだろうか?
それこそルシフェイスに限らず、僕たちはみんな、歩んできた道が、目にしてきたものが、味わってきた境遇が違うだけで、魂の部分では似ているのではないだろうか?
「――お前、なんのつもりだ?」
僕は気付けば、ルシフェイスの片腕を取り、自分の肩に回していた。
「――行くぞ。勝つんだろ? このレース」
「おじさん!? 何をしてるんですか!?」
「おい兜守! 俺たちまで間に合わなくなるぜ!?」
と、予想外の展開に由梨ちゃんは狼狽え、さすがのアズロットも焦ったような声を上げた。
「彼と僕らは一緒だ。価値観はまるで違うけど、それなりの信念を持ってる。だから今は助ける」
僕はもがくルシフェイスに構わず進み出す。
「――ふん。少し見直したぞ。兜守」
黄色い鳥はバサバサ羽ばたいて僕の周囲を飛び回る。祝福の舞いか何かかな?
「じ、冗談じゃない! 誰が助けろと言った!? ドローンのカメラがあるのをいいことに、お人好しアピールのつもりか!?」
「違うね。僕はそこまでお人好しじゃない。ましてや、自分のことを散々見下してきた奴に手を貸すなんてあり得ない。いつもなら『ざまぁ見ろ』って笑ってやるところだ」
「ならその手を放せ! ボクだって、貴様ごときに借りを作るくらいなら、自分の力で地面を這いつくばる方を選ぶ!」
まだ離れようともがくルシフェイスを、僕は面倒になって担ぎ上げた。
この横幅のデカイ図体だ。一応人並みの腕力はある。ここへ来て初めて役に立ったかもな。
「――けどな、逆に考えてみた。僕がお前の立場なら、ここで見捨てられるのは嫌だ。だって、もうそこでレース終了だからな。そしてそれをわかっていて見捨てる選択をするなんてこと、僕にはできない。将来の僕自身が、今の僕の選択を後悔しないようにしたい。……そう思っただけだ」
「……っ!」
歯を食い縛るルシフェイスに、言葉はない。
「行こう、二人とも!」
僕は黙って話を聞いてくれた由梨ちゃんとアズロットに頷き、東を目指す。
――――――――。
そうして走り出したのは良かったんだけど、案の定地獄が待ち構えていた。
「――はぁ! はぁ! ひぇあッ!!」
「もう! まだ1キロくらいしか進んでいませんよ!? そんな妊婦さんみたいに喘がないでください!
妊婦さんに失礼です!」
由梨ちゃんが真後ろから言う。仕方ないじゃないかお腹が妊婦さんみたいなんだもの!
「――そ、そうだ! 剣を! 剣を使ってみよう!」
閃いた僕は剣に(出てこい!)と念じ、手に出現させる。
……すごい! かなり楽になった! 剣があるのとないのだと全然違う!
さすがに全く疲れないわけではないが、疲労の蓄積度合いがかなりマシだ。
「このペースじゃ間に合わねぇから、俺がルシフェイスの野郎を担いでやるよ」
言って、アズロットは僕からルシフェイスを受け取り、ドシン! と自分の肩にルシフェイスの腹部を打ちつけるようにして担いだ。
「ぐぉえッ!?」
強靭な筋肉と太い骨の衝撃が己の腹部を襲い、ルシフェイスが呻く。
「その代わりに、お前はこれを頼む」
アズロットから代わりに渡されたのは僕と由梨ちゃんのバックパック。
こ、これはこれで重たい!
「仕方ないですね! 荷物はわたしが持ちます!」
僕の上着を腰に巻き付けた由梨ちゃんが言った。
制服は胴体の部分が修復済みだけど、袖の部分はまだで、白い二の腕が剥き出しだ。
「い、いや、平気だよ! ちょっと失速するくらいだから――」
「失速したらダメです! いいからさっさと渡してください!」
「は、はひィ!!」
由梨ちゃんに催促された僕は罪悪感と情けなさで視界を潤ませつつ、バックパックを彼女に背負わせた。
「それじゃ、ペース上げるぜ? しっかりついて来い!」
アズロットが常人離れした脚力を発揮して、ぐんぐんスピードを上げていく。
ずるいよ! 身長差考えてよ! 歩幅が違うんだよ歩幅が!! 短足なんだよ短足!!
「ほら、行きますよ! おじさんの根性はその程度ですか! レースは降りないんですよね!?」
僕を激励する由梨ちゃんが、片手で僕の手を握り、前へ前へと引っ張ってくれる。
なぜかよくわからないが、今この瞬間、周囲の時間が遅く流れていくように感じられた。
風に靡く由梨ちゃんのさらさらの銀髪。時折覗く白い首筋。
僕の手を握る、血管の浮き出た力強い手。
また立場が逆だよ。これじゃ僕が女じゃないか。
――惚れてまうやろ。
つい彼女の横顔を見つめてしまう僕は、あることに気付く。
由梨ちゃんが、笑っていたのだ。
僕の情けなさに怒ってるかと思ったけど。
女の子の感覚はよくわからない。
―――――――。
午後17時55分。
キュアソードの恩恵もあって、僕もどうにか二人に着いていくことができたのが幸いし、終わりが見えてきた。
僕たちの眼前に、レフモケの街――それを覆う防御壁が広がる。街の先には、標高300メートルくらいはありそうな焦茶色の山が聳えている。
あと、もう少し!
アズロットはさすが余裕綽々、由梨ちゃんも軽く息を弾ませる程度だというのに、白目を剥いて泡を吹いて満身創痍の僕はここまで近づいて初めて、防御壁の上に無数の人影が立っているのことに気付いた。
「入口は南側だぞ!」
「急げ! あと5分もない!」
「そっちからは入れない!」
といった声がする。
「――ッ!?」
僕たちはその意味を悟る。【レフモケ】を囲む防御壁に沿って堀が作られており、街に入るための門も、堀を越えるための橋も見当たらないのだ。
入口は南側――つまり、西側からこの街に近づいた今の僕たちから見て、右側に回り込まなくてはいけないということだ!
「やべぇぞ! 早く入り口を見つけねぇと!」
ルシフェイスを担ぐアズロットが焦燥を露わに、南の方へと駆けようとしたそのときだった。
「……その必要はないよ」
ルシフェイスがそうつぶやくと、アズロットの足元から二本の植物が生え始めた。
植物は瞬く間に太い木へと成長し、その巨体を防御壁の方へと捻じ曲げ、更に伸びる。
防御壁で僕たちを見守る人々から驚きの声が上がる。
ルシフェイスの能力によって、堀を越えて防御壁の上まで伸びる【橋】が造られた。
「やるじゃないか!」
僕が言うと、
「か、勘違いするな。こうしないとボクたち全員が失格になってしまうから、仕方なく力を貸しただけだ。……噂を流したり、車を壊してしまった件もあるしな」
と、ルシフェイスは顔を背けた。
「あと2分です! 早く渡りましょう!」
由梨ちゃんはそう言ってまた僕の手を引っ張る。
アズロット、由梨ちゃん、僕の順で木の橋を渡る。二本の木は互いにくっつき合っているのでそれなりの幅があり、気を付けていれば歩けなくはない。
僕は腕時計を見る。あと1分!
このとき僕はつい、真下を見てしまう。7、8メートルくらいはありそうな高さに思わず足が竦んだ。
「下を見ないでください! わたしがついてますから!」
と、由梨ちゃん。なんて主人公みたいな台詞なんだ。これじゃ僕がヒロインみたいじゃないか。
アズロットが木の橋を渡り切り、防御壁の上にドシンと降り立つ。そのとき彼の肩に担がれたルシフェイスの腹に衝撃が伝わったのか、また『ぐぇッ!!』と呻いてる。
「あと10秒!」
「頑張れ!」
「落ち着いていけ!」
「転ぶなよ!」
と、ライバルたちが温かい声援をくれる。
服装を見るに、恐らくは他の参加者たちだ。先にゴールしていた連中が、僕たちを応援してくれてる!
何故に?
『ご覧ください! 一度は衝突し合ったルシフェイスと中年男性が、仲間たちに支えられながらレフモケを目指しています! 現在時刻は17時58分! あと2分を切りました! 防御壁へは距離にして20メートル強といったところ! 第一チェックポイント到達なるか!?』
中継用のドローンに装備されたスピーカーから、生中継番組の司会者の声が大音量で流れている。
「行きますよおじさん! せーの!」
僕は由梨ちゃんと並び、防御壁に降り立った。
残り5秒!
「――は、早くGPSの認証をもらわないと!」
僕は大急ぎで携帯を取り出し、画面をタップ。同時に、レース実行委員会の公式ラインからメッセージが届いた。
『GPSであなたの位置を確認しました。第一チェックポイント到達おめでとうございます』
と書かれてる! 感知が早くて助かった!
「やった! 間に合ったよ由梨ちゃん、アズロット……」
言いながらキュアソードを消した僕は、一気に押し寄せた疲労でその場にヘナヘナと座り込んだ。
『ぉおおおおおおおおおおおおおおおお!!』
周囲から歓声と拍手が沸き起こる。
それは防御壁に止まらず、街の方でも散見され、ちょっとしたお祭り騒ぎになっていた。
石造りと思しき建物が並ぶ街の風景を例えるなら、中世ヨーロッパって感じ。どの建物も二階建てで規則正しい配置だ。石畳の通りに大勢の住人が出てきていて、防御壁の上に立つ僕たちを見上げている。
「デブの割には、まぁ頑張った方だろう。俺も疲れたから寝る」
そう言って小鳥が石の姿になり、由梨ちゃんがそれを制服の胸ポケットに入れた。
「――ここから先は別行動だ。運んでくれたことには礼を言うし、噂を流したことも、車のことも謝る」
アズロットに降ろしてもらったルシフェイスは、視線こそ合わせようとしないものの、その場で深く頭を下げた。
「壊れたものは治せないし、広まったものはどうしようもない。……金輪際、僕たちに干渉しないと約束するなら、見逃してやる」
僕がそう言うと、ルシフェイスは頷いて、ふらつく足取りで街の奥へと去っていった。
「――厄介者をこらしめたのはいいとして、問題はその噂ってやつがどこまで悪影響になるかだな」
ルシフェイスが流した噂のことを、当時は失神していて聞いていなかったアズロットに話すと、彼は唸った。
「街の人たちは今のところ、わたし達にとても友好的なので、噂はここまでは及んでいないのかもしれませんね」
周囲の様子を見た由梨ちゃんが言った。
確かに、街の獣人たちは僕たちを見るたび、祝福の言葉をくれる。
中には、
「――外の世界から来た人間なら、あいつを何とかしてくれるかもな!」
「ああ! あいつさえいなくなれば、俺たちの街は平和になる。希望が見えてきたぞ!」
といった謎の会話も聞こえてくるくらいだ、よくわからないが、何らかの期待を持たれているらしい。
どうして僕たちがこんなに注目されているのか気になっていた僕は、防御壁を降りて街を20分ほど歩くうちにとあるものを見つけた。
街の南側――正門から入ったところにある広場に、大きなモニターが据え付けられていたのだ。
そしてその画面いっぱいに、ドローンからの映像――僕たちがドアップで映っている。
ドワーフの地下王国でもそうだったように、この街にも前もってレースのアポを取って、設備を搬入していたのだろう。
そうして、びりっけつだった僕たちが果たしてチェックポイントに辿り着けるのかどうか、番組がフォーカスして放送したといったところか。
モニターの周りには、この街の住人――獣人たちが珍しいものでも見ているかのように集まっている。
その獣人だが、ぱっと見た感じは人間そっくりで、二本の足で立ち、RPGなんかで出てくる村人が着ているような衣服を身に纏っている。
決定的に違うのは、頭の両側から生えた耳と、おしりの辺りから伸びる尻尾くらい。
ざっと見渡してみると、耳の形や大きさ、尻尾の形や長さがみんなバラバラで個性的だ。
『ゴールおめでとうございます! 数々のドラマを繰り広げ、10キロという距離を走りぬいた感想はいかがでしょうか?』
カメラつきのドローンと、スピーカーつきのドローンが飛んできて、僕たちの顔を撮影しつつ質問してきた。遠隔操作の便利さよ。
「――疲れました。その、あんまり寄らないでください」
カメラ慣れなんて、これまでもこれからもしそうにない僕は、手短に答えて目を逸らす。
「……っ」
由梨ちゃんもテレビは苦手なのか、何も言わず僕の後ろに隠れた。そうかその手があったか。
「一時はどうなることかと思ったが、みんなの応援のおかげでここまで来れたぜ。サンキューな!」
と、アズロットは白い歯を見せる。
「ようやく一安心できるな。次のレース開始は2日後だっけ?」
背後の由梨ちゃんに聞くと、
「そうです。それまでに元気をつけておきましょう」
ゴス!
「いてッ!」
由梨ちゃんのグーパンが僕の背中にめり込んだ。
「――今日はよく頑張りましたね、おじさん」
無事にゴールできたからか、彼女は珍しくご機嫌な様子で、可愛い笑顔を見せた。




