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アズロット編 3月28日 鼻血の噴水


 ブシャァアアアア!

 

 ドサッ!


 …………。


「――はっ!? く、くそ。もう一度だ」


 俺は噴き出した鼻血を拭きとり、もう一度薄い本――エロ同人誌を開く。


 ブシャァアアアア!

 

 ドサッ!


 …………。


「――はっ!? だ、ダメか!」


 夕日が差し込む事務所で、もう何度目かわからない失神から目覚めた俺は途方に暮れる。


 以前はバーとして使われていたこの建物は、俺が暮らすイタリアの、スラムじみた街の飲み屋街にある。俺が求める仕事(、、)は、割とこういう裏社会の街の方が頻繁に見つかる。


 治安が悪い街では精神が(すさ)みやすい。けどここはしっかりと手入れが行き届いていて、オーナーのものだったらしい洒落たデスクを始めとする調度類が複数残っていたから、ここで【便利屋】の事務所を開くことに決めたわけなんだが、俺が今鼻血をぶちまけまくったせいでふさふさのカーペットが台無しだ。


 これで何枚目のカーペットだったかな? ここで【便利屋】を始めて久しいから忘れちまったぜ。


 いい加減に【弱点】を克服しねぇと、血がこびりついた家具だらけになって、【客】に対する印象が落ちる。  


 ジリリリリン!


 バーのマスターが好んで使っていたらしい古風な固定電話が鳴り、鼻血を拭いて応える。


「便利屋、ドラゴン・ブラッドだ」


『――久しぶりね、アズロット。今からそっちに行っていいかしら?』


 聞き馴染んだ声に、俺は一瞬間をあけて、


「久しぶりだな、カジュアル。悪いが、今取り込み中なんだ」


『今、あなたの事務所がある街にいるの』


「あー、……さすがにちょっと急すぎやしないか?」


『今はダメ?』


 俺は取り急ぎ、事務用デスクの上に並ぶエロ同人誌(表紙はブックカバーで隠してある)を脇に積み重ねる。


「――いや、平気だ」


 本当は見つからないところへ隠したいところだが、あまりもたついてると、『見られたくないなにかをやっていた』と悟られちまう。だからここは平静を装う選択をした。


『それじゃ、いつものお願いできる?』


「わかった」


 俺は一旦電話を切る。すぐにカジュアルから入電。


『今、あなたの事務所が見える場所にいるの』


 また電話を切る。また鳴る。


「――今、あなたの後ろにいるの」


「うぉおッ!?」


 来る(、、)のがわかっていても驚いちまう。どうもこれには慣れない。


 俺の背後に唐突に現れた女は、名をカジュアル・エンジェルと言う。


 2年前にとある依頼を彼女から受けて、共に仕事をした仲だ。


 最近話題の異世界レース――その実行委員会副会長を務める彼女は、綺麗なブロンドの瞳で俺を見つめる。


 こいつはこうやって人を驚かせるのが好きなやつだったな。


 びっくりして椅子から転げ落ちる俺は、何故だか走馬灯のようにスローな世界でそう思った。


 そんな俺の目の前に、デスクから落下してきたエロ同人誌――落下の影響で開かれたページが。


 ブシャァアアアア!

 

 ドサッ!


 …………。


「――はっ!? またかよ畜生!」


「相変わらず、耐性無いのね」


 俺の事務用デスクに腰掛け、身をひねってこっちを向いたカジュアルが苦笑交じりに言った。


 スニーカーをぷらぷらさせている仕草は、見た目も相まって10代の少女に見えるが、実際の年齢は聞いたことがない。


「見られちまったか。こればかりはなかなか克服できてなくてな……」


 肉弾戦じゃ負けなしの俺の、唯一の【弱点】。


 それがこの同人誌、もとい【エロいもの】なんだ。


 少しでもエロいと感じさせるものを見聞きした途端、鼻血を噴き出して失神しちまう。


 今までは大物(、、)に巡り合わなかったからいいものの、現代社会に紛れ込んだ魔族やその類の怪物をやっつけるこの仕事を続けていくなら、いずれは完全に克服しなきゃならねぇ。


 命のやりとりってときに気を失ったんじゃ、一巻の終わりだからな。

 

「弱点は誰にでもあるわ。私にもね」


「互いに補い合って戦う日が来たりしてな」


 おっと、今のは笑えねぇ冗談だ。


「……本当は再会のお酒の一杯でもやりたいところだけど、仕事の話よ」


 穏やかだったカジュアルの表情が引き締められた。


「内容と報酬次第だな。ドンパチやらかすのは構わねぇが、殺しの依頼は無しで頼むぜ? それが俺のモットーだからな」


 俺はそう言って椅子に座り直し、ブーツを履いた両足をデスクの上に投げ出す。


「異世界レースが近々開かれるのは知ってるわね? あなたも参加して頂戴」


「俺が? なんで?」


「レースには勇者の末裔も参加するの。本人には【聖剣の欠片】を回収する使命を担ってもらうことになってる。彼には優秀な護衛役が必要。つまりはそういう理由よ」


「勇者の血を引く奴は、【スラジャンデ(向こう)】でなにかと狙われるからか?」


 俺の問いに、カジュアルは頷く。


 マジかよ。とんだ大仕事だな。


「私はそう見てる。ましてや魔族の生き残りにその存在が知られたら、厄介なことになるわ」


 カジュアルは着こなしたパーカーのポケットから封筒を取り出した。これが異世界レースの参加証ってわけか。 


「勇者だの魔王だのって、さすがにもう古いんじゃないか? 魔族は確かに、勇者側の種族を敵視してる。けど、2000年も前に死んだ主のために行動を起こす奴なんざ、残ってないと思うぜ? そういう【案件】は俺が片っ端から片づけてきたしな」


「万が一ってこともあるでしょ? 魔族の中には、あなたみたいに寿命の長い種族もいるわけだし。それにーー」


 カジュアルが意味深に目を細めた。これは面倒な仕事の予感がしてきた。


「勇者の末裔の一人は去年、お餅を喉に詰まらせて亡くなった。その父親も、しばらく前に事故で。この事実、あなたはどう見る?」


「不幸な偶然が重なったんだろ、と言いたいところだが、こと魔族関連で見れば、どうだろうな……? 俺のお袋を含めて、勇者には6人の仲間がいたって話だろ? その仲間の末裔たち(、、、、)は何て言ってるんだ?」


「所在がわかって、連絡が取れたのは鬼人(、、)の末裔だけ。彼女は、勇者の末裔に死者が出ていることを重く見てる。外部からの干渉を疑ってるわ。だから護衛するために動いてくれることになった。勇者の旅の仲間だった祖先の名に懸けてね。忍者の女の子よ」


「だったら、俺の出番は無いんじゃないか? あんまり大所帯で動いたら逆に目立つぜ? 俺はこのデカイ図体だしな」

 

 どことなく乗り気ではないオーラを匂わせ、それとなく仕事を受けない方向に持っていこうとする俺の前で、何故なのか、カジュアルはパーカーを脱いで肌着姿の上半身を露わにした。胸元にはらりと垂れたセミロングのブロンドヘアから覗くのは、し、白いブラ――ッ!?


 ブシャァアアアア!

 

 ドサッ!


 …………。


「――お、おい! なんで急に脱ぐんだよ!?」


 俺は手を翳して視界をガードしつつ悲鳴を上げた。


「勇者の末裔最後の一人――名前は家内兜守」


 カジュアルめ! 人が鼻血を噴き上げたってのに平然と話を続けやがる。悪魔みてぇな女だ!


「なんだよその引きこもりみてぇな名前は! そいつは本当に勇者の血が流れてるのか!?」


「彼の護衛は鬼人の末裔だけ。それもまだ10代の女の子。いくらなんでも酷だわ。支えてあげてほしいの」


「それより服を着ろ!」


「ねぇアズロット。あなたは今のままでいいの? 弱点を克服しないと、肝心なときに実力を出せないままよ? それでやっていける? このド貧乏な暮らしから抜け出せる?」


「身を左右によじって俺の視界に入って来ようとすんじゃねぇ!」


「アズロット。今回の大仕事は、あなたのためでもあるのよ? 護衛役の女の子ね、日本政府特注の学生服を着ているんだけど、ダメージを受けると生地が破けて、ダメージを軽減させる能力を持ってるの。敵対する存在と戦闘になったら、どういうことになるかわかるわよね? あなたはあの子たちと旅をして、()みたいな(、、、、)状況《、、》に何度も出くわす。そうして少しずつ耐性をつけるの」


「なんで服にそんな余計な機能持たせたんだよ!?」


「ところであなたの事務所、光熱費払ってる?」


 質問に質問を返すなッ!


「――た、滞納中だ!」


 俺は目をぎゅっと瞑って頭を抱える。


「未だに週休5日?」


「6日だ! 面倒くさがりの俺にはそれくらいがしっくりくる!」


「そんなだから利益が上がらなくてその日暮らしになるのよ?」


 まるで示し合わせたかのように、事務所が暗くなった。状況が状況なんで目は開けられないが、たぶん照明が消えたんだ。とうとう電気を止められちまったか。


「……停電したのか?」


「言わんこっちゃないでしょう?」


「あれ? どこかに雷でも落ちたかな?」


 こういうときは口笛でも吹いて煙に巻いて吹き飛ばせばいいんだろうが、あいにく口笛吹けないんだよなぁ俺。


「どーん」


 ぐおッ!? 上から何かが身体に圧し掛かって来やがった!


 同時に、甘くていい香りがしてきた。


 思わず目を開いちまった俺は、仰向けに倒れる俺に馬乗りになったカジュアルを目にする。


 ブシャごっ!? ブゴもごごごっ!?


 鼻血の噴水がカジュアルが突き出した白いハンカチに塞がれ、俺の口と鼻に滞留しだした。


「電気、ガス、水道。この次に止まるのは?」


 噴水が収まったところで手を放すカジュアル。危うく自分の鼻血で窒息するところだぞ!!


「ぜェ、ハぁ、――俺の心臓」


 俺は無心で天井に視線を逸らして噴水の再発を防ぐ。


「わかってるじゃない」


 くそ。ペースを全部持っていかれてる!


「……報酬次第だ」


「レースに優勝すれば賞金10億ドル」


 即答だった。完全に俺の思考を読んでいやがる。


「別に、彼らと無理にくっついていろと言ってるわけじゃないわ。それとなく近くにいて、彼らがピンチになったときだけ助けに入ってくれればいいの。あなたは元々、一人で行動するのが好きな(たち)だし、それさえ守ってくれれば、あなたも参加者としてレースを楽しんでくれていいわ。宝物を見つけて更に報酬を稼ぐの。悪くないでしょう?」


「レース、ね……」


 俺は2000年前、勇者の仲間として旅をしていたお袋のことを思い出す。これも血は争えないってやつかね?


 かつての初代勇者には、お袋を含めて六人の仲間が付き従っていた。


 それが今回、鬼人(、、)の末裔一人だけとは、確かに酷だ。


「サバイバルなんてほとんどわからねぇが、最近手応えのある依頼もなくて退屈してたところだし、久々の運動がてら引き受けてやるか。金がなけりゃ、うまいもんも食えないしな」


 というのは半分建前だ。このレースに参加するのは、俺自身の弱点を克服するためでもあるわけだからな。


「あなたらしい動機ね。承諾してくれてありがとう」


 カジュアルが言うと、身体が軽くなった。どうやら降りてくれたらしい。


 それから衣擦れの音が聞こえ、パーカーを着直したらしいカジュアルが、


「もう平気よ」


 と言うので、恐る恐る視線を天井から周囲に移し、立ち上がる。


「――お前も相変わらず容赦ないな。相手を説得するためにとことんやりやがる」


「それが私の使命だから」


 と、カジュアルは夕日が差すドアを背にして微笑む。


 いくらかの血を浴びたのか、顔に血の跡が散見される。まるで返り血だ。殺戮を終えて快楽の余韻に浸る悪魔かよ。


「――条件が一つある」


「なぁに?」


「今日の晩飯おごってくれ」


「あなたは真面目なのかバカなのか、未だにわからなくなるわ」


「単調じゃつまらねぇだろ? どんな種族も、どんな世界も」


 いっぺんくらい、俺のペースでやらせてくれ。




 



お読みいただき、ありがとうございます。

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