兜守編 4月11日 その6 聖剣の破片:キュアソード
「――ッ!!」
僕の周りから音が消し飛んだ。静寂。
影が繰り出した強力な一撃は、由梨ちゃんを庇って立ちはだかった僕の腹部――左わき腹を貫通した。
それを僕が知覚した瞬間、経験したことのない激痛が襲ってきた。
「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!」
僕は堪らず叫ぶ。腹の底からこんなに声を発した経験なんてない。喉の奥が焼けたみたいに痛い。
「ああッ! い、痛ってぇええええ!!」
「はぁああああああッ!」
由梨ちゃんが鋼の意志で僕を突き刺した影を始め、周囲から襲い来る影をまとめて細切れにする。
影が消滅したことで、僕の腹部を貫通していた腕も消滅。後には風穴の開いた太鼓腹が残された。
穴開けるくらいなら腹の脂肪取ってくれよ!
僕は歯を食いしばり、声にならない悲鳴を上げつつ横向きに倒れ込んだ。
思わず傷口を凝視。上着もインナーシャツも大穴が開いて、そこからどくどくと赤黒い血が溢れ出している。自分のものとは信じ難い、凄惨な光景。
「おじさん! しっかり!」
敵を一掃した由梨ちゃんが泣き出しそうな表情で言った。忍者としての修行は積んできたんだろうけど、血を見るのにはまだ慣れてないのかもな。
当然僕も血に慣れてなどいない。もう自分の傷口を見たいとは思わず、由梨ちゃんの顔を見る。
「――き、君は、大丈夫かい?」
「わたしは平気です。どうしてあんなことを!」
「そりゃあ、君がピンチだったからさ」
「自分の立場を弁えてって言ったじゃないですか! さっきはわたしのミスで追い込まれただけで、挽回の策もあったんです! 特殊繊維の制服だって着てるんだから、あなたが割って入る必要なんて無かった!」
ありゃりゃ、由梨ちゃんがおこだわ。
「そ、そうするべきだと思ったんだ。挽回の策だって、確実にうまくいく保証なんてないだろ? あそこで君を放っておいたら、僕は本当に、正真正銘、ただのクズだ。僕は、クズにはなりたくない――」
「――も、もういいです。しゃべらないでください……」
由梨ちゃんの可愛い顔が真っ赤だ。こりゃ今までで一番のお怒りモードかもしれん。
「最初の試練にしては、ちょっと厳しすぎるよな……あの鳥、容赦ないんだから」
あれ、身体が動かなくなってきたぞ? 感覚もなんだか薄いというか、変な感じだ。痛みも遠のいてる。
ふと床を見遣ると、ぬるぬるとした黒い液体がじんわりと広がり続けてる。俺の血だな、これ。
「ああ! どうしよう……!?」
不測の事態に戸惑う由梨ちゃん。救急キット入りのリュックはドワーフたちに預けて来ちゃったもんな。
「大丈夫さ。まだ終わってない」
僕は光の方へと目を向ける。聖剣の破片が依然、異空間の中央で輝きながら浮かんでいた。
影がいない今なら、あの剣に触ることができそうだ。
「由梨ちゃん、一つお願いだ。僕が動けなくなる前に、破片のところまで運んでくれないか? 僕があの剣に触れられさえすれば、何かしらの能力に目覚めるとか、そういうタイプのギミックが働いて助かるかもしれないんだ」
「何を言ってるのかよくわかりませんけど、要はおじさんを破片の側まで運べばいいんですね!?」
由梨ちゃんは目元を拭うと、両腕を僕の身体の下に這わせる。
「少し痛いですが、我慢してください」
言って、由梨ちゃんは僕をお姫様抱っこした。ホント力強いなー。それ男がやるものだよ?
この状況、世界に生配信されなくてよかった。もしドローンがここまでついてきてたら、僕の体裁は地の底に落ちていただろう。
「これでどうでしょう? 触れますか?」
光り輝く剣の側に立った由梨ちゃんが聞いてきた。
僕は痛みに呻きながらも手を伸ばし、剣の束を掴んだ。
「――ああ! 触れた!」
硬くてひんやりとしていた束だが、僕が触るとたちまち謎の熱を帯び、心地いい暖かさになった。
そして、それは起きた。
「あ、あれ?」
僕を襲っていた痛みが、完全に消えたのだ。
それだけじゃない。左脇腹から流れていた血が止まり、傷口から湯気が立つみたいにして白い煙がぽわぽわと登り始めた。
『よくぞ手にした。剣はお前を勇者の末裔であると認めた』
小鳥の声が脳内に響く。
「な、何が起きてるんですか?」
急に僕の傷口から煙が出たので、おろおろする由梨ちゃん。
「大丈夫。この煙は剣の能力によるものだと思う。やっぱり思った通り、助けになるギミックってわけだ」
伊達にオタクをやってきたわけじゃない僕は、この手のファンタジー展開はある程度予想が立てられる。
試練を突破して手に入れたアイテムは、入手した人の得になる能力を持っていると相場が決まっているのだ。その見立てが現実の異世界でも通用してよかった。
『その剣の名は――なんと言ったか……?』
小鳥さん?
『ああ、思い出したぞ。キュアソードだ。持ち主の体力を回復させ、更に傷も急速に癒す能力を持っている』
なるほど。剣でありながら回復能力も持っているなんて、序盤にしてはかなり有力な武器だ。体力も戻るなら、長時間の戦闘にも耐えられるってことだ!
まさか刺されるとは予想してなかったけど、どうにか一つ目の破片を手に入れたぞ!
僕は由梨ちゃんに降ろしてもらい、腹部の傷を確認。傷口は完全に塞がり、出血も痛みもない。ものの1分くらいで治っちゃったよ!
「――すごい! この剣の能力は、傷を感知させるものなんですね!」
言って、ほっと胸を撫でおろす由梨ちゃん。
「そうみたいだな。これがあれば、今後の旅も少しは安心できそうだね」
僕は七色に光る剣を両手で持ち、正面に向かって構えてみる。なんだか剣士になった気分だ。
剣の長さは1メートルと少しくらいで、重量は思ったよりも軽くて扱いやすい。
七色の輝きを放つのは刃の部分で、柄は銀色をしている。手で触った感じ、この銀色の部分は金属製。あとで滑り止めの布を巻いておいたほうがいいだろう。
「――さっきのおじさんの言葉、嬉しかったです」
僕が剣に見惚れていると、不意に由梨ちゃんが言った。
「え? なんて?」
よく聞き取れなかった僕が振り向くと、由梨ちゃんはまたしてもお怒りになったのか、耳まで赤らめた顔を伏せた。
「――なんでもありません! ありがとうございました!」
び、びっくらこいた! 若い女の子って、感情の起伏が激しいものなのか?
「ど、どう致しまして――?」
よくわからんが、お礼を言ってきたってことは、怒っているわけではなさそうだ。
僕はもう一度、剣に視線を移す。
この剣、さすがに今すぐとはいかないが、事がすべて済んだあとで売り捌けばそれなりの値段になりそうだ。
そうしてリセールバリューのことまで思考を広げてにやにやする僕に、
『今、誇り高き祖先の武器を売り捌こうと考えたな? なんたる不届き者! お前は世界を魔王の手から守る気はあるのか!?』
今度は小鳥がお怒りに! さっきから気になってたけど、どうやら小鳥は僕の心が読めるらしい。
「い、いや、滅相もない! 魔王がいなければ別に残しておく必要もないというか、事がぜんぶ終わったあとで一儲けしようと思っただけで……」
しまった! 本音が!
「――おじさん、そんなことを考えてたんですか? そうですか。そうなんですね。ふーん……」
これはアカンやつや。
彼女のとてつもない圧が、殺気が、薄暗い空間を支配していく。
「さっきわたしを庇ってくれたから、少しだけ、ほんの少しだけ見直してたのに、ものの数分で見損ないました。あなたは人から見損なわれる天才ですか?」
ほんの少しだけ……。
と、僕は落ち込む暇なく恐怖に襲われる。
失望の言葉を言い連ねる由梨ちゃんの何が恐いかって、顔がずっと笑ってるんだもの。すごく可愛い満面の笑みなんだもの。
「由梨ちゃん、誤解だよ! 勇者の子孫の僕が、そう易々と剣を売るはずないじゃないか。だって傷を癒してくれるんだぞ!? これから先、どんな危険に遭うかわからないわけだし、むしろ手放す方が無謀というものだよ!」
「……信じていいんですか?」
「信じてください」
「旅の道中で、もしおじさんが聖剣の破片を質にでも入れようものなら、わかってますよね?」
首を少し傾げて、まるで僕の心中を伺うように由梨ちゃん。
「――どうやら本心のようだな。もし嘘でも吐こうものなら、お前だけ永久に異空間に閉じ込めておくところだが、そこな少女と共に元の世界へ帰してやろう」
小鳥が言うと、僕と由梨ちゃんの身体が浮き上がり、【試練の間】へと戻された。
「――あの、キュアソードの鞘ってお持ちじゃないですかね?」
剣を保管しておくための必需品――鞘。それが無いことに気付いた僕は、石の台座の上に佇む小鳥に聞いてみた。
「その剣は異能によって生み出された。お前が意志を込めれば、異空間にその身を移すだろう。そして、お前が必要なときに念じれば、異空間から呼び寄せることができる」
マジで!? 念じることで、ドラ〇もんが四次元ポケットから道具を出し入れするみたいなことができちゃうわけか! 異能を使うって、意外と簡単なのね。
「そ、そうなんですね! でも、念じるって、具体的にどうすれば?」
「単に、頭の中で念じればいいんです。消えろ、とか、来い、という具合に」
と、異能使いの由梨ちゃんが教えてくれた通りに、僕は念じてみる。
(由梨ちゃんのスカートを捲れ!)
ぐっと口を引き結び、目をカッと見開いた僕が念じると、キュアソードは独りでに僕の手を離れ、僕のお尻をグサリ!!
「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああッ!?」
「……そういうしょうもないことを念じるからだぞ? お前は本当に勇者の末裔なのか?」
小鳥が呆れたような声で言った。
「一体、なにを念じたんですか?」
由梨ちゃんが僕に背を向け、小鳥の方を振り返った。
ま、まずい! 由梨ちゃんがあらぬ方向に興味を向けてる!
「こいつはな、お前の履物を捲れと念じたのだ。こんな勇者の風上にもおけない男と旅をしているのか?」
小鳥が由梨ちゃんに暴露した途端、由梨ちゃんの周りの空気が急激に張り詰めた。
静かに、しかし強固な怒りの気配が、由梨ちゃんの背中から伝わってくる。
僕、終了のお知らせ。
「――おじさん、キュアソードの効力は傷を癒す、でしたよね? それもすぐに」
「然様でございます」
「それじゃあ、骨の1本や2本や3本や50本くらい細切れになったところで、すぐに治るから問題ありませんよね?」
1、2、3、の次は50じゃなくない?
「い、いや、さすがに細切れはまずいんじゃないかな?」
天使のような笑顔を貼り付かせたまま両の拳を胸の前で握り合わせて、バキバキと鳴らしながら歩み寄ってくる由梨ちゃん。
しばらくしてから目覚めるそのときまで、僕の記憶は消し飛んだ。