第5話 流行病
最終話です。
よろしくおねがいします。
ゾンビファッションが流行し始めてからというもの、ゾンビと人間の力関係は徐々に変わっていき、いまでは完全に逆転していた。
人数的にもいまや日本人口の80%以上がゾンビとなっており、人間は少数派だった。
それまでゾンビをバカにしていたような人たちも、自分がゾンビになってしまったからにはさすがに手のひらを返さざるを得なかった。
むしろ、自分からゾンビになりたがる人も少なくなかった。
教室ではゾンビたちが楽しそうに話しており、人間の子どもたちは居心地が悪そうに片隅でトランプをしていた。
以前とは真逆だった。
クラスには見えない順番のようなものがあり、以前はゾンビになるとその順番が下がったのだが、今では、なぜかゾンビらしいほうが順番が上がるのだ。
かつてのように新庄がなにかゾンビへの悪口を言っても、笑う人は少なかった。
むしろ新庄はときどきゾンビたちの間で嘲笑われていた。
喧嘩になれば新庄に勝てる者は少ないので、本人に直接なにか言うことは少なかったが、明らかに周囲から腫物扱いされるようになっていた。
一方で上田は「クラスで最初にゾンビになった人」としてなんとなく一目置かれていた。
しかし、上田はクラスの中心で大きな声を出すようなことは苦手だったので以前と変わらず大人しくしていた。
代わりに上田と仲良くしている松村がゾンビたちの中心として振る舞うことが多かった。
その松村の姿は、なぜか以前の新庄と似ていた。
その日、学校へ行くと日暮がゾンビになっていた。
日暮はゾンビになってもあまり変わらず、かわいかった。
日暮は人間のころからゾンビと人間に分け隔てなく仲良くする稀有な人だったので、ゾンビになったことで周囲の態度が変わるということはなかった。
「日暮ちゃんの肌、ほんと綺麗な青白だね。どんなゾンビパウダー使ってるの?」
休み時間、日暮はませたゾンビの女子たちとどんなパウダーを使っているかという話に興じていた。
ゾンビパウダーとは最近発売された新商品で、細胞が活性化し肌が綺麗になるらしいのだ。
「ったく、体が腐ったってのにいったいなにを喜んでるんだか……」
新庄が呟いた。
陰口というよりは、みんなにも聞こえるように言っていた。
上田は、新庄にはあまり関わりたくなかったが、日暮のことをバカにするのは許せなかった。
上田が立ち上がって反論しようとしたとき、上田よりもはやくに松村が立ち上がって新庄に突っかかった。
「おい、いい加減にしろよ新庄! まだゾンビだのゾンビじゃないだの言ってんのか?」
松村が怒った。
最近の松村はなんだか怒りっぽくて、なんだか以前の新庄を見ているようだった。
松村が人間の子どもに向ける態度は、以前新庄が自分に向けてきた態度と同質のもののように感じて、上田は苦手だった。
しかし、それにしてもその時の松村のキレ具合は普通ではなかった。
新庄も松村も日暮のことになるとやけにムキになるのだった。
ひょっとしたら日暮のことが好きなのは自分だけではないのかもしれない、と上田は思った。
上田も本当は松村と同じくらい怒っていたが、松村がものすごい剣幕で怒ったのでなんとなく自分はもういいかなという気持ちになってしまった。
ケンカは痛いしこわいのでもううんざりだった。
上田はそれよりも自分の右腕がすこし腫れていることに気になった。
どうやら知らないうちに虫に刺されてしまったようだ。
「俺につっかかってきてる時点でお前だってゾンビだのゾンビじゃないだの言ってるだろ。なんだよ、そうやってすぐ声を荒げるなんてやっぱりゾンビは野蛮だな、人間を襲いたくてしょうがないんだ。ちょっと前までは俺に逆らえなかったくせに数が逆転したとたん調子に乗りやがって」
新庄が言った。
松村はますます怒った。
日暮が心配そうな表情で二人を見ている。
「来いよゾンビ野郎、再生できなくなるまでボコボコにしてやる」
新庄が言った。
そのまま二人のケンカが始まった。
このクラスはケンカをしてばかりだ。
上田は腕が痒いなと思った。
新庄が松村に殴りかかった。
右拳が松村の顔面に直撃する。
松村の鼻から赤い血が垂れた。
新庄がザマアミロというように余裕の笑みを浮かべる。
しかしその瞬間、松村は怯むこと無く油断した新庄に殴りかかった。
いまの一撃で勝負が決まったと思っていた新庄は、おもわぬ反撃に対処が遅れた。
松村の右拳は新庄の顔面に直撃した。
仰け反る新庄。
「やめなよ二人とも! わたし先生呼んでくるから!」
日暮が叫び、教室から出ていった
「腐った拳なんて痛くも痒くもねぇんだよ!!」
日暮の制止も聞かずに新庄が叫ぶ。
新庄の頬は赤く腫れていてとても痛そうだった。
上田はまだ腕が痒かったがいまはあまり関係ない。
一方、ゾンビの再生力で松村の鼻血はもう止まっていた。
「自己再生もできないなんて、人間て脆いな」
松村が煽った。
勝負が進むにつれ、自己再生能力のある松村が有利になっていった。
新庄は徐々に消耗していき、ボロボロになっていた。
「上田、お前も殴れよ。こいつにボコボコにされてばっかりだったろ?」
松村が言った。
「うーん、それよりいま虫に刺されたみたいでなんか痒いんだよね」
上田は腕をあげて見せた。
「テメェ! 俺をバカにしてんのか!? 散々殴った俺が憎いんだろ!? 殴れよ上田!!」
新庄が吠えた。
上田は新庄を殴った。
本人に殴れと言われたのなら仕方なかった。
新庄の頬は思っていたよりも硬く、右手が痛かった。
ケンカはやはり痛いのでよくない。
しかし、人を殴るなど本来よくない行為のはずだけれど、なぜか、そのときは殴る方が正しい気がした。
「コラ! お前たち! 何してるんだ!」
日暮が松岡先生を連れて戻ってきた。
ちょうど殴るところを見られてしまった。
だが、日暮に人を殴っているところを見られた。
理由はどうあれ、できれば日暮には暴力を振るっているところをあまり見られたくなかった。
日暮の澄んだ瞳に反射して上田自身の姿が見えた。
その姿は人間を襲うゾンビそのものだった。
ボロボロになった新庄を見て松岡先生は頭を抱えた。
「ったく、ゾンビウイルスが流行ってからうちのクラスは……」
先生の背中は以前よりも小さく、くたびれて見えた。
二人に殴られた新庄が、目に涙を浮かべなから保健室へ連れていかれた。
上田と松村はその後泣くほど怒られた。
その日の帰り道、以前上田がいた橋の上に新庄が立っていた。
以前の上田のように、憂鬱そうに川を眺めている。
大変だ。
早まってはいけないと思った。
いくらゾンビから殴られるようになったからといって、なにも死に急ぐことはない。
上田は新庄が苦手だったが、死んでほしいとまでは思っていなかった。
止めなければ、そう思って上田は走り出した。
しかしどうやら新庄はそもそも飛び降りるつもりではないようだった。
上田が駆けつける前に、新庄はその場から離れた。
新庄は川の下のなにかを見つけ、橋の下へと駆け出したのだ。
猫だった。
しかも、以前上田が助けた猫と同じ猫だった。
あの猫は上田を噛んだせいでゾンビ化していた。
ゾンビになってもあまり変わらない毛並みと姿形だったのですぐにわかった。
あの時せっかく上田が助けたにも関わらず、懲りずにまた溺れているのだった。
新庄は迷わず川の中へと飛び込んだ。
彼は上田と違って泳ぎが得意なようだった。
ゾンビ猫を抱えて岸へとたどり着く。
その姿はなんだか勇ましく見えた。
そして新庄は猫に噛まれた。
上田は強いデジャブを感じて少し笑った。
「あ、おい! なに笑ってんだよ!」
新庄が怒鳴った。
相変わらず恐かったが、以前のように手が震えるほどではなかった。
「ゾンビ化したら目がとれやすくなるから気をつけて、慌てずに入れ込めば大丈夫だから」
上田が言った。
新庄は黙って上田を見つめてから言った。
「今度給食のみかん一個おまえにやる」
新庄はため息を吐いて言った。
上田は驚いて新庄を見つめた。
「腐るってのも悪くないのかもな」
そう言って少しだけ笑った。
上田には新庄がなにを考えているのかはわからなかったが、新庄がすっきりした顔で笑うので上田も少しだけ笑った。
明日からは、学校に行くのがそんなにいやではなくなるかもしれないと思った。
次の日、目が覚めると上田の体はもう腐っていなかった。
立ち上がった拍子に目がポロっと落ちることもなければ、腐りかけた肌の青白さもなくなっていた。
しかし、元どおりになったわけでもなかった。
今度は顔が真っ赤に染まり鼻が伸びていた。
その鼻の長さはまるで外国の童話に出てくる嘘つきの人形のようだった。
そして背中にはカラスのような黒い翼が生え、ちょっと力を入れるとバタバタと動かすことができた。
上田は驚いたが、そのまま羽ばたいて少し宙を浮いてみた。
翔べる。翔べるぞ。
自分の赤い鼻を少し触ってみて、少し前に虫に刺されて赤く腫れたことを思い出した。
上田は病院に行って検査を受けた。
今度はテング熱だった。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
連載物のお話を書くことの難しさがわかりました。