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2-1:塩鉱

 かような経緯で、屋敷に馬賊の姫君を迎えることになった。色々言いたいことはあれど、俺の一存で国同士の取り決めをひっくり返すこともまた困難である。


 ここで問題が一つ。

 遊牧の姫と引きこもり。まったく生活習慣の違う二人が起居を共にしたとする。最初に、何でつまづくか。

 俺は知見を得た。

 起床時間である。


「フランツ様」


 早朝、ダンタリオンが寝室に呼びに来た。

 俺は精神肉体その他もろもろの疲労で、ひどく眠かった。一日かかった婚姻の宴から、まだ翌朝なのである。地味に酔いも残っていた。


「う~ん。なんだ?」

「奥様がお起きです」

「え」


 身を起こし、鎧戸の隙間から外を覗いた。

 太陽はまだ地平の下だ。朝というより、夜の続き。ひんやりした空気が外から吹き込んで、ぶるりとしてしまう。


「は、早いな」

「ランプを灯し、奥様の寝室でなにやら準備を」


 仮留めの縁ということで、俺とサーシャの寝室は分けられていた。気兼ねしないので助かるが、こういう時は不便である。


「何度か廊下を、と言いますか、フランツ様のお部屋の方をご覧になっていたようです」

「むむ……」

「まさかとは思いますが、なにか早朝にお約束でも?」

「な、ないぞそんなの」


 ひそひそ話していると、扉が叩かれた。


「フランツ」


 びくっとした。


「ダンタリオン、尋ねてきたぞ」


 寝ていてもいい時間のはずだ。いや、それともこれが世間の常識なのか。

 初日の朝から、生活は主導権争いの色を帯びた。


「どうすればいい」

「いえ……どうと申されましても。まずは、お出になればよろしいかと存じます」


 それもそうだ。

 うろたえぶりに赤面した。

 この感じは、あれだ。礼を失する例えだが、初めて猫を飼った時に似ている。互いにどんな生態か分からないのだ。


「こちらで顔を」


 ダンタリオンが、濡らしたタオルを持ってきてくれていた。顔を軽く拭って、ローブをはおる。

 意を決して扉を開けた。

 サーシャは、黒髪を後ろでまとめていた。驚いたのは、すでに薄赤の衣服に着替えていたことだ。腰に帯を締めて、下はズボンである。

 いつでも馬に乗れる装いだ。


「……まだ寝ていたか」

「察しの通りだ」


 言外に出直して欲しいと匂わせたが、サーシャは告げた。


「念のため、確認したい」

「うん?」

「今日は塩鉱を見せてくれる、という約束であったと思うのだが」


 そういえば、宴でそんな約束をした。フランツィアの案内でも、塩鉱を見せると言ったのだった。

 鳶色の目は珍しく、ちょっと不安げに揺れている。


「ああ。もちろん案内は構わんが……」


 欠伸を噛み殺す。目がしょぼしょぼした。


「なにも、こんなに早くなくても。午後に出ても十分に着ける」

「ん」


 サーシャが口を結んだ。


「やはり。近いのか?」

「少し遠いが……あ」


 姫君は旅する民なのだと思い出した。

 俺は漠然と『塩鉱は少し遠い』と教えた。具体的な距離は、伝えていない。


「遊牧民の距離感か」


 この人らは、そもそも距離感の違う民なのだ。

 サーシャは早朝に出発すると思った可能性がある。彼女の側から頼んでおいて、寝坊など論外だ。ゆえに大事をとって、早めに起きていたというところか。


「案内か……」


 狙い澄ましたようなタイミングで、廊下の窓が明るくなった。荒野に朝日が昇っていく。

 サーシャはさすがにばつが悪そうな顔をした。


「どうやらわたしの思い違いだったようだ。すまない、出直す」

「いや」


 頭をかいた。

 どの道、サーシャ達には塩作りについて教えなければならない。交易路など手探りだが、実際に連れて行って、話し合わない限りは課題さえ見えまい。

 ならば早めに済ませた方がいい。


「目が覚めたし、午前中に出よう。汗をかくから、朝食は多めにな」


 とはいえ馬賊の姫君との付き合いは、まずは生活改善からせねばなるまい。



     ◆



 塩鉱に辿り着いたのは、昼近くになってからだ。荒野の気温はじわじわと上がり、馬の背には汗が光る。

 俺達は日差しと土埃を避けるため、すっぽりとローブを羽織った。サーシャに限っては、日焼けを気にしてか口の周りにまで布を当てている。砂が日光を照り返すので、地面からも肌を焼かれる土地なのだ。

 姫君は感嘆の息をついた。


「ここが、塩鉱か」


 かつん、かつん。

 蒼穹に、岩を叩く音が響く。

 ツルハシを振っている姿は見えない。当然だ。彼ら鉱夫がいるのは、掘り下げられた窪みの内側だ。

 人の背丈ほど掘り下げられた縦坑で、三〇〇余名の男達が、地面の白い筋に向かって鉄のクチバシを振り下ろす。

 それが、塩鉱だ。

 あちこちにスコップだのツルハシだの、工具を満載した荷車が置かれている。錆には青銅の方が強いため、黄色の輝きも目だった。


「聞きしに勝る規模だ」


 砂煙で、遠くは霞んでいる。

 坑の外周部では、ラクダ達が暇そうに持ち込まれた草を食んでいた。


「日にどれくらい塩を掘るのだ?」


 好奇心旺盛である。

 サーシャは鳶色の目をきらめかせた。


「一番多い時で、千デール」

「あなた達の、重さの単位だな」

「ああ。つまり、この板が千枚分だよ」


 岩陰に立てかけてあった、一枚の岩塩板を示してやる。

 横は大人の肩幅くらいで、縦は腰ほど。厚みは親指一本ほどで、ぎりぎり抱えて持てる大きさだった。

 これが一デールの岩塩である。たかだか塩だというのに、鈍く白い塊は、まるで鉛のような存在感だ。


「より近くで見たいな」


 サーシャは馬を降り、わざわざ触れに行った。


「冷たい」

「仮にも、鉱物だからな。日陰に置いておけば、ひんやりしてる」

「これが千枚か……!」


 サーシャは延々と続く、穴ぼこだらけの土地を見渡した。お気に召したようで、声は弾んでいる。


「やはり、大変な規模だ」


 不意に、ヴェエエとラクダの鳴き声がした。

 荷物を満載したラクダが俺達の方へ歩いてくる。乗り手の声がないと思ったら、寝ていた。二つのコブの間を荷物で埋め、その上でうつらうつらとしている。

 サーシャはラクダを見上げて、感心した。


「器用なものだ」


 大きな尻が遠ざかる。俺は言った。


「ここじゃ、ラクダが王様だ」


 サーシャが問い返す。


「王様?」

「塩も物資もラクダが運ぶ。たとえ真実王様であっても、ここじゃラクダに道を譲るんだ」


 切れ長の目が細められた。布で口は隠されているが、笑ってくれたものと信じたい。


「ふむ。確かに、健気な働き者である」


 ラクダは賢い。主が眠っていても、コースを覚えていて、きちんとそこまで荷物を持っていく。

 通り過ぎたラクダも坑の近くまで行き、命じられずとも座った。ラクダ使いはそこで目覚めて、ずり落ちそうになっていた。


「ふふ。(しもべ)が、主を起こしたぞ」


 サーシャはまた笑う。それにしても居眠りとは。俺の威厳まで削げていくようで、ちょっと居心地が悪かった。


「サーシャ様」


 伴に来ていた、馬国の男が口を開いた。


「コルに、ここの岩塩を砕いて入れるのも手かと」

「なるほど。道理だな」

「塩の積み卸しをやっているようですので、商談になるやも」


 聞き慣れない単語に、思わず聞き返してしまった。


「コル?」


お読みいただきありがとうございます。

次話は明日投稿いたします。

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