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1-6:交易路

 屋敷へ戻ると、ばあやがパタパタと走ってきた。


「フランツ様、お手紙が」


 王家に許された、紫色の封蝋。

 印面は、楕円(だえん)と三角で作られた、簡単な魚のマークである。

 この印を使う人は限られる。

 差出人を見ると、思った通り、フランツィアからずっと北、緑豊かな湖のほとりにいるはずの姉上からだった。


「……怒ってるかなぁ」


 苦笑する。

 なにせ、姉上が湖でしかける養殖業には、塩が不可欠だ。特に、チョウザメの卵を塩漬けにする食品は、姉上の大好物である。


 ――フランツちゃん!


 よく日に焼けた、姉上の笑顔を思い出す。大輪の花のようだった。


 ――塩をちょうだいね! 雪のように白くて、砂のようにさらさらな、最高級の塩をだよ!


 思えば、家族の要望に応える内に、フランツィアの塩質は顕著に上がった気がする。


 ――もしダメだったら……お願いに行くからね……何度も……何度でも……。


 細められた青い瞳。ブルブル震える。怒らせると本当に怖い人でもあった。


「後で読む」


 そう言って、俺はサーシャを屋敷へ案内した。

 外套に白い肌を隠したサーシャに、ばあやは最初は面食らったようだ。そういえば直接会うのは初めてとなる。

 まるで行商のような恰好で、貴人としか思えない白い肌。ばあやの経験をもってしても、どのレベルの客として遇するか一瞬迷ったようだ。


「フランツ様。あの……このお方は?」


 サーシャはうっすらとした笑みで腰を折る。

 あのじゃじゃ馬ぶりとこの気品が両立するのだから、大したものだ。

 委細を述べるのも面倒で、俺は肩をすくめて誤魔化した。


「じき分かる。東の応接を使うぞ」


 どんな時でも部屋の一つか二つは開けておくというのが、屋敷の決まりだ。急な来客もあるし、その来客同士が顔を合わせると喧嘩を始めることもあり得るからだ。

 サーシャを部屋に通しながら、しばし考える。

 今、紛れもなく、人生の岐路に立っている。

 エリクによれば、婿の座は垂涎の的であったらしい。塩を買う姉上からは恨まれ、他の男からもやっかまれる。そうした問題も起きてくるに違いない。


「見せたいといったのはな」


 部屋に入ると、早速サーシャが木箱を開けた。中には、筒のようなものが入っている。


「……巻物、か?」

「地図である」


 広げる。

 サーシャは艶やかに笑った。


「互いに目的を知り合うには、時間が必要だ。それには直接に語らうがいい」


 開かれた古地図に、目を見張る。乾いた紙の手触り。相当に昔のものだ。


「……この茶色の部分が……荒野か?」


 ふと気付いた。川の曲がり方に、心当たりがある。


「この辺りの地図か?」

「そのとおりだ」


 サーシャは得意げに頷いた。


「三百年以上は前のものだな」


 気が遠くなった。


「さ、さんびゃく?」

「この街がまだ栄えていた頃かな」

「俺が来た頃には、廃墟だったが」

「栄光の時代があったということだ。商国建国以前は、興亡の土地だったと聞いている」


 サーシャも、白い手を地図に這わせる。

 巻物を開くためか、手袋は外していた。

 姫君の手は思ったよりも筋張って、固そうだ。肌は白いが、遊牧の生活は形だけでないらしい。俺は手や肩が触れあわぬように、そっと遠ざかった。


「伝聞や、想像に頼った箇所もある。ゆえに遠い海岸の形はあてにならぬが、それでもかつての交易の証左にはなる」


 鳶色(とびいろ)の瞳は、生き生きと輝いた。

 白い頬も微かに赤くなっている。年下だと思っていたが、こういう表情はあどけない子供みたいだ。


「聞いてほしい。黒い線が川、南に行くほど土の色が濃いだろう。濃いところは本当の砂地、砂漠だ」


 地図の上では、フランツィアは砂に埋もれるかどうかという立地にかろうじてしがみついている。

 サーシャの指が、フランツィアを離れ、北へと滑る。

 彼女らがやってきた道を辿っているのかも知れない。


「ここを見てほしい」


 サーシャの指が止まった。


「山だな」

「うむ。商国とわれら馬国の間には、山脈がある。しかし、ここに一カ所だけ開けている場所があるのだ」

「剣の高原のことか……」


 呟いた。

 商国で数少ない、牧畜が営まれているところだ。乾燥しているのは同じなのだが、標高が高いため夏の暑さもフランツィアよりはマシである。冬には雪も降る。

 サーシャは地図から顔を上げた。


「剣の高原か。商国でも、そう呼ぶのだったな」


 サーシャは口に白い指を当てる。

 ちょっとは紅を乗せていたのだろう。指が少し赤くなっていた。

 指摘するのもはばかられて、ごまかすように言葉を継いでしまう。


「高原は、伝承にちなんだ名だな」

「伝承?」


 サーシャの目がきらりとした。


「……聞きたいな」


 意外なほど食いつかれてしまった。


「わたし達と、同じ伝承があるとすれば面白い」

「ああ。うろ覚えだが」


 俺は記憶を引っ張り出した。


「あー。地の神セオと風の神メディルが、水の女神を巡って戦った。決闘だ。地が揺れ風が吹く内に、山が削れて平らな場所になった……そんな感じさ」


 剣で削れたから、剣の高原。分かりやすい話である。


「ちょろちょろ川が流れてて、そいつが女神の涙だって言われてるな」


 そこまで話して、うっと呻いた。

 思い出した。嫌な記憶を。脂汗が滲んだ。


「どうした?」

「いや、その……」


 俺は、宮で兄ともこの話をしたことがある。「ぎゃああ」と叫び出したくなったが、辛うじてこらえた。

 以下は、俺の脳裏を高速で過ぎった、長兄の所業である。


 ――兄上、女を巡って争うなんて、まったくの馬鹿ですね! 理解できない!


 ――おう弟よ、そいつは悲劇だ。物語が悲劇なんじゃないぞ。十五才にもなって、決闘したいほど魅力的な女の子に会ったことがないなんて、お前の人生こそ悲劇だぜ!


 こうして十五才の純粋な俺は娼館へ蹴り込まれた。ぐすん。

 以降、俺はなんとなく女性という生き物が苦手になってしまった。

 あの時の汚れがなければ、きっと俺はもう少しこの結婚にも前向きだったはずだ。

 兄上め。こんな辺境まで、思い出で俺を攻撃してくるとは。


「た、立ちくらみだ。気にするな」

「……ならば、よいが」


 サーシャは興を削がれたように口をへの字にした。

 今でも考えは変わらない。

 そうだ、決闘したいほど魅力的な――


「……?」


 鳶色の瞳が見つめ返した。

 いや、まさか、な。

 ありえんありえん。


「話を戻そう。この剣の高原が、草原への入口となる。わたし達もここから、商国へ入った」


 サーシャは言葉を切った。

 俺を見上げるのは、楽しそうな笑顔だ。


「さて。我が君よ、この地図には、実は続きがある」


 サーシャは立ち上がった。

 開いた巻物を持って、机の隅に行く。

 俺の目もまん丸に見開かれた。

 片側十人の長テーブル。サーシャはその隅から、巻物を開き始めたのだ。


「な、なな……!」


 長い。

 巻物が伸ばされる。

 するするする……。


「まだあるぞ」


 サーシャは得意気だ。

 するするする……。


「どこまで続くんだ」

「そろそろだと思うが……ここまでだな」


 べ、べらぼうに長い……!

 俺が見たことある地図は、最も大きなもので、先ほどの剣の高原までだ。

 サーシャの地図は続いた。その先まで。世界の果てまで。

 延々と展開された地図は、十数名が食事する長テーブルをついに占拠した。


「この端を見ろ」


 サーシャは指を、テーブルの隅へ横たわる端っこへ向けた。


「面白いぞ。われらの草原よりも、遙か東。そこには黄金を産出する島国があるという」


 きっと何度も読んだのだ。きらきらした笑顔。

 話すことが楽しくてたまらないのが、分かる。


「商国の西にも、さらに国があった。そこまで書いてある」


 俺は、頷いた。それほどの長い道がかつてあったなど、想像さえしたことがない。


「これが、見せたかったもの」


 大陸東西。海の南北。

 それはかつての交易全てを納めた、壮大な地図だった。

 象牙、茶、金、銀、絹、香料、白磁に青磁、そして塩。


「かつて、この世界は交易によって繋がっていた。大陸の東西を結んでいたのが、荒野を越えて旅をするわれら騎馬の民だ」


 サーシャは言った。


「わたしは、それを蘇らせたい。わたしの、夢だ」


 ただ塩を買いに来たのではない。塩を交易に取り込んで、この長い長い道のりを再び描き出そうということか。


「我が君の(げん)のとおり、塩は内陸部で価値が跳ね上がる。絶対に必要なものだし、なにより腐らない。ばかりか、ものを腐らなくする。これはたいへん重要だ」


 分かるか、と鳶色の瞳が見上げた。


「川や湖で取れる魚も、塩漬けにすれば、それは立派な交易品だ。腐らなくなる」


 サーシャは地図を示す。フランツィアの遙か北には、湖がある。そこでは養殖が行われており、まさにサーシャが言うように塩漬けした魚を捌いていた。


「けれども、当時の正確な道や、井戸の場所、今住んでいる者達のことを知らねば、道はできない。当時と変わったのは、地形だけではあるまい。人も変わっただろうから」


 サーシャの横顔が少しだけ憂いを帯びた。青空がふいに曇ったように、少し気になった。


「人間が一番問題だ。隊商は、強盗にとってよい獲物。人が歩かなかった道には、獣も増えていよう」

「……だろうな。狼に、夜盗もいる」


 フランツィアに疎開の用意があるのも、同じ理由だ。

 しかし、と思う。彼らは天下無双の騎兵集団だ。

 この荒野を渡り、交渉し、井戸を見つけ、歩き抜く自信があるのだろう。


「この地図は、秘中の秘。見せたことは、秘密だぞ」


 そう言って、サーシャは片眼をつむった。

 地図の上では、フランツィアを覆っている茶色。それがいつしか緑に変わり、高原の先まで続いていく。

 へたり込むように、椅子に座り直す。製塩作業の交代を告げる銅鑼が鳴っていた。

 頭がぼうっとする。

 引きこもりに、この壮大さは致死量だ。


「フランツ様」


 執事のダンタリオンが、扉を叩いた。

 サーシャが慌てて地図に飛び付く。本当に秘密のことなのだ。しまうのを俺も手伝った。


「サーシャ、早く隠せ!」

「引っぱるな。焦って皺が寄ると、かえって怪しい」


 二人で作業していると、ガタガタっと扉の外で音がした。

 変に思ったが、まだ地図を閉じ切れていない。


「しかし、我が君よ。ここまで見せたからには、もう後には引けぬぞ」

「お、おい! お前から誘ってきたんだぞ」

「ふふ。なんと、ここまで見ておいて、つれない方だ」


 ガタガタ、と外がさらに騒がしくなる。

 やがて「姫様……」とすすり泣く声が聞こえ始めたが恐らく幻聴だろうと思われた。


「いいぞ」


 許しを出すと、まず老執事のダンタリオンが入ってきた。銀縁眼鏡を光らせて、言う。


「失礼、フランツ様。馬国からお客様が――」


 ダンタリオンの後ろに、眼帯の顔があった。

 あ、とサーシャは口を押さえる。苦り切った顔の巨体は、彼女をしても苦手であるようだ。


「姫様……!」


 一つ目から、滂沱の涙が流れた。

 へ、と俺達は口を開けた。

 老戦士は俺を睨む。人を殺せる眼光だ。


「貴様、剣を取れぃ」


 男は、短剣を差し出した。


「え」

「我が国の決闘の作法である。おのれ! 姫様に、正式な婚姻を前に狼藉をぉ……!」


 すわ戦いが始まると思いきや、ぽん、とダンタリオンが手を叩いた。


「しかし、これはまた。まさに打って付けのタイミングで、お揃いになりましたな!」


 執事は心なしか、嬉しそうである。

 今度は、俺達三人で変な顔をした。


「いかがでしょうか? お集まりでもありますし、詳細を決めませんか」

「詳細?」


 俺が問うと、ダンタリオンこそ不思議そうな顔をした。


「……結婚の、宴のことでございますが」




 以降、『婚姻は仮のものであり大がかりな宴は遠慮したい』という眼帯の男と、『嫁にこられた姫君を宴もせず歓待もせずというのでは街の誇りにかかわる』というダンタリオンが、論戦を交わした。

 『面白そうだ』というサーシャの意見が議論に火をつけ、ばあやとエリクまでやってきた。

 最終的に判断を求められた俺は、勢いに押されるまま首を縦に振ってしまった。


 俺は冷静に考えた。

 静かな余生。

 それは彼らの魔手から逃れられるほどの逃げ足を持っているだろうか。


キーワード解説


〔遊牧民〕


 家畜を飼い、飼料となる牧草を求めて移動する人々。

 つまりはサーシャ達のこと。

 草原など畑に適さない土地でも、家畜を草で養い、その肉を食べることで生活できる。

 また、幼い頃から馬に親しんでいる場合が多く、戦いでは精強な騎兵を誇る。


〔交易路〕


 交易、つまり商売をするための道。

 荒野や砂漠など、極地を超える交易はリスクが高いとされ、運ぶものの価値が特に大きい時にだけ企図される。サーシャ達は岩塩に運ぶ価値を見出したのだろう。


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