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4-17:夫婦

 俺は呆気にとられていた。

 始まりかけた最後の戦いが、猛烈な勢いでしぼんでいく。

 谷間を騎馬が駆けてくる。それだけは分かった。坂道で加速したのか、たいへんな勢いだ。


「……これは」


 テオルもまた、唖然としていた。

 引いた弓を俺へ向けているが、放ったものかどうか、迷っているらしい。おそらくはザザ率いる、完全武装の騎兵がこの場所へ向かってくる。

 無力な王子を殺しても、次はあの騎兵と戦うのだ。サーシャの騎兵を一網打尽に始末する、という当初の絵もすでに破れている。


 なんという嫁か。


 唐突に天を仰ぎたくなった。

 二人の夫候補が、せっせと互いの誇りを粉砕しあっている間に、サーシャは窮地を脱する手配を自力で整えていたのだ。

 文を思い出す。


 ――来てはならぬ。


 ――私が守る。


 あれ、本当のことだったのか。


「テオル!」


 叔父が叫ぶ。鬼のような、凄まじい形相だ。


「早く撃て! 父に、逆らうつもりか!」


 テオルの顔に逡巡が過ぎった。

 次いで、涼やかな声がやってくる。


「テオル」


 サーシャが壇を降り、いつの間にか、俺とゲイルの前に立っていた。

 俺は馬を降りた。

 彼女の前に立つ。


「フランツ」

「後ろにいろ」


 意地でも、ここは譲らなかった。あの夜、守ると誓ったから。

 俺達の視線が、テオルとぶつかった。

 銀の馬にまたがった大男は、まるで鉄の巨人だ。

 それでも、目はそらさない。


「くそっ」


 テオルは、弓を放した。汚らわしいものを捨てるように。苦渋に満ちた顔で、俺を見る。


「テオル!」

「父上」


 テオルは言う。ザザ達の馬蹄が近づいていた。


「……もはや、機を逸しています」


 叔父は舌打ちをした。子鬼のような顔で、必死にまなじりを上げ、草原の言葉でテオルを罵倒した。大男は黙って全てを引き受けた。

 兵士達がやってくる。叔父側の兵士がテオルを囲み、父側の兵士が俺達を囲んだ。

 依然として、馬蹄の音がする。


「サーシャ」


 鳶色(とびいろ)の瞳と目が合う。腕を引き、サーシャを抱き寄せた。


「あ――」


 会いたかった、と言おうとした。

 が、口が意思に反した。気が大きくなっていたのかもしれない。決闘に勝つと、大抵の男は正気を失う。


「愛している」


 サーシャの頬に朱が走る。


「そ、えっと」


 目が合う。彼女の方から瞼を閉じた。

 唇を、さらう。

 かぁん、と鐘の音がする。互いを確かめ合うように、腕に力がこもった。

 この人が、いる。

 実感が、大波のように押し寄せた。

 鐘が鳴っている。何度も、何度も。強く、強く。互いを求めあった。

 乱打される鐘は、いつまでも止まない。


「突撃! 突撃ぃ!」


 がばっと二人して離れた。

 俺は何をやっているのか。

 これは、そういう(、、、、)鐘ではない。戦いはまだ続いているのだ。

 周りには、フランツィアの仲間を始め、兄カイドゥや兵士もいる。顔に太陽ができたようだ。彼らからの視線は、観察する勇気がちょっとない。


「ふ、フランツ」


 サーシャが声を震わせた。唇に指を当て、自分の行動が信じられないといったように、首を振った。


「も、もう少し状況を見ろ」


 もっともな指摘だ。当人が真下を向いていたら迫力も台無しだが。


「いや、し、しかしお前だって」

「あるだろ! その、前振り、とか、空気とか……!」


 サーシャの頬は耳まで赤い。鳶色の目はわなわな潤んで、右往左往していた。

 きっと指を突きつけてくる。


「初だぞ!」


 おそらくこの表情を心に刻めば、以後数十年に渡り主導権は安泰だったろう。しかし、残念ながら、俺もまったく同じ有様であり、状況のダメージは俺も彼女も同様だ。

 こんな物騒な結婚式であってたまるか。


「も、もういい!」


 サーシャは強引に会話を取りやめた。

 ちゅうした、ちゅうした、とフランツィアの仲間が騒いでいた。

 姫君は一睨みでそれを黙らせた。

 エリクはニヤニヤ笑っている。


「きひひひひひひ」


 不気味すぎる。


「フランツ。騎馬が来る」


 サーシャが言った。真っ赤な頬だ。

 先程の鐘は、よりによって騎馬突撃の合図だったのだ。

 サーシャも今回ばかりは、持ち前の凜々しさを引っ張り出すのにかなり苦労しているようだった。


「ザザ達か?」

「いや、丘の、向こうからもだ」


 そうか。

 叔父達も、騎馬を備えている。考えてみれば、当たり前だ。

 カイドゥが声を張った。彼もまた、自前の騎馬を呼ぶらしい。

 想像して青くなる。


「ま、待て。ここに、三方向から、騎馬が来るのかっ?」


 ザザ達、そして叔父達、兄カイドゥ。

 三方向から荒馬たちがここに殺到すれば、想像を絶する乱戦になる。ぼやぼやしてると、馬に揉まれて原形もわからぬ有り様になろう。


「父上!」


 サーシャが声を張った。

 草原の長はすでに鞍上だ。人垣を割って、ゆうゆうやってきた。


「見事であった」


 長は、それだけ言った。


「婚姻を承認する。下がるがよい」


 草原の長は、馬に鞭を入れた。まさかこの人も戦うのか。

 気負いも、興奮も、何もない。こんなことは何回もやってきたのだというように。


「さ、下がる……?」


 取り残された俺は、呻く。サーシャが顔を寄せてきた。

 先ほどのこともあって、どきりとする。サーシャは顔をしかめ、俺の足を踏んだ。


「いて」

「分からぬか。叔父の狙いは、私か、あなただ」

「そ、それは分かるが」


 俺が死ねば、商国は草原に介入してくるかもしれない。であれば、科国も容易に引けなくなる。戦いは泥沼になり、叔父の命脈は、その分伸びるというわけだ。

 サーシャは自分の首を指した。


「わたしの身も同様だ。戦果になるうえ、今は、恨まれてもいよう」


 なんといっても、サーシャは叔父の抵抗を挫いた張本人である。

 俺達は、叔父側の兵士に狙われる。この場にいる限り。


「わたし達が残れば、終わる戦いも終わらん。戦功をぶら下げてやるようなもの」

「フランツ様!」


 ブルーとメリッサが、ゲイルを引っぱってきた。

 仲間自前の馬も、すでに用意されている。

 お気を付けて、お気を付けて、と言い残して、馬国の兵達は叔父を押さえにいった。


「そういうことか」

「うむ」


 サーシャはからりと笑った。


「つまり、こうだ。王子よ」


 サーシャは、腰に手を当て、指差す。


「わたしをさらえ!」


 姫君をさらって逃げるとは。物語の世界に入ったようだが、自分からさらえという姫君がいただろうか。

 思わず笑ってしまう。


「……どうした」

「いや」


 取り戻したという実感があっただけだ。


「ゲイル」


 馬は全てを承知といった具合で、身を寄せてくる。

 サーシャを後ろに乗せると、俺は手綱をしごいた。

 馬蹄の音はもはや世界の終わりかと思うほどで、地鳴りのようで、頭が割れそうだった。

 遠くから騎馬の一団がやってくる。


「ザザだ」


 眼帯の老戦士は、一瞬だけ見えた。

 彼らは道を空けるように割れる。生まれた道を、俺達は駆けた。

 フランツィアに向けて。


「ここは大乱戦になるな」

「やむをえん」


 サーシャはこちらの肩を掴んでいる。


「……われら、馬国の責だから」


 後ろを振り返る。

 違和感に気付いた。駆けている馬が、少し、足りない気がする。

 当然いるはずの一人が、いない。


「……エリク?」


 一緒に戦場を脱出する中に、血色の悪い顔がない。


「技師が、いないのか」

「ああ。あいつ、どこに」


 遠くから、科国の将ヴィクトルの悲鳴が来た。


 ――砲を勝手に撃つなっ!


 どん、と音がした。

 振り返ると、何かが空に上がっていく。

 砲弾は雲にまで届くかと思われた。が、あるとき、散った。

 轟音。

 空に浮かぶは、火の花だ。


「炎の、花……?」


 サーシャが呟いた。

 馬蹄以上の、大気と地面の揺れ。

 空が割れたようだ。

 戦場になるはずだったところで、多くの馬が竿立ちになっている。砲声に慣れた馬も、頭上での大音響には、恐慌したらしい。

 誰もが、馬を御するのに精いっぱい。戦いどころではないだろう。

 こんなことをやるのは、一人しかいない。


「悪魔の末裔め。なにをした」






 馬国を苦しめた火薬には、いくつも用途がある。

 大砲もそうだが、他にもだ。特に地面で破裂し、馬を怯えさせたものは、東国由来の『爆竹(ばくちく)』というらしい。

 技師エリクが科国の砲に仕込んで打ち上げたのは、その変化板。

 空に打ちあがり、時間差で爆ぜるそれは、『花火』という。

 どうやら密かに雪原に持ち込んでいた玉は、こいつであったようだ。


 ――めでたい席で上げるものです。


 最後の最後に無茶をやり、科国に捕まった上で送りかえされてきた技師は、後日、そう胸を張った。俺達は親愛を込めて小突き回した。


 商国、馬国、科国。

 三国を巻き込んだ求婚戦争は、最後の戦いを不発に終え、そのまま終戦となった。

お読みいただきありがとうございます。

こちらが、本編最終話となります。


エピローグは、本日20時頃に更新です。


長らくのお付き合い、ありがとうございます。

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