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48/50

4-16:勝敗

「なに」


 テオルの声が、確かに聞こえた。

 横目に、銀馬の吐息が見える。真っ白で、明らかに息が荒い。

 俺はゲイルを励ました。

 今だ。

 行け。

 テオルが叫んでいた。敵が、必死に鞭を入れる。その姿が、次第に後ろに下がっていく。

 偉丈夫が絶望に呻いた。

 ゆっくりと、ゲイルが敵を離す。

 周りは、悲鳴を上げているだろう。大番狂わせだ。引きこもり王子が、馬国の俊英を下そうとしているのだから。

 背後に見えるテオルの馬は、すでに口が開いていた。はっ、はっ、と息が漏れる。

 ゲイルは落ち着いたものだった。むしろここにきて力を振り絞るように、全力で駆ける。


 最後の直線。伸びが、明暗を分けていく。

 俺もまた必死に鞭を振った。


 後で気づいたことを、織り混ぜて話す。

 速駆けは、想像以上に、俺に有利な勝負だった。

 サーシャが『有利』と言ってくれたのは、この点にこそある。


 テオルは、偉丈夫だ。体が大きく、英雄の体格。

 俺はやせっぽち。最近の激務で、さらに体重を落としてもいた。

 最後の最後に、それが効いた。

 不慣れな砂地と、予想外に粘る俺達に、テオルの馬は体力を消耗していた。最後の一押しが、荷物(、、)の重さだ。


 端的、単純、そして身もふたもない言い方をすれば――やせ型の俺は、騎手の体重分、有利だったのだ。


「それまで!」


 駆けきった。

 判定人は、ゴールの両脇に二人が置かれている。

 彼らは引きこもり王子が勝ったのが信じられなかったのだろう。駆け終わって振り向くと、呆然とこっちを見つめているだけだった。


「目ぇついてんのか!」


 ここで叫んだ門番のレッドは特筆に値する。神経が太すぎる。

 すぐに、馬と同じ赤色の旗が掲げられた。


「しょ、商国の方が早い!」


 手綱を引いた。

 ゲイルは止まってもまだ、体から湯気を出し続けた。テオルは信じがたいものを見たように、こちらを見つめている。


 勝った。


 呆然と辺りを見回した。音が感じとれない。

 遠くのサーシャと目が合い、頷きを交わし合った。


「あああ!」


 声が漏れた。

 絞り出すような、疲れてみっともない、それでも勝利の叫びだ。

 今まで、家族の姿を遠くから見ているだけだった。全力で駆けて、勝ちというものを掴んで、ようやく分かったことがある。

 俺はやはり――兄上や、姉上のようになりたかったのだろう。

 一度は、誰かの、英雄に。

 憧れていたんだ。


 ぱちぱちと、場違いなほど呑気な拍手。

 観戦台で勝負を見届けていた、サーシャの父と、叔父である。間に挟まれるようにして、サーシャが立っていた。


「見事であった」


 草原の長、サーシャの父は言う。

 次いで、切り裂くような声が来た。叔父だ。


「テオル!」


 テオルが弾かれたように、観戦席へ向いた。

 大柄な体の上で、細い目が苦渋に歪む。

 叔父は、小さい体で、どこからそんな声を出したのかと驚くほどだった。


「分かっておるな」


 テオルは、鞍上で下を向いて動かない。

 見つめていると、目が俺と合った。苦しげに、顔を歪める。


「取れ」


 遠くから、何かが放られた。

 勝負終わりの、一瞬の隙を全員が突かれた。

 テオルがそれを握る。遊牧民が用いる短弓だった。

 遠くで、弦が鳴る。飛来した矢を、テオルは空中で掴み取った。そいつを己の弓に番え、俺に向ける。


「停戦は、破棄された!」


 叔父は歌い上げるように言った。

 雪原の空気が、張り詰める。テオルがぎりと弦を引き絞る音が聞こえた。

 鳶色(とびいろ)の目を見れば、本気と分かる。


「なっ」


 間抜けな声が出た。

 辺りを見まわす。

 愕然とした。誰も助けに来ない。いや、来れないのだ。

 もはや指の動き一つで、テオルは俺を殺せる。

 サーシャを見つめる。姫君の白い顔は、ずっと俺の方を見つめていた。


 ――裏切った者は、何度でも裏切る。


 警告を思い出すのと、叔父の声は同時だ。


「名誉が得られぬなら、もう一度、武力での君臨を目指すまでだ!」


 見上げる空に、すうと狼煙(のろし)が立ちのぼっていた。

 なんだ、と思う間もなく、山間部から砲声が轟いてくる。


「砲が」


 草原にどよめきが生まれた。

 あの山では、砲が砦を囲んでいたはずだ。ザザ達を始めサーシャの仲間達が、今もそこに閉じ込められている。

 将ヴィクトルが、椅子を蹴って立ち上がった。


「私じゃないぞ!」

「そうだ」


 叔父は言った。ここから見ても、ヴィクトルの顔は真っ青だ。


「私の一族だ。狼煙と共に砦を撃つよう命じてあった。慰めになるかは分からぬが、盟友に対しすまぬとは思う」


 ヴィクトルは、どかっと乱暴に腰掛けた。

 だんだんと、絵が見えてきた。

 決闘に負け、サーシャという草原の立場を保証するものを失った。科国も、塩の道に協力するかも知れない。

 草原の中にも、外にも、叔父は孤立する。草原の支配など、夢のまた夢。

 だから、賭けに出た。

 商国の王子を殺し、停戦を破壊し、ついでに草原の争いに商国まで巻き込む。

 冬開けに一転攻勢を受けるなら、この場で泥沼の戦いを始めてしまえばいい。ついでに、山間の砦で孤立したザザ達も始末できれば、敵の重要な戦力も処理できる。

 しかし考えても――普通、やるか?

 和平を追う道もあったのに。俺は、やはり、考え方が甘いのか。


「動くな」


 テオルの弓が、俺に向けられていた。

 叔父は言う。


「そうだ、テオル。息子が、父親に逆らってはならぬ」

「叔父上」


 りんと鳴るような声が、雪原に転がった。

 サーシャが、壇の上で声を張っていた。姫君の声はよく通る。


「あなたは最後の名誉のひとかどをも、自分の手で無になさるか」


 叔父は何も応えない。

 俺に向かって弦を引き絞る音が、聞こえるだけだ。


「姫君よ、座るがよい」


 叔父は言う。

 隣にいるサーシャの父は、沈黙したままだ。山の方を、見ているのだろうか。何を考えているのか。


「姫君の騎兵も、もはやすでに亡いのだから」


 砲声は止まない。砦はぐちゃぐちゃに壊され、今頃は、叔父の兵が侵入しているのだろうか。

 その時、耳を微かな音がかすめた。

 視線を、向けられた矢尻から逸らし、山の方へ。

 見えたのは、土煙だった。

 砲によって砦が崩れたのではない。煙を上げながらも、砦はまだ立っている。

 粉塵は、その下からだ。

 断崖から土煙が上がっている。

 まるで何かが――とんでもない勢いで駆け下りているように。

 目を凝らし、耳を澄ます。砲声に混じって、馬蹄の音が確かにした。


「……馬、だ」


 唖然とした。断崖を、馬群が駆け下りているのが確かに見えた。数百騎はいるかもしれない。


「馬鹿なっ」


 叔父が叫んだ。

 サーシャは涼しげな声で、腕を振るう。


逆落(さかお)とし」



     ◆



 再び、又聞きで話すことをお許し願いたい。


 サーシャ達が孤立していた、崖の砦。

 かつては対岸の崖とを結ぶ橋があり、それが崩落して以降、崖に向いたどん詰まり。

 砦に残っていたザザ達は、その斜面を駆け下りた。

 テオルの話によれば、先日、鞍のない裸馬が崖下にいた。おそらく斜面から駆け下りることを見越し、無人の馬を放ったのだろう。裸馬の道筋を行けば、降りられるという理屈だ。


 あの砦を建てたのは、かつての草原の長――つまり、サーシャの祖父という。

 フランツィア庭師のロブ爺さんは、崖の方へ向いた出口は、崩落した橋の残骸だと言った。しかしこうして見れば、そして建設者がサーシャの祖父という騎馬の民最盛期の人であったことを鑑みれば、別の用途が見える。


 崖への出口は、橋の残骸ではない。

 真の騎馬の民だけが駆け下りることができる、勝手口(、、、)として残されたのだ。

 サーシャはこの手を見越して、谷間の砦にこもったのだろう。

 馬蹄が響く前、剣の高原を囲う山には、勝ちどきが轟いたと聞く。


 ――行くぞぉっ!


 遙か昔に絶えたはずの、馬使いの技。

 崖降りの先陣を切ったのは、眼帯をした老戦士だったはずだ。


キーワード解説


〔逆落とし(さかおとし)〕


 馬で急な斜面を下ると、頭が下になることから、この名がついたという。



――――――――――



お読みいただきありがとうございます。

次回(本編最終話)は、本日19時頃に更新します。


エピローグは、本日20時頃に更新です。


長らくのお付き合い、ありがとうございます。

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