4-14:塩商人
「雪を融かす。融雪剤とでもいいましょうか」
俺は手を広げた。口角を上げる。
背筋を伸ばし、自信ありげな姿を見せつけろ。
「食用に適さない、苦い塩。こいつで十分、その用をなします」
「ふむ」
科国の将、ヴィクトルは腕を組んだ。馬国に売っていた、悪い塩を思い出しているのかもしれない。
白い顔はまだ不思議そうだ。睫毛の長い目が、何度も瞬きしていた。
「……しかし、信じられん。塩が、これほどまでに雪を融かす?」
やはり、初耳であったようだ。胸をなで下ろす反面、奇妙でもある。
「少し、不思議でした。雪かきの話はあれど、あなた方の国からの書物には、いっこうに塩で雪を融かした記録がない」
ヴィクトルは軍服の身を揺すった。
「そもそも、地面にまこうと思わん」
もっともな話だ。周りを見ると、塩をまいたと聞いて目を見開いている遊牧民の、多いこと。
俺も苦笑しておいた。
「ニシンやタラ漁の人間なら、経験的には知っていたかもしれませんな。それか、鮮魚飛脚です」
「飛脚?」
魚がある以上、鮮魚の運搬ニーズはある。
彼らは氷に塩を振って届けることがある。魚は冷たいまま届くが、直接塩に触れた氷は、あっという間に小さくなる。
俺の説明を、ヴィクトルは興味深そうに聞いていた。
「しかし――塩で凍らなくなるなら、海が凍る説明がつかないが」
「北国なら、たとえば井戸水は凍っても、海水は凍りにくいということを、聞いたことはありませんか?」
フランツィアでも、似たような現象は起きる。
塩辛いオアシスや、天日製塩の水溜まりだ。荒野は冷える。そして、明け方の寒さで井戸水が凍るほどでも、塩水は凍らない。
もしかするとエリクは、こいつを観察して、塩の効果に気付いていたのかもしれない。
「……なるほど」
ヴィクトルも、同じ結論に辿り着いたようだ。
「技師は、言います。塩には、水を凍りにくく、融けやすくする効果があると」
雪原にコースが出現した理由は、単純だ。塩をまいたところだけ、氷が融けやすくなったのだ。
「これだけのコースを作るのに、五〇デール(1.5トン)必要です」
「五〇……?」
「製塩地なら、半日作業ですな」
ヴィクトルに向き直った。
効果を自慢するだけでは、商いにならない。
「雪を融かしやすい塩の、精製法をお教えします」
ヴィクトルは眉をひそめた。きっと、この塩を売りつけられると思ったのだろう。
俺はいったん言葉を切り、同情するように首を振った。
「雪の上で、砲を運ぶのは大変だったことでしょう」
将の目の色が変わった。
サーシャを追いに入った山で、この人らは立ち往生している。雪道の車輪は、この人には堪えている。
ヴィクトルは微苦笑を浮かべた。
「確かに。この塩があれば……山道の氷も、少しはマシだったか」
なるほど、と得心した。ただの雪でなく、地面はジャリジャリに凍結していたと想像する。車輪をそりに変えても、焼け石に水だっただろう。
「ただし」
俺は大きく頷いた。
次は、殺し文句だ。
「この使い道には、塩が大いに要りますな」
テオルがはっとしたのが見えた。
ヴィクトルは手で促してくる。
「ふふ。それはそうだ」
「悪い塩を、今まで、あなた方は馬国に売っていた。これからは、自国内の雪に使うことも考えるべきでしょう」
馬国の北は、科国から悪い塩を買っていた。
しかし、科国は今、新しい使い道を知ったのだ。
「質の悪い、不純物のある、苦い塩の方が、雪を融かす効果は高い」
フランツィアで苦い塩を作ったのは、このためだ。にがりや石灰を多く含んだ塩の方が、雪を融かす効果は高い。
ヴィクトルは頬を歪める。
「質の悪い、塩か」
科国が馬国に売っていた塩は、硝石をはじめ、不純物が多い。苦みもある。そういう塩こそ、雪を融かす。
……というか、やっぱり、質が劣悪だとは知っていたんだな。
「今、雪を融かしたのには、あなた方が売っていた塩も混ぜています」
さて。
果たして科国は、今までと同じく、馬国に塩を売るだろうか。
使い道が増えれば、使う量も増える。
「港、工場、鉱山。冬でも荷車を使う場所は、少なくないでしょう」
鉱山では、レールに台車を載せる。工場でも、港でも同じだ。
ヴィクトルは視線を彷徨わせる。
俺はできるだけ力強く聞こえるよう、心掛けた。
「砂に車輪をとられる感覚ならば、よく分かります」
いつも大雪ならば開き直ってそりを使えばいい。が、そんな地域ばかりでもない。科国は砲などに優れた、鍛冶の国でもある。金属製品は重たい。たった一抱えのものも、四十デール(一トン)だ。
鍛冶の国なら、雪の上でなく、固い地面を踏みしめたいはずなのだ。
どこからか、呻くような声がした。
「……科国で、より多く塩を使えば」
大柄なテオルの、後ろからだ。
独り言だったのかもしれない。
背の低い、いかにも狡そうな顔をした男が立っていた。金板をあしらった豪華な装束だが、ほとんど体が埋まっている。
「父上」
テオルがたしなめた。
そうか、あれがサーシャの叔父。つまりは、テオルの父か。
俺が視線を向けると、小男は鼻を鳴らした。
続ける気はなさそうなので、俺が引き取ることにした。
「そう。科国が馬国に塩を売る余裕は、少なくなる」
指を一つ立ててみる。格好つけすぎだろうか。
「しかし、そも、たいへん質の悪い塩と聞いています。食べるためでなく、雪や砲に使えばいい」
「では、我々の塩はっ」
叔父が叫び、テオルが渋面を作った。
科国の将、ヴィクトルは顎を撫でる。
「塩の道、か」
絶好の合いの手だ。
俺は一礼を送った。
「はい。塩の道を馬国の北まで延ばす。科国は己の塩を国内で使え、馬国はよりよい塩にありつける」
ヴィクトルは目を上げ、こちらを見た。互いに利のある話だと、理解している。
「失礼だが、そちらの塩はそんなに安泰かね」
「新しい鉱区で次々に試掘していますが、塩が枯れる兆しはありません」
押しどころだ。
「科国は、去年は不漁だったようですね」
将ヴィクトルは組んでいた手を解き、困ったように笑った。帽子を脱ぎ、頭をかく。
「……これは、また。よくご存じだ」
商いの世界は、繋がっている。
ジルヴィア姉上が、塩を買い占め、高騰を起こした。その裏には、ニシンが豊漁になるという予測がある。
しかし、そのニシンはどこから来たか。
豊漁であったということは、ニシンの群れが動きを変えたということだ。そのようにして、大げさでなく、ニシンの群れは都市の盛衰を左右してきた。
商国の、豊漁。
一方、湾を挟んでその裏側にある科国は――不漁であったのだ。
父王が言っていた『裏』という言葉は、海の裏側という意味だったのだろう。
「その様子では、砲だの、船だの、我が国が工房に力を入れていることも、ご存じだろう」
首肯した。
魚が宛てにできないと知れば、次の稼ぎを見つけるしかない。
船や砲は、科国のものは評価が高い。
塩は、彼らの冬の悩みを解消する。
「言い忘れましたが。塩の道は、そもそも交易路。ここに科国が入ることは、陸の交易に貴国も入れることを意味する」
科国の将は、雷に打たれたように目を見開いた。
「……それは、正式な提案かね」
「もちろんです」
すぐには回答してこない。
その後ろでテオルが眉間に皺を刻んでいた。科国が手を引けば、叔父達は後ろ盾を失う。
手を引かずとも、今後、科国が塩を売らぬとなれば、俺達からも買うしかない。
「知っての通り」
声色で、俺はヴィクトルが守りに入ったのを感じた。
「官には権限というものがある。この話は、それを越える。そして私の役割は、戦うことだ」
原則論か。
とはいえ、と俺は言葉を割り込ませた。
「この提案は、追って正式に、商国からいくでしょう」
「もう一度、考えろということかね。交易路を、今、潰してよいか」
ヴィクトルは何度も頭を振った。部下達も、互いに目でやりとりしている。
新しい塩の使い道に、交易路。この話も、将の手には余るだろう。しかし、奮戦の末にこの提案を引き出したと思えば、戦功として悪くはあるまい。
「……なるほど」
やがて、ヴィクトルは言った。
将は、塩が作ったコースを見渡す。冷たい風が吹いて、俺は頬の熱さに気づいた。
一息に喋ってきたが、まるで自分の口じゃないみたいだ。サーシャの考え方が、俺にもうつってきたのかもしれん。
ヴィクトルは続ける。
「……初めて知ったよ。面白いな」
これが道の価値だった。まだ見ぬ何かが、やってくる。その可能性は常にある。道が繋がっている限り。
「しかし、これは言わねばなるまい」
ヴィクトルは俺達に向き直った。
「私は、盟約を通じて、戦いに来た。盟友が戦う以上、勝手にやめることはできん。できないのだよ」
ヴィクトルは、テオル達の方を見やる。
立場上の限界点だろう。裏を返せば、科国はこれ以上の戦いを望まないという言質だ。
まったく、偉いやつとの交渉は、建前と本音の迷路のようだ。
「フランツ殿」
テオルが俺を呼んだ。
俺達は戦いをやめるつもりはない、と鳶色の目が睨んでいる。
科国はかなり提案になびいたが、こればかりは、やむをえぬ。
戦争の帰結は、決闘に持ち越された。
キーワード解説
〔融雪剤〕
水は、通常0度で凍る。
この温度をマイナス側に下げる作用が、塩の氷点降下である。
塩が水に溶けると、凍結する温度が最大でマイナス20度近辺まで降下する。
かなりの極寒でなければ凍っていられなくなるので、塩と接した雪から解けていくという仕組み。
にがりの主成分である塩化マグネシウムは、この作用がいわゆる塩(塩化ナトリウム)よりも強い。氷点はマイナス30度くらいまで下がる。
最もよく使われる融雪剤は塩化カルシウムだが、カルシウムは製塩の副産物、石灰の一部でもある。
フランツ達はあえて不純物の多い塩を作り、雪にまいたのだろう。
日本ではないが、全製塩量の半分以上をこの目的に使用する国もある。
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次回は、6月29日(土)、30日(日)に連続更新し、完結予定です。
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