4-13:敵に塩を
俺が到着してから五日後が、決闘の日取りだった。
それまで、俺は愛馬ゲイルの調子をみて過ごした。
馬国の飼い葉には、特別なものがあるらしい。長旅で疲れていたゲイルは、高原の飼い葉を食んで、みるみる回復していく。
走ると湯気が立つほど汗をかき、時々、あくびさえしてみせる。サーシャの言葉は本当だ。環境によく耐える、頑丈な馬なのだ。
決闘の日は、すぐにやってきた。
最後に雪上を駆ける。
冷たい空気が、頬を切る。
ゲイルの足は雪を踏みしめ、揺るぎない。山に乗っているような安定感だった。
「よし」
赤銅色の首をなでる。
馬の調子は、いい。次は、仕掛けの方だ。
「はっ」
手綱で、馬首を返す。しばらく駆けると、テントの群れが見えてきた。
サーシャの家族が会議を行っている場所である。
一番大きなものは、まさしく屋敷のようなでかさだ。上には群青色の旗がなびいている。
目をこらすと、雪原に点々と同じような幕舎が見えた。議場とは別の、寝起きのためのテントだ。俺も、寝泊りはそこでした。
二か所別々に建っているのは、サーシャの父側と、敵となる叔父側とに分かれているためだ。荒々しい軍馬がいるのか、どちらからも白い湯気が立ちのぼっている。
雪原で知ったが、生き物は群れをなすと、吐息の白さで居場所が分かる。
「エリク」
「こちらですー!」
数名が遠くで手を振っていた。
エリクと、フランツィアからついてきた仲間だ。
血色の悪い顔は、着ぶくれして、雪原の魔物だ。
「大丈夫、だったか?」
俺は、丘を見やった。
小高くなった先に、今日駆けるコースがある。
悪友は笑った。
「くけけ、もちろんでございます」
他の仲間も、次々に言った。
「ばっちりです」
「見たらびびりますよ」
門番のレッドに、飲み仲間のブルーとメリッサ。彼らを始め、フランツィアの男達が、作戦の労働を買って出てくれていた。
背後が騒がしくなる。
丁度、会議が終わったようだ。
サーシャの父や、叔父、そしてテオルが出てくるだろう。
「ちょ、ちょっと確認したい」
この丘の向こうは、どうなっているのか。作戦通りになっているのか。
気になって仕方がない。
エリクは叱るように言った。
「覚悟を決めなさいませ。そんな時間は、ないようですぞ」
その通りだった。
声が飛んでくる。
「フランツ殿!」
雪原に響く声。テオルのものだった。
「時間だ、雪を消すとはまことのことか!」
もはや引き延ばせまい。
俺は仲間を信じ、声を張り返した。
「無論のこと!」
身振りで、丘の向こうを示す。
それで話は終わりだった。
幕舎から出てきた人々が、ある者は馬で、ある者は徒歩で、こちらへ歩いてくる。
先頭にいるのが、サーシャの父だ。大柄で、豊かな白髭を長く垂らしていた。王冠型の帽子は、サーシャのそれに似ている。一族でデザインが揃っているのかも知れない。この人のは、紫色のものだった。
「こちらです!」
合流し、俺は丘を登る。ゲイルは伴に預けた。サーシャの父が徒歩であるのに、俺が鞍上にあるわけにはいかない。
ぞろぞろと丘を登り切る。
俺は会心の笑みを結んだ。
策は、できていた。
「なんと」
「これは」
面々が、驚きに目を見張った。
腕を組み、言う。
「いかがです?」
丘は緩い降り坂になっており、その下は広場だ。
そこに、楕円ができていた。
雪が消え、コースが浮かび上がっている。
ここからだと楕円は小さく見えるが、最も広いところをとると、直径にして二〇〇歩(約四〇〇メートル)。周の長さはその三倍(一二〇〇メートル)程度と、伝統的に決まっている。決闘本番には、ここを馬で二周する。
しばしの沈黙。
サーシャの父が、口を開いた。
「見事」
遠い雷のような、低い声。
巨躯で、白くなった髭が風に揺れている。毛皮を羽織り、神話じみて大きな獣を思わせた。
「雪が、確かに消えておる」
ぐっと拳を作る。
塩の道に、敵を誘い込む。これには、塩の効果を示さなければならない。
俺は辺りを見やった。
男が雪を蹴ったてて、近寄ってきた。
「説明を願いたい」
顔は白く、ちょっと鷲鼻である。鼻の下に髭を蓄え、長い睫毛が印象的だった。
服装は、紺色のコートと、帽子だ。同じような装束の仲間を引き連れている。
俺は問うた。
「あなたは、科国の?」
「そのとおり」
男はきびきびと一礼した。
サーシャの叔父の、同盟相手だ。
「ヴィクトルという。ま、科国の将と思ってほしい」
科国に塩の道を説き、調略する。
それは俺の口にかかっていた。
科国の将、ヴィクトルは面白そうに、雪原に浮かび上がったコースを見下ろす。
「まさか、雪かきをしたわけではなさそうだが」
俺は身を揺すった。
「もちろん」
「そうだろう。雪かきなら、我々の方が得意なはずだ」
はっはっ、と快活に笑う。後ろの部下達は、ちょっと口角を引き上げただけだった。
科国の冬にも、雪が降る。確かに雪かきにも慣れていよう。
俺は、微笑を頬に刻み込んだ。
呑まれるな。
「まずは、この光景について説明しましょう」
雪原で響くものはなく、声はわんと鳴ってから消えていく。少しでも口を閉じると、すべてが死んだように静かになる。
ゆえに必死に口を回した。
「あるものを、地面にまきました」
「ふむ?」
「ありふれたものです。それは魚を保存し、石けんの材料となり、パンを膨らませるもの」
科国の将ヴィクトルは、笑みを深める。
「まるで謎かけだ」
「しかし、簡単なものです。私がどんな立場か、考えればね」
ヴィクトルはしばし、視線を彷徨わせた。ふと気づいたのか、面白そうに口の端を歪める。ヒョウのような笑み。
「まさか、塩を?」
頷いた。
丘の下は、コースで使う円周が、まるまる雪解けしていた。冬で緑がなくなった地面が、土をさらしている。雪解け水でしめって、どこも黒ずんでいた。
「豪勢な使い方だ」
確かに。塩は草原では貴重品である。
土に直接まけば、草が消えてしまう可能性もあった。今回の場合は、牧草を食い尽くした荒れ地にまいたはずだが。
「しかし、貴国ではそうではありますまい?」
なんといっても、科国内でも塩は出る。
せいぜい、不敵に笑うとしよう。
俺は新たなる塩の――『融雪剤』の宣伝を始めた。
お読みいただきありがとうございます。
次回は、明日6月24日(月)に投稿予定です。




