4-10:議事
静かだった。
こんな重苦しい家族会議があるのかと、記念碑を建てたい気持ちに駆られる。
状況を説明したい。
俺がいるのは、すり鉢状に深くなった議場、その底だ。俺の立ち位置に椅子はなく、紙や模型を置く台があるだけ。
正面には父王の座。慣習にならって、父王は高い帽子の縁から白布を垂らしていた。公式な場では顔を見せない決まりなのだ。かすかにある切れ目から、注視されているのを感じる。
辛いものはまだある。他の家族の視線だ。議場の底を見下ろせるように、周りの席も階段状に高くなっている。
いわば、円形劇場だ。舞台がここであり、役者が俺であり、家族や家臣は観戦者ということになる。
俺はここで言わねばならない。
――嫁、盗られそうです。
こんな拷問があるか。
輝くような一族の下で、尾羽打ち枯らした姿を提供しなければならんとは。
にやにや笑って俺を見る家族も、家臣もいた。
「長らくの不義理、まことにご無礼をいたしました」
まずは、長い辺境生活の謝罪から始める。
父王は特に何も言わなかった。関心がないのか、受け容れる気がないのかは、分からない。
深い闇に向かって声を張っているような、心細さを感じる。
「文は受けとっている」
父王の声が、久方ぶりに耳を打った。
男にしては高い、女性的な声だ。実際に、小柄で、ジルヴィア姉上などは父王の血を引いていると思われた。
「要旨を述べるがいい」
父王は、長兄アルフレッドより詳細を聞いているはずだった。
それでも問うのが、この会議が設けられた意味だ。引きこもり王子の無茶を、商国として承認する儀式のようなものだ。
「私は、決闘に行きます」
議場がどよめいた。
多くの人が、きっと俺が頭を下げて、父王に頼むと思ったのだろう。
俺達を助けてくれ、と。父王はそれを断る――かもしれない。
「決闘というからには」
顎を上げて、父を見た。
「名誉をかけるに足る作法があります。その作法によれば、『馬による速駆け』もまた決闘の一つ。これならば私にもできる」
さざ波のように、笑いが起こった。
胃が重くなる。五年前、俺はこの空気に耐えることができなかった。
同じ議場、似通った立場。気を抜くと頭が真っ白になってしまいそうだ。
「……決闘となれば、勝算に定かなものはありません」
無力を告白する。情けなさで消えてしまいたくなる。
決闘の速駆けは、『これしかできない』という後ろ向きな理由も確かにあるのだ。
でも、だからこそ――仲間を使え。
彼らが教えてくれたやり方を、かき集めろ。
「ゆえに、交易路。彼らが潰そうとしているもので、逆に、彼らへ問う。この道を、潰してよいのかと」
少なくとも科国は、塩の道をやっかんでいる。交易路を押し潰すように戦線が下がっていたのが、よい証拠。もともと、商国のライバルなのだ。
サーシャの伯父の出方は――分からない。
しかし科国について言えば、塩の道へ価値を認めれば、軍を下げる可能性がある。
馬国は、伯父を調略された。
同じことを、今度は科国にやるのである。
「退くまい」
鉈で小動物の首を落とすような、容赦ない答え。
父王の言葉は、いつも短い。
「かの国は遠征をした」
「はい」
俺は頷いた。
「投資に対する利を得なければ、あるいは得たと感じぬ限り、科国は退かぬ。これは間違いないところです」
父王からの応えはない。
暗に続きを促されている。
互いの理屈がかみ合い、打ち合っているのが分かる。剣戟のように。
「交易路の利とは、言うまでもない。塩のことです」
再び、どよめく。今回のは、少し笑いが混じっていた。
「馬国の北は、元々にして塩不足。そして科国には――」
議場から声が飛んだ。
「科国は、もともと塩が出る」
「そんなことも知らぬのか」
「今まで馬国に売っていたほどだ」
胃がさらに泣いた。
仲の悪い方の家族からだった。学才豊かな兄は、俺の不勉強を許せぬのだろう。
だが、塩は俺の方が専門家だ。
「科国には、塩の使い道を教えます」
サーシャは言った。
ただ物資が通るだけが道ではない、と。
交易路とは、知恵が通る道でもある。
「使い道が増えれば、使う量も増える」
理屈としては単純だ。
今まで足りていたのは、使い道が限られていたからだ。
使い道が増える。需要が増える。塩の価値は騰がるか、足りなくなる。
いつかの高騰のように。
「科国もまた新たな塩を欲した時、塩の道は再び活きる! 道をなくすのではなく、共に利益を得る方が賢いと、彼らに思わせるのです!」
ざわめきが大きくなる。
その使い道とは、なんだ。そんな質問が周りから飛んでくるが、これは無視する。
父王は知っている。アルフレッドも知っている。
それだけで、いい。
できるだけ、手の内は明かさずにおく。どんなルートで敵に伝わるか、わからないのだから。
「静かに」
父王は言う。議場が静まりかえる。
小さな手が俺を招いた。
「四歩前へ」
言われた通り、歩く。
「……止まれ」
父王は手のひらで、俺を止めた。見上げる席は、巨大な壁のようだ。
「お前は、まだ一つの解を口に出していない」
どきりとした。冷や汗が辿る。
そうだ。この人が、それを考えないはずがない。
顔を隠す布の下で、この人はどんな目をしているのだろう。本当に顔があるのか、時折不安になる。
「お前は姫君を諦める。その後、まったく同じ提案を、馬国と科国に持っていけばよい」
言われずとも分かる。
決闘などせずとも、時間を置き、和平が成ってから、改めて塩を売り込みにいけばよい。塩は誰でも使う。いつでも使う。俺の提案の価値は、塩の道を繋いでも、夫婦の縁までは繋がない。
意図的な省略も、この人はお見通しだ。
「異論は」
「……ありません」
ですが、と言葉を繋いだ。
「その提案をなさったら、私は、もう誰にも塩を売りません……!」
これは賭けだった。明白な反逆である。
父王と俺だけに声が届く距離だからこそ、ここまで言い得た。
父王は黙っていた。
凄まじい沈黙。耳に痛いほどだ。
言葉を足したくなる。口があえいだ。それをぐっと堪え、父王を見上げる。
言い訳は、要らぬはずだ。正しいと信じているならば。
四、五十人は集まっているというのに、無音は長く続いた。
それだけに、次の言葉は意外だった。
「ジルヴィア」
ガタタッ、と上の席が騒がしくなった。
父王が呼んだのは、最も小柄な、二つ上の姉だった。
「え、あ? は、はい」
「豊漁か」
「……そりゃ、ま」
姉上のニシン漁は、確かに今年は豊漁だった。買い占めた塩は無駄にならなかったようである。ゆえに、高騰の咎めもなかったらしい。
ごほん、とアルフレッド兄上が咳払いする。姉上は言葉遣いを改めた。
「……魚影で海が埋まるほど」
まつろわぬ口にご容赦を。討議とは時に直截なものなれば。
器用にそう付け加えて、姉上はちょこんと座りなおした。
父王はしばし沈黙し、身振りで俺を元の位置に帰した。
空気を高く振るわせて、裁定がやってくる。
「裏だ」
言葉が頭を駆け抜けた。
……裏?
周囲から、家族の声が降った。
「科とはぁ、学問と工業の国よぉ」
「鍛冶の国でもある。あすこの砲や船は質がいい。次はそっちで稼ぐだろうぜ」
根回しをした家族が、助言してくれた。
だんだんと、父王が言わんとしていることが分かった。白布の切れ間から、青い目が見えた。
「商いをしてまいれ」
だぁん、と法官が木槌を振り下ろすように、長兄アルフレッドが国主の大判を振り下ろした。
国を背負う商人として、外へ出る許しである。
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次回は、6月15日(土)に投稿予定です。