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4-8:長兄アルフレッド

 商の都へは、十日ほどで辿り着いた。

 馬を何度も替えたとはいえ、抜群に速い。普通に行けば、片道にもう五日はかかる距離だ。

 思えば、サーシャとの暮らしは馬に乗ってばかり。おまけに塩の道で、尻の皮がむけまくるほど(くら)で旅した。速くなるのも当然か。

 しかし、運命が早くも立ち塞いだ。


「入市税を」


 王都の門兵だ。

 俺は汗びっしょり。埃によごれ、早馬にまたがっている。まさか王族とは思わないだろう。


「見ろ」


 鞍上から、三角マークの印章を見せた。

 (ザルツ)を示す、商王族の証だった。


「第七王子……?」

「本当かぁ? なんでこんなとこに?」


 王都なのに、ウチのレッド並みにやる気がない。


「ふん。一リュートだ。とっとけ!」

「まいど」


 景気づけに銀貨を放ると、俺は久方の都へ踏み入れた。


「どうぞ!」


 途端、謎のビラが押しつけられた。何枚も、何枚も。


「……な、なんだ?」


 表題を見て、愕然とした。

 求婚戦争。

 都では、戦争にすでに名前がついていた。

 引きこもり王子とその嫁が、戦争で引き裂かれそう。果たしてどうなるか?

 そんな内容が、ひどく勝手な論調で書かれている。

 特に目を疑ったのは、各家族も好き勝手に寄稿している点だ。


 ――よし戦争だ。

 ――いや金がかかる。

 ――星占いの目が悪い。

 ――軍船のために魚を食べて。


「……なんという連中か!」


 怒鳴り込む正当な理由ができた。

 人の結婚をなんだと思っているのか。

 宮には、王族専用の『鷹紋の口』から入る。これなら正門に長々と並ばずに済んだ。広い廊下をずかずか歩み、五年前と同じ執務室を訪れる。


「兄上!」


 ばんっ。

 景気のいい音。

 扉を開けたせいではない。大きな判子が、書類に叩きつけられた音だった。


「速いな」


 書類の山から、そんな声がする。

 来訪自体は知っていたはずだ。フランツィアを発つ前、エリクはこの人にお目通りの手紙を送っている。


「急用ですので」


 机から男が立ち上がった。


「決闘か。まったく時の神子ディアもけったいな脚本を書く」


 偉丈夫は豊かな赤髪をかき上げる。獅子のたてがみのようだった。

 五年の歳月を経て、この人はさらに格を上げたように見える。何もかも失いつつある俺とは、対照的に。

 今年で、歳は二九になるのだろうか。

 俺は押し付けられたビラを突き出した。


「このような新聞が」

「ああ。いいだろ?」

「いいだろ、じゃありません! この騒ぎをなんだと――!」


 兄上はからからと笑う。


「笑いになるのはよいことだ。ふん、ま、かけろ。そこにな?」


 大きなローブを直しながら、顎で椅子を示してくる。

 俺は素直に従った。


「……ご挨拶が遅れました。お久しぶりです、兄上」


 長兄アルフレッドは獅子のように笑った。


「兄か。お前にそう言われるのは、確かに実に久しぶりだな」


 兄上は俺の真正面に座る。

 この人がもたれると、椅子が軋んだ。


「元気そうで何よりだ。まぁ産物の流れを見れば、お前の塩づくりはよく見えたが」


 兄上は、侍女に冷たい水を出させてくれた。駆けてきたので、甘露のようにうまい。

 他の家族と異なり、兄上は特定の産物を商っているわけではない。その代わり、取引に不正がないか、法や道徳に反しないか、厳しく見張っている。

 公示人や公証人の元締めとも言える存在で、部屋の入口には天秤の紋章がかかっていた。


「いつかお前は言ったものだな? 決闘など馬鹿らしいと」

「それは……言いました」

「今の気分はどうだ。決闘したいほど魅力的な女性がついに見つかったということか」


 からかっているのか、それとも他の探りなのか、判然としない。

 俺ははっきりと応えた。


「はい」


 兄アルフレッドは、意外そうに目を細める。


「……ふん。ちょっとは男をあげたようだ」


 咳払いをする。話は俺の方にもある。


「こちらからも、確認したいことが」

「なんだ」

「ようやく、色々と分かりました。エリクはもともと、兄上とも連絡を取っていたのですね」

「うむ。不肖の弟の動向が、兄としては気になってな」


 兄上は、苦笑してみせた。

 ゴシップの錬金術師め。

 おそらく全ての発端、サーシャの嫁入りについても、兄上から情報を得ていたに違いない。兄はでかい身を揺すった。


「おいおい、黒髪美人の件は、知らないぜ。お前の友人は、なかなか根性がある。あの人はな、順当に行けば他の兄弟へ嫁に来るはずだったんだ」


 それは初耳だった。


「それでなお、お前を推すとは。見上げたやつだ」


 互いに話が済むと、沈黙が降りる。話題に出たサーシャこそ、今日の本題だ。

 兄上が先に口火を切った。


「で。俺は問わねばならん」


 真正面から、青い目がこちらを見据えた。


「引きこもり王子よ。今さらに何をしに現れた?」


 予期していたとはいえ、やはり面と向かって言われると、堪えた。

 俺は宮で失敗を冒し、辺境へ逃げたのだ。

 そう言われてしまうのも、無理はない。宮を歩いた時、ちくちくと冷めた視線を感じたものだ。


「フランツィアで国家の財政に寄与している。が、塩税の失敗で失った信用は、安くないぞ」


 塩税の導入。この都で引き起こした、俺の大失敗だ。塩の買い占めと高騰が起こり、民から大いに嫌われた。


「今さらまさか、軍を出せとでもいうつもりか? 嫁のために」


 宮が心配しているのは、まさにそこだろう。

 馬国の戦いは、馬国内で落ち着きつつある。冬の停戦だ。そこに乗り込んでいく強い理由があるのは、今のところ俺だけだ。

 兄上や、父王はこの状況でも考えている。

 最も、商国が利を得るやり方を。

 そして、感情的に動きそうな――例えば嫁を取られた男などは、状況をかき回す不穏分子でしかない。

 サーシャと俺を、切り捨てることも勘定に入っているはずなのだから。


「それを言うなら」


 俺は言葉を割り込ませた。臆せず、兄上を見る。


「兄上。宮で軍を用立てると言っていましたが、ずいぶん遅いようです」

「ふん」


 兄上は鼻を鳴らした。


「すまんな。ありゃ、父上の方便だ」


 やはり、と拳を握る。父王は、最初から軍に大遠征を命じる気などなかった。俺に余計な行動を起こさせず、フランツィアに引き留めるため、さも動くような文だけ寄越したのだ。

 普通に、騙してくる。そう、これが普通(、、)なのだ。

 何度か、息を吐く。

 落ち着け。

 冷静さを失えば、この勝負を落とす。


「……軍を出せ、という話なら、私はいいえと応えます」


 兄は眉を上げる。


「兄上。私は、自分が表に立つ気でいます」


 兄上は表情を変えない。口では何とでも言える、とその顔つきが語っていた。


「……策も、勝算も、あるのです」


 俺と兄上はしばし睨み合った。胃がきゅうっとなる。それでも、臆さない。


「一人でか」

「遊牧民には、しきたりがあります。決闘の作法も」

「正気か。お前が有利なものがあるのか?」

「少なくともマシなやつは選べます」


 俺は言った。


「馬に乗った、速駆け。こいつならば、私でもマシな勝負ができます。勝負に乗れば、当然に、彼らは私を草原に招く。そこで――」


 用意したことを、次々と放った。


「塩の道を、宣伝する」


 兄上は眉をひそめる。


「宣伝だと?」

「はい」


 俺は、塩の目録を出した。技師エリクが用意してくれたものだ。

 塩の道の地図と、道すがら書き起こした素案も添える。清書の間に合わぬ叩き台だが、この人の頭なら理解できよう。


「これは?」

「まずはご一読を。馬国の北がまだ塩不足であることと、科国にとあるものが知られていないことの証明です」


 技師の研究成果に、俺自身の案を足してある。交易路とは何か――俺なりに、サーシャから学び、活かそうとしたものだ。


「道は、モノが通るだけではありません」


 サーシャは、こんな時にどうするだろう。俺はそれを考え続けた。

 姫君は道で、富だけを得ようとしたわけではない。文を運び、情報を伝えるための駅を置いた。

 その結実が、フランツィアにおける悪魔の井戸の退治だ。


「たとえば、科国が知らないことを、私達が教える。それもまた、道の価値になる」


 兄上は、俺達の文を手に取った。最初は不審そうだった。が、徐々に項をめくる手が早くなった。


「商国は、すでに敵にするには十分に恐ろしい。そして、道への協力は益になる。その二点で、馬国を塩の道に連れ戻し、ついでに科国も引き入れる」


 元々は、サーシャが考えていたことでもある。

 塩の道を、伸ばす。

 塩が出る科国にとってさえ、フランツィアの塩の知識は有用だ。技師の提案を見て、俺はそれを確信していた。

 独占するから邪魔される。

 では、共栄なら――?


「……悪くはない」


 兄上は、短く言った。


「いや、良案と呼ぼう。商国が、最初に割りを食うのが特にいい」


 そこは案の弱点かと思っていた。兄アルフレッドは、にやりと笑う。


「人間、五十年。一族は、百年。国は、二百年。そして――」


 芸術は永遠。

 そう付け加えて、兄上は苦く笑った。


「こいつは禁句だったな。母上のセリフだ」


 ふと懐かしい気持ちになる。

 母上は商いなどせず、絵筆をとって一生を終えた。ついに国庫には一リュートも入れなかった。生き様に賛否はあるが、少なくとも平衡感覚を破壊しにくるその絵は無類であった。


「上出来だ」


 太い指が紙を返してきた。


「思った以上にいい。フランツよ、辺境で知見を得たな」

「……で、しょうか?」

「科国の男達は、おそらく王族ではあるまい。国に功を持って帰りたい。故に、最初十年の利に食いつく。しかし俺達はその先を見る。六十年、七十年、太くなった東西の道が莫大な富をもたらすだろう」


 くくっと兄は笑った。


「フランツよ。どうだ、宮に戻らないか」


 へ、と声が出る。


「……嫌われています」

「ふん。確かに、お前はこてんぱんにけなされたがね。立場上、お前に怒らざるをえなかった者もいるはずだ」


 エリクを通して、この人は俺をずっと見守っていたのだろう。

 この人もやはり――一度の失敗で、俺を見限ったわけではなかったのだ。

 一時期は本当に嫌いで、猫にあなたの名前をつけてごめんなさい。


「兄上」


 言おうと思っていた言葉がある。


「五年間も、音沙汰もなく、申し訳ありませんでした」


 兄上は眼を見開いた。珍しい芸をする動物を見たようだ。

 ほうっと息が吐かれる。


「変わったな」


 兄上は、零すように言った。


「お前は才が走っていたが、少しばかり自分を可愛がりすぎていた」


 大柄が、椅子を軋ませて立つ。執務机で、太い腕が判子を取り上げた。

 どんっ、と砲声のような音。

 こんな乱暴に判を押すやつがあるか。


「やはり姫君に会いたくなったぜ」


 朱色は鮮やかで、まだ乾いておらず、光にてらてらとしていた。


「父王につないでやる。これが、時刻と番号だ」

お読みいただきありがとうございます。


次回は、明日(6月9日)に投稿します。

父王に会う前に、他の家族が出てきます。

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