4-7:百発百中
決闘騒ぎの翌日、俺は屋敷に閉じこもった。引きこもり王子の名に恥じぬ所作である。
「フランツ様!」
「フランツ様!」
ばんばん。
ばんばん。
仲間達が俺を呼ぶ。扉を叩く音が止まない。
考えをまとめたい。そう言いつつも半日も閉じこもれば、心配されるのが当然だ。落とされる直前の城さながら、屋敷の周囲には人が群がっているだろう。
耳を澄ませば、勝手な議論が耳に刺さる。
「フランツ様、行っちゃいかん!」
「さすがに危険すぎる」
「いっそご家族に」
「しかし決闘しないと、サーシャ様は結婚しちゃうんだろっ?」
「そんな馬鹿な話があるかっ」
「いや分からん。だって草原の向こうじゃ名誉の世界じゃないか」
どうやら馬国のいけ好かない方の使者、シラは決闘騒ぎを吹聴して帰ったらしい。
街中で喧々諤々と議論が巻き起こっていた。
いたたまれなさに、ダンタリオンもばあやも屋敷から閉め出して、俺は暗い部屋に籠もっている。
「静かにしてくれ!」
窓に、叫びで返す。
声が震える。夢だと思いたいが、周りから聞こえる騒ぎが現実を大合唱していた。
「だって、決闘だぞっ?」
――やあやあ我こそは王子フランツ、麗しの君サーシャを巡り、勝負されたし!
だめだ。無理がある。
かといって、俺が沈黙すれば、敵は結婚を進めるだけだろう。
頭の中を、考えがぐるぐる回った。
「それに……絶対、勝てない。勝てるはずがない」
窓の近くから避難した。
決闘相手は、筋骨隆々とした男のはず。サーシャの従兄弟テオルは、貴公子然とした顔立ちだが、体つきは武将のそれだった。
小さく痩せた俺など瞬殺だ。
いっそ逃げたい。
裏口に回った時、聞き慣れた声がした。
「フランツ様、私です」
悪友エリクが扉越しに声をかけてきた。
「何を、うじうじやっているのです?」
扉に向かって立ちすくんだ。
見えもしないのに、エリクの青白い顔が浮かぶ。
「姫様が心配なのでしょう?」
「だがな」
本能が警告した。
決闘に勝算はない。ないのだ。
「残念ながら……私の情報網をしても、このゴシップは本物です」
エリクも八方手を尽くしたのだろう。
「しかし、フランツ様。無責任ながら、私はここは立つべきだと思います。決闘するにしろ、商国の宮を頼るにしろ、まずはあなたが立たなければ」
そうだ。父王や、他の家族にも責められる。今度の失策は、本当にたいへんなものだ。
捨て鉢な言葉が漏れた。
「しかし……!」
「しかしも何も、愛でも語ってきなさいよ!」
「うるさい! そもそも政略結婚なんだ!」
エリクは譲らなかった。俺の出口を塞いで、悪友は叫ぶ。
「有史以降最もあなたを見詰め続けた男、このエリクが保証いたします! 不当! 不正! あなたは嘘をついている!」
エリクは饒舌に語った。
「恐らく始まり方は問題ではないのです。無数のゴシップを見てきましたが、政略であれ、恋愛であれ、幸せな夫婦は幸せです。逆もまた然り。愛とは雑草がごとく自然でニョキニョキ存在するものではなく、きっとお二人で育てるものなのです。であれば、あなたは愛だって語れるはずだ」
俺は俺をどうしたいのだ。
立ちたいという思いと、怖いという思いがせめぎ合う。いや立ちたいという思いさえ、恐怖から来るものだ。
戦うのが怖い。
しかし、あの姫君を失うことも怖い。
救いがなく出口もない。
「フランツ様、これ以上、おのれを塩漬けになさいますなっ!」
エリクの大声は、喉が張り裂けたかと驚くほどだった。
「年経た夫婦が何気ない会話に和やむのは、そこに込められた何らかの愛慕がよく寝かされた葡萄酒の芳香のように互いの心理を安らしめるからだ。であれば、あなたは何も心配する必要がない。愛は語れないんじゃない、語れない愛などないのです!」
エリクは一息に言った。
俺は黙った。黙り続けた。エリクがいつまでもそこにいるので殴ってやろうかと思ったが、幸いにも思いとどまった。
「……お前は、ずいぶん俺に肩入れするな」
こんな俺に。
今度は、エリクの声が震えた。
「覚えていますか。食客の試験を受ける時、あなたは筆箱を貸してくれた」
一瞬、思い出が去来した。
「まさか、それだけのことで……?」
「試験生との貸し借りは禁止なのです。不正の引き金になるからです。でもあなたは、内緒だぞと言って、見ず知らずの私に貸してくれました」
エリクは続けた。
「あの時のフランツ様は、かっこよかった」
初めて聞く話だ。
「このエリクワルド、恩を友情で購うような真似はしません。だから今までも話しませんでした。ついでに申せば」
悪友の言葉は、尽きることを知らない。
「あなたに幸せになっていただきたいという気持ちに、嘘偽りはございません」
息をついた。
「フランツ様」
「……いい。大丈夫だ」
無理にでも、俺は笑った。
「心配をかけた。俺は大丈夫だ。どこへも逃げないし、少ししたら外へ出る」
ありがとう、と最後につけ足した。
何に対する礼なのかは分からないが、俺はこの街の仲間に感謝をするべきなのだと思った。こんな俺にも、心を開いてくれるのだから。
部屋を移動する。
顔がひりついた。鏡を見ると、涙と洟でひどいことになっていた。
ひどい面を見て、ようやく笑えるくらいの余裕が生まれた。
いまだに、外から大勢の声が聞こえる。広い屋敷に一人でいると、そこが俺自身の縮図のように思えた。
「塩漬け、か」
失敗が怖い。家族も怖い。今や姫君さえも怖い。
追い詰められると、何もかもが怖くなり、全てから目を逸らしたくなる。
「分かってるんだよ……」
このままじゃ、いけないなんてことは。何か行動しなくてはいけない。しかしその何かが分からない。
前にも同じことがあった。
宮で起こしてしまった、塩の高騰だ。その失敗で、俺は荒野に引き籠もった。
しかし本当に悔いているのはなんだろう。
一度の失敗で仲間は俺を見捨てたか。怖かった姉上の拳は、砂糖菓子のようではなかったか。親友は、今もいる。
本当に悔いたこと。
引きこもりたいほど、情けなかったこと。
それは失敗から目をそらし、逃げ出したことではなかったか。あの時の俺には、踏みとどまり、責めを受ける勇気がなかったのだ。
知恵も才覚もなくとも、勇気だけは出せたはずなのに。
「くそっ」
ならば今度こそ逃げてはならないのではないか。
「決闘かよ。この俺が……!」
逃げずにやるなら、それしかあるまい。
仮にやるならば、どうするか。
俺は考えた。
決闘とは、そもそも何をするのか。やり方や競技によっては、俺に勝てるものがあるのではないか。
作法にうるさいかの国のことだ。
ひょっとすれば、うるさい決まりがあるのかもしれない。相手のプライドを逆用して、勝負を五分に持って行けないか。
塩はあるのだ。馬国も、科国も、きっと欲しがる塩が。
決闘に出る、つまりは、草原の会議に出る算段さえつけば――!
壁で、からん、と音がした。
何かが揺れている。いつか姫君からもらった、蹄鉄の護符だった。
遅いぞフランツ。姫君の声と、競走した記憶が蘇る。
暗い部屋をうごうご動く。手に取ったのは、書物だ。馬国の決闘について描かれた、使者がおいていったものだ。
「馬、か」
サーシャが俺に乗馬を仕込んだのは、なんのためか。
馬国にとって、それが大切なものだからだ。だとしたら――
「まさか」
本を開き、探すと、確かにその文字はある。
速駆けの文字が。
「やはり」
決闘に作法があるならば、勝ち負けを争う『競技』も決まっているものなのだ。
拳を作った。
落ち着き、顔を拭いてから屋敷の外へ出ると、なんと馬車が待っていた。エリクが、いつもの悪魔の末裔じみた笑みを見せている。
「勝手ながら、早馬を用意しておきました」
決闘にしろ、草原の会議に出るにしろ、ここに至っては、もはや宮を巻き込まないわけにはいかない。
「ふん! たまには的を得たことをやる」
「なんの。百発百中でございます」
それと、とエリクは手紙を差し出す。
「これはお目通りの許しのお手紙。そして、技師の目で見た、フランツィアで得られる塩の目録です。何かのお役に」
「お目通り……誰にだ」
そこで気付いた。
足下で、猫がにゃおんと鳴いた。猫のアルフレッドである。
こいつのゴシップ情報の出本が、ようやく判明した。
「そういうことか」
「兄上様によろしく願います」
嘆息して見まわすと、見知った顔も多くある。
退役騎士のロブじいさんに、門番のレッド、馬乳酒に魂を売った飲み友達のブルーとメリッサ。ターバンの先が見えているのは隊商だろう。
冬を前にした空は、広く澄んで見えた。
「うん」
怖い、怖い、と心の奥は震えている。
それでも、今は進んでみよう。
「戻るか、宮へ」
俺は老執事ダンタリオンに準備を命じる。
「あれほどあなたを嫌っていた、ご家族ですが」
ダンタリオンが念のため言う。
技師の目録に目を通しながら、俺は応えた。
「ふん。恥で済むなら、どうということはない」
でも、今度こそは逃げない。
己自身に厳命した。
しょっぱくとも。凸凹でも。
塩の道をゆけ。
◆
都では、すでにこの戦いに名前がついていた。
構図は、サーシャを巡って二人の男が相打つ。男達の後ろには、二つの国がついている。商国と、科国である。
俺が勝てば、裏切り者である、サーシャの叔父の名誉を粉砕する。叔父は戦争を優位に終えても、草原での立場を失う。
俺が負ければ、叔父は領土も名誉も手にする。草原も交易路も、敵の手に落ちるだろう。
交易路の興亡、この婚姻にあり。
決闘は商と科の代理戦争。
ゆえに、『求婚戦争』である。
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次回は、6月8日(土)に投稿します。
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