4-5:剣と弓
サーシャの窮地。それを知っても、何かができるわけでもない。
焦りも怒りも、どこかで塩漬けにできたらいいのに。小分けにして、日数をかけて飲み込めば、こんなに胃が重くなることもないだろう。
「フランツ様!」
ばあやがパタパタとやってきた。
サーシャが追い詰められたことを知った、翌日のことだった。
「し、使者の方が!」
俺は椅子から跳ね上がった。
「サーシャ様のお兄様、カイドゥ様からの使いだそうです!」
「す、すぐ出る!」
王族のローブに腕を通す。鏡を見ると、ひどく痩せた俺がいた。赤髪にも艶がない。
多少の小細工など無駄だろう。気付けにお茶だけあおって、応接間へ向かった。
使者はすでに待っていた。
「おお! フランツ様!」
使者は四十代くらいか。服には、汚れが目だつ。髭も乱れていて、目つきだけがこうこうとしていた。
言っては悪いが、亡者のようだ。
戦況が分かってしまう。
「長旅、ご無事で何よりです」
こういう時でもよそ行きの言葉が出るのだから、王族の口はよくできている。
サーシャのことを問おうと思ったが、向こうが先に異なことを述べた。
「ほ、本日、他に馬国の使者は来ましたか?」
妙な顔になる。
「いや……? あなたが、最初だが」
「そうですか」
使者は何度も咳き込む。
相当に急いできたようだ。話せるようになるには、しばらくかかるだろう。
「よいですか? 来ても、決して、決して……!」
「え?」
「出ては……っ」
その先は言葉にならない。人を呼んで、介抱を命じた。
長旅の疲れが、安堵で一気に出たのだろう。
しかし、サーシャについて聞こうと思っても、これでは話ができない。苛立つ自分に、嫌気が差した。余裕を失い、ひどく勝手な男になっている。
「フランツ様」
部屋を出たところで、今度はダンタリオンが呼んだ。
「馬国の使者です」
「またかっ?」
嫌な予感がした。なぜ、こうも立て続けに使者が来るのだろう。
「……お出になりますか?」
先に来た使者は、なにか――そう、「出るな」と言ったように思う。
「いかが、いたしますか?」
サーシャのことを聞きたい気持ちが、勝った。
「会う」
足早に、別室へ向かう。屋敷には、応接に使える場所がいくつもある。これはもめ事の収拾に当たる時、客人を分けてもてなすためだ。
「……どうも」
ぞくりとした。
待っていたのは、確かに馬国の装束だが、明らかに異様な大男だった。
全身が金銀でぎらついている。上背があり、俺を尊大に見下ろしてきた。使者と言っているが、まるで敬意を感じない。
「暑いですな」
男は、東独特の細目で、笑った。こちらの反応を楽しむような、質の悪さを感じる。
朝の荒野は冷えている。男が汗を拭うのは、装束の問題だ。絹だのラシャだの、豪奢な装いで着膨れしている。
「商国第七王子、フランツ様でいらっしゃいますね?」
不気味なほど丁寧な言葉。見上げながら、おずおずと頷く。
「姫君のことは?」
「き、聞いている。今は、山の砦にいると」
「けっこう。では、こちらを」
出されたのは、文だった。
目が痛いほど装飾過多の巻物で、開くと、内容まで読みにくい。
「……端的に申し上げまして。結納金の未納であります」
未納という言葉だけが、辛うじて頭に届いた。
「未納?」
「あなた様は、サーシャ様と婚約のご関係にあらせられます。が、それに相応しい結納金を取り決めの上、互いに交わしてはいらっしゃらない」
国同士の結婚では、持参物なり、金銭なり、それなりのものが動く。
そいつがまだだということだろうか。でも、なぜ、今になってそんな。
喘ぐように、応える。
「それは、正式な婚約は、まだだと、馬国が」
「ついては」
肩幅のある、大柄な男だ。やせっぽちの俺は、圧倒されてしまう。
「サーシャ様には改めて別の方と夫婦になっていただきます」
ひゅっと息が漏れた。
「……な、に」
「お相手は、馬国の東部右旗鎮国公テオル様です」
テオル、という名前。宴に来ていた顔が浮かんだ。それが、サーシャの従兄弟であることも。
男はじゃらりと、装束についた金具をならした。まばゆい輝きだ。恐らくこいつが馬に乗れば、さぞやうるさいことだろう。
「恥ずかしながら、馬国は今、一族の中で揉めておりまして。それも、この婚姻がなれば収まるでしょう」
話がまるで見えない。
「和睦、ということです」
そこまで言われて、ようやく糸が繋がった。
馬国は、サーシャの叔父と、父親が争っているという。テオルは叔父の息子。サーシャとの婚姻は、平和を確かなものにする――そして伯父側が人質を取る意味の、政略結婚だった。
最初の使者が、あれだけ弱っていたわけだ。
人質を取られて和解など、事実上の敗北ではないか。
「そうか、それは」
ぼうっとする。頭がついていかないのに、会話をしないわけにもいかない。荒馬に引きずられているみたいだ。
「サーシャ様は、血筋お確かな姫君です。荒野の街ではなく、緑豊か、そして富豊かな都がお似合いでありましょう」
男は、身を揺すった。情けない男として見下されているのが、分かる。
「サーシャ様は、あのような栗毛の荒馬に乗るべきではなく、白馬に乗るべきです。ごわついた召し物ではなく、絹を召すこともできたのです」
馬国の民には、遊牧をやめ、豪勢に暮らす者もいるという。
「どれほど血筋がお確かでも、このような辺境で暮らされているようでは……」
窓からはフランツィアが一望できる。
製塩の煙が空に上がり、そのほかは何もない。空と荒野と煙を、大男は鼻で笑った。
「本物の姫君とは言えません」
気づくと、頬が熱かった。
何もない荒野であることなど、俺自身がよく知っている。けっこうその通り、と笑ってしまえばいいのに、笑えたはずなのに、なぜそれができない。
――美しい土地だ。
姫君の微笑が、過ぎった。今ここにいない。
「しかし、偽物の姫君に、本物ではない婚姻とはっ。空虚な荒野もいっそ似つかわしい!」
一族のため、草原のため、塩を運ぶため――どれほどのことをサーシャがしてきたのか。
誰が言えるというのだ。
彼女が、本物でないなど。
一緒にいた半年が、偽物などと。
「彼女は、自分の意思でここへ来た」
真下から、大柄な使者を睨み返した。
「俺の嫁は、本物の姫君だ」
意外なものを見たように、男は顎をなでる。束の間、俺達の視線はぶつかり合った。
「もっとも……私どもも、商国と馬国の従前の話について、知らぬわけではありませぬ」
男はつまらなそうに、書状を机へ放った。荷物から、白布に覆われた何かを出してくる。
「もし、今般の処置が気に入らないとお思いなら」
布が取られる気配はない。
「この布を、お取り下さい。婿殿」
急に頭が冷えてきた。嫌な汗がふく。
今更ながら、気付いた。先にやってきた、サーシャの兄カイドゥの使者は、警告に現れたのだ。
この男は、叔父側の人間。つまり、サーシャの敵である。ゆえに、何かの調略を仕掛けにやってきている。
会うべきではなかった。
またか? またなのか。俺は、間違いを――。
「中身は、なんだ?」
男は何も言わない。
「フランツ様!」
もう一人の、馬国の伝令が呼びに来た。
「お、お待ちを! それは……!」
サーシャが去って行った時。もっと強く止めていれば、何かが変わったのだろうか。
もう、後で悔いるのは嫌だ。
布に手をかける。
「文句など……あるに決まっているではないかっ」
隠されていたものは――短刀と、弓だ。
「素晴らしい! これは、決闘の作法です」
短刀も、弓も、男とは不似合いなほどシンプルなデザインだ。装飾もなく、塗りと、赤糸が巻かれているだけ。
実用品、と直感で理解した。
「……け、決闘?」
「はい。お受けになりますか?」
沈黙させられた。
男は勝ち誇って笑う。
「申し遅れました。私は、シラと申します。テオル様の補佐でありまして、サーシャ様の叔父上にもよくしていただいております」
しまった。
この使者は大物である。その口が、帰ったらきっと吹聴するのだ。
商国王子フランツは、我が目の前で決闘を受けたぞ、と。しかし、このまま黙っていれば、俺はサーシャの婚姻を認めることになる。
決闘か、黙認か。
この選択を迫ることが、この使者の目的だったのだ。
「もちろん、決闘に出ないことも、自由です。サーシャ様は、とても不自由な場所に閉じこもっておられます。できるだけ早く、お迎えしたいと我等も思っているのですが」
渓谷の、砦か。すでに包囲しているという。
「……サーシャは、今、どうしている」
これだけは、聞かなければならなかった。
「知ってのとおり、姫君は渓谷の砦にこもっています。一族を草原に逃がすため、山岳を根城に動いていたのです。ゆるゆると包囲し、やっとあの砦まで押し込めました」
シラの目に、ようやく微かな敬意が見えた。
「姫君は英雄的でしたが……あなたの場合は、さてどうでしょうね」
そう言って、シラは去った。
部屋に残され、へたり込みそうな俺に、ダンタリオンとエリクが駆け寄ってくる。俺はさぞ青い顔をしていただろう。
「……う、うそだろ?」
膝まで俺を笑った。
引きこもり王子の、意地の代償。剣と弓と、決闘について記された文が、机から俺を圧す。
「ご説明、いたします」
サーシャの兄、カイドゥの使者が申し出た。俺は、どんな言葉で頷いたのか。
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次回は、6月1日(土)に投稿します。
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