4-4:詳報
フランツィアに、再び三十日ほどかけて戻る。
重たい足を引きずった俺を待っていたのは、父王からの文だった。
――待て。軍を講じる。
先ずは安堵できる情報だ。
馬国からの早馬か、あるいは独自の情報網か。いずれにせよ、草原の異変は宮も知るところとなったのだ。
やがて戦の詳報が、フランツィアにやってくる。サーシャの父と、叔父との戦いは、俺が案じた展開を取った。
馬国は、止まらなかった。
冬を待てば勝てる。その進言は、強硬派によって退けられたのだ。
遊牧の民が、世代を経て生き方を変えるのは、フランツィアだけではない。馬国は軍略を忘れ、かつてよりも弱くなっている。
「技術的な不利もあります」
そう付け加えたのは、技師エリクだ。
執務室には朝の冷気が残るが、さらに寒く感じた。
「硝石は、いわゆる塩の層から希に採掘されます。こいつは、黒色火薬を精製します。科国は無尽蔵の火薬を手に入れたも同然かと」
血色が悪い顔も、にやけ面を控えれば、本当に心配しているように見える。ただ、死神のようにも見えるのだから、やはりこの男は損をしていた。
俺は地図から顔を上げた。
自分でも驚くほど、机に齧りついていたらしい。立ち上がると目がちかちかして、背中が痛かった。朝から昼まで、ずっと執務机に屈んでいれば、当然か。
「だが、飛び道具は今までもあっただろう?」
ローブを直しながら、言う。
「弓と違うのは、轟音が鳴ることでしょうな」
いかな名馬でも、雷鳴のごとき砲声には、恐慌するという。草原にはそんなものなかったのだから。
対して、馬国の北は砲の産地――科国に面している。多少なりとも、音と威力に慣れていた可能性はあった。
科国と手を組んだ伯父方は、北の領地だ。
「剣も弓も届かないところから、灼けた鉄球が陣地に飛んでくる――これは、初見では相当な恐怖かと」
思わず唾を飲み込んだ。
やはり、サーシャが心配でならない。
「文では、こんなものも」
エリクが渡してきたのは、筒のようなものだった。
「なんだ、これ」
「お気を付けを。そのヒモを引くと、音を立てて破裂します」
慌てて放る。
「危ないだろっ」
「キヒヒ。やっと元気が出ましたな」
口を曲げてしまう。この悪友だけは、相変わらず読めん。
エリクは咳払いして、説明した。
「失礼。これは少量の火薬を、燃えやすい紙で包んだもの。これが足元で爆ぜれば」
「馬は、暴れるな」
「はい。落馬で、死にかねません」
呻きが漏れた。
なんだこれは。明らかに、遊牧の民を倒すことを考えた武器ばかりではないか。
「くそっ。宮への、報告に回せっ」
街にいる身が、もどかしい。
俺自身が宮へ行き、大軍を率いて戻れれば――!
しかしそれは無理だ。今や意味もない。
父王の言葉がある以上、塩と情報を各方面に送るのが、現在の役目だ。ただでさえこの街は、王族なくばトラブル続きだったほど辺境にある。
おかげで、戦いの構図が見えてきた。
老執事ダンタリオンが首を振った。
「典型的な、調略ですな。優れた武器を渡し、戦いを煽る。この武器を持ちかけられた時、おそらく、サーシャ様の叔父上は草原を支配するための至宝を手にしたと思ったでしょう。あたかも、伝説の剣を手にした英雄のごとく」
「しかし、遊牧の民同士で……」
いや、と言い直す。
「考え方が、違うのかもな」
思えば披露宴でも、馬国の装束には差異があった。その衣服を初めて見た俺でも分かるほど、明確な差異だった。
従兄弟テオルの装束は、豪華だった。宝石や金板をちりばめ、商国の宮廷でも通用する。馬に乗ったら、うるさいことだろう。
サーシャは言ったものだ。遊牧の民には、征服した土地の城や屋敷に住み、豪勢な暮らしをする者もいる、と。彼らにとって、サーシャのような暮らしは、もはや違う民に映るのかもしれない。
「科国の目的はなんだろう? なんで、伯父に武器を?」
「フランツ様、察しがついているのでは」
胸の辺りがずんと重くなった。
椅子にかけ、天を仰いだ。
「……塩の道か」
サーシャが目指した交易路は、いずれ二つの国だけでなく、大陸の東西を結びつける。
商国は交易で潤う。それを座して見ているほど、科国は甘くない。潰すための方策を取ってきたということだ。
「父王や、兄上は何をやって」
にゃおん、と足下で声がした。猫のアルフレッドだ。
「……責めても、仕方がないか」
結局のところ、最も大きな責任は草原にある。みすみす身内が調略されたのだ。
「馬国は……どうなのだ」
紙に起こされた戦況報告は、ことさらに悲惨な情報を伝えてきた。
ふと、甘い匂いが鼻をなでる。ばあやが茶を置いてくれた。
「お休みください」
「……ありがとう」
礼を言って、温かいものを胃に入れる。気付けば、昼を回っていた。
朝から何も食べていない。
「フランツ様」
老執事ダンタリオンは、銀縁眼鏡の奥で、瞑目していた。
「これは、我が国も危険です。サーシャ様の叔父上が、勢いに乗って商国まで攻めてくることもあり得ます」
「ウチのことはいいっ」
言葉にトゲが混じる。己に嫌気が刺すが、だんだんと態度を繕う余裕がなくなっている。
「……すまん」
頭を下げても、むしろダンタリオンが申し訳なさそうだった。
「いえ、失礼いたします」
執事達は去った。
こんな時でも、東の茶は美味い。
量は細っても、サーシャが引いた交易路はまだ生きていた。塩は絶対に要る。むしろ戦争状態だからこそ、馬国は悍馬が水を飲むように物資を飲み込んだ。
冬を前に塩がなくては、どのようにして食料を保存するというのだ?
おかげで草原の動静も、早馬を通じて最小限の遅れで分かる。
俺は何日も、手紙を机に広げて過ごした。戦いの場所を、サーシャの地図でなぞる。
「サーシャ……」
お前は、今、この地図のどこにいるのか。
いなくなってようやく、気づく。こんなに大切だったのか。
手紙は、日に日に頻度を増した。戦線が商国に近づいている分、やりとりが早くなっている。
父王を待った日数は、ついに十日を過ぎた。今日も日が暮れた、と愕然とする。
季節は短い秋を過ぎ、冬が始まろうとしていた。草原の北では雪も降っているという。
フランツィアでも天日製塩の効率が下がり、俺は仕事の面でも追われた。
痩せっぽっちが、さらに痩せた。
「剣の高原が、また戦場になりますな」
エリクがぽつりと言う。
地図に目を落とした。下がってきた戦線は、ついに端っこが高原に引っかかった。
「交易路まで、下がってきたか」
嫌な汗が出る。たとえどんな助けを送るにしても、もはや間に合わないのではないか。
悪いことばかり、考えてしまう。
「キヒヒ、フランツ様。伝承にならって、いっちょ我々だけで助けに行くというのは?」
神様が女神を取り合って、山を削り平地にしてしまったという戦いが、剣の高原の由来だ。そこについてみんなで軽口を叩き合っていたのが、つい昨日のように感じる。
冗談にも、苦笑を返すのが精一杯だ。
「ふん。今は、どっしり構えているさ」
エリクは身を揺らした。動けないことなど、悪友にも分かっていただろう。フランツィアには兵は少ない。近隣からかき集めても少ない。荒野に、生産以外の人員を養う余地はないのだ。
「フランツ様。王都から軍勢が来るとしても、さらにあと十日でございます。あなたにできることは、睡眠と食事を取ることです」
得意でしょ、と言われて今度こそ笑えた。
「引きこもり王子か」
そんな折、心臓を凍り付かせる情報が入った。
馬国の南西を領土とする姫が、山岳の砦で窮地に立っているという。眼帯の遊牧民の奮戦も、耳に入った。
「これは、おえん」
ロブ爺さんに手紙を見せると、庭師から騎士の顔に戻った。傷のある太い指が、遠い記憶を探るように、額を撫でている。
「あの砦があるのは、獅子の断崖というちょりましてな。剣の高原の、少し北で――かつての草原の長が建てた、古いものです」
「……囲まれてるのか」
「おそらくは。断崖を越える橋が遠い昔に落とされてからは、掘りも脱出経路もない、どん詰まりの砦です」
だが得られる情報は、サーシャを示すものばかりだ。
「なぜそんな場所に……」
「なにか策でも、お持ちならいいんですがのう」
焦りが強まった翌日のことだった。
フランツィアに、馬国の使者がやってきた。
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次回は、5月29日(水)更新予定です。