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4-2:二人の夜

 国境となる剣の高原まで、かつては片道三十日前後かかった。

 日数は少しずつ短くなっている。水場や飼い葉に、現地民の協力が得られたからだ。

 フランツィアから剣の高原までには、荒野がある。商国の遊牧民のほとんどが、そこで生活をしている。彼らはサーシャ達のように特定の長を持たない。それぞれが細かく独立した、自助自立の民だった。


 例えば、彼らが予め飼い葉を確保してくれていたとする。そうすれば、出発前に馬匹(ばひつ)の飼い葉を刈り集めずに済む。出発が早ければ、一日に多く進める。

 そうした積み重ねが、道の価値になる。

 安全で、早くゆける道。

 交易路だ。


 俺達は、フランツィアから北東に向けて進発した。

 ごろごろとした岩場と、時折ある草地を交互に目にするようになる。サーシャの話だと、かつての牧草地から、戦乱や放牧のやり過ぎで草が消えた跡らしい。

 引きこもってから、フランツィアをここまで離れたのは初めてだった。

 率直に言おう。

 旅は、意外と面白い。あるいは連れ合いがいるからかもしれないが。


「これは、またあるな」


 ある夕方のことだった。

 俺は馬の足を止めた。

 水場の近くに、見慣れた石像を見つけた。

 高さは、人の肩ほどだ。目が細く、どことなく異国風の顔立ちをしている。フランツィアにも似たものがあった。

 サーシャも馬を寄せてきた。


「ふむ。われらの目印だ」

「ずいぶん古いな」

「例の遺跡と同じだ。三百年前に立てられた石像が、まだ残っている」


 サーシャは少し誇らしげだった。

 商国のものとは違う、細い目の像。自然がまろやかにした面が、俺達を見つめていた。

 サーシャは馬上から指差す。


「フランツよ。像の足下に、模様が彫り込まれているだろう?」

「……本当だ」

「これが方角だ。先人の知恵だな。砂丘の形は当てにできないが、岩はできる」


 サーシャは周囲を見まわした。

 旅に出て、早くも七日が経っている。荒野のど真ん中にはなんの目印もない。確かに、こうした石像が点々とあれば、道しるべにできるだろう。


「なるほどな……」


 陽はゆっくりと傾いていた。

 世話になる遊牧の一族が、もう火をおこしているらしい。白い煙がすうっと立ち上っていた。


「フランツ」

「馬で、駆けるか?」


 俺から言うと、サーシャは嬉しそうに笑った。口元を覆う布を、ぐいと下げる。

 艶やかな唇は、悪戯好きな弧を描いていた。


「なんだ。分かったか?」

「馬が鈍ると言うんだろう」

「うん。少しは責めてやらないと、自分の全力を忘れてしまう」


 あそこにしよう、とサーシャは切り立った岩を指した。


「たまには、わたしに勝ってみろ!」

「今日こそ勝つかも知れないぞ」


 サーシャが眉を上げた。臆せず見つめ返してやると、姫君の闘志に火が付いたようだ。

 こんなに燃えやすくていいのだろうか。


「サーシャ、合図はどうする」

「あの鷹が、枝を発った時だ」


 風がふいた。鳥が羽を広げる。

 爪が枝を離れるのと、俺達が馬腹を蹴るのは同時だった。

 鈍足だった俺も、ずいぶんと馬の足に慣れた。

 馬国は、馬を愛する。速駆けは彼らにとって神聖な勝負であり、ゆえに俺もまた得意であるに越したことはない。

 その理由も分かる。

 地面から振動が来る。耳元で風がごうと鳴る。

 自分一人では、出せない速さ。

 生き物と生き物の営みは、きっと何百年前と同じなのだ。


「速くなった。とても」


 サーシャは驚いたようだ。俺はしっかりと、彼女と並んでいる。

 それでも遊牧の騎乗は見事なものだ。俺は結局圧しきれず、同着になった。


「……引き分けか」


 サーシャは額に浮いた汗を拭った。白い頬に朱がさしている。

 俺は肩をすくめた。


「実は、秘密がある」


 サーシャのことだ。大体は察したようだったが、ずるいとは言わなかった。


「我が君よ。土のことか」

「うん。それと坂だ」

「確かに。少し駆けると、草が消えた」


 フランツィアに草原は少なく、代わりに砂漠が多い。

 愛馬ゲイルはそういうところを駆けるのに慣れている。悪路を無理に駆けるときは、俺達も捨てたもんじゃないということだ。

 ゴール地点は、なだらかな丘になっていた。暮れなずむ大地を見渡す。フランツィアはもう地平線の彼方で、牧草地の隙間を、絨毯の縞模様のように荒れ地が走っていた。

 夕日に照らされて、男達が作業をしている。


「飼い葉を……集めているのか」

「今から刈って、道に積んでおくんだ。余れば、それはわれらの帰りの飼い葉になる。今日泊めてくれる一族が見張るだろう」


 きちんとそんな決まりが守られるのかとも思ったが、そういったものを浸透させることが、道を作ることなのだと気付いた。


「街道を敷くにも時がかかる。われらの道はレンガを積むわけではない。人同士の結束が大事だ。こちらも時間がかかる」


 野営するテントに戻ると、また例の石像を通りかかった。


「これは、祖父の目だと思うようにしている」


 サーシャはぽつりと言う。


「祖父がわたしを見ていてくれると」


 そこには今までにない緊張の色があった。

 俺達は大体そのようにして、着々と旅程を消化していく。

 そんな旅路が、長く続いた頃だ。

 ある夜、寝る前のテントで、サーシャは明かしてくれた。天窓が開いていて、夜風と薄い月光が差している。

 俺とサーシャは、同じテントだった。習わしに沿って、男女の間にはフェルトのカーテンが張られている。

 姿は見えないが、会話をすることはできた。


「父のことか」

「ああ。ちなみに俺の父王は、けっこう怖い方だ」


 話は、家族についてのことになっていた。縁を結ぶということは、互いの家族も、ある意味では一緒に引き受けるということだ。

 フランツィアでの遠乗り以降、俺達はたびたび家族の話をした。でも今回は特別だ。なんといっても、サーシャの父にはすぐ会うのだ。


「実を言えば……わたしも、父は怖い」


 意外に思った。


「あまり……会ったことがない」

「……そうなのか」


 商国でもよくあることだ。俺も、話としては聞いていた。


「わたし達の一族は、広い土地に散っている。気軽に会いにくる、というわけにもいかぬ。他の親戚や、家族もそうだった」


 サーシャは息を吐いた。


「従兄弟のテオルを覚えているか? よく顔を合わせた肉親など、彼くらいのものだった」


 胸が痛んだ。俺は、恵まれていたのかもしれない。

 たとえ怖くとも、眩しくとも、家族はずっと近くにいた。

 彼女は城で育てられたと聞いている。けれど、その子供時代は俺が思う以上に孤独だったのではあるまいか。


「そうか……」


 しばらく、間がある。

 道を作らねばならない。

 その気持は一族への責務というよりは――会えない家族への憧憬と、結びついていたのかも知れない。

 祖先と同じものを目指す時、彼女は遠い家族と共にある。

 馬を操り、勇ましく、未踏を目指す。馬賊の姫君である限り、家族と同じ草原の民でいられるからだ。

 胸の痛みと熱さが、ひどくなる。

 俺は、サーシャに家族の話を振ってやっただろうか。主導権だなんだと言いながら、サーシャのことをきちんと見ていたのだろうか。

 誇り高く、凛々しい姫君――それはある種の、幻影だったのではあるまいか。


「今、話しておきたい」


 サーシャは言った。


「覚えているか。わたしがここを――あなたを選んだのは、政略だけではない」


 ここで覚えていないなどと言ったら失格だ。俺は覚えていた。


「ああ」


 少し間をおいて、声がやってきた。


「家族と、仲間の多い男がいい」


 どきりとした。


「わたしでは知らないことを、きっと知っている」


 俺達の間は、布で仕切られている。しかし今日に限って、下が少し開いていた。

 親指を立てたくらいの、小さな隙間だ。

 そこから覗く、鳶色の瞳と目が合った。

 今までとは違い、どこか寂しげで、弱々しい。


「フランツ、寒い」


 サーシャは布の下から、白い手を差し出した。おずおずとそれを握り返す。

 俺は恥じた。

 最初、彼女は適当に俺を選んだと思っていた。交易品、つまり塩さえあればいい。夫役の男など、誰でもいいはずだと。


 しかし、思えばあり得ない。

 俺にとって一大事であった結婚が、サーシャにそうではないはずがない。

 互いの手は冷たかったが、すぐに熱くなった。今の面を誰かに見られたら、俺はそいつをヒモでぐるぐるに縛って塩漬け樽の中に突っ込まねばなるまい。

 (よわい)二十を越えた男が、手を握るくらいで顔を真っ赤にするなどと。

 火照った頭に、サーシャの声が届いた。


「……早ければ明日にも、剣の高原に着くだろう」


 明日、本物の夫婦になる。


「大丈夫だ」


 空回りする口で、なんとか言った。


「守ってやる」


 言ってから、さらに恥ずかしさが増した。握る手にちょっと力が入ったから、聞こえていたのだろうと思う。


「……うん」


 その日、俺は眠れなかった。サーシャがどうであったかは、分からない。


お読みいただきありがとうございます。

次回は、5月23日(木)投稿予定です。

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