4-1:旅立ち
記したとおり、俺はとある戦争に巻き込まれた。
結果的に、俺はこの戦争を利用した。
その批判は甘んじて受ける。
でも言い訳はする。
命の奪い合いなど、俺も大反対だ。しかしあれほど命知らずが多ければ、理想を実施するに障ることあまりある。
ゆえに王族でありながら、民だけでなく私事のためにも立った。
後ろ指をさしてもよい。
その先に俺はいない。
◆
「フランツちゃん、塩!」
ふわふわの金髪を揺らして、姉上はそう胸を張った。身長の都合上、見下ろす無礼はやむをえないが、先方の態度もでかすぎる。
「用件は分かりましたが、季節の挨拶くらいなさったらどうです」
俺が当然のことを言うと、姉上は身を抱いた。厚手のローブに貂の首巻きなどしていても、荒野の朝は寒いらしい。
「うーっ寒い! 確かに、ここ砂漠近いのに寒過ぎよ!」
震える様子が小動物のようで、思わず笑ってしまった。
フランツィアは夏を越えて以来、日を追う毎に朝の気温が下がっていく。今日など、俺達の吐息は白いほどだった。
姉上ジルヴィアより手紙を受けたのは、昨日の午後だ。朝一番で訪れるという。そして本当に夜明けと共にやってきた。やれやれ朝一番にも程がある。
姉上は体を傾けて、俺の背後を見た。当然いるべき人を探しているようだ。
「あら。フランツちゃんだけ?」
「サーシャは、午前は牧草地です。どうも、冬に備えて最初に家畜を捌くみたいで」
こればかりはサーシャも譲れないようだった。家畜は遊牧の民にとって、大切なものだ。その節目に姫君が立ち会うのは、当然だろう。
「ふぅん。いい商売を持って来たのだけどね」
姉上は相変わらず商いの鬼で、俺を安堵させた。とはいえ、いつまでも外にいるわけにはいくまい。
「中にどうぞ。今、茶を出させます」
「へぇ。東のお茶?」
屋敷を案内しながら、得意げに笑ってみる。
「ふふん。交易で、より質の良いものを入手しました」
俺達は応接セットに腰かけた。ばあやがお茶を運んでくる。
白い湯気と共に、豊かな香りが漂った。
「……いい香りね」
塩の道をいく遊牧民達と共に、フランツィアには良質な茶葉もやってきた。今まで茶がなかったわけではないが、希少なうえ、湯を入れた時の色も黒っぽかった。
サーシャによれば、茶はそもそも東の産物らしい。商国にあったこと自体が、昔の交易の証左だそうだ。
「……博識ねぇ」
そんな話をすると、姉上も呆れたようだ。
「ふぅ。こりゃ、相場で喧嘩売ったのは失敗だったかな」
にゃおん、と足下で声がした。姉上を叱るように。
廃ぶちの猫だ。
「アルフレッド」
我が家の猫も、朝がより冷えるようになって、屋敷に戻っていることが増えた。ゆらゆら揺れる尻尾の先が、執務室を回遊している。
姉上が手を出すと、アルフレッドは顎を載せた。
「……本当にその名前にしたのね」
「ご存知でしたか」
「エリクワルドがね。教えてくれたのよ」
俺は口を曲げた。悪友め、ちゃっかり姉上のところにも顔を出していたか。俺の引きこもり生活は実は筒抜けなのではないか。
せめてもの強がりで、苦笑を張り付けていく。
「家族の名前を忘れないように」
「あら薄情なやつ」
お茶と軽口でひとしきり体を温めると、早速仕事の話になった。この辺りは、互いに商人だ。
「本当は、ここまで来るつもりはなかったんだけどね」
「ええ」
「この近くに川があるでしょう。そこで、養殖をやれないかって思うのよ」
ちょっと驚いた。
「下見ってことですか」
「そ。塩の道に魚を持っていくなら、近くから取れた方がいいでしょ? 塩はあるし、細い川でも下れば船が浮かぶところもあるから、できない話じゃないと思うのよね」
姉上のことだから、弟を心配してというだけではないだろう。他の家族が店を出したがる程度には、交易路の展望が開けてきたということだ。
「それと」
姉上は指を一つ立てた。大きな目が、くりくりと左右に動く。人耳を気にする仕草だ。
「ちょっと気になる噂を聞いたのね」
姉上は声をひそめた。
「今まで、馬国に塩を売っていた国があったでしょう」
国名を思い出す。北の、大きな国だ。
「……科国ですか」
「ええ。そこが、どうも艦隊を作っているようなのよ」
姉は眉間に皺を寄せた。
商国は北に巨大な湾を持っている。これは端から端までいくのに船で数週間もかかり、無理に横断すると希に遭難者も出るという大きなものだ。
「艦隊?」
「海賊対策には大げさ。他にも色々作ってる。あっちの店に発注すると高いのだけど、順番に割り込むから高くなるのだわ」
俺は思い出した。
かの国で産出されている、悪い塩。その中の硝石とは、火薬の主原料でもある。
「察しがついた?」
「艦隊って――まさか、砲か」
悪い予感は確かにした。
だがその時の俺は、あまり考えている余裕がなかった。旅装の準備にもかかっていたからだ。
科国のことは海を挟んだ遠くのことだし、陸路で言えば間に馬国が挟まっている。きな臭い話ではあったが、燃え出すのはまだ先だろうと思っていた。
その時は、まだ。
「行くのね?」
姉上は茶を置いた。
「ええ」
俺は背筋を伸ばした。
「サーシャの父君が、剣の平原まで来られているのです。会いに行って参ります」
約束の半年が、ついに来ようとしていた。
引きこもり王子と馬賊の姫君の婚姻は、草原の長――すなわちサーシャの父への目通りを経て、正式なものとなる。
街の長としても、王子としても、縁を固めると時が来た。
お読みいただきありがとうございます。
次回は、5月19日(日)に投稿します。
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