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3-4:天地の恵み

「これはなんと読む」


 ソファーからそう問いかけると、ザザはぬうっと巨体を屈め、俺の本を覗き込んだ。


「お待ちを……ははあ、瓦斯(ガス)と読みますな」


 フランツィアの屋敷は、一夜にして紙の海となった。

 俺が図を頼りにページを指すと、通訳役のサーシャかザザが詳しい意味を教えてくれる。そうした役割分担が、自然とできあがっていた。


「しかし、凄まじい量だ」


 目に映る限り、本、本、本!

 書物は商国でも宝とされるが、さすがに異国の文字では価値がつかない。それでもサーシャ達が持ってきたのは、製塩や、探鉱の興味深い知見がこの中に含まれているからだ。

 とはいえ、数が多すぎる。俺は技師へ弱音を吐いた。


「……エリクぅ」

「話しかけないで下さい! 今ようやく、図の見方が分かったのです!」


 製塩技師は、東方の技術書に魅了されたようだった。

 勝手にやってくれとは言えず、俺も目元を揉んだ。

 執務室の扉が開いて、また新しく本が持ち込まれた。

 別室でも、馬国の人間が本にかじりつき、役立ちそうなページを見つけては、開いてこの部屋のどこかに放り投げるという寸法だった。結果が、本の海である。

 この無体な扱いを、学者が見たら卒倒するだろう。


「フランツ、正体が分かったか?」


 サーシャが椅子の後ろから覗き込んだ。


「うん……なんとなく」


 目がしばしばする。

 獣脂の蝋燭をいくつもつけているせいで、部屋の中が暑かった。


「もう、朝か」


 空が白んでいる。俺はサーシャに成果を告げた。


「正体は、天然の瓦斯(ガス)だ」


 俺は本をサーシャに見せた。

 自分では、ザザの書き付けをそのまま読み上げる。眼帯の遊牧民は、武威だけでなく教養もあるようだった。


「遙か東の街では、同じように塩を作り、同じように穴を掘ったらしい。だがある日、穴掘りの作業者が倒れたり、穴から火が出たりした。彼らも最初は悪霊だと思ったようだが、ある時、悪霊に火で挑んだら、なんと穴全体から火が噴いた」


 異国の文字で書かれた、呼び方も定かでない街のことである。

 そんな彼方の出来事が、文字を通じて俺達に知識を授けてくれる。

 道というのは、不思議なものだ。


「やがて、地中深く掘った穴から空気がわき出してくるのだと分かった。賢人はその空気に名前をつけて曰く、『瓦斯(ガス)』と呼ぶ」


 なんとなく、賢人の考えが分かる。悪霊では人は怖がる。

 だから別の名前を与えたのだ。名前をつけて呼び習わせば、理解したつもりになれるのだろう。

 サーシャは白い指を文字に這わせた。


「天が自然(じねん)のままに作りたもうた瓦斯(ガス)、とあるな」

「そうです!」


 本の山から、エリクが息継ぎするように顔を出した。


「……つけ足させていただいても? あいたっ」


 ガタンと椅子が倒れた。

 エリクがついにひっくり返ったらしい。


「そ、その街では、植物の配管でガスを導き、料理の火に使っていたとか」

「おいおい本当かぁ?」

「確かでございます。この図面を」


 改めて図を見ると、確かに何かの植物のようだ。ガスを導く管には、葉っぱがついている。


「タケだな」


 サーシャは言った。聞かない植物だ。


「なんだそれ?」

「ここにはない。やるなら、管は別のもので代用が必要だ」


 エリクがまた動いた。妙に元気なのは、この知識の海が理想郷だからか。言っては何だが、血色の悪い顔が部屋を泳ぎ回り、半魚人のようであった。


「私達は、陶器の配管がよいでしょう。ガスが噴き出る勢いは、おそらく同じ程度でしょうから」


 技師は悪魔の利用法に、興味が出てきたようだ。

 ここが少し悩むところだ。


「……火か」


 危険ではないか。どの知識をあたっても、最終的には火を使う。


「細長いパイプを地下まで通し、そこに導火線を垂らす方法が安全かと。姫様の塩に含まれていた硝石は、少し混ぜ物をすれば火を導く薬剤になりますので」


 胸を張るエリクに、サーシャは白い頬を緩めた。


「技師よ。さすがの腕前だな」

「ふふん。控えめに言って天下無双!」


 苦笑して、思案する。新しい試みには、危険がつきものだ。

 しかしエリクはやりたがるだろう。なんといっても技師だし、そういう才を持ったやつだ。


「もし火で失敗などすれば、フランツィアの人は悪魔をさらに恐れるだろうな」


 もう穴は塞いであるのだ。差し迫った危険はない。

 が、悪魔の正体を確かめないまま、いつまでも穴を塞いでばかりもいられないかもしれない。住民に『悪魔は退治できる』と、安心させることもできるだろう。

 天秤にかけるのは、二つ。

 『悪魔』の正体を確かめられるということ。『火』を使うことの危険。

 部屋を見渡す。

 サーシャにエリク、老執事ダンタリオンにザザ。部屋の隅に置かれた夜食は、ばあやが作ってくれたものだ。

 ごほん、とダンタリオンが咳払いをした。


「鉱区の側では、何かが腐ったような臭いがまだ漂っているそうでございます」

「どこからか漏れているのか?」

「地下の中で、どう竪穴が繋がっているか分かりませんので」


 ダンタリオンの報告で、俺は覚悟を決めた。


「やるか」


 するりと決断できたのは、我ながら意外だった。

 サーシャの好奇心が、俺にも移ったのかも知れない。


「安全に万全を期す。作業手順、火の付け方、全て考えるぞ」


 騎士のようにはいかないかもしれないが、悪魔退治である。



     ◆



 陶器の管の準備に、三日を要した。水瓶を作る要領で、人の背丈ほどもあるパイプを焼いてもらった。火を付けたときに破裂する可能性を鑑み、職人があえて柔く作ってある。固いと、かえって鋭い破片が飛び散って危ない。

 決行の朝、必要な資材を悪魔の井戸に集めた。


「口の布はいいな」


 俺は声を張った。

 二十余名の志願者が、互いに鼻と口を覆う布を確かめ合う。サーシャ達の知識で、布には砕いた炭を入れてあった。悪い空気に包まれた時、炭がマシにするという話だが、効果が実践されないことが一番だ。


「始めてくれ」


 作業が、始まった。

 まずは石こうと、塩を混ぜた泥による封印を、ツルハシで砕く。周囲には、ほんの少し腐ったような臭いがした。

 作業者は十五名が列をなしている。穴の近くで息を吸うことなく作業が行えるように、だ。ツルハシで一たたきして、次の人に交代するというわけだった。


「終わりました」


 報告に、俺は頷いた。

 すぐにエリクが彼らの目を見る。ガスを強く受けると、目が赤くなるという。ガスの強さによっては、臭いを感じる間もなく昏倒し、死に至ることもあるというのだ。

 改めて、この作業の危険性を思う。

 それでも志願者が集まったのは、それだけ悪魔の正体を確かめたいと願うからだ。


「次の列を呼んでくれ」


 五名ほどの作業者が、陶器の長パイプを持って現れた。


「穴に、そいつを差し込む」

「はっ」


 パイプが、穴に差し込まれた。パイプの途中には、荒縄と棒ででっぱりが作られている。ここが穴幅に引っかかって、陶管の半分ほどが地中に埋まったところで留まるという寸法だった。

 失敗した時はパイプを砕き、中にまた石こうと泥を詰める。

 人の背丈ほどの管が、穴に差し込まれた。

 最後の作業者が、パイプの出口に手をかざす。気味悪そうに、足早に戻ってきた。


「確かに、中から風が噴き出しています!」


 どよめきが走った。

 まずは倒れた者がいないことに安堵する。

 俺は叫んだ。


「火をつけるぞ!」


 いよいよ、実際にガスに火をつける段取りだ。

 錬金術師を自称するエリクが、着火用のロープをすでに用意してあった。サーシャ達の塩に含まれる硝石が、ここで役だったらしい。硝石は火薬の原料となり、諸々と組み合わせてロープと結い合わせることで、導火線となるのだ。

 ロープの長さは、ゆうに人が四、五十人並べる長さである。


「怯えすぎだ」


 サーシャに茶化されたが、俺は万全の安全を期さねば気が済まない。


「俺の心臓に期待するな」


 導火線をパイプの口に入れ、松脂で固定したら準備完了だ。

 掘り掛けの塩鉱に、全員が身を潜める。火で爆裂するようなことがあっても、塩鉱の深い窪みであれば、大丈夫だろう。


「……いくぞ」


 鉱夫が、ロープに火を放った。じじじ、と炎がロープに沿って進んだ。

 じれったい速さだ。


「……遅いな」


 早速、姫が焦れた。


「おい顔を上げるな」


 俺はサーシャの肩を押さえつける。

 土煙が舞い、炎は次第に見えなくなる。


「……どうだ?」

「行ったか?」


 だがいっこうに、差したパイプからは火が出ない。

 エリクも塩鉱から顔を出した。


「はて。縄の途中で鎮火しましたかね?」

「どれ見てこよう」


 サーシャが塩鉱から這い出て、縄を追っていく。

 呆れた勇気だ。

 と、俺はその時、ロープの途中が再燃するのを見た。

 パイプの、すぐ近く。

 おそらく、導火線に燃え方の悪い部分があったのだろう。火は消えたのではない。一時的に停まっていただけなのだ。

 つまり――


「サーシャっ……!」


 穴から出た。

 地を蹴って、転がりながら、サーシャを引き倒す。鉱山で聞いたことがある。火をつける役割は大変危険で、松明を掲げた男達は身を伏せながら作業すると。

 炎がパイプに辿り着いた瞬間、地面が揺れた。

 火柱。

 遅れてやってきた音は、俺の勇気を粉砕した。


「な、なななっ」

「おお」


 組み伏せられた下で、サーシャが目を輝かせた。


「まるで竜が火を吐いたようだ!」


 どうやら恐ろしいという感情をどこかに置いてきたらしい。

 俺は違う。轟音と共に燃えさかる火柱に、体が強ばるばかりだった。

 安全だとわかり、へなへなと力が抜ける。


「フランツ」

「……え」

「重い」


 サーシャを体の下に引き倒していた。

 離れる。慌ててぎくしゃくした動きにならないよう注意するくらいには、正気に戻っていたのが幸いだ。


「なんだ。半年が待てなくなったか?」

「馬鹿言え」


 呆然と火柱を見上げながら、口が滑った。


「心配だろう」


 二人して座り込みながら、そんなことを言い合う。どちらともなく吹き出したのは、なぜだろう。


「……あの」


 エリクが後ろから声をかけた。


「炎に負けませんな」

「ほっとけ」

「で、これどうします?」


 作業者達が塩鉱から顔を出して、天へと昇る火を見つめている。

 俺は肩をすくめた。


「地中のガスを、燃やすことで消している。分からぬ者には、炎が悪魔を追い払うと言えばいいだろう」


 力強く燃える炎は、蒼穹にいつまでも踊っていた。



     ◆



 結局、火は四日も燃え続け、ついには消えた。火柱はほどなく人の頭くらいの大きさに収まり、安定したという。

 臭いがなくなった穴に、労働者も安堵したようだ。

 もう火が出ないパイプは、念のため蓋をして、そのまま置いてある。『悪魔の墓』と、誰かが呼んだ。フランツィアからは古い迷信が一つ消え、地面を掘るときの教訓が加わった。

 しかし人間は調子に乗るものだ。

 後日、あのような穴をもっと増やし、火を活用できないかという案がエリクから出た。


「やらない」

「しかし! あの炎で塩水を炊きあげれば、燃料代が浮きますよ。塩が惜しくないのですか?」


 確かに、王族用の高級塩は燃料を使う。加熱し、素早く水気を飛ばすことで、粒の細かい塩を作っている。

 石炭の購入は、フランツィアの悩みの種だった。


「あの火を自由自在に使えれば、もっと増産も可能でしょう」

「必要以上に、塩を取ることはない。井戸の悪魔の正体は分かった。こうして火で退治することもできる。今はそれで十分さ」


 それよりも、こうした穴が出ない鉱区を開発する方が重要だろう。

 仲間はそれで納得できた。

 サーシャはそうはいかなかったが。


「やらぬ理由は、それだけではないだろう?」

「……むぅ」


 俺は白状した。


「煮立てるやり方だと、高級塩ができる。全ての塩を煮立てるようになったら、王族用に量を絞っている塩が、増えすぎて値崩れする。だから、やりたくない」


 やはり、とサーシャはからからと笑った。


「足るを知る者は富む」

「うん?」

「先日読んだ書物の中に、そんな言葉があった」


 ほどほどがよいということか。

 俺の場合、ケチで度胸がないだけな気もするが。


「初めてに危険はつきものだが、悪いばかりでもないだろう?」


 発案者として胸を張るサーシャに、俺は肩をすくめた。

 このようにして、井戸の悪魔は退治された。




 思い返してみれば、この時が二人で穏やかに過ごせた最後の時かもしれない。

 少なくとも、俺達のことについて、詩人が題材にすればそう書くだろう。

 俺は詩人でも歴史家でもないので、とりあえず俺達が巻き込まれた戦いの名前だけを書いておく。


 求婚戦争である。


キーワード解説


〔天然ガス〕


 天然に産出する化石燃料としてのガス。

 太古の生き物の死骸などから発生したガスが、地面に溜まり、それを採掘によって収集する例が多い。

 地中は高圧になっているため、地下深くの地下水には多くガスが溶けている。地表付近に汲み上げられた時、水にかかっていた圧力が緩み、溶けていたガスが湧き出てくることがある。

 フランツィアでかつて井戸を掘っていた人々は、この深さにまで井戸を達し、迷信を残して土に埋めたのだろう。



〔ガスフレア〕


 採掘によって掘り当ててしまった、硫化水素などの有害なガスを、燃焼させることで無害化するために設ける火。

 石油プラントなどで、高い煙突の先に火を灯していることがある。

 あれのこと。

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