3-2:本物
商国の料理は、大抵のものをパンに挟もうとする。商人が出先に持っていく時や、商談をしながらぱくりとやるのに都合がいいからだろう。
我々が異国で何かを見つけると、まずパンに挟んで味をみると言う。パンとの相性が悪くとも、揚げたり焼いたり、漬けてみたり、手を尽くして挟もうとするのだから、そのこだわりは相当なものだ。
昼食のパンにも、様々なものが挟まっている。
豚肉。羊肉。鶏肉。日持ちする野菜、ニンジンとタマネギ。バターとチーズで風味を添えて、オリーブオイルも塗ってあった。
街が豊かになった証である。ひどい時は挟むものがなく、固いパンをお湯で戻して食べたこともあるのだから。
バスケットには、他にも甘そうなドライフルーツや、つやつやの茹で玉子が入っている。
「まず、祖父の話から始めたい」
繁栄をもたらした姫君、サーシャは昔話を始めた。
風がやってきて、遺跡の土を巻き上げる。サーシャは鳶色の目を細めた。霞んだ遺跡に、昔の景色を見るように。
俺も頷いて、サンドイッチをかじった。昔の人も、こんな風に食事をしたのだろうか。
「祖父は、馬国が最も激しく戦った時代の方だ」
その話は俺も聞いていた。というより、知らぬ者などいないだろう。
馬国は、野火のように瞬く間に草原を覆った。大帝国を、僅か二代で切り開いたのだ。
「祖父には秘めた夢があった。あの古地図にあった、かつての交易路。それを再び作り上げ、大陸の東西を結びつける」
「……壮大だな」
「うん。それだけのことを言う資格を、手にした方だった。そしてその意思が貫徹されていれば――とっくに交易路は成っていただろう」
サーシャは苦笑する。
「わたし達もまた、時代によって変わる。遊牧の生活をやめて、都市に住む者はわれらにも多い。祖父が没すると、父も周りも、そんな道の話など忘れてしまった」
姫君はしばし沈黙した。
確かに、遊牧の生活は大変だ。豊かになれば、定住するのも無理はない。
「……わたしも、城の中で育った」
とはいえこの告白には驚かされた。
「城?」
「祖父が分捕った城だ。父は私をその中で育てた」
奇妙に思った。遊牧の姫君となるのなら、部族で育てればいいのに。
サーシャは干し葡萄を口に入れた。顔が歪んだのは、まさか苦かったわけではあるまい。
「父は、わたしを本物の姫君にしたかったそうなのだ」
本物、と呟いていた。
「馬国が周りを攻めたのは、うらやむ心の裏返しでもある。畑にできる土地。ずっと住み続けられる土地。文字や、見事な調度もそこにはある。手に入れれば――むしろ、降した彼らになりたがったのだ」
馬賊の姫君は問いかける。
「本物とはなんだろうな」
一瞬、サーシャの顔が曇る。
しかし続く言葉は、楽しげだった。
「フランツよ。そんな育て方で、よく私のような女になったと思わないか」
「思う」
即答すると、サーシャはからからと笑った。
「そうだろう」
満足そうに頷き、彼女は息をついた。膝を抱えて、楽しげな目でこちらを見る。
「宮に、いつも庭いじりをしていた老爺がいた。私は好きで、よく話を聞いた。祖父の戦いの話や、馬の話、草原の歩き方、ありとあらゆることを知っていた」
流言や、戦いのやり方もその人物から習ったのだろう。
頬を赤らめた姫君は、どきりとするほど魅惑的だった。とびきりの悪戯を明かす子供のようである。
「秘密の教練さ。外の広さを、その人から知った」
思い当たる人物がいた。
「ザザ?」
「その方とは、違う。ザザよりもさらに年長だ。なにせ、祖父の代に武将であった方なのだ」
「へぇ……」
驚いてしまった。
「幸運だった。祖父の代の戦いは、恐らく口伝でももう途絶えていよう」
サーシャはぎゅっと手を握り、土埃の晴れた遺跡を見つめる。
「ならば、私が継ごうと思った。新しい場所も、そこに敷く道も。未開に夢を見てこそ、わたし達だ」
サーシャは鳶色の瞳で笑う。
「ここへ至れてよかったと、思っている」
そう結んで、サーシャは水を飲んだ。
「ふふ。ここまで話したのだ。フランツ、次はあなたの話が聞きたいな」
「……俺の?」
困ってしまい、赤髪をかく。
そんな立派な志などない。引きこもりという強い意思はあるが、残念ながら彼女と真逆の方向を向いている。
「ご家族の話など、どうか。秘密の交換もまた、交易である」
妙な理屈に吹き出しそうになった。とはいえ、固さは取れたが。
「そんなんでいいのか?」
「うん。大家族というのは、わたしは知らぬ」
宮で今も奮闘している家族のことである。確かに、この話題なら事欠かない。
とんでもない人ばかりだ。
「そうだな。たとえばジルヴィア姉上は、今でこそ商いの鬼だが、昔は俺と一緒によくごねた。八つ年上の兄上がいるのだが、この人も姉上には手を焼いてな。俺で無理だと、いつも兄上が出てきた」
俺は、宮で動物を飼うのを禁じられた時の話をした。原因は、占いを好む家族が、鶏など犬だのを中庭に放したせいである。色々な王族がいるのだ。
「姉上は同じ日に猫を連れてきた」
「禁止されたのにか?」
「中庭に放す分には、いいだろうという理屈だ。池には魚もいたし、鳥も飛んでくる。勝手に動物が住んでいるという理屈で、なんと過去の事例まで持ってきた」
今思えば、あんな小さなことによくもあれだけの理屈を持ち出せたものである。
サーシャは白い頬を緩めた。
「放牧か」
「まぁ、そういうことをやる人だった。塩の高騰も、きっとうまいこと理由をつけて、罰は逃れるつもりなんだろ」
面白く話をしたつもりが、気付くと塩の話をしていた。
しょっぱい……。
宮にいた頃はもう少し気の利いた話題を振れたはずだが、エリクの言うように俺は本当に塩漬けになっているのだろうか。ダンタリオンかばあやに言って、百八項くらいの困った時の話題リストを作らせるべきかもしれない。
「やれやれ」
無理矢理まとめて、空を見上げた。夏空は嫌らしいほど青く、雲が綿菓子のように浮かんでいる。俺の話題も、はぐれ雲のようにぷかりと浮かんでしまった。
家族をこんな風に話すのも久しぶりだ。
失敗が嫌で。宮から逃げ出して。
でも向きあってみれば、どうだっただろう。
ぽこんと砂糖菓子のような拳で、腹を打たれただけである。
魚の形をした雲が、空の高いところをすいすい流れていった。
サーシャはくすくすと笑っていた。
「……姉弟の話は面白い」
気を遣われた気がして、頬をかいてしまった。
「そりゃどうも」
「本当だ。必ず、誰かが誰かに似るからな」
「子供か」
何気なく言って、鳶色の瞳と目が合った。
性懲りもなく、何か気の利いたことを言おうとした。口があえいだ。真っ白い背中と、からりとした笑顔が、目の前の微笑に重なった。
「どうした?」
どん、と鐘の音がした。
俺は慌てて立ち上がる。サーシャも問うた。
「なんだ」
音は空に反響し、消えていく。しばらくして、独特なリズムで鐘が再び叩かれる。
その方向が彼方に見えるフランツィアだと知れて、俺は天を仰いだ。
ちくしょう。まさに、悪魔のタイミングだ。
「フランツ、襲撃か」
「まさか。こいつは、塩鉱からの連絡だ」
遠くて分かりにくいが、サーシャも聞こえたなら間違いない。
馬を呼ぶ。こうなっては、すぐに戻らねば。
「悪魔が出たかもしれん」
言うと、サーシャは首をひねった。
「……そういえば、塩鉱に悪魔がいると言っていたな」
「ああ。古い人は、『悪魔の井戸』と呼んでいる」
新しい時代も、よろしくお願いします。
次回は、5月3日(金)投稿予定です。