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2-18:泡のように(後編)

 サーシャの策を携えて、俺が現場へ到着したのは、六日後のことだった。

 街の名は、ムラティア。フランツィアが小都市だとすれば、こいつは立派な都だ。河川と街道の結節点であり、基本的に商国で『都会』と言えば、このムラティアよりも北を指す。

 乾燥は強いが、もう荒野というほどではなくなっている。

 道沿い、川沿いには樹木が生え、市壁も分厚い。フランツィアと同じなのは、街の道が砂でじゃりじゃりするくらいだ。

 俺は背後を振り返った。


「用意は、いいな」


 飲んだくれ友人の、ブルーとメリッサである。二人は、真っ昼間にしてすでに顔が赤い。

 迫真の演技が期待できそうだ。


「……らいじょうぶっす」

「ああ、昼間の酒がうまいぜぇ」

「…………そうか」


 ブルーが、俺に水筒を差し出した。

 ヤギの胃袋から作られたものである。生き物から作る水筒は、適度に水気を逃がすおかげで、熱暑でも中身はぬるいまま保たれる。

 蓋をとると、むわっとした酒精。

 蒸溜された馬乳酒は、俺を一度は昏倒させた宿敵だ。


「さぁ、若様」

「一息に、一息に」


 一口、二口。あおるように飲む。すぐに頬が上気した。


「ぷはっ」

「いい飲みっぷりです!」

「さぁ次行きましょう!」


 こいつら、作戦を忘れてないだろうな。

 一抹の不安を抱えながら、俺は酒場に連れ込まれた。


「いらっしゃいませぇ!」


 酒場は活気づいている。

 なにせ、この街一番の取引、塩がずっと高騰を続けているのだ。

 いつまで続くか。さらに買っておくべきか。岩塩の板一枚、あるいは塩の一袋が、今や黄金と等価である。塩がさらに買われる限り、熱狂に終わりはない。

 壁に掛けられた、塩値段の相場表。

 値上がりを示す赤い文字が踊っている。公示人にも金を払ったが、確かに効果は出てはいなかった。

 思わず、喉が鳴った。

 この状況を、変えるのか。


「まったく、引きこもり王子の野郎め」

「おかげで、俺らは大助かりだがな」


 そんな軽口も聞こえる。引きこもり王子の無能伝説は、まだ都で生きているらしい。

 ちょっと悔しい。

 俺は、口元を隠す布を確かめた。


発泡酒(エール)を三つ、頼む」


 街の名物は、苦みの強い麦酒である。

 うまいエールは、麦に余裕がある街でしか味わえない。香草や香辛料で味を調えたこの街のエールは、立派な名物だ。

 我等三名は、泡立った木のジョッキをテーブルで掲げた。

 この時間、この相場で、酒を飲む方が珍しいのだろう。視線が集まってくる。


「あっ」


 小さな声に、最初の成功を感じた。

 俺が引きこもり王子フランツだと、気付いた人もいるだろう。

 何気ない動作で口元の布を取る。

 囁きが聞こえた。

 フランツだ。製塩都市のフランツだぞ。


「若様~」


 メリッサが、おもむろに酒をあおった。

 濁った目。無精髭。酒臭い息。

 迫真の演技である。むしろやり過ぎである。


「どうしたんです。もう一杯やりましょうよぉ」

「あ、ああ」


 頷いて、酒に口をつける。

 緊張で味など分かるまいと思ったが、意外と、美味だ。味が濃いから、汗をかいた後は沁みるようにうまい。

 よく塩を振った肉が欲しいと思ったら、すでに相方のブルーが干し肉の皿を置いていた。こちらも、ぐびりぐびりと喉を動かし、早くも杯の半分を干しつつある。


 本当に、大丈夫だろうな。


 思いつつも、しばらく世間話をした。

 フランツィアから、久しぶりに旅行に出たこと。土産物が美味かったこと。

 塩の高騰など頭にない、呑気な王子を印象づけていく。


「そっちもどうだ」


 俺は、渾身の勇気で、周りの商人に声をかけた。


「奢ってやるぞ?」


 商人達は、おずおずと頷く。


「俺達は、けっこうでさ」

「仕事があるもんで」


 俺はそこで、塩の値段表を見た。初めて、気付いたふりをした

 ブルーとメリッサは、会話を続けている。


「若様。奥様は、どうしてるんです?」

「買い物ですか?」

「ああそうだよ。まったく、長い、長すぎる」


 酒場の喧噪は、変わらない。だが聞き耳を立てられているだろう。

 馬鹿な貴族が酒場に来て、情報を落としていった例は枚挙に暇がないからだ。


「疲れるから、俺はここに引っ込んでるのさ」

「なるほど。旦那様の苦労は、上も下も、東も西も変わらない」


 貴公子メリッサが苦笑した。酒のペースが速い。もうおかわりをしている。

 俺もエールを流し込んだ。


「で、奥様はどうです?」

「だから買い物に」

「そうじゃなくて。俺達は、あなたが愚痴を言いたいというからおつきあいしてるんですぜ」


 ブルーが団子鼻を赤らめて言う。


「それは……」


 作戦通りの、話の流れ。酒精のせいか、頭がぼやける。


「跳ねっ返りと聞いてますぜ」

「おうよ。狼だって退治したと」

「ささ、フランツ様。困るのはなんです?」

「そりゃ」


 言いかけて、ふと言葉が止まった。酒精が回る。

 演技を忘れて、友人と飲んでいるような気になった。


「ちょっと、一人で頑張りすぎだよな」


 ブルーとメリッサが、一瞬、戸惑ったようだ。打ち合わせと違う受け答えだったかもしれない。

 ブルーが発泡酒のおかわりを頼んでいた。ジョッキを見ると、確かにもう空だ。

 まるで底なし樽である。

 俺の口も、何かの底が抜けたように、勝手に話していた。


「そりゃまぁ、あの歳でよくやってると思うが、少しばかりやりすぎだと思う。交易路とか夢とか。じゃじゃ馬だぜ」


 馬乳酒が予想以上に効いているらしい。

 口がなめらかに回った。回りすぎる。


「ほ、ほうほう」

「でも」


 杯を置いた。


「……まぁ、悪くない」


 ブルーとメリッサが沈黙して、顔を見合わせた。


「……若様、普通に酔ってませんか?」

「あのですね? 作戦がね?」

「最初はどうしたもんかと思ったが、ちょっとしたもんで喜ぶし……その辺はまぁかわいい。そも、年下だしな。魚好きなんだが、食べるのはあまり上手くなくてな」


 ブルーとメリッサが、眉を下げて頷いた。口に合わないものを無理矢理突っ込まれたような顔だった。


「……普通に、のろけてきた」

「なんだか聞いてて体がかゆくなってきた」

「うん?」


 慌てて咳払いを入れる。

 そうだ。作戦があった。

 メリッサがぐびりとエールをいく。続きを急かす様は、見事なまでのそれとなさだ。


「でも、フランツィアじゃ噂ですよ」


 俺は肉を噛みながら促した。


「なにが?」

「塩の話ですよ。ずいぶん持ってかれているそうじゃありませんか」


 塩。

 酒場全体が、耳になる。


「ああ」


 俺は言った。心中の笑いを、押し隠して。


「確かに、タダ当然で持ってかれるからな」


 泡が弾ける音がした。

 膨れあがった夢ほど、発泡酒の泡さながらに、ぱちんと弾けて消えてしまうものなのだ。

 酒場はしんと静まりかえる。

 何人かが慌てて場を後にする。市場の方は騒がしくなるだろう。なにせこの瞬間、幻が晴れたからだ。

 商人の青い顔を見れば、分かる。


 ――そうだ。

 ――フランツィアにいるのは、なんといってもあの引きこもり王子なのだ。


 だとすれば。

 人間は想像する。勝手にぐるぐる思い描いて、事実でない希望も、絶望も、手前勝手に思い描く。


 ――遠い馬国の姫君を、御せるはずもないじゃないか!


 この瞬間、フランツィアの馬鹿王子は、嫁にすっかり尻に敷かれて塩をタダ同然で売っていることになった。

 これが噂だ。

 上から公示された情報ではなく、自分で聞き取った情報ほど、人は喧伝したくなる。

 もともと、ちょっと自分の頭で考えれば、分かる話なのだ。


 馬国は市場の読み通り、高い塩でも買うだろうか。


 そんなはずはない。新婚の王子が、貢ぐように嫁に塩を巻き上げられるのだから。

 まぁ実際は、余所より割安に買えるのも事実だが。


「おかわり」


 俺が発泡酒を掲げると、もう店には誰もいなくなっていた。

 あまり早いと怪しまれる。しばらく飲んで、ブルーとメリッサの分を会計し、外に出る。今度こそ、味は分からなかった。


「ハマりましたな」


 ブルーの言葉に、俺は頷いた。

 遠くから、声がする。


 ――ちくしょう、フランツィアの馬鹿王子め!

 ――考えてみれば、あいつが嫁と交渉できるはずもなかったんだ!


 ひょうと空しい風が吹いた。


「……みんな、あっさり信じたな」


 勝利が、こんなにしょっぱいなんて。


「にしても、サーシャの策は怖いほどだな」


 馬賊の姫君は言ったものだ。


 古来、多くの国が噂の力で滅んでいる。将軍が病になった、城壁が突破された――そんな混乱を呼ぶ情報を、敵の都市に流すのだ。

 馬国が大陸を席巻した理由には、そんな情報戦に長けていたこともあるそうだ。かの国の恐ろしい噂の多くは、敵を恐れさせるために敢えて流したものもあるという。


 酒場の一件も、多くの策の一つに過ぎない。

 ザザの采配で、あの手この手で、ムラティアには他の噂も放たれていた。


「ブルー、なんでしたっけ。噂のコツ」

「メリッサ、あれだろ。えーと、噂を流すには――」


 ブルーとメリッサが尋ねた。俺はサーシャの言葉をそのまま述べた。


「噂を流すに便利なのは、一つは子供。人通りのあるところで、子供に呟かせる。もう一つは……酔っ払いだ」


 おそらく警戒させずに、するりと言葉を飲ませる者が、噂の発信源として丁度いいということか。

 遠く街路の先から、どよめきが聞こえてきた。市場の方角だ。


「フランツィアの塩が、届いたな?」


 今日に限っては、多めに市場に納入していた。馬国の男達も総出で塩切り出しを手伝った。おかげで、ラクダ三百頭分、一二〇〇デール(三六トン)も納品したのだ。

 これで、そもそもの塩不足の噂も解消する。

 もっとも塩を使う、漁期も近い。塩はいつまでもため込んでおけず、いずれ使う。

 ゆえに、すでに値下がりを見込んでいた人も多かろう。今頃市場は、塩のたたき売りの様相を呈しているはずだった。


「よし」


 勝った。

 頷いたとき、がしっと腕を捕まれた。


「さぁ、フランツ様」

「行きましょうか?」


 ブルーとメリッサが両側から俺を掴んでいた。


「へ?」


 ブルーは酒臭い息で言った。


「若様、俺達は心配してるんです」


 メリッサも続ける。


「あれだけ一緒にいて、まだ、奥様に指一本、触れていないとか」


 冷や汗が出てきた。


「……だとして、なんだ」

「よくありませんな」

「そのとおり。健全すぎて不健全です」


 話が見えない。しかし飲み友達は、なにやら昼間から薄暗い路地に俺を引っぱっていく。


「俺達は思うんです。若様は、ひょっとして、手の出し方を知らないんじゃないかな、と」

「な、何を馬鹿な」

「さぁ行きましょう。せっかく大都市に来たんです。親戚のオツな店がありますんで」


 勝利で上がった意気は、おどろくべき急降下を見せた。

 必死に抵抗した。


「そ、それはだめだ!」


 この街にはサーシャや、お目付役のザザがいる。そんな店に入るところが見られたら、大変なことになるではないか!


「いいから」

「大丈夫だから」


 そんなわけがあるか!

 ブルーは言う。


「若様。私共、『その辺もよろしく』と言われております。これは任務なのです!」

「だ、誰から」


 問うたとき、二人の背後に、血色の悪いニヤニヤ顔が見えた気がした。


「おのれ悪魔の末裔……!」


 嫁の親戚がうろうろしている街で、そんな店に入る。ザザや、サーシャが知ったら。

 事態は急を要する。これは間接的な殺人である。

 救いは背後からやってきた。


「フランツ!」


 振り返ると、サーシャが馬に乗ってやってきた。前足を上げて、栗毛の馬サルヒが急停止する。

 土埃が口に入った。


「ぺっぺ!」

「探したぞ。酒場にいないのでな。いったいどこへ」


 話題を切り替えた。


「か、買い物、してるんじゃ?」


 サーシャは噂を裏付けるため、派手に買い物をしているはずだった。高い塩を買わされる人間が、金遣いを荒くできるはずもない。

 が、髪を隠す布が新調され、腕には金の輪をはめていた。

 商店で、あれこれ指差してさっさと買い物を済ませたのが目に浮かぶようだ。


「フランツ。馬をひけ。今なら、まだ」


 言いかけるサーシャに、ブルーとメリッサが酔っ払いの威力を発揮した。


「姫様ぁ!」

「さっき、フランツ様が言ってましたぜ?」


 この流れで動じないとは。

 俺は、自分の惚気を思い出して青くなった。


「頑張り屋で、よくやってるですって!」

「可愛いですって! すごく!」


 なるほど。

 姫君の策はもっともだった。酔っ払いの言葉の方が、警戒せず、頭にするりと入るらしい。


「え」


 サーシャの頬に、朱が差した。

 その顔を目に焼き付けておけば、おそらく主導権を取り戻す第一歩になっただろう。だが、不明の極みである。常時気を張るサーシャが見せた隙には、まずまずの破壊力があると認めざるをえず、俺は目をそらした。


「と、とにかく」


 姫君の隙は一瞬だった。

 すぐに首を振り、鳶色の目を鋭くする。


「フランツ、馬を引いてこい!」

「へ」

「早くするのだ!」


 馬上から鞭が飛んでくる。

 慌てて避けつつ、尋ねた。


「落ち着け。何があったんだ?」

「先ほど、街から馬車が出たと聞いた」

「それが、なんだよ」

「様子がおかしい。馬車は六台。早馬が先行する、急ぎの旅だ。行き先は、隣の街であろう」


 俺は、まだ事態が飲み込めなかった。


「フランツよ。塩の暴落が始まった。たとえば、あなたが買い占めの首謀者であったとして」


 サーシャは俺を見下ろした。


「大人しく暴落を見ているか?」


 思わず、黙ってしまった。


「大量に買って、値段をまた上げる?」

「無理だろう。この騒ぎだ、みんな買うのは怖がる」

「じゃ、じゃあ……」


 この街で、もう大量の塩は売れまい。少しなら値がつくかも知れないが、大量に売れば、その取引がまた新たな暴落を引き起こす。

 しかし買い占めた塩は、できる限り早期に、処分したいはずだ。時間が経って塩の値が戻れば、もう利益はない。

 はっとした。


「まだ噂が広まっていない街で、売る?」


 ここ、ムラティアの北でも塩はじわじわと騰がっていた。

 馬車六台。規模にもよるが、ざっと全部で三〇〇デール(九トン)は積載しているかもしれない。たとえば王族用の高級塩だと、一デールが商国銀貨で十リュート。普通に暮らせば、一月は過ごせる。

 これを数倍の値で売れば、利益は莫大。

 元手が増えるほど、商いとは儲かるものだ。


「気付いたか」


 サーシャは頷いた。


「市場は、昼過ぎに終値というものを、告示するそうだな? ならば、他の都市に今日の暴落が伝わるまで、まだ半日の猶予がある」


 他の街に暴落が伝わる前に、売り抜けようという腹か。

 はっと顔を上げると、サーシャが笑っていた。


「そんな買い込んでいる相手は、おそらくは買い占めの主犯格といってよい」

「ま、待て」


 俺は問うた。


「そいつを捕まえて、どうするのだ」


 サーシャの馬が、嘲弄するようにいなないた。思い出した。

 彼女はただの姫君ではない。

 馬賊の姫君なのだ。


「言っただろう? こらしめてやるのさ」


 買い占めをした商人は、姫君の怒りをも買っていた。これほど高い買い物もあるまい。



お読みいただきありがとうございます。


ここまででブックマーク、評価、感想など頂けましたら幸いです。

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