2-17:泡のように(前編)
噂には、噂で抗う。
塩の高騰に、サーシャはそう方針を打ち出した。明かされた作戦には、俺が若干の不名誉を被るものもあったが、この際はいいだろう。今さら『引きこもり王子』の汚名が消えるわけでもなし。
次いで、サーシャは人を集めた。
ザザやエリクはもちろんのこと、そこには不思議な顔もいる。
飲み友達の、ブルー、そしてメリッサである。俺は眉間の皺を深めた。
こいつらで何ができるというのか。
「……私らも、必要なんですか?」
まず、ブルーが言った。
ブルーは背が低く、がっしりとしていて、団子鼻だ。真面目な跡継ぎという風情だが、酒には強く、延々と手酌でちびちび飲んでいるタイプだ。
「フランツ様。こいつはいったい……」
メリッサは優男で、涼やかな笑みは貴公子然としている。
「よいか」
サーシャは俺達を見渡した。
もはや普通にサーシャが仕切っている。
おそらく俺は、もっとも最近に騎馬民族に征服された男であろう。
「知ってのとおり、北のムラティアで塩が値上がりを続けている」
サーシャは地図を示した。塩の道とは違う最新の地図で、フランツィアから北のムラティアへと伸びる街道が記されている。
サーシャは白い指で、その道をなぞった。
「塩を買うよう人々を急き立てる、不届きな噂があるせいだ」
では、その噂とは。
しばしの間を置いて、サーシャは続けた。
「噂は、二つ。一つは、われら馬国がいくら高くても塩を買うということ」
塩不足の遊牧民は、生きるためにも、家畜を養うためにも、塩を買う。ゆえに商人はいくら高く買っても、最後には馬国に売りつけることができる。
そんな噂だ。
「もう一つは、商国の塩が不足するというものだ。馬国に大量に流れるため、という理屈であるな」
俺は肩をすくめておいた。
暴騰をけしかけた姉上は、上質な塩が馬国に流れるのが気に入らない。ゆえに邪魔をする。ひどく個人的な動機なわけだが、塩を値上がりに導く仕掛けは、さすがに筋が通っている。
サーシャは苦笑した。
「だが実際は、どちらも嘘だ」
そう。真実でない、という点を除けば。
「わたし達は、それを暴く」
サーシャは目を光らせる。
細められた鳶色の瞳は、まるで獲物を前にした狼だ。
エリクがおずおずと口を開く。今日も血色悪く、地獄からの使者のようだ。悪巧みにはうってつけである。
「ええと。まだよく分かりませんな。『馬国は高い塩は買わない。フランツィアからより安く塩を買っている』――そういう情報を流すのですか?」
「大まかにはそうだが、流し方を工夫する」
ダンタリオンが発言を求めた。
「皆様。では、公示人をお使いに?」
サーシャが首を傾げた。
「公示人?」
「サーシャ、喋る掲示板のようなものだ。文字が読めない人にも情報が伝わるように、都市にはそうやって告知を読み上げる仕事がある」
大抵は金を払えば、なんでも告知してくれる。が、現場を知る隊商の長は、別の目を持っていた。
「執事殿、そいつは無理筋です」
狼退治から、ずっとこの人が関わっている。
そろそろ名前を述べてもいいだろう。アルムドという、褐色肌の大男だ。昔はきっと、荒野の担ぎ屋をしていたに違いない。
「あなたが仰せのように、公示人はあくまで喋る『掲示板』です。市場の街には、偽の情報が出回ってるんですぜ? その反対の告示が、あちこちにある。野火にジョウロで挑むようなもんです」
「そうだ」
サーシャが静かに言った。彼女は自信に満ちている。
「ゆえに、噂には噂だ。時に、人づての情報の方が、人を大きく動かすものだ」
老執事ダンタリオンが、再び口を開いた。
「し、しかし。噂を作り出すなど、容易ではないと思いますが……?」
咳払いがあった。笑ったのかも知れない。
隻眼の遊牧民、ザザも会議に巨躯を並べていた。
「ご安心を」
ザザは言った。
「私共はそうして、堅牢な城塞を陥としてきたのです」
さすが、ガチの侵略者は違う。
俺は震え上がった。
ザザとサーシャは、視線を交わし、笑みを深めた。
「ふふふふ」
「はははは」
怖い。
こいつらこのまま商国を征服するんじゃないだろうな。
「さて。そのために必要なのが、貴殿らというわけだ」
鳶色の目が、俺の飲み友達を捕らえていた。
お読みいただきありがとうございます。
今回は少し短いですが、次話は明日4月22日に投稿予定です。