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2-16:海鮮女王

 時間を、戻そう。


 ――フランツちゃん!


 八年前のことだ。

 姉上ジルヴィアはとても優しく、俺に一番よくしてくれた家族だった。

 だから嫁入りの時、俺は泣いた。優しく繊細な姉上。生き馬の目を抜く商いの世界でやっていけるのか、心配でならなかった。

 商国の王族は、十五才で成人になると、商うべき産物を任される。姉上は『魚』だ。ゆえに漁業を牛耳る大貴族のもとへと嫁に出された、政略結婚となった。


 ――手紙を出すからね!


 俺と姉上は固く握手を交わし、遠く離れても、変わらぬ仲良しであることを誓い合った。


 だがしかし。


 この世に不滅のものはない。

 大聖堂の鐘の声、諸行無常の響きあり。サラマンダーの羽の色、適者生存のことわりをあらわす。

 実業の洗礼を受けた姉上は、変わった。優しさ繊細さ思いやり、そうした俺の大好きな姉上を構成していた要素はみるみる内に絶滅した。代わりに何か別のものが芽を出した。

 表面上の愛らしさはそのままに、姉上はにっこり笑って商売敵を叩き斬る、鬼のジルヴィアに成長していた。

 ちなみに俺とは二歳差、御歳(おんとし)二三である。

 なにゆえに俺がこのような目に遭わなければならないのか。



     ◆



 俺が姉上への手紙を出して、二日後。

 塩の値段は、さらに騰がった。


 ――やめろぉ~!


 大都市ムラティアの市場には商人達のそんな声が木霊したという。

 そのさらに三日後、塩はまだ騰がった。当初の値段の二倍近い。


「ちくしょう!」

「俺達も買うぞ!」

「どうせまだ騰がるんだからなぁ!」


 およそこんな具合だ。やけくそ気味の買いがさらに高騰を煽り、俺が事態を知った十日後には、塩の値段は当初の三倍以上になっていた。

 遠く湖のほとりから、姉上の高笑いが聞こえてきそうである。


「なんてことだ」


 俺はというと、執務室で頭を抱える日が続いていた。

 街からの手紙を開く度、じんわりと背中に汗が浮かぶ。

 ほとんどが製塩の催促だ。


 ――早く作れ! もっと作れ!

 ――馬国になど売っている場合か。国内で塩が、こんなに不足しているのだ!


 胃がしくしくと泣く。今こそ引きこもりを決め込むべきかと思ったが、今さらどこに逃げればいい。


「姉上め。なんという嫌がらせを」


 王族には、俺よりも才能がある人が山といる。

 姉上は、その筆頭だ。湖での養殖に成功し、今では海にまで乗り出して魚を獲っている。俺とは何もかもが違う、本物の王族なのだ。

 ぶるりと震えが来た。


「徴税官が、ぼやいておりましたよ」


 ダンタリオンがお茶を出してくれた。鼻をくすぐる香りが、少し気を静めてくれる。


「なんだって?」

「塩の値段が変わりすぎて、税の計算ができなくなると」

「ふん。塩の物納だからな」


 フランツィアが商国へ納めている税は、塩で払うことも多い。

 ここらでは金や銀よりも手に入りやすいし、同じく腐ることもないからだ。


「製塩状況は、徴税官や市場にお知らせしています。製塩が順調だと知って、少しは相場が落ちついてくれればいいのですが」

「うん……」


 ダンタリオンは、街の書記官も兼ねていた。

 扉が叩かれる。差し出された手紙を、まずはダンタリオンが確認した。


「フランツ様、早馬が届きましたようでございます」


 また塩の催促かと思ったが、こちらは吉報だった。老執事がウインクする。

 執務室を出て、サーシャの部屋へ向かう。

 早足気味になったせいで、家の者が慌てて端に避けた。


「サーシャ!」


 姫君は自室で、書き物をしていた。黒髪は結わずに流し、赤を基調とした薄手の衣服である。

 鳶色の目が、書見台から上げられた。


「…………フランツか」


 返事が遅くて、どきりとした。

 最近、機嫌がよろしくない。高騰のせいかと思ったが、どうも違う。

 確証はないが――なんだか俺に対する不満な気がするのだ。


「あー、その」

「ふん」


 口がから回る。

 姫君は、しきりに市場へ偵察を送ったり、エリクやばあやから相場についての手解きを受けたりしていた。俺も、何度か質問された。

 そのたびに「そうか」と納得して帰っていくのだが、順調に決戦準備をしているようで(はなは)だ不安である。

 馬賊と海賊の戦いが始まったら、立場上、身を捧げて止めること(やぶさ)かではない。が、おそらく俺は挽き肉になっている。


「で。いかがした」

「あ、ああ」


 ごほん、と咳払い。恐れることはない。今回は、吉報なのだ。


「サーシャ、いい知らせだ」


 多分、俺は久しぶりに明るい顔を見せただろう。サーシャは、ちょっと驚いた顔をした。


「剣の高原に、塩が届いたぞ!」


 一番最初に送り出した、百デールの塩のことだった。計算してみると、二二日かけて剣の高原まで辿り着いたことになる。

 その先は、遊牧民の土地、草原だ。


「そうか」


 サーシャは、口の端に微笑をのせた。こうすると、あどけない子供のようだ。


「サーシャの早馬はすごいな」

「ふふ。これでも、まだまだだ。往路で、帰りの換え馬を交渉しておいたのだろうが、道と呼ぶならもっと小まめに拠点を置く必要がある」


 俺はダンタリオンに、伝令へ冷たい水を出すように言った。日中では、すでに何をしなくても汗ばむ陽気だ。

 しかし、明るい空気もつかの間だ。


「フランツ。しばし待て」


 サーシャは、俺に別の書き付けを見せた。彼女が今まで書見台に置いていたものだ。


「これくらいでいかがか?」

「ん?」


 書かれていたのは、絹。金。銀。陶器。

 それぞれに値段が付されていて、一番下の行で合計されている。

 顔をしかめた。 


「……次の、塩の値段か」


 より正確に言うと、サーシャが塩を買う時の対価である。塩鉱では順調に岩塩の板が積み上がっているから、また隊商を作って剣の高原まで運ばねばなるまい。

 俺は言った。


「前より、だいぶ割高だな」


 サーシャ達は、前回よりも二割ほど高い値で塩を買おうとしていた。


「高騰のせいか?」

「うむ。まさかわたし達の買値まで、上がるとはな」


 徴税官が、塩の値段交渉にも口を出しているのかも知れない。高く売った方が税は取れる。

 それで機嫌が悪かったのか。いや、しかし、それにしてはけっこう前から――。

 サーシャはソファに腰掛けた。


「塩の値段は、どうなのだ」

「うん、それが……まだ騰がっている。また俺に手紙が来た。もっと作り、都へ流せとさ」


 執務室に積んである手紙を、家の者に持ってこさせた。


「これだけある」


 ずずん。手紙の山が、床に置かれる。

 箱を運ぶ小姓の姿は、積み上がった手紙で見えなかった。


「……こもってずっと書いていると思ったが、これほどだったか」


 サーシャはさすがに呆れたらしい。


「フランツ。見ても構わぬか?」

「もちろんいいが……同じ内容のばかりだぞ」


 サーシャは一つ一つを改める。


「姉君からの、返事は?」

「ない。俺が送ったきりだ」


 サーシャは小さく息をはいた。なんだか、角が取れた気がするのは気のせいか。

 姫君は手紙を丁寧に戻しながら、冗談めかして笑う。


「しかし、フランツよ。書では、塩は金と同じ価値とされた時代もあると見たぞ」

「……そんな時代も、確かにあったかもしれないがね」


 肩をすくめておいた。


「遙か昔さ。げんに白い塩は、今でも一部じゃ薬扱いの高級品。しかし普通の塩にそんな値段がつくのなら……そいつは、量り売りを見間違えたんだろう」


 塩を売る時、商人は交換するもの同士をテーブルに並べる。

 当然交渉が行われるわけだが、一時的にテーブルには、塩の量とは明らかに釣り合わない財物が置かれることがある。

 大半は、実は交換とは関係のないものだ。

 どの品物同士が交換されるか一目で分からないようにするため、そうするのだ。ゆえに知らない人間が見ると、塩の対価の高さに目が飛び出る。

 交換レートを分からなくする、塩商人の知恵だった。


「その意味じゃ、塩の値上がり自体は別に悪くない」


 俺は頭をかいた。少し、整理できた気がする。


「相場は、交渉で変動する。みんなが納得して、必要なだけ買えているならな。だがな、買い占めまでいけば、こいつは話が別になるぜ」


 本来、塩が必要な人に、必要な量の塩が行き渡らなくなるからだ。

 それが買い占めである。

 砂漠の水場で、オアシスの水を誰か一人が汲み上げてしまうようなものだ。

 残った水は僅かとなれば、それを取り合うのが人の常。取り合いの末、値は上がる。むしろ値上がりを狙って、さらに買い上げる奴が現れるから、いつまでも値は戻らない。

 汲み上げた水を高値で売ろうと、今か今かと待っているのが――我が姉ということだ。

 そして塩を本当に必要としているのは、そんな博打に張る金などない、ごく普通の民なのだ。


「夏も近い。暑くなれば、今のように全力で製塩できない」

「……我が君よ、いよいよもって、それはまずいな。移動にも障る」


 じきに荒野に夏が来る。昼間の移動が難しくなれば、また馬国に塩が送りづらくなる。

 その前に、高騰が収まるのを祈るしかない。


「姉上の、ジルヴィア殿はどんな方なのだ」


 サーシャは問うた。ゆらり、と目に見えぬ怒気が立ち上ったかのように見えた。


「そろそろ敵を知っておいた方がいい」

「敵って」


 ぞくりとした。


「手を考えてある」


 ちょっと、あっけにとられた。姫君は意外そうに眉をあげる。


「なんだ。戦わずに降参するつもりだったか」

「そ、そうでもないが」


 答えかけて、気付いた。確かに怯えるばかりで、戦う気はなかった。これでは降参と同じではないか。

 塩の高騰は、俺のかつての大失敗だ。塩に税をかけようとして、高騰を招き、一気に評判を悪くして宮から逃げたのだ。


「恐れは、敵の姿を大きくする」

「……案があるのか」


 サーシャはきっぱりと言った。


「ある」


 言ってから、姫君は腕を組む。仕方無さそうに、そして情け無さそうに。


「狼退治のとき」


 サーシャは続ける。


「一緒にやろうと言ったのは、あなたであろう?」


 あ、ともう少しで声を出すところだった。同時に、彼女の不機嫌が分かった。

 数日間、俺は部屋にこもりきり、手紙の山に頭を抱えていた。姉上に真っ先に手紙を送った後、戦々恐々としていたのだ。

 サーシャはその間、自分の民を動かしてくれていた。

 姉を怖がるあまり、俺はほとんど彼女をほったらかしていたと言っても、過言ではないのに。


「……すまん」


 一緒にやろう。言い出しっぺは俺である。

 そんなことも忘れてしまうほど、俺は怖がっていたのか。

 サーシャは少し口ごもった。


「姉君に戦々恐々としておられては、わたしの立場もない」

「もっともだ。俺から相談しなければ、今回は筋が違う」


 一しきり悔いていると、サーシャはなぜか嘆息した。


「……まぁ、今はそれでよい」


 うん? なんか妥協された気がしたぞ。


「よいか」


 とはいえ、それも一瞬。

 サーシャは鳶色の瞳をきらめかせた。

 そこにいたのは、敵を前にして采配を振るう、馬賊の姫君だった。


「高騰を煽る噂には、二つの重要な点がある。そして、いずれも嘘だ」


 サーシャは指を二つ立てた。


「一つ。馬国はいくら高くても塩を買うということ。確かに買うが、産地のあなたから買うのが一番安い。だから、他の商人がわたし達に売る術はないのだ」


 俺は頷いた。

 まるで井戸を堀当てたようだ。すらすらと滑らかに、知恵が沸いてくる。


「もう一つは、塩が足りなくなるというもの。増産しているのだから、それもない。だろう?」


 ちょっと感心した。高騰が起きたときには、まだ分かっていないと思ったが、もう状況を把握していたのだ。


「噂には、噂であらがう」

「なに?」


 馬賊の姫君は刃のような笑みを見せた。


「わたし達は『流言(りゅうげん)』と呼んでいる。城壁の中に噂を流し、内側から突き崩す手だが、この高騰にも使えよう。なぜなら、打ち砕くべきは噂であり、それによって生じる期待だからだ」


 俺は思い出した。この人達が、歴史を席巻した騎馬の民だということを。


「こらしめてやろう。一緒にな」


 サーシャは艶やかに微笑した。

 確かに、負けてはいられない。この高騰には、フランツィアの未来がかかっている。

お読みいただきありがとうございます。

次回は、4月21日(日)に投稿予定です。

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