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2-14:高騰

 異変が起きたのは、交易が成功裏に終わって五日ほど経った朝だった。


「なに?」


 俺はダンタリオンに問い返していた。

 差し出された手紙を受けとる。夜を徹して運ばれたという書簡は、見れば見るほど眉間に皺が寄った。


「……これは、間違いじゃなさそうだ」

「確かでございます。塩が、北で値上がりしています」


 一まとめになって送られてきたのは、増産の催促だった。


「高騰ということか?」


 声をひそめてしまう。執務室にはダンタリオンと俺しかいないが。


「場所は、ムラティアの塩市場でございます」


 キャラバンで六日ほど北上した街だった。

 隊商が、交易品を捌いた場所でもある。

 周辺に鉱山や、温泉地があり、なんといっても都市圏への入口だ。商国で都会というと、このムラティアよりも北を指す。


「王都でも値上がりの傾向があると。おそらくは……ムラティアで買い占めが起こり、王都に流れる塩が減っているのでしょう。川に例えると、フランツィアが源流、大市場があるムラティアは堰のようなものですからな」


 堰で水をくみ上げてしまうと、下には流れないということか。

 この事実はにがりより苦い。俺は問うた。


「相場はどうなってる?」


 商国では主立った街に、巨大な市場がある。

 街の数だけ産物があり、人の数だけ口がある。産物と口を結びつけるのが、そうした市場だった。

 魚に塩、肉に野菜。もちろん食品以外も商う。

 商いがある以上、値段の安い低いがある。保存が利くものを、安いときに買い、高いときに売れば、儲けになる。


 それが相場だ。


 商国では、この相場を公表していた。大きな市場が閉まった時の値段は、快足の伝令を通して、商国中に伝えられる。この『終値(おわりね)』という仕組みを整備したところに、兄姉の才能があると思う。

 塩の値段が上がっているとは、この相場が上がっているということだ。

 辺境にいる俺が知るには時間差があるから、今はどれだけの値になっているか。


「鳩も飛んできました。こちらは、何よりも早い情報かと」


 老執事は、俺に細長い紙を渡す。鳩の足に括り付けられていた紙だ。

 頭を抱えた。


「またかよ……!」


 過去の失敗をなぞるようだ。俺はかつて、塩に税をかけようとして高騰を招き、宮を去った。

 古傷に塩を塗りたくる真似である。

 机ばかり見ていても仕方がない。ダンタリオンを見上げる。


「しかし、誰がこんなことを……?」


 これほど値が上がったのだ。明らかに、元締めがいる。

 値段が上がりきった時に塩を大量に売れば、大変な儲けになるだろう。


「はい。買っているのは、一人一人の商人ですが、明らかに金を出している人がいます。しかし、誰かまでは……」


 ううむ。考えて分からないならば、仕方がない。

 次の疑問だ。


「どうやって値段をつり上げた? からくりは、なんだ」


 あ、と気付いた。

 値段が上がる、恰好の材料があるではないか。

 丁度、本人が部屋にやってきた。サーシャは俺達の様子を見て、なにかを察したようだ。俺が報告を渡すと、面白そうに眉を上げた。


「塩が値上がりとはな」


 姫君は、まだコトの大きさが実感できていないようだった。交易路の、危機だというのに。


「商の国は不思議だ。塩不足でもあるまいに」


 俺は理屈を話すことにした。


「きっと都では、妙な噂が流れている」

「ふむ。フランツよ、どんなものだ?」

「ダンタリオン、読んでくれ」

「はっ。『馬国は塩不足。ゆえにどんなに高くても、いくらでも塩を買う』、と」


 高く売れるなら、ある程度値上がりしても、人は買う。

 実際に、馬国の富を市場で売りさばいた後なのだ。説得力もあろう。


「他にも、馬国が高値で買うため商国から塩がなくなるという噂もありますな」

「何を馬鹿な。そのために、増産したのだ!」


 言いかけたが、やめた。この声が届くなら苦労はない。全ては北の市場で起こっている。


「しくじった」


 想定するべきだったのだ。

 商国では、史上何度も買い占めが起きていた。


「兄上は何をやっているんだ?」


 にゃおん、と猫のアルフレッドが鳴いた。我関せずといった具合で、とことこと廊下を歩いて行く。気楽なものだ。

 ダンタリオンは、目を細める。


「確かに、こうした取引に目を光らせているはずですが」

「いやすまん。そこを考えても仕方がない」

「ですな。すでに値段が倍をつけた取引もあると、報告にはありました」


 経験上、値が四倍になれば、人が暮らしていけなくなる。

 交易路への反対など巻き起これば、目も当てられないのだ。実際、俺が受けとった増産の催促には、『馬国に売るな』と手厳しく書いてあった。


「むう。宮に使いを送ってくれ」

「はっ」

「俺達も情報を集めるぞ」


 俺は三日三晩、送られてくる報告を調査した。

 交易路を引けば、馬国に塩が流れていく。そのことを宣伝し、塩を買い占めた者がいるのだ。


「くそ、誰なんだ……?」


 こんな嫌がらせをしてくるのは。

 相当な金持であることは疑いない。そして商国には、相当な金持がうじゃうじゃいた。


「グリュー家か? イザベル家か? いやいや、まさか……」


 最悪の想像は、これが国レベルの問題かという点だ。

 たとえば今までサーシャに塩を売っていた国がある。そこは客を取られたと思っているだろう。


 『科国』という。


 科国と商国の関係は、あまりいいとは言えない。

 内政を混乱させるためにも、交易路を頓挫させるためにも、野心ある商人に金を貸すくらいはやりそうだ。


「だめだ、分からん……!」


 犯人候補が増えるばかりで、いっこうに絞られない。

 サーシャが指を一つ立てた。


「フランツよ。考え方を変えてはどうだ」

「……変える?」

「『儲けを得る』という意味では、すべての商人に動機がある。しかし、可能である人はそう多くないように思う」

「金さえあれば」

「そうかな? 普段から多くの塩を買う人が、可能性は高いと思う」


 なるほど、と俺は言い返すのをやめた。姫君の理解力は大したものだ。

 考えてみる。

 普段、大量に塩を買う商人の方が、この買い占めはやりやすい。色々な伝手を持っているし、多めに買っても目だたない。

 きっと値上がり後に売るために、相当な量を買い込んだだろうから。


「塩を、たくさん買うと言えば」


 瞬間、ぶるりと悪寒が走った。

 北向きの窓を見る。

 まさか。いや、まさか、まさか。

 なぜ気付かなかった。知らぬ間に、最も恐ろしい可能性を排除していたとでもいうのか。


「フランツ様……」


 狙い澄ましたようなタイミングで、ダンタリオンが手紙を持ってきた。

 王家にだけ許された紫の封蝋。そこには、楕円と三角形で、『魚』のしるしが刻まれていた。


「読む」


 短く言って、中身を改める。

 脂汗がだらだらと流れてきた。体が早くも号泣を始めている。


「フランツ、どうした?」


 サーシャの問いに、俺は震える声で応じねばならなかった。


「……ぇだ」

「うん?」


 くしゃり。手紙を握りしめる。

 声が、勝手に思い起こされた。


 ――フランツちゃん!


 身をのけぞらせて叫んだ。


「姉上ではないか!!」


 そんなにチョウザメの卵の塩漬け(キャビア)が食べたいか。

 塩を大量に使う仕事の筆頭が、漁業だ。

 湖で仕掛ける塩漬けのほか、海上でニシンやタラを保存するため、姉の漁業は塩を大量に使う。つまり暴騰の真相は、良質な塩を奪われたと感じた我が姉だったのだ。


 名を、ジルヴィア。

 手紙には姉からの言葉が――犯行声明かと思うほど克明に、生々しく、つらつらと書かれていた。


 ――フランツィアのいい塩は、私だけのものだよ!


 ええ? 独占宣言されてるんですけど??


「……いかがした」


 サーシャが首を傾げていて、はっとさせられた。

 前門の姉上、後門の嫁。

 馬賊と海賊、敵にするならどちらがマシか。この問いは、回答困難だ。


キーワード解説


〔ニシン〕


 古来、漁業は重要な産業だった。

 宗教上の理由で肉食を避ける人も多く、また、海軍力の観点からも漁村の保護は重要だった。国と時期によっては、一年の半分が魚を食べるべき『フィッシュ・デイ』だった。

 これら宗教的・軍事的な要請を満たしたのが、ニシンという大量に取れる魚である。

 産卵期に大挙して沿岸にやってくるため、とにかく取れた。ニシンの大軍は、群来くきという言い方で日本語にも残っている。

 しかしニシンは油っこい魚であり、傷みやすい。

 一年という長期、そして宗教が及ぶありとあらゆる地域の需要を満たすには、保存法の確立が重要だった。


 そのため、漁業は大量の塩を求めた。

 おそらくフランツィアの塩の半分くらいが、漁業関連に流れているはずである。


〔キャビア〕


 チョウザメの卵の塩漬け。味の決め手は、塩の質と言われている。



――――――――――


お読みいただきありがとうございます。

次回は、4月15日(月)に投稿します。


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