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2-12:贈り物

 狼退治の翌日、俺は塩鉱に立っていた。

 荒野はよく晴れて、朝にしてすでに日中の暑さを予感させている。

 後ろを振り返る。

 馬国の面々が、壁のように整列していた。みんなノコギリや金槌、そして荒縄を背負っている。塩を切り出すための道具だ。


「ここが、塩鉱ですか」


 ザザが言った。

 俺は手を広げて、周囲を示す。


「そうだ!」


 地面は、白と茶色の縞模様。それが延々と続いている。

 時折吹き付ける風が、塩混じりの砂利を巻き上げた。もっと風が強いと、ほとんどつぶてのように塩の塊が飛んでくる。


「ここで、切り出すのか……」


 馬国の男達は、明るくない。

 牧草地からここに来ると、まるでこの世の地獄だと感じるだろう。

 砂煙に、肌や目を痛める塩の粉じん。かつては囚人がこの過酷な作業に従事したという。


「今日は、みなに塩を切り出してもらう」


 予め伝えていたにも関わらず、男達は驚いた。

 ザザは無言で、俺の仕事を見つめている。

 正念場だ。

 俺は、並んだ遊牧民の前を歩いた。いかつい顔が見下ろしてくる。


「フランツィアにも人手の余裕はない。至急で塩が欲しいなら、ここから切り出すほかはない」


 馬国の男達は顔を見合わせる。


「婿殿。今あるものを、買うわけにはいかないのですか?」


 素直にそう問われて安心した。無言で去ってしまう可能性さえあった。彼らの空気はそれほどに険悪だ。


「いい質問だ。我々には、すでに決まった顧客がいる。彼らに塩を供給しながら、馬国にも売る。塩がたくさんあるように見えるが、自由にできる塩はそう多くないということなのだ」


 ゆえに、と言葉を継ぐ。


「増産に足りない人手を、あなた方に補ってもらいたい」

「だが我々馬国には、十分な富があります!」


 声を張ったのは、見覚えのある顔だった。

 思い出した。塩鉱にサーシャを案内した時、一際に憮然としていた男だ。


「どんなに金があっても、存在しないものは買えない」


 俺は続けた。


「生産するとは、ないものを産み出すことだ」


 塩はタダで手に入るわけではない。

 掘り、削り、切り出し、磨く。そいつをラクダが運んで、初めて塩は塩として取引される。


「婿殿。これは、奴隷の仕事です」


 口々に文句が言われる。

 思った通りだ。サーシャがいれば、この本音は出なかったろう。

 奴隷と言われると、フランツィアの男達も作業から顔を上げざるを得ない。馬国の、言語が堪能なのも裏目だ。異国の言葉でわめかれたら、問題がなかったものを。

 サーシャを連れてくるべきだっただろうか。


「違う」


 いや、と思い直す。

 彼らとは長い付き合いになる。

 交易は、対等でなければならない。


「事実として、作業者が足りない。馬国は急ぎで塩が欲しい。俺の街では、俺以外のやつが働くのだ!」


 馬国は顎を落としただろう。

 何を隠そう、俺は引きこもり王子である。

 やせっぽちなりに、ふんぞりかえってみる。


「だが今回は特別に、俺も手本を見せてやる」


 ツルハシを手に取り、坑の傍らに積まれた板を示す。


「一枚につき、約三〇キロ(一デール)の重さに切り出す!」


 大きさは、縦が大人の腰ほど、幅は大人の肩幅ほど。立てた時に、両手で簡単に支えられる大きさということだ。

 決まった大きさに切るのは、ラクダに積みやすくするためでもある。


「この塩鉱の労働に参加すれば、岩塩の板十枚につき、二枚が切り出し人の権利となる。街の決まりだ」


 ちなみに、水を買ったり、ラクダの餌を買ったりする時も、塩の板で取引したりする。塩は、この街では通貨になるのだ。

 別の男が手を挙げた。


「婿殿。あの池は? あそこからも塩が取れるのでしょう?」

「あれは、塩水のオアシスを汲み上げて、天日で乾かしている。街で煙が出ていたのは、石炭で塩水を焚いている。高級塩だから、王侯貴族用だ。そんな塩よりも、きっと量が採れる岩塩がいいだろう?」


 他に質問はないようだった。


「さぁ、一緒にやってやる!」


 俺がツルハシを担いで坑道に降りると、馬国の男達も渋々工具を手に取った。

 鉄の工具はすぐに錆びる。重たい青銅の工具で、寡黙な作業が始まった。



     ◆



 フランツィアに帰ったのは、ほとんど夜半だった。

 遊牧民の体力と意地は凄まじく、俺は手の皮がむけるかと思った。塩削りで手を怪我すると塩が傷に入って焼けるように痛いのだが、俺もまた意地で耐えた。

 おかげで、馬国もフランツィアの仕事に少しは理解を示したようだ。

 岩塩を切り出したり、綺麗に削ったりするのは、立派な職人技なのだ。


 顔を見せる、一緒にやる――単純な行為だが、この効果は馬鹿にできない。俺が街の見回りを欠かさぬのも、同じ理由だ。

 寄生虫の戦術が、思わぬところで役に立ったというところか。


「帰ったか」


 サーシャが屋敷で待っていた。

 手にランプを持ち、自由な方の手を腰に当てている。ラクダの調達や、狼退治、その他諸々の雑事で彼女も大変だったようだ。目が若干疲れて見える。


「サーシャ」


 彼女に袋を渡した。

 塩田でしか手に入らないものが、ある。


「これは……?」

「土産だ。狼の退治と、この間もらったお守りへの、礼にな」


 袋を開けて、サーシャは少し驚いたようだ。

 ふふん。逆に驚かせてやるのはいいものだ。


「……宝石?」


 袋の中には、透明な石を入れておいた。

 彼女はそいつをつまんで、ランプの光にかざす。表面がきらりとして、壁に灯りを投げかけた。


「……不思議な、輝きだ」


 石を傾けると、光が踊る。


「中で、泡が揺れているだろ? その透明なものの中に、水が閉じ込められている」


 光が遊ぶのは、そのせいだ。閉じ込められた水と泡が、光を複雑に照り返すのだ。


「フランツ。これはなんだ? 私も見たことがない」


 俺は大いに胸を張った。初めて主導権を奪えた気がする。


「塩だ」

「……なに?」

「こいつは、塩の塊だ」


 サーシャは信じがたいものをみるように、石を光にかざしたり、覗き込んだりした。おそるおそるといった様子で、端っこを舐めている。


「こんな塩があるのか」


 サーシャは驚きに口を押さえた。きっとしょっぱかったのだろう。


「岩塩の採掘で、まれに取れる。エリクに言わせれば、塩鉱は太古の海の跡。当時の海水が、塩に閉じ込められると宝石のように透明な結晶ができる」

「……海?」


 気付いた。


「わたしは見たことがないな」


 彼女は草原の人だった。

 サーシャはひっそりと、口を動かす。聞こえてきたのは、歌だ。


 遠く、はるけき、水の海。

 われら、駆けるは、草の海――。


「わたし達の歌だ」


 サーシャはもう一度、石をランプにかざした。


「これも、海か」

「……かもしれないって、話だけどな」


 肩をすくめておいた。

 技師エリクは話を盛ることがあるし、大昔にここが海だったなんて、なかなか信じられない。地面が動いたとでもいうのだろうか。


「フランツが、採ったのか?」

「馬国の人と、一緒にな。掘り出したのも、彼らだ。……実を言えば、交換してもらった」


 欲しいと俺が言った時、馬国の男達はにんまりと笑った。おかげで俺が切り出した板を、二枚も渡す羽目になった。


「ほんとうに、きれいだ」


 どうせ見せるなら、驚かせた方がいい。

 俺は用意しておいたセリフを出すことにした。


「交易路で儲けたら、本物の宝石を渡す」


 頬が熱くなったが、それでも続けた。

 ここで噛まない意地くらいは俺にもある。


「商国王子フランツ。当年とって二十と一つ。塩の道、受けて立とう!」

「ふむ……」


 サーシャは、大事そうに塩をしまってくれた。

 どうせ逃げられぬのならば、せめて前向きに取り組んでやろう。悪友や父王の思うがままのようだが。


「ありがとう、フランツ」


 サーシャは微笑した。

 それだけでなんだか報われた気がしてしまい、俺は自分の安さと胸の鼓動そして不自然に熱くなる頬に、赤髪を掴んで耐えねばならなかった。

 交易路には観念したとはいえ、いずれ静かな余生を諦めたわけではない。嫁に操られる男であってはならぬ。贈り物は主導権のための、欠くべからず手段に過ぎないのだ。そうなのだ。



 塩。保存食。ラクダ。

 とはいえ交易の用意は――整った。


キーワード解説


〔塩の起源〕


 現代では、『大昔にあった海が、地殻の変動などで干上がった結果、塩の鉱脈が残る』と説明されている。

 フランツ達がそれを本当に理解するには、地質学の発展を待たなければいけない。

 贈り物の塩の結晶、その中の水や気泡を分析すると、ひょっとすると太古の海や、気象のデータが得られるかもしれない。


――――――――――


お読みいただきありがとうございます。


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