1-2:馬賊の姫君
艶やかな口元は奇蹟的な弧を描き、瞳は星空をうつしたようにきらめいている。
月が照らす肌は、ひどく白い。王冠型の帽子から、幾条にも結われた黒髪がこぼれて、夜に混じるようになびいていた。
ごくり、とのどが鳴った。
一見して分かる。
これはただ者ではない。
「若様……!」
「おおおおお落ち着け」
特別なのは、彼女の装束もだ。革鎧が目だつ馬賊の中で、彼女だけは絹地に見事な金刺繍を入れている。冷えるせいか、丈の短いマントもはおっていた。裏地は毛皮だろうか。
「どうした」
りんと鳴るような、澄んだ声。
「まさか騎馬が珍しいわけではあるまい?」
鳶色の瞳が、細められる。
俺はまるで猫を前にしたネズミだ。
「い、いや」
汗が吹く。
鞍の下の馬体が、ぐらついて感じた。
お前は何者なのか。問おうとした時、思い出した。そもそも相手は名乗っていたということを。
「……嫁、だと?」
一陣の風が吹いた。
女は頷く。
「われら、遙か東の草の海から越してきた」
小さな口が、清流のように語る。
「サーシャという」
あっけにとられた。仮にも姫というからには、お付きを先行させて、本人は後でゆるゆる来ると思っていたのだ。
荒々しい馬体と革鎧を従えるのは、衣装所作すべて高貴な、本物の姫君だ。
「塩の街の長、フランツだな」
「そ、そうだ。塩なら、いくらでもある……」
我ながら情けない。これでは、まるで強請られているようじゃないか。
馬賊の姫君は、周りと顔を見合わせる。ささやかな笑いが起こった。
「われらは買いに来たのではない」
サーシャは言い放った。
「手に入れたいのだ」
彼女が負った弓や、矢筒、刀剣がぎらりと実用品の迫力を帯びた。笑んだ口元は、そのまま反り返った刃のようである。
俺は顎を落としただろう。
資源のための、政略結婚。
が、普通こんなにはっきり言うか。
嫁入りのしおらしさなどどこにもない。攻めてきたという方がしっくりくる。
「皆、下がれ。われらの王子がお困りである」
彼女が手を振ると、男達はいっせいに馬を降りた。
いかつい男達に囲まれて、仲間共々、萎縮する。
怖々見まわすと、馬賊の一人一人は歯をむいて笑った。貧弱な体の俺は、囲まれているだけで骨折してしまいそうだ。
「若様、大丈夫ですかね」
後ろで、部下がのんびりと告げた。門番のレッドだ。あくびまでしそうな呑気さが、今はありがたい。
他の部下は、もうどうにでもなれとばかりに下馬して、荒野に腰を下ろしてしまう。放っておくと、後生大事に抱えている酒を飲み始めそうだったので、馬上から目で注意した。
「若様」
「あ、ああ。なんだレッド」
「下手を打てば、外交問題になりませんか」
そうだ。
いまさらだが血の気が引いた。
顔を合わせなければいくらでも言い訳がつき、時間も稼げると思っていた。誤算だったのは、こうもあっさり捕まったことだ。
「そ、それは……」
サーシャが先んじた。
「逃げたことであれば、気にするな。われらもそう聞いていた」
言葉に、俺は眉をひそめた。
「お前の家族からだ。皆、そう言った。あの弟はまず身を隠すから気をつけよ、と」
ということは、だ。
俺以外の家族は、みんな結婚を知っていたということか。
にがりを噛んだような顔になる。誰も教えてくれないとは。五年間の引きこもりで、いよいよ俺の評判も地に落ちたと見える。
自業自得だが。
「とはいえ敢闘した。われらの巻き狩りから、よく逃げた」
後ろで部下達が囁き合った。
「まきがり?」
「それってなんだ?」
教えてやることにした。
「……狩りの手法だ。獲物がいるであろう区画を中心に、馬でぐるりと回る。獲物は馬を避けて逃げる。するといつの間にか輪の真ん中に追い詰められるという寸法だ」
どうりで馬が荒野を回っていたわけだ。俺達は逃げたつもりだったが、知らずに追い込まれていたのだろう。
俺の解説に、サーシャは気を良くしたようだ。
「ほう。よく知っているな?」
眉を上げると、彼女は少し子供っぽく見えた。多分、俺よりも一つか二つ、下だと思われる。
苦笑を返した。
「この辺りにも、昔は遊牧の一族が住んでいた。彼らから聞いた。末裔が、製塩で働いている」
サーシャの馬が、笑うようにいなないた。
「うん。食む家畜のない牧草地があるのは、ありがたい。大分東だが、川も見た」
「ま、そんなのはごく一部で、ほとんど不毛の土地だけどな」
せめてもの強がりで、肩をすくめた。夜盗に対してそうやるように、奪うものなどなにもないことを告げるのだ。
だが彼女は、瞳をきらめかせた。
「いや。わたしはよい土地だと思う」
さぁと風が渡った気がした。
「あの街の丘から見下ろせば、さぞや綺麗だろう」
そんな見方をされたのは、初めてのことだ。
「さて……そろそろ」
サーシャは白い頬に指を当てた。うーん、となにやら考えている。
「我が愛しの君……ちと長いな。愛しの君、我が……うん」
白い頬に、笑みがひらめく。適当に貼り付けたにしては、その笑みは妖艶だった。
「我が君、と呼ぶべきかな?」
おお、と我が部下がどよめいた。
「我が君」
「我が君っ?」
「若様っ」
「我が君ですってよ!」
うるさい。明らかに適当に考えていたぞ。
鎮めようと思ったが、馬賊の中に同じことを言う者がいた。
「姫様ぁ!」
一頭の馬が、駆け出る。黒馬には、眼帯をはめた老人が乗っていた。
見事な体格で、神話に言う一つ目の巨人のようだ。
老人は俺達の前を塞ぎ、サーシャを隠した。一つきりの目で、まずはサーシャを、次いで俺をねめつけた。
「分かっておりますな? まずは半年、半年なのですからな!」
馬を竿立ちにさせて、老人は鋭い眼光を俺に向ける。
サーシャは面倒そうに手を振った。
「爺、静かに」
「ですがっ」
血走った一つ目が、俺を睨んだ。
「まさかこんなに痩せた男とは……!」
ほっとけ。
ラクダと砂漠越えをした時、尻の肉まで落ちるほど痩せたのだ。
「燃える紅蓮の髪と聞きました! が、ただのくすんだ赤毛!」
ご指摘はごもっとも。
五年前は燃えるようだった赤毛も、引きこもり生活ですっかり色あせていた。
しかしそんな吹き込み方をしたのは誰だろう?
途端、悪友エリクのニヤニヤ顔が浮かび、腐りきった性根に心を打たれた。あの野郎、黙っていただけでなく、まさか俺を婿に推したのではあるまいな。
「下がりおれ」
サーシャは老人を避け、手綱を操った。近づいてくる。
逃げ場なし。引きこもり生活に、活路なし。
「失礼。馬は丈夫か」
「あ、ああ」
「……ふむ。では、あちらがいい」
サーシャは手袋をはめた指で、荒野の彼方をさした。
「我が君よ。あの岩が見えるか」
「え?」
「二人で語らうには、ここは人が多い」
我が君と呼ぶのをやめてほしい。その度に、後ろが盛り上がって面倒だ。
門番のレッドが、察して道を空けた。
「若様。がんばです」
続いて、ロブじいさんが身を寄せ、ばんっと俺のすねを叩いた。
「最初が肝心ですぞ! お気を付けて!」
さすがの俺も、察しがついた。
サーシャは言う。
「少し駆ける」
並ぶと、サーシャの目線は俺より少し低い。茶色の瞳が、下から覗き込んできた。
「遅れてもよい」
言うが早いか、サーシャは馬腹を蹴っていた。
慌てて後を追った。
お気を付けて、頑張って、部下の気楽な声が背中を追ってくる。
わけがわからない。
涙が出そうだ。
いつも通りの朝を迎えたと思ったら、結婚話が持ち上がり、その相手と馬を飛ばしている。俺の意思など、馬蹄の前に粉砕だ。
「そ、それにしても」
速い。彼女の馬は、跳ねるようだ。
本気で駆けているわけではあるまい。
それでも、どんどん離された。
目的の岩まで、あっという間だった。
サーシャは軽やかに降りて、砂地にしゃがむ。なにをするかと思えば、砂に手を突っ込み、埋まっていた板を引っぺがした。
俺はようやく、彼女の目的地を理解する。
「よ、よく、そこを、見つけたな」
舌を巻いた。
そこは、荒野に隠した井戸だった。
水の気配に、二頭の馬が頭を振って騒ぎ出す。サーシャは蓋を支えたまま、顎に手を当てた。
「こいつは真水か?」
こういう土地だと、井戸水も塩辛いことがある。
塩の層を地下水が通るため、塩水となってしまうのだ。
「ああ。この辺りは、真水のはずだ」
でなければ、さすがに人が住めない。
「しかし――どうして井戸が分かった?」
「うん、それはな」
サーシャは得意げに、馬の首をなでた。毛並みは、金色にも見える見事な栗毛。姫君に褒められて、どこか誇らしげである。
「さっき彼女が見つけた」
「……井戸を? 馬が?」
「生き物は水の気配に敏感だ。ラクダと馬は、水場を探す名人だ」
井戸の蓋には、ヤギ革のバケツが括り付けられている。
サーシャは手袋を外し、さっさと縄を解くと、井戸に桶を投げ込んだ。きびきびとした動作で、綱を操り、水を汲む。手慣れたものだ。
サーシャは、汲んだ水をまず馬へ飲ませてやった。
よほど喉が渇いていたのだろう。栗毛の馬は、頭をバケツに突っ込んで飲む。
俺も、自分の馬に水をやった。
一通り馬に水を飲ませると、静かになった。荒野を風が渡る音と、時折の馬のいななきだけがある。
なるほど。これは……会話をせざるをえない。
「遠路はるばる――」
言いかけて、俺は首を振った。きれいな鳶色の目は、心を簡単に読んでしまいそうだ。
「ここにはわたし達二人だけだ」
サーシャは自前の水筒から、水を飲んだ。形のよい顎を、水がしたたっていく。
遠慮は無用ということか。
「では率直に言う。寝耳に水の話だ」
「だろうと思っている」
「……本気なのか?」
――貴様の嫁だ。
その言葉が頭から離れない。月明かりが、彼女の頬を白々と照らしていた。
「本気だ」
サーシャは、真剣な面持ちで頷いた。
「われらは馬を出し、そちらは塩を出す。荒野を越えて塩を運べば、草原で莫大な富と交易できる。内地に入れば入るほど、塩は金のように希少なのだ」
「塩を売るのは構わないが……」
「結婚とは、どういうことか?」
先んじられて、俺はぐっと言葉に詰まった。
「われらには塩が要る。買うのでは足りないし、値がつり上がるかもしれん。だからより強い縁で、結んでおきたい」
サーシャは表情を緩めた。こちらが圧倒されっぱなしなのは、十分に気づいているだろう。
「我が君にも大きな益がある」
サーシャは延々と続く荒野を、目で示した。鉛色の大地がどこまでも続いている。時折あるでっぱりは、岩か、ラクダ草と呼ばれる低木だ。
「不毛の地とは言うが、ラクダが食める程度に草はある。川沿いに遊牧の民がいたということは、それこそ、牧草さえある証左だ」
反射的に言葉を返してしまう。
「俺は、交易路など要らんっ」
「しかし、我が君よ。ついてくる仲間がいるだろう。彼らの暮らしをよくしたいとは思わないか?」
「そ、それは……」
父王の心が知りたかった。
俺には過ぎた話だ。
「……ほ、本気といったのは」
確かめたかったのは、国同士の利害だけではない。
冗談ではなく、これは一生がかかる問題なのである。
「お前はそれでいいのかということだ」
サーシャは意外そうな顔をした。
「……なに?」
感情を表に出すと、やはり年下の娘だ。
率直に言うと可愛らしい。咳払いをいれて誤魔化した。
「失礼だが、そちらはいくつになる」
「本年で十九だ」
「そうか。自分で言うのもなんだが、俺は当年とって二十とひとつ、国内でろくな功績がない。俺なんぞに嫁いで、美貌がもったいないと思う。考え直すなら――」
サーシャは目を丸くした。続いたのは、からからと明るい笑い声だった。
「ふぅ、すまん」
姫君は、目端に浮かんだ涙をぬぐった。
「そいつは、褒め言葉ととっておく」
「…………どうも」
呆気にとられた。
口元を扇で隠したり、袖で覆ったりもしない。こんなにあけすけに笑うとは。
「気位が高い男は、わたしは避けたいと申し出た。するとご家族は、『気位が低すぎる男』なら心当たりがあると仰った」
「ぐっ」
「ふふ。そも、遊牧の民では一族の決めたことは絶対だ。娘が逆らうことなどありえん。しかし、それだけというわけでもないよ」
戻ろう、とサーシャは言った。
「確かに、聞いたとおりの男である」
馬賊の姫君は馬に戻ると、さっそうと元いた場所へ駆けた。
俺も後に続く。
赤銅色の愛馬だけが、久しぶりの速駆けに嬉しそうだった。あるいは、雌馬の尻に向かっただけかも知れないが。
キーワード解説
〔岩塩〕
いわゆる塩。塩化ナトリウム。
特に鉱山や、内陸部の鉱脈から採掘されるものを呼ぶ。
もっともありふれた鉱物の一つであり、海水からの精製効率が上がった近代でも、世界の塩生産の六割は依然として岩塩である。
人間は塩を摂取しないと生きていけない。
ゆえに、古来から塩の入手は内陸部の死活問題だった。
特に遊牧民は積極的に塩を買い、塩を運んだ。家畜に塩を与え、肉を保存するためである。
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