2-7:偽りの塩
「馬国の塩には、塩以外のものが入っていました」
エリクの報告に、眉をひそめた。
机には皿が二つ置かれている。片方はフランツィアの塩で、もう片方は馬国のものだ。盛られた白い粒は、ぱっと見は同じだ。
「技師よ」
サーシャが言った。口だけは笑っているが、切れ長の目はじっと馬国の塩を見つめている。
怖い。
「塩以外のものとは、なんだ」
石けんで喜んでいたのと、同じ人とは思えない。弧を描く唇は、引き絞られた弓みたいだ。
怖い。すごく。
エリクの声も、少し緊張していた。
「こいつを、ご覧下さい」
エリクが続いて机に置いたのは、二切れの肉だ。生のようだが、塩がまぶされている。
「両方、同じ日に捌かれた羊の肉です。そして片方はフランツィアの塩で、もう片方は姫様の塩で、塩漬けにしました」
よく見ると、同じ肉だが、色味が違う。片方の肉は、ついさっき捌いたように、みずみずしく赤い。
塩漬けの経験を思い出す。確か、身が締まったら色は暗くなるはずだが。
「……もしかして、だが」
この反応には覚えがある。
「馬国の塩には、硝石が混ざってるんじゃないか?」
サーシャが首を傾げた。
「硝石? ……火薬の原料ではないか」
どうやら姫君は、物騒な方の使い道は知っているようだ。
ちょっと馬国の塩をつまんでみる。
「岩塩の近くから、別の鉱物が出るのは珍しい話じゃない。塩に色がつくことがあるが、あれは他の何かが混ざるからだ」
硝石もその一つ。フランツィアでの産出はないが、塩鉱近くで出たという話は聞いたことがある。
塩を落とし、指を立てた。
「こいつは、火薬以外に使い道がある」
「ふむ?」
鳶色の目が、先を促す。
「肉の色をよくする。都では魚の鮮度を誤魔化すために水をかけるが、肉にこいつをすり込むことも禁止だ。ま、やるやつは滅多にいないが」
サーシャは二つの肉を見比べた。
「確かに、片方の方が赤い」
「確証はないが……おそらくこの塩の売り主は、塩鉱が枯れかけているのだろうな」
硝石を混ぜたくらいでは、味が苦いまではいくまい。本来は味がないはずだ。
塩の鉱脈は、石灰と、泥のように柔らかい層に挟まれている。泥は口に入るとひどく苦く、こいつが『苦汁』の元であると思われた。
量を稼ぐため、そんな不味い部分も塩に混ぜてしまう――ありそうな話だ。
「坑道を伸ばして、周りにあった硝石の層に当たったのかもな」
眉唾だが、技師エリクは塩鉱が太古の海という説を唱えていた。
塩鉱は、海が干上がって、塩が残った跡というわけだ。海だったからには生き物がいて、その『落とし物』が硝石の元になるという。硝石は人の家の便所からも採れる。
「……やはり、偽物だったか」
サーシャは自分達が買っていた塩をすくった。少しなめて、顔をしかめる。
これはサーシャの土地の塩不足は、思ったよりも深刻かもしれない。
俺もなめたが、味は悪い。馬国はこんな偽物で、毎日の食を誤魔化しているのか。
エリクも憤慨していた。
「しかし、こんなものを売るとは……! 塩作りの誇りはないでしょうかね」
確かにそうである。こんな塩を売っては、どんな取引もできまい。信用を失う。
サーシャは呟いた。
「わたしの父は穏健なお方だが……これは問題とすべきだな」
嫌な予感がした。売り手は、確か馬国の北にある国のはずだ。
「まさか物騒なことになるまいな」
「……分からん。接しているのは、わたしの土地ではない」
馬国にも、領地というものがあるのか。
「誰のだ?」
「兄や、従兄弟だ」
婚姻の宴に来ていた二人か。
兄はカイドゥで、従兄弟はテオルといったはずだ。あまり好戦的には見えなかったが、交渉決裂となったら淡々と略奪するのかもしれない。それはそれで怖い。
そこで、実験室の戸が叩かれた。
「失礼いたします」
顔を出したのは、眼帯をした老人だ。
威圧感のある一つ目が、今日も俺を睨んだ。サーシャの守り役であるが、時々敵意を感じるのはなにゆえか。
「お揃いでありましたか」
「爺、どうした」
「はっ」
一つきりの目を閉じ、老人は一礼した。
「ご報告いたします。交易路に用いる、足の準備が整いましたゆえ」
話が見えない。
「足?」
「フランツよ、ラクダのことだ。揃ったのなら買い付けに出たい」
姫君はすでに立っていた。
塩鉱、保存食ときて、次は輸送手段か。忙しいな。
しかし、この苦い塩をなめてみれば急ぐのも分かる。こいつは重責だ。
「あなたもいかがか?」
「……連れてくんだろ」
「ふふ。そのとおり」
からりと笑って、サーシャは俺の手を引いた。
キーワード解説
〔硝石〕
硝酸カリウム、あるいは硝酸ナトリウム。
塩と同じように防腐効果があり、また、肉の色をよくする発色剤でもある。
火薬の原料ともなり、尿の染み込んだ土から精製できるので、古来はそれ専門の業者『硝石集め人』がいた。
果たして製法を聞いても食品に使おうとする人はいたのか。
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次回は3月23日(土)か、3月24日(日)に投稿予定です。