2-6:製塩技師エリク
「さぁ皆様、お立ち会い」
悪友エリクが腕を広げた。机には、ガラスの水差しが置かれている。いい香りのする湯気が、そこから漂っていた。
まるで奇術のような雰囲気に、俺とサーシャは見入ってしまう。
「見せたいものというのは、これか」
「まさに」
エリクはにやりと笑った。
ハム作りが一段落し、昼食で口直しをした後である。塩辛い魚肉で味覚がおかしくなるかと思ったが、サンドイッチで大分マシになった。パンに挟んだ野菜と卵は、塩の後では蜜みたいに甘かった。
「このエリクワルド、技師というのは仮の姿。これよりお目にかけますは、『聖水』でございます」
悪友の口上は続く。
サーシャが目で問うてきたので、合わせておけと肩をすくめた。
「フランツィアよりさらに南、古の帝国があった土地より流れ着いた、さるレシピがございます。失伝された聖水の一つを、私の錬金術で再現いたしました。さぁ、この馥郁たる香りを、おかぎくださいませ」
エリクが、扇で湯気をさっとなでる。途端、見事な香りが俺達を包み込んだ。
水差しに入っているのは、白く濁った液体だ。温かな湯気は、まるで幻惑の霧である。
「これは……よい香りだ」
「さすが、姫様。これは最上質のオリーブ油に、薬草、乳液、その他秘伝のあれやこれやを織り交ぜて、天女のごとき香りを産み出したもの」
我が親友は、夫婦の様子に得意満面。
どこから取り出したのか、道化帽を被った。赤と黄に塗り分けられている。
「さて、取り出したるは! 魔法の粉!」
エリクは机の下から白い粉を出した。
血色の悪い顔で、眼光がぎらりとする。道化というより悪魔に見える。
「聖水に、こいつを一振りいたします。するとぉ……!」
粉が溶けていく。エリクは何度かガラス棒で水をかき混ぜた。やがて、白いなにかが水面へ浮き出た。
反対に、水差しの底は透き通る。
みるみる内に白く濁った中身は、透き通った部分を下に、白くどろりとした部分を上に、きれいに分かれた。
おお、とサーシャが息をつく。
エリクは太陽にかざして、得意げに水差しを振った。あくを取るように、浮き出たものをすくう。
「さぁどうぞ。この白き抽出物の香りを、お確かめください」
匙に載った白い塊。
先ほどの、見事な香りがする。
「魔法の粉が、香りを濃縮、凝固させました。体に塗ればたちまち泡立ち、汚れを清め、おまけに香りは天のよう。もちろん髪にいいこと間違いなし!」
サーシャは面白そうに、何度も頷いている。
が、俺はそろそろ怪しくなってきた。
技術はともかく、やり過ぎるのがエリクの悪いところであると思う。エリクは被った帽子の房を揺らした。
「秘伝の製法! 今ならお一つ商国銀貨で八リュート、さていかが!」
「うむ買った」
「待て」
俺は手を出した。
売買の件は冗談として。一応、この技師には冷や水をかけるべきだ。
「こりゃ石けんの塩析だろう」
「ばれましたか」
「たかだか石けんで八リュートとは何事だ。一月は暮らせるぞ」
相場は、高級品でも一リュートの半分もいかないはずだ。食事付きの宿に一泊と同等だから、それでもけっこう高いが。
エリクは懲りずに舌を出す。塩析、とサーシャは言った。どうやらやっと気づいたようだ。
「そうか。これが、石けんの製法というものか」
塩には、食べる他にさまざまな使い道がある。
石けん作りも、その一つだ。世界から塩がなくなった時、身の回りの何がなくなるかを語れば、大抵の人は驚く。なぜならパンも肉も革も石けんも、ほとんど何もかもなくなるからだ。
サーシャはちょっと首をひねった。
「では、魔法だの、錬金術というのは?」
思わず吹き出してしまった。
「箔付けだろ。確かに都には、ナントカ錬金同盟とか、いろいろある。けど実態は、ガラス職人の組合だったり、陶器の工房だったり、そんなものさ。大昔、魔法使いだの錬金術師だのを騙った技師がいたのが始まりだそうだ」
サーシャの目線がエリクへ行った。つまらなそうに唇をちょっと突き出している。
「貴殿は嘘つきだな」
悪友は慌ててつけ足した。
「ち、ちなみに、私が商国の技師というのは本物ですよ。我が国には、食客という風習がありましてな。試験に合格し、優れた学識があると国が食わせてくれるのです」
「なんだ。つまり普通の技師か」
「なんだって、姫様――! こちらについては、一度ならず説明したではありませんかぁ」
絶句するエリクだが、そういう表情にも愛嬌がある。
見ていて飽きないが、助け船は出すべきか。
「エリの実力は本物だ。商国の試験には、童試と呼ばれる一次と、院試という二次、殿試という最終の三次がある。エリクは院試まで行った秀才だ」
「ほら姫様」
エリクは胸を張る。
本当に、こんな辺境まで来なくとも、それなりに栄達できただろうに。院試は地方都市付きの官として、席をもらえる成績だ。今やフランツィアも立派な地方都市だが、エリクは村が都市になるまでの苦労を負ってしまった。
ゆうに五年は棒に振っている。
「姫様、見直すのであれば今ですよ?」
それにしても――である。
気になっていることが、一つ。
姫様、姫様、とエリクは親しげにサーシャを呼ぶ。
俺はいよいよ尋ねることにした。
「ちょっといいか」
言ってから、慌てて口調を整えた。まるで妬いているように見えては、誇りに関わる。
「サーシャとエリクは、どこで出会ったんだ?」
「おお、そうでした!」
悪友はぽんと手を叩く。
「実は、助けていただいたことがあるのです」
エリクはとうとうと語り出した。
「街道を旅している時に、盗賊団に襲われました」
「おいおい。荒野の道は、気をつけろと言っただろ」
技師ともなれば、貴金属を山と買う。そんな馬車は恰好の獲物なのだ。
「いや迂闊でした。しかしフランツィアしかり、鉱物の街は辺境にあるのが常でしてね」
エリクは芝居がかった仕草で、隣のサーシャを示す。
「すわ一大事と思われたその時――美しい栗毛の馬に乗ったご婦人が、颯爽と現れ、賊を成敗したのです!」
いきなり胡散臭くなった。
「…………本当かよ?」
「天地神明、ホントのことでございます」
疑わしい話だ。都合がよいというか、できすぎているというか。
サーシャは白い頬で苦笑していた。
「通りがかりだよ。あなた方の都へ忍んで行く時に、なにやら道を塞いでおったのでな」
きらり、と切れ長の目が光る。
「こらしめてやった」
身震いした。
彼女の弓はやはり実用品なのだ。
俺は、彼女の魔手から逃れられるのだろうか。
エリクへ苦笑を向ける。引きつった顔を誤魔化したいわけではないけれど。
「にしても、お前はよく助けられるなぁ」
俺とこの技師が友誼を結んだのも、もとはといえば試験の時に、書き物を貸してやった時だ。
七年経った今、互いの歳は二〇と一つ。
色々悪さもしたが、親友と悪友は紙一重だ。
「……さて、そろそろ話を戻しましょうか」
エリクは水差しを、指でつついた。真面目な顔をしていると、なかなかに美形だ。
「このように、塩には食べる以外の使い道も可能です。塩析のほか、寒い場所での凍結防止。これほど効用がありますから、その物質が塩かどうかは実験すれば分かります。現象から正体を推し量るのですな」
「……実験?」
話が見えなくなってきた。
エリクは机の下から、二つの皿を取り出した。それぞれ、白い粒が載っている。
「エリク。こりゃ、塩か?」
「はい。ですが、産地が違います」
エリクは表情を引き締めた。
「よく聞いて下さい。片方は、フランツィアの塩。もう片方は、馬国が今まで買っていた塩を譲り受けました」
「わたし達のものか」
確か、味がおかしいと言われていたものだ。こいつに満足できなかったから、彼女らはフランツィアへやってきたのだ。
俺は現物を初めて見た。
塩の街の長として、興味深い。
「見た目は、普通の塩と同じに見えるな」
「その通り。あくまでも、見た目は、ね」
エリクは咳払いをした。
「結論から申せば、馬国のそれには、塩以外のものが入っていました」
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次回は、明日に投稿します。