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2-3:昼食

 フランツィアの東には、川がある。

 砂漠と荒野をいやいや流れているような、頼りない川だ。

 しかもこの河川、乾燥地帯をつっきるのかと思いきや、ぐねぐね蛇行し、ばかりか支流に枝分かれしてただでさえ少ない水量をさらに心もとなくする困ったやつである。南へいけば、乾いた砂に吸い込まれて消えていく支流が見つかる。

 川に意思があれば、「どうしてこんなことに!」と嘆いているかもしれない。

 とはいえ技師エリクによれば、フランツィアに井戸があるのも、塩鉱に水が湧くのも、この川の水が地下に染み込むせいだという。見方を変えれば、一帯の水の恩人だった。

 サーシャ達は、そんな川のほとりを牧草地としたようだ。


「フランツ様と姫様がお越しだ!」


 (とも)がそう声を張り、先触れとなる。

 こうなると、急ぐとかえって失礼だ。馬足を落としてゆるゆる進む。平らな土地なので、テントの群れからは俺達が見えていよう。

 地面がひび割れた赤土から、短い草の絨毯へと変わってくる。

 よい匂いが漂ってきた。


「すごいな」


 テントが集まった一角に、即席のかまどが作られていた。

 白い煙が立ち上り、青空へと上っていく。

 馬を下りると、女性がやってきて、お茶を出してくれた。白く濁った、甘いお茶だ。


「甘い。うまい」


 無類の味に語彙を失っていると、サーシャが誇らしげに頷いた。

 砂の照り返しがなくなったからか、フードを外し、白い頬を見せていた。


「乳茶だ」

「これが」

「うん。茶もまた、交易品である。われらではありふれたものだが、珍しいと貴重になるのは、塩と同じだな」


 俺達が昼を食べていないというと、彼らはわざわざかまどに火を入れ直してくれたようだ。

 燃料は――乾燥させた家畜の糞だ。

 そいつを、干してあった場所から剥がして、火にくべる。王都にいた頃は『なんと不衛生な!』と思ったが、フランツィアでもこの辺りの事情はまったく同じだ。

 草食動物の糞は、乾かせば臭いも少なく、よく燃える。


「フランツ様、お時間をいただければ、羊をお出ししますが」


 慌てて手を振った。


「い、いやあるもので構わない」


 言ってから、はたと気付いた。

 むしろ堂々と受けて、気前よく対価を置いていくのが王族ではないか? 今ので、けち臭い男だと思われなかっただろうか。

 悩んでいると、足下から声がした。


「ふらんつさま」


 舌足らずな声。子供である。手に何かを持っていた。


「じゃ、これいる?」

「ん? な」


 なんだこれ、という言葉を飲み込んだ。

 紐でがんじがらめにされた、細長い肉だ。赤黒い見た目に、思わず引いてしまう。

 つい先ほど炙られたらしく、じゅうじゅうと油がしたたっていた。匂いはひどく魅惑的だが、これは何の、どこの肉だ。


「ざいだす!」

「ざいだす!」


 子供は無邪気である。が、俺にはさっぱり分からん。

 サーシャが笑って、通訳してくれた。


「羊の腸に、血肉や小麦粉を詰めたものだ。それを肉の膜で縛っている。香草などで味付けし、ハシバシの実で辛くしてある」

「……へぇ。血まで、料理に使うのか」


 しかし考えてみれば、我が国にも、似た料理がある。腸に詰められた肉類――つまりは、彼らのソーセージということだろう。

 腸をしばっている白いひもも、これまた内臓らしい。


「どうぞ!」

「どうぞぉ!」


 子供の勢いには敵わない。

 ありがたく頂戴して、かじってみる。

 すると、薄い皮に閉じ込められた肉汁が、一気に口に広がった。

 強い、野生の味。生き物を食べているという気がする。フランツィアで出る、水分の失せた肉とは大違いだった。


「こっちも!」

「こっちもぉ!」


 茹でたものも味わった。ほどよく冷めたスープには、塩味が乗っている。

 汗をかいていたせいか、これまた沁みた。


「……うまい」


 言うと、馬国の人々はほっと安堵したようだ。

 今度はカップを渡される。


「フランツ様、こいつもいかがです!」


 髭だるまのようなオヤジだった。


「こ、これは?」

「馬乳酒です」

「ぶっ」


 俺を昏倒させたやつではないか! というより、俺が勝手に昏倒したのだが。


「い、今は昼。ゆえに控える!」

「はは。こちらは、薄いものです。途中でものを食べる時は、精をつけるために飲んでおくのです」


 彼らは昼飯のことを、単に『途中』というようだ。

 見ると、サーシャは普通に飲んでいた。けっこういけるクチだと睨む。

 負けてはならんと俺も口をつけた。


「……確かに、薄いな。飲める」


 馬国の男達が笑った。


「強いものは、蒸留したものです。家々で熱して、より強い酒を造るのです」

「なるほど……」


 だから家族によって微妙に味が違うという。

 この話をすれば、フランツィアの酒好きなどは、うまい馬乳酒を探して旅しかねない。そのまま草原まで行ってしまいそうだな。

 しばらく、俺とサーシャは肉と馬乳酒を味わった。勝手に押しかけただけなので、作法など、うるさいことはない。

 肉の串を持って、テントの間をうろついた。

 婚姻の宴の時には、立場もあって全然食べられなかった。彼らの肉、こんなに美味かったんだな。

 テントが途切れたところで、サーシャが口を開いた。


「ここからは、放牧地となる」


 細々と蛇行する川に沿って、点々と苔のように草地が現れる。その一つで、馬の放牧が行われている。

 世話をしているのは、どう見ても十才はいかない子供達だ。


「あんな子供から、馬に乗るんだな」


 騎乗には、危なげのかけらもない。地面からものを拾うことさえ、鞍上でやる。馬とくっついているみたいだ。


「わたし達は三歳から騎乗する」

「な、なんと……」

「見ろ。早駆けもしている」


 子供同士で競い合っている。

 初日の早駆けを思い出してしまった。

 サーシャに、俺はとても追いつけなかった。これほど経験に差があっては、それも当然か。


「俺も、あんな風に乗ってればな……」


 そう思ったのは我ながら意外だった。より意外であったのは、口に出していたことだが。


「ふうん?」


 後悔した。サーシャが、にんまりしている。


「なんだ、フランツ。速くなりたいのか」


 こっち見るな。

 失言である。相手の得意分野に踏み込むとは。主導権が欲しければ自分の領分から出るなかれ。


「そんなことはない。俺は拘らぬ男だ」

「ふふ。案じなくとも、すぐに変わると思うよ」


 え、と声が出た。


「はみを手綱で引きすぎだ。あなたの馬は、なかなかいい。環境に耐えるよい馬だ。しかし命じられるのは……きっと好きではない」


 置いてきた赤銅(しゃくどう)色の馬が、気になった。


「彼の名はなんというのだ」

「……彼?」

「あなたの、馬だ。赤銅の」


 ぽかんと口を開けてしまった。


「あ、名前。名前か……」

「まさか。ないのか」


 サーシャは顔をしかめた。


「操るのではなく、一緒に走る。目的地だけ教えてやれ。そうすれば、本当の全力を出す」


 本当だろうか。

 帰りは、川沿いにフランツィアへと向かう。遠回りになるが、砂地を行くよりかは馬も歩きやすい。

 風に、羊の声が流れていった。

 伴の馬には、三歳くらいの羊が一頭括り付けられている。俺達はお土産とばかりに羊をもらっていた。塩鉱の岩塩板を降ろしたら、今度は羊になったのだ。


「待て」


 不意に、サーシャが手綱を引いた。手を上げて、全員に止まるように伝える。


「……どうした?」


 問うても、サーシャは口元に指を一つ立てただけだ。静かに、ということだろうか。


「獣がいるかもしれん」

「獣?」

「狼は、この辺りにいるのか」


 どきりとした。

 持ってきた武器は、短刀ぐらいしかない。


「奥の方には、いたはずだが……」


 荒野の狼。

 まずいな。

 遊牧民が来たせいで、生息域が変わったのだろうか。


「姫様。羊を降ろしますか?」

「いや、行った……と思う」


 サーシャが見つめるのは、川に向かって地面が下がっていく方向だった。

 水に近づくほど、草は深くなる。その中にサーシャは獣の気配を感じたのだろう。

 しばらくは風の音だけがあった。


「うん」


 サーシャは頷いた。


「もう大丈夫だ」


 行こう、とまたしばらく馬を歩かせた。俺は草地が気になって仕方がなかったが、サーシャは落ちついたものだった。


「……帰ってきたな」


 ようやくフランツィアの壁が見えた。地面は、すでにひび割れた土だ。

 日は傾きかけている。


「さて、フランツ」


 サーシャは言った。鳶色の目が、きらりと光る。


「駆けてみるか? あの一本木(アカシア)までなら、邪魔も入るまい」


 なんとなく、そんな展開になるような気はしていた。

 それだけに覚悟は済んでいた。狼で恐れた気持ちを、ぬぐい去る。

 初日以来の、再戦である。


「ふん! いいだろう」


 俺は、またがった馬のたてがみを撫でてやった。

 こいつに名前がないわけではない。


「ゲイル、頼むぞ」


 『強い風』という意味だ。実際、こいつは俺を辺境へさらってくれた。


「よい名である」


 サーシャが俺の横に並んだ。

 すべて察した馬国の共が、合図に名乗り出た。


「始めっ」


 馬腹を蹴る。手綱をしごく。

 四本の足が土を蹴ったて爆走した。

 恐らく百を数える間につくだろう。

 俺はいつも、馬をまっすぐ走らせようとした。ちょっとでも頭を振ると、すぐに逆側に手綱を引いた。


「行け、ゲイル」


 俺は愛馬の頭を引くのではなく、むしろ励ますように手綱を繰ってみた。

 その時の勢いは、筆舌に尽くしがたい。

 後ろ足が地を蹴ったのは分かった。がつんと衝撃が来た。

 こんなに速かったのか、と空恐ろしい気になった。生まれて初めて知る、全力の馬。むしろ、畏れを感じた。

 人間など及びもしない、本当に速い生き物。

 お前はこんなやつだったのか。


「速いだろう?」


 楽しげな声が横からした。

 栗毛の馬が抜き去っていく。黒髪と、茶色の尻尾が、弾むように揺れていた。

 彼女はアカシアまであっさりと先行し、余裕をもって振り返る。風がやってきて、ぱっと髪をなびかせた。


「こいつはサルヒだ。わたし達の言葉で、『風』という意味だ」


 なんと馬の名のセンスが被っていた。

 微妙にショックを受けた。


「……普通に負けたじゃん」


 あっちの『風』の方が速いじゃないか!

 がっくりと項垂れた俺に、サーシャは笑った。


「それでも、私は思うな。例え負けても、馬は全力で駆けること自体を面白がる。たまには、そうさせてやるとよい」


 元気な姫君である。


「フランツ、礼を述べたい。おかげで、塩について大分わかった」

「…………いいさ」


 サーシャには負けっぱなしだ。なんというか、こう、どこかで見返した方がいい気がする。

 しかし、騎兵に農民が挑むような心細さを感じるのはなぜだろう。


「さて、次は……遠くへ塩を運ぶ準備をせねばならんな」


 姫君は、伴の馬にくくられた羊を見やった。


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