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2-2:最初の交易

「……コル?」


 いったいなんだろうか。問うと、サーシャは伴達の馬に近づいた。

 フランツィアから、馬国の男が二人ほど伴についている。


「知らぬか。これだ」


 鞍の荷物から取り出されたのは、赤い袋だ。


「つまりは、塩を入れる袋だな」


 馬達が鼻を鳴らし始めた。

 サーシャは袋を開いて見せて、中身が空であることを馬に示す。すると彼らも静かになった。賢いもんだ。


「この中に塩を入れておき、都度馬や羊になめさせる。そうして塩の在処を覚えさせると、彼らを遠くから呼ぶときや、一カ所に留めおくときに使える」

「へぇ……それで目立つ色をしてるのか」


 感心してしまった。

 この辺りの遊牧民にはない、サーシャ達独自のやり方なのだろう。


「塩を舐めることは、生き物には必要だ。特に、汗をかいた時。塩の在処を覚えさせると、そこから離れようとしなくなる」

「なるほど……うん?」


 ふと、恐ろしい想像が頭を過ぎった。

 サーシャ達の家畜がいっせいにフランツィアの塩に気付き、大挙してこの塩鉱を舐めに来るという想像だ。

 足が震えた。


「だ、大事だ」

「そのとおり」

「そこに詰める程度の岩塩であれば、すぐ手に入る。ただし、取引には決まりがある」


 塩の板は、切り出したものの内、鉱夫が何枚分、運ぶ隊商が何枚分、フランツィア全体で何枚分、と取り分が定まっている。その先にはもちろん、塩を待つ客がいる。

 なんだか緊張した。

 きっと次の取引が、最初の塩交易になる。


「決まりがあるのは、当然だな」


 サーシャは簡単に頷いた。物々交換などは、彼らも草原でやっていただろう。

 俺は他の事情も伝えてみた。


「一応、聞いておいてくれ。塩の切り出しに参加すれば、十枚につき二枚の岩塩が手に入る。誰でも、体さえあれば働ける仕組みだ」


 馬国の男達は、ちょっと心外そうな顔をした。


「我々はやりません」

「買うだけ、と考えています」


 だろうな……。

 期待はしていなかったが、さすがにちょっと肩が落ちた。


「婿殿。我らは、十分な資金があります」

「分かっている。人手があれば助かるという話だ」


 そう言っても、馬国の男達の反応は鈍い。

 地面に穴を掘る仕事は蔑まれる。極端な場合、奴隷の仕事と思われることさえあった。この辺りの事情は馬国も同じ――どころか、より強い抵抗があるようだ。


「フランツィアは、商国中に客がいる。塩の増産には、人手がいるんだ」


 ちらりとサーシャの方を見ると、彼女も小さく頷いた。

 姫君は事情に気づいたのだろう。


「少し時間がほしい。労力は都合しよう」

「ひ、姫様。しかし」

「わたしが決めることだ」


 サーシャが凛と応じると、馬国の伴は慌てて頷いた。大したものだ。釣られて俺も頷きそうになったほどである。

 十人でもこちらの切り出しに参加してくれれば、大分、増産が楽になる。


「行こう」


 俺達は奥へ進んだ。始めて見る馬国と、その荒々しい軍馬を、ラクダが不安そうに見てくる。

 風がやってきて、土煙を巻き上げる。潮のような臭いがするのは、縦穴の中には地下水まで達したものがあるからだ。


「む」


 サーシャが、晴れた土煙の先を指した。


「大きな羽が回っている。あれがもしや……」

「あ、ああ。風車だな」


 馬国の男達も顔を上げ、小さく声を出した。

 ちょっと嬉しい。


「オアシスの水を、あれで汲み上げる。隣の池で日光にさらして、水気を飛ばし、塩を取るんだ」


 ただし、自慢するには、ウチの風車はちょっとみすぼらしい。

 木枠の骨組みに布を張っただけの、簡易なものだ。

 レンガ造りの土台もない。複雑な歯車機構もない。

 オアシスのほとりに建てられており、水面方向からの風を受ける。回転に連動しバケツが上下し、オアシスから次々と水を汲んでいくというわけだ。

 ちなみに風が弱い日は、男達が苦労してクランクを回す。そんな日でなくてよかった。


「これは初めて見る」


 サーシャの馬足が速まった。思わず苦笑する。


「急がなくても、風車は逃げないぞ」


 鉱夫に挨拶をしながら、俺達は池のほとりに辿り着いた。

 水面が、陽光を浴びている。白く濁って見えるのは、水気が飛んで塩が浮き出ているからだ。

 サーシャが顎に手を当てた。


「ここが、天日製塩か」


 鉱夫達は水かさの減った池から、(すき)のような工具で塩を掻き出す作業をしていた。


「そうだ。岩塩よりも目が細かい塩が手に入るから、高級な塩として売り出せる」


 サーシャ達は、その作業を興味深そうに眺めていた。


「……製塩に楽はないな。これも重労働ではないのか?」

「ああ。だが、まだある。さらに細かい塩が要るときは、フランツィアでは火を使う」


 俺は事情を説明した。


「火で塩水を炊きあげると、日光で乾かすよりも、さらに細かい塩ができる。雪のごとく白く、砂のようにさらりとした、王族の塩壺に入るようなものだ。今のところ、それが最高級の塩だな」


 とはいえ薪にも不自由する土地なので、炊きあげるのも容易ではないのだが。

 塩の対価を、燃料となる木炭や石炭でまかなう商人がいる。生活との間で燃料を融通しあっているのが現状だった。


「なるほど。そちらは、街で改めて見てみよう」


 サーシャは池に沿って進もうとした。


「おっと。これ以上、奥には行くなよ」


 釘を刺しておく。


「悪魔がいたりするからな」

「……悪魔?」


 サーシャはちょっと聞きたそうだったが、その前に後ろが騒がしくなった。

 ラクダと、サーシャの伴の馬がもめている。ラクダ達は一列になって進むが、そこに馬がぬぅっと顔を突き出した形だった。

 ラクダ使いと、馬国の男がそれぞれの獣をなだめている。だが数が多いラクダは、勢いを増すばかりだ。このままだと唾を吐き出すぞ。


「フランツ様。いかんですよお!」


 ラクダ使いが泣きついてきた。


「どうしたんだ」

「ラクダの列に、あの方の馬がぬうっと首を伸ばしたんです。あんなでかくて頑丈そうな馬、初めて見たもので。ラクダが怖がって怖がって」


 ヴェエ、ヴェエ、と遠くでもラクダが叫んでいる。荒々しい軍馬の雰囲気を感じ、苛立って声を上げているのだ。

 サーシャが馬を降りた。


「おそらく、ラクダが運ぶ塩をかじろうとしたのでしょう」


 姫君は腰を折る。


「失礼しました」


 ラクダ使いは、面食らったようだ。


「いえ……あ、あなたは」

「あなた方のお仕事を、邪魔するつもりはありません。もし可能であれば」


 サーシャは馬国の伴を厳しい目で見やった。


「わたし達の馬を落ちつかせるのに、岩塩の板を買い取りたい。馬が傷つけたものがあれば、それを倍額で頂戴する」


 倍額、と俺は慌てたが、ラクダ使いは大喜びだ。高く買う分にはうるさい決まりはないが、それにしてもちょっと弾み過ぎじゃないか?

 現にラクダ使いは、あっさりと岩塩の板を二枚売った。


「……大丈夫か?」


 小さく問うと、サーシャは苦笑した。


「今回はわたし達が悪い。それに、最初に気前のよい隣人だと示す方がよい」

「……最初の交易が、これかよ」

「ふむ。確かに情緒はないが、何ごとにも最初はある」


 塩の板が二枚、ロープで結ばれる。それを馬の肌を傷つけないないように布で巻き、伴の馬に背負わせた。人一人分くらいの重さだろうか。

 二人いる伴のうち、一人は憮然としている。もう一人は悄然としていた。

 人には感情がある。千差万別なのは、当たり前の話だ。

 そして交易路といっても、動くのはこんな一人一人である。


「皆、行くぞ」


 サーシャが声をかけると、馬国の男達は従った。

 フランツィアへの帰り道は、南に背を向けるせいか背中が熱い。あぶられているようだ。


 課題は、多い。


 なによりも考えるべきは、人のことだろう。

 異なった考え方をする人同士を、うまく仕切らねばならない。特に最初は、何ごともうまくいかんものだ。

 暑さとは違う汗が出る。引きこもりなど、夢のまた夢。

 フランツィアを軌道に乗せた時を思い出す。

 真面目に取り組めば取り組むほど、大事になるぞ。


「フランツ」


 悶々と考えていると、サーシャが馬を寄せてきた。


「今日、この後の予定はどうか」

「特にないが……」


 サーシャの伴が引き取った。さっきしょげていた方だ。


「よろしければ、少々、道を外れませんか?」

「道を?」

「はい。ここよりも東に、私共の牧草地があります。汗もかいておりますし、そちらで日陰と井戸水でもいかがでしょうか」


 そう言われると、昼食を抜いたことを思い出した。

 確かに腹は減っていた。

キーワード解説


〔塩鉱〕


 塩を掘る場所。

 太古の塩湖が干上がったり、元々海底であった場所が迫り上がったりすると、塩の鉱脈ができる。フランツィアは昔、海だったのかもしれない。


〔煎ごう〕


 塩水を茹でて塩を取り出すこと。

 大規模な場合はたいへんな燃料代がかかるが、基本的には日光でのゆっくりとした加熱よりも小粒の塩が手に入る。


〔塩壺〕


 文字通り、塩を入れた壺。

 古来、上流階級の人は凝ったデザインの入れ物に塩を入れて来客をもてなした。塩の質と、凝った容器が、主人のセンスと財力を示した。



――――――――――


お読みいただきありがとうございます。


ここまででブックマーク、評価、感想など頂けましたら幸いです。

次回は3月9日(土)に更新予定です。


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