1-1:引きこもり王子
なにゆえに俺がこのような目に遭わなければならないのか。
説明が必要だ。断固として説明を要求する。
十六の時に、俺は自分の未来に見切りをつけた。
王家の生まれだが、宮からは逃げ出した。軍才、商才、学術の才――天才揃いの兄姉に、なけなしのやる気を粉砕されたためだ。
隠居して、はや五年を経ようとしている。
全ては、健やかな引きこもり生活のため。
塩っ辛い野菜と、質の悪い岩塩だけがある荒野の村。そこを控えめに言って無双の活躍で、都市と呼べるまで育て上げた。
目指したのは、俺の、俺による、俺のための街。
悠々自適に暮らしていても、『あの人は昔がんばってくれたから……』とか、『この街の偉人だから……』と言われて、みんな温かい目で眺めてくれる。その実現に、俺は五年の歳月を注いだのだ。
その結果、どうだ。
今や、街の名前はフランツィア。フランツという俺の名前を冠した、荒野の大輪花へと成長した。国内有数の岩塩産地である。
だというのに――。
◆
「どうしてこうなった?」
俺は完全に包囲されていた。
青空に無数の旗がひるがえる。彼らが馬の毛で編むという布だ。恐らく屋敷のどの窓を見ても、この旗が消えることはあるまい。連中はフランツィアを取り囲んでいるのだから。
「くそっ」
汚い言葉も、今日ばかりは許されるだろう。王族のローブを、今ほど重く感じたことはなかった。
屋敷の外から、俺を呼ぶ声がする。
「婿殿ー!」
身を隠して外を盗み見る。騎乗した男達の頭飾りが、塀越しに揺れていた。
荒野の春は、朝に気温がぐっと下がる。だというのに、俺は汗びっしょり。冷汗と涙で、体中が号泣している。
「嫌だ、嫌だ……」
頭を抱える。
どやどやと家来が部屋に入ってきた。
「おいたわしい。ああ、フランツ様……」
「ばあやっ」
付き合いの長いばあやは、目を潤ませた。俺は今年で二一歳。その間、ずっとついていてくれた人だ。
ばあやは目じりを拭い、深々と頭を下げる。
「色々ご意見ありましょうが、ご結婚おめでとうございます」
体よく送り出す気か。そこは引き留めてほしい。後ろ髪を引け。
執事のダンタリオンが、銀縁眼鏡を持ち上げる。老執事はこんな時でも冷静だ。
「若様。お気持ちはお察しいたします。ですが、いっそ前向きに捉えてはいかがでしょう」
ダンタリオン、お前もか。
「ご結婚おめでとうございます」
俺はがっくりと項垂れた。
この期に及んで、引きこもり計画に障害が現れていた。
赤毛をかきむしりながら、苦悶に身をよじる。
「まさか俺が結婚していたとは」
障害とは、嫁である。
俺は、俺の知らぬ間に結婚していたようなのだ。
――お前、結婚したから。
父王からの、お知らせの親書は短かい。短かすぎる。何も分からないと言っていい。
「フランツィアの発展が、陛下のお心に届いたのですよ。それできっと、次はご結婚と……」
ばあやが希望的なことを言う。
すぐに反証を立てた。
「ならば放っておいてくれればいいだろう。岩塩はすでに安泰だ」
老執事は咳払いをして、引き取った。
「我々も調査いたしました。お相手は、馬産地として有名な、遊牧の国です。奥様はそちらの姫君です」
「馬賊だろ」
「馬国、でございますよ」
執事は指を一つ立てた。なお、俺達の国は『商国』と呼ばれている。
馬賊とは、草原の盗賊のことだ。
「国王陛下は、同盟に塩をお考えなのでしょう。馬国は遊牧の民。物資を東から西へ運びます。流通に若様の塩を乗せたいとすれば、縁談に筋が通りますな」
額に手を当てた。
フランツィアは豊かになりすぎたのだ。質の悪い岩塩も、人と知識を使い、正しく鉱床を探せばそうではなくなる。
上手くやりすぎて、特産品に目をつけられたということか。
悠々自適な引きこもり生活が、砂のように手からこぼれていく。
「白く、質が均等な塩は、フランツィアのまったき特産でございますので。街の皆も、豊かになれば喜びますでしょう?」
「それは……感謝しているけど」
街の発展は、仲間があればこそだ。
が、交易に出す以上、生産量、つまりは作業時間を増やさねばならない。割を食うのは、塩を削ったり、煮詰めたりする作業者だ。
「しかし、相手も相手だ」
俺は批判の方向を変えた。
「岩塩と引き換えに、嫁は見たこともない花婿を了承したのか?」
「王族の縁談ですからなぁ」
上で話は決まってしまうということか。
ため息が落ちる。
「ああ、ここにいたのですね!」
扉が開き、部屋に不愉快な顔が現れた。
「エリクか」
血色の悪い美形は、今日も吸血鬼のようだ。爽やかな笑顔が、俺の怒りを煽っていく。
「エリを見損なったぞ」
言ってやると、ローブを揺らし、驚いた様子だった。
「へ。何です?」
「お前だけは、俺を売らないと思ってた」
エリクことエリクワルドは、宮廷技師という国が認めた技術者だ。俺の悪友でもある。
が、真の得意分野は宮廷のゴシップだ。『愛情の錬金術師』を自称している。実際、どのような人脈か、自由自在に宮廷の情報を集めて、俺に吹き込んでいた。
ゴシップの裏に、この男あり。
「お前がこの話を知らぬはずがない。なぜ黙っていた」
エリクは目をそらす。俺はがっしとその肩を握った。
「なぜ俺なんだ? 武芸がいいなら、兄上がいる。学問がいいなら、弟がいるだろう」
俺の成功など、兄姉は鼻で笑っている。俺が五年かかった仕事を、鼻歌交じりでやってしまえる人達なのだ。
「またそんなに卑下する振りをして」
「何? 振り、だと?」
「あなたは本当は一番になりたいんだ。でも宮には姉君や、兄君がいる。それで辺境へ来たんでしょう」
「こいつ……!」
激怒した。二十年来、熟成された気持ちを分かっちゃいない。
働き出せば、また家族と比べられる。
「フランツ様。己に嘘をつき続けると、今に養分が全部出て、塩漬けになりますよ」
外から声が聞こえなければ、鉄拳が振るわれていただろう。
「婿殿ー!」
声は、すぐ近くから。
今や屋敷の玄関まで、馬が乗り付けていた。
「姫様がお待ちなのです!」
「今、お迎えに上がりますぞ!」
ぞぞっとした。馬賊が俺をさらいに来る!
「逃げる」
「けけ! 盛り上がってきましたねぇ」
おそらく、本音は人の不幸を見たいだけだろう。
捨て台詞を投げつけた。
「よいか! 俺は自分を知っている! 結婚生活にも、外にも耐えられない!」
そういうわけで、俺は屋敷から逃げ出したのだった。
◆
絶対に引きこもる。
たとえこの身が燃え尽きようとも。
俺は戦いを開始した。ローブを脱げば、動きやすい砂漠の装備だ。顔に布をまいて、人相を隠し土埃を避ける。
屋敷を抜け出すと、合図ののろしで仲間を集めた。
門番のレッド。飲んだくれ友人のブルーとメリッサ。退役騎士で今は庭師のロブじいさん。
稀に見る豪傑達の出現に、荒野の方が震えるだろう。
「いくぜ、自由へ」
俺達は馬を連れ、秘密の抜け道から颯爽と荒野へ旅立った。
「若様が結婚とはねぇ」
夜になった。
しかし仲間達の、呑気なこと。俺達は窪地で、周囲を警戒している。
なのに、連れはもういつもの調子ときたものだ。目を離すと酒盛りをしそうだ。
「俺は結婚しない」
「えー、なんで?」
気のない返事に混じって、暇つぶしなのか、後ろからパキリと枝を折る音がする。こいつらは俺の窮地を分かっているのだろうか。
夜の荒野は冷える。息が白い。気持ち的にも体的にも、冷え冷えとした気分だ。
俺は己を奮い立たせて、隠れた窪地から顔を出した。
「しっかりしろ。相手は馬賊だ。想像できるか? こんな場所の、さらにずっと遠くで暮らしているんだぞ」
地面にはしなびた草が、延々と生えている。月が照っていて、草も大地も鉛色だ。
「この果てなんて……考えたくもない」
パキパキっと、また後ろで枝を折る音。
嘆息して、俺は遠見を続けた。
「そこら中、敵だらけだな」
脱走は、知れ渡っているようだ。起伏を繰り返す荒野を、無数の馬が駆けている。数百騎がいくつもの隊に分かれて、俺を探していた。
「大丈夫だ」
周りを見ながら、俺は自分を励ました。
「当てはある。隙を見て、隠れ家を目指せばいい」
「ああ、例の?」
「信頼できる隊商に、管理させている。井戸もあるはずだ」
かつては治安も悪かったため、疎開を想定した措置をした。
パキリと、また後ろで音がする。
「さっきからうるさいぞ。なんで枝なんて折って――」
振り向いて、俺は絶句した。
逃亡の現状。
なのに、火を焚くバカがいた。
「あ~、あったけぇ」
「酒を温めようぜ」
道連れは選ぼう。
俺は教訓を得た。
ぱあっと燃えて、白い煙がのろしのように上がる。
周囲に散っていた馬賊が、一斉に方向転換するのが見えた。上空を、ひゅうと音を立てて矢が駆け抜ける。敵の、合図だ。
「逃げるぞ!」
「酒が冷める」
ボンクラ共を馬に担ぎ上げた。危ないので焚き火も消す。必然、俺が最後尾とはどういうことか。
その分、状況がよく見えたが。
「すげぇ数だ」
逃げる我等に、左右から馬群が迫っていた。
飲まれる。いや、喰われる。
馬蹄と怒声が、耳の中をかき回した。頭がガンガン鳴る。巨大な胃袋に落とされたような、芯から這い上がる恐怖。
「若様ぁ、これは無理です。統制され、訓練されちょります!」
退役騎士のロブじいさんが、声を張った。すぐ近くを駆けているはずだが、土煙で姿は見えない。
なんなんだ。
俺はこの街に籠もりたい。
「おのれ馬賊!」
「これは騎兵というべきですじゃ」
不意に、正面に馬が出現する。
幽霊のように現れて、逃げ道を塞いでしまった。
「止まれ!」
涼やかな声。
もはやこれまでか。速度を緩めた俺達を、敵が取り囲んだ。群れの圧力に、馬の足は止まる。
「塩の道と聞いていたが、なるほど」
前方の一団から、美しい栗毛の馬が進み出た。
乗り手は、女だった。
「塩辛そうな王子だ」
彼女が進むと、騎兵も、馬さえも自然と頭を垂れる。何か気高いものに、すべてが敬意を表していた。
艶めく黒髪が、風になびく。
「お前は、誰だ?」
問うたが、俺は恥を知るべきだった。
見惚れるなど、父やエリクの意のままではないか。
女の、切れ長の目。
口元の布がとられる。白い頬が引きつり、艶やかな微笑を漂わせた。
「貴様の嫁だ」
お読みいただきありがとうございます。
本日20時頃、二話目を投稿いたします。