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暗澹冥濛  作者: 金沢 大
文体と音色とそれから
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文体と音色とそれから

 時計を見上げた。

 気がつけばもう三時を過ぎていた。月曜はいつもこうである。朝からバタバタと業務をこなしていると、昼に休むことすら頭から消え去る。

「今日、映画を観に行く。」

 私の耳に義孝の声が届く。

「それなら私も行く。何を観に行くつもり。」

 私がそう尋ねると、彼はどうやら以前私が勧めた映画を観に行くようだ。せっかくなのだから誘ってくれれば良いと思う。彼は常々唐突な発言をしては私を驚かせる。しかし、その驚きは私にとってなんともいえず心地よいのだ。


 六時になり業務終えた義孝と私は有楽町にある焼鳥屋で肩を並べている。この店にはまだ二回しか訪れていないが、常連のような太々しさすら醸し出している。

「月曜から酒を呑んでうまいものを食べるって幸せなことだな。」

 私は義孝の言葉に首肯する。幸せだと感じたことに偽りはない。しかし、私が生きているのはこの時間のためなのだろうか。そう思うと彼の言葉の全てを飲み込んだ訳ではなさそうだ。

 しばらくして、齢は七十ほどであろうか。一人の女性が私の隣に腰を掛けた。

 彼女は慣れたように見知らぬ客である私に語りかけた。

「この辺もシャンテだとかミッドタウンだとか、仏語なのか英語なのかはっきりしないものね。」

「私は日本らしいなと思いますけど。」

 彼女は私の返答に納得がいかないのか、苦虫を潰したような顔である

「日本らしいってもっとこう、美しいものに使って欲しい言葉だわ。」

 彼女が日本を愛する気持ちは伝わった。だが、古来からこの国は仏教、景教と伝来してきたものを有り難がる。あげく今日では無宗教を自称する者で埋め尽くされている。宗教も本質を探求するというよりは、形をなぞることに終始している感が否めない。この無節操さこそが日本らしさだと私は思うし、愛おしくさえ感じる。


 私と義孝は店を後にし、映画館へと向かう。思っていたよりも近い。義孝が何か言っているが、その言葉は頭の中を反響し、減衰し、そしてどこかへ消えていった。


 券を購入し席に腰をかけた。既に予告がいくばくか流れた後のようだ。ピアノの音が耳に飛び込んできた。その音は哀愁だとか、刹那感だとかそういった印象を乗せて私に浸透した。口の中に塩気が拡がっている。この塩気が目から流れ落ちるものによるものなのか、はたまた無意識に右手が口に運んでいるポップコーンによるものなのかはもはや分からない。


「想像以上によかったな。」

 暗闇から解放されると義孝は感想を漏らした。

「原民喜の一文が特に良かった。」

 印象的な一文だった。

『明るく静かに澄んで懐しい文体、少しは甘えてゐるやうでありながら、きびしく深いものを湛へてゐる文体、夢のやうに美しいが現実のやうにたしかな文体……私はこんな文体に憧れてゐる』

 これは文体に限ったことではないな、そう思った。映画では楽器が奏でる音色もそうだと言っていた。これは音色に限ったことでもないな、そう思った。私はこんな人生に憧れているなと。

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