列島地震
2005年3月。その日、日本列島を大地震が襲った。
十勝沖、三陸沖で同時に大地震が発生。大津波が東北地方と北海道を襲った。そして、福島県の原子力発電所がこれにより爆発する寸前の状態になった。なんとか炉心融解や爆発という事態には至らなかったが、その矢先、今度は長野県で震度6弱、一週間後には四国沖での震度6強、最後は首都直下で震度5強の地震が立て続けに発生。列島地震という大災害に見舞われた。
これにより、被害が最も大きかった東北のインフラは麻痺し、復旧まで1年を要した。小岩剣は夏休みや冬休みは青森に帰っていたが、これにより帰れなくなってしまい、両親の都合から一人で生活する小岩剣は広瀬や下山達が面倒を見ていたが、原発事故の時の国の対応が引き金となり風評被害が発生。東北地方出身という小岩は「放射性物質」「補助金で生活している金持ち」という言いがかりを付けられ、特に男子からいじめられるようになっていた。
ようやく、東北地方の鉄道や高速道路が復旧し、いざ青森に帰ろうと思った矢先、東北出身でかつ女子に面倒を見られていた事を小学6年の担任教師に目を付けられ、「くだらん男女交際はやめろ」と担任教師に言われた。また、彼が青森へ帰ろうと「あけぼの」の切符を買うと言う話をした所、駅で待ち伏せされ切符を購入する資金を強奪。直ぐに警察に届け出たが相手にされなかった。両親に相談しようにも、父は自衛官。母は外交官という職種から相談する事も難しい事も、迫害を更にエスカレートさせた。
日に日に顔色は悪くなり、目付きばかり怖くなって行き、「このまま放っておけば殺される」と思ったのか、今までいじめていた男子達でさえ、小岩をかばい始めた。当時、ノートに名前を書かれると死ぬと言う映画が流行した事もあったのかもしれないが、担任教師はそれを見て「やっぱり補助金暮らしの贅沢ものだ!いじめなんかないんだ!」と教師は言い、小岩を一晩地下牢に監禁した。
解放された後、小岩は学校に出てくることはなく、中学進学の時にはもう、記憶が無くなってしまっていたのだ。