魔法陣は難しい
国境となっている川を渡り、別の国に入った。
この国は昔にいた勇者の故郷とされている。
昔の勇者は、魔物の王様とも言える存在である魔王を倒したので「勇者」と呼ばれている。だから本当はエレアノールさんは「勇者(予定)」だ。
勇者は赤毛だったそうだ。赤毛というのはこの世界では大変珍しく、赤毛といえば勇者だと認識している人が多い。そんなだからシーナは、あなたは勇者の子孫なのかと聞かれることが多々ある。実際どうなのかは不明だ。
国境を越えてから十五日目。
今日は朝早くから大雨で、これでもかという勢いで正午前までずっと降っていた。野宿の日でなくて良かったと心底思った。午後になってから宿を出発する時、空には大きな虹がかかっていた。
町を出て街道を少し歩いたところで、地中から小さくて黒いものが大量に出てきた。
赤いのが勇者なら黒いのは魔物だ。この世界の人には黒い髪と目は存在しない。もしそんな人を見たらその人は魔物に憑かれている。俺だって黒髪黒目のつもりだが、この世界の人には他の色に見えているらしい。しかも日によって違うようだ。女神様の気遣い兼遊び心だと思っている。
まあそんなわけで、今ここに現れたのは魔物の群れだ。少し離れた所から見ればちょっとした絨毯が地面に敷かれているように見えるかもしれない。
「……ミミズ」
シーナが呟いた。
魔物はうねうねと動いている。シーナの言ったとおりミミズのような魔物だ。形はもちろん、雨上がりに出てくるところも。少し気持ち悪い。
俺たちの他にも何人か旅人がいるが、彼らは魔物に近寄るかどうか迷っているようだ。なんだか弱そうな魔物だが、この辺りに出る魔物はそれなりに強いものだし、数が多いので油断は禁物だ。
「踏んでみようか」
そう言ってエレアノールさんが、群れから離れた場所をのろのろと這っていたミミズもどきを踏みつけた。エレアノールさんが足を上げてみると魔物はまだ元気そうに動いた。もう一度踏むと魔物は消えた。防御力はあまりないようだ。
「適当に歩いて踏んでけばいいかもしれない」
「共食いして大きくなったらどうするの」
シーナの問いにエレアノールさんは自分の剣の柄を軽く叩いて答えた。
「これでなんとかする。もし駄目だったら、お願い」
シーナがこくりと頷いて了承したそのすぐ後に、
「ちょっと待って」
と、誰かが後ろから俺たちに声をかけてきた。
振り向いてみれば、ポニーテールの若い女性と、男性か女性かわからないこれまた若い人が立っていた。
女性は腰に剣を吊っていて、性別がわからない人は杖を持っている。剣士と魔法使いのコンビという感じだ。
性別がわからない人が口を開いた。
「魔物は僕が燃やします」
この声は女性のものか? そして「ちょっと待って」の声とは違う気がするから、俺たちに声をかけてきたのはポニーテールの女性だろう。
「魔法で?」
そうエレアノールさんが性別がわからない人に聞くと、
「もちろん」
と返ってきた。
性別のわからない人は、地面から五、六十センチのところに、杖で地面と平行に金色の線を引き始めた。
ときどき魔物を踏みながら、彼女(たぶん)は直径五メートルくらいの円形の魔法陣を魔物の群れの上に描いた。
彼女が何か言うと――何と言ったかはよく聞こえなかった――魔法陣から炎が下向きに出て、魔物の群れに襲いかかった。
「おー、なかなか」
と、エレアノールさんが感心したように呟いた。
「ケーイチくんもああいうのできるようになるといいね」
「……やろうと思えばできるはずですけど……」
「火事とかやけどが怖い?」
そのとおりだ。怖がっていたら駄目だってことはわかっているし、魔法の先輩にも積極的に魔法を使うように言われたのだが……。
呪文で困らないし魔力は強いしで、俺は新人魔法使いとしては優秀な方かもしれない。でも一人前はすごく遠い。うっかり喋った日本語が魔法になってしまうことがあるし、魔法陣にはかなり苦労しているからだ。
呪文だけの魔法は魔法に強い相手には意味がないが、魔法陣から出るものなら効果がある。俺に日本語でどうこうさせられない人でも、魔法陣から水を出してかければ俺は普通に濡れるし、水の量や威力によっては立っていられない。
だから俺は魔法陣ありの魔法もしっかり使えなければならないわけだが、魔法陣を描くのが難しい。魔法陣に間違いがあったりあまりにも下手だったりすると、攻撃の威力や範囲、向きがおかしくなる。つまり敵が無傷で味方に被害が出ることがある。水をかぶるとか風に吹かれるとかならいいが、火でやけどはまずい。水や風でも強かったら全然良くない。
何かを出す魔法は、いかにも魔法という感じでかっこいいし憧れるし使いたいと思う。でも失敗した時のことを思うと使うのが怖くなる。
「でも、ケーイチくんは薪に火をつける時は失敗しないよね。強いのでも大丈夫なんじゃないかな。この前魔法使った時は失敗しなかったし、綺麗に魔法陣描く練習してるし」
「……じゃあ、今度魔物が出た時に」
「お、言ったね? 約束だよ」
「でも、あんまり木が多いところはちょっと」
「それでいいよ」
エレアノールさんと話していると、
「魔法使うのが怖いの?」
ポニーテールの女性にそう聞かれた。
「はい……強いのは失敗が怖くて」
「わかるよ、その気持ち」
そう言ったのは魔法を使った女性だ。
「僕、さっきの魔法使う度に爆発が怖くてしょうがないよ。でも、怖がりながら使うのがいいんだよね」
「そうなんですか?」
あまり良くない気がするのだが……。どうしてそう考えるのだろうか。
「怖がってたら慎重になるでしょう? まあ、慎重になり過ぎてのろのろしてたら駄目だけどね、調子に乗って、得意になって、何かを間違えて大惨事を引き起こすのはもっと駄目だし。自分が引き起こすかもしれない惨事を怖がりつつ、成功する、自分が望むとおりになるって自信をもってるのがいいんだよ。怖がって魔法を使わないのも、自信だけもって使うのも駄目なんだ。心の中は九割自信で残りの一割が不安とか恐怖っていうのがいいと思うよ」
魔法を使った女性は、一気に喋って、ほんの少し恥ずかしそうにした。
「って言ってみたけど、僕はまだ魔法についていろいろ言えるような身じゃない……でも、いろんな意見の一つとしてちょっと覚えておくといいかもしれないよ」
……そうか……そういう考え方もあるのか。
「はい、覚えておきます」
「素直でいいね」
ポニーテールの女性が言った。
「そうそう、『魔法は“習うより慣れろ”って言葉がよく当てはまると思うの』って勇者の妹の子孫のご近所さんが言ってたよ」
は? 勇者の妹の子孫の、ご近所さん? 勇者に近いようで遠い気が……うん、かなり遠い。勇者関係ない。
「じゃあ私たちはそろそろ行くね」
「また近いうちに会いそうな気がするよ。じゃあね」
ポニーテールの女性と魔法使いの女性は小さな馬車に乗って去っていった。
「妹の子孫……」
馬車が走っていった方を見ながらシーナがぽつりと呟いた。それを聞いたエレアノールさんが、
「珍しいもの名乗ってるね」
と言った。
「何で珍しいんですか」
「勇者に妹がいたって知らない人って結構多いんだよ。勇者とその仲間と違って特に活躍してないらしいし。子孫だって言っても『へえ』で済まされるんじゃないかな。国によって違ってくるかもしれないけど」
そういえば、シーナが、勇者の妹の名前はマリーだと聞いたと言った時、エレアノールさんは「どうでもいい」と言っていた。俺がとある街で借りて読んだ本では、勇者の妹が登場したのは最初と最後だけで、あとはまれに名前が出てくるだけだった。ずいぶんと軽い扱いなものだ。
「さて、いつまでも突っ立ってないで、私たちも行こうか。約束守ってよ、ケーイチくん」
「わかってます」
九割もの自信をもてる気がしないが、約束した以上、やるしかない。
ミミズもどきの群れが出てきたところからまたしばらく歩いていると、
「おっと」
「おわっ」
体が浮いたと思った次の瞬間、
「ガアアアアアア!」
茂みの陰から何かが飛び出してきた。
黒いから魔物だ!
【動くなっ】
とっさに魔法を使ってみれば、魔物はこちらを睨んだまま動かない。もう大丈夫だろう。
飛び出してきた魔物は、体長二メートル程で虎のような形をしている。
……で、俺は今、エレアノールさんに抱えられている。どうやら魔物が襲ってきたのでエレアノールさんが俺を抱えて飛び退いたらしい。俺の方が背が高いのに本当にすごいな、この人。
「怪我してない?」
俺は地面に下ろされた。
「大丈夫です。ありがとうございます」
魔物が立っている位置はつい先程まで俺が歩いていた所だ。エレアノールさんが助けてくれなければどうなっていたことか。いくら魔力が強くて魔法が使えても何かあった時にすぐに対応できなくては駄目だな……。
「さあ、ケーイチくん、任せたよ」
「……わかりました」
威力の高い炎を出す魔法を使う時がもう来たようだ。約束したからには、そして魔法の上達のためにも、やらねば。
まず、失敗した時の消火用に、水を大量に出す魔法の魔法陣を描く。
この世界では、指で空中に絵を描くことができる。線を一本引いてみて、それがしばし残れば魔法使いとしてやっていける。魔力が弱いと線はすぐに消えてしまうので、そういう人には、複雑な絵ともいえる魔法陣を描くことは難しい。
指先に少し力をこめて動かすと、何もなかった所に金色の線が現れた。くっきりとした線は、魔力が強い証拠だ。具体的にどのくらいの強さかはわからない。
最初に大きな円を描いて、小さな円や三角形などを足していく。この魔法にはいくらか慣れているので、あまり苦労せずに魔法陣を描き上げた。これが無駄になるのは、これで出す水では対処できない失敗をしたとき、対処が間に合わないときか、魔物以外に被害を出さずに済んだときだ。
次に、上級の魔法の教科書に載っている、炎を出す魔法の魔法陣を描いていると、
「自信無いって言ってるわりにはずいぶんと速く描いてるね」
そうエレアノールさんに言われた。
確かに俺にしては速いかもしれない。魔法陣を描く練習をしてきた成果が出ている……と言ってもいいだろうか。
旅に出る前に使ってみた時よりずっと早く魔法陣を完成させた。あとは呪文――上級の教科書の魔法にしては短い――を唱えるだけだ。
汚いけど大丈夫だ、たぶん。……もう少しゆっくり慎重に描くべきだったか……描き直したいけど、それだと時間がかかり過ぎるし……これくらいなら問題無いって言われたことあるし……ええい、もうやってしまえ!
【炎よ 何であろうと焼いてしまえ 何であろうと焼き払え】
魔法陣が強く輝き、魔法陣の中心から炎が広がるように出て魔物に襲いかかった。
「ガアアアアアアアアアア!」
炎にまとわりつかれた魔物は苦しそうに叫んた。魔物が焼けているようなにおいはしないが、しっかり効いているようだ。
魔物は炎が消えると同時にバタンと倒れて、空気に溶け始めた。
……やった! 俺もエレアノールさんもシーナもやけどはしていない。どこも燃えていない。火事は起こりそうにない。成功した!
俺が思わずガッツポーズをしていると、
「やっぱりできるじゃない!」
とエレアノールさんが嬉しそうに笑って言い、
「もう少し自信をもったらいいと思う」
とシーナが俺をじっと見つめて言った。
「よし、ケーイチくんにもっと魔法使ってもらおうかな。ってことで、今日は魔物は任せるよ。今みたいにやってくれればいいよ」
今日中にどれほどの魔物が出てくるかわからないが、頑張ろう。
「任せてください」
俺がそう答えると、エレアノールさんは少しだけ驚いたような顔をした。
「ちょっと嫌がるかと思った」
え? 何でだ?
「魔法使うのは嫌じゃないので」
「ケーイチくんが魔法大好きってことはわかってるけどさ、自信が無くて嫌がるかと思ったんだよ。引き受けるだろうとも思ったけど……返事が早くてちょっとびっくりしたよ。もしかして今ので自信ついた?」
ああ、なるほど、そういうことか。
「……まあ、そんなところです」
難しい魔法に成功して嬉しくて、今日一日というか半日、魔物を任せられても大丈夫かも、と思ったことは確かだ。
俺の答えにエレアノールさんは「それは良かった」と再び笑顔を浮かべ、シーナは何を思ったかぱちぱちと小さく拍手をした。
「でも、そのー……さっきみたいに魔物に気付けてないときは、助けてもらえるとありがたいです」
情けないお願いだったが、エレアノールさんもシーナも文句も言わずにしっかり頷いてくれた。
よし、やってやる!
それからは、歩いていたらもぐらのような魔物が地中から出てきたり、カラスのような魔物の群れが飛んできたり、寝ようと思っていたら大きな蛇のような魔物がどこからか現れたりしたが、全部魔法で倒すことができた。しかも魔法に失敗することなく一日を終えられる……かもしれないと思っていたのだが、
「あー……」
「あーあ、やっちゃったね」
最後の最後に失敗して、魔物だけでなく自分にも水が盛大にかかってしまった。魔物に当てたものより勢いはなかったが、量は同じくらいだったかもしれない。
エレアノールさんとシーナはなんともないようだ。よかった。
ああ、寒い……。ただでさえ最近の朝晩は涼しいを通り越して寒いというのに、ずぶ濡れになるとは……野宿なのに……。
上着を脱いで絞っていたら、
「早く拭かないと風邪ひくよ」
シーナが俺のタオルを差し出してきた。
「あ、ありがとう」
このタオルは、魔法が失敗した時のために用意しておいたものだ。気付いてわざわざ持ってきてくれたらしい。
タオルを片手で受け取ったら、反対の手で持っていた上着を取られた。
「服より自分。これはわたしが絞っておく」
「えっ、いいよ、自分でやる」
「わたしの力の方が強い」
「それはそうだけど」
シーナはぎゅうぎゅうと俺の服を絞りだした。
「ケーイチくんは早くこっち来なさい」
俺はエレアノールさんに引っ張られて焚き火の前に移動させられた。
あったかい。魔法を使う前にここから離れておいて正解だった。ここにいたら間違いなく火が消えていた。
「何で失敗しちゃったの? 油断した?」
エレアノールさんが焚き火に枯れ木を追加しながら聞いてきた。
油断というと少し違う気がするが、まあそのようなものだ。
「……言いにくいんですけど……ちょっと眠かったので……」
徒歩での移動と魔法の使用による疲れで眠かった。眠くて魔法陣の細かいところに注意が向かなかったのが今回の失敗の原因だ。ちなみに今ので眠気はどこかに吹き飛んでいった。
使ったのが水を出す魔法でよかったと思う。炎を出す魔法で同じようなことになっていたかもしれないと考えると……恐ろしい。
眠くて魔法に失敗するなんて、どれだけ間抜けなのだろう、俺は。
「一人前、遠い……」
「もう近かったらびっくりだよ。魔法のことよく知らないけど」
エレアノールさんが俺の手からタオルを取り上げて、俺の頭をがしがしと拭いた。
「反省するのもいいけど手が止まってるよ」
「あ、はい」
タオルが返された。それと同時に、
「進歩してるから大丈夫」
すぐ後ろからシーナの声が聞こえた。
シーナは俺の隣に来ると、俺の服を広げて火にかざした。
「一度失敗したけど何度も成功したのも事実。それに魔物は全部倒した」
「……うん。そうだな」
シーナの言うように考えると、今日は俺、とても良くやった。
一人前は遠い。でもきっと、少しは近付けているはずだ。
性別を変えてみたらどうなるのかと思い、せっかくなのでエイプリルフールものとして投稿しました。「嘘」というよりは「逆」ですが。




